310話 気付けてよかった
「おはようございます」
「ん? あぁ、よく来たね」
ローズさんのお店に顔を出すと、笑顔でローズさんとデロースさんが迎えてくれた。
旅の準備も整い、5日後に出発する予定になったのでお世話になった人達へ挨拶をして回っているのだ。
「寂しくなるね。いつ出発するんだい?」
「5日後です」
「あっという間だね」
ローズさんにしみじみ言われると、寂しくなるな。
マジックアイテムでは本当にお世話になった。
「そうだ、これ。王都やその周辺での私の知り合いのアイテム屋だ」
2枚の紙をローズさんから受け取る。
そこには村や町の名前、そしてお店の名前と店主の名前が記載されている。
「何か欲しい物があったら、そこに行くといいよ。皆、私の知り合いだ。間違っても、無駄な物は売ったりしないから安心していい」
「ありがとうございます」
ドルイドさんが頭を下げるので、慌てて下げる。
本当に良い人に出会えたな。
「そう言えば、プリアに『ふぁっくす』での交流をお願いされたんだって?」
「それはアイビーですよ」
旅に行く予定が決まったので、お礼がてら知らせに行くと手を握られてお願いされた。
その勢いでちょっと腰が引けていたが、とりあえず問題ないので了解した。
……勢いが怖くて、ただ頷いただけのような気もするが。
とりあえず、落ち着いてくれたのでよかった。
「タブローが先を越されたって嘆いていたよ」
「えっと、プリアギルマスさんのファックスにタブロー団長さんへの報告も載せるので、大丈夫ですよ」
おそらくプリアギルマスさんへのファックスにはローズさんたちへの報告も載せるだろうな。
「あっ、ローズさんたちへの報告などもプリアギルマスさんへのファックスに載せて良いですか?」
別にした方がいいならそうするけど。
「私たちにもくれるのかい? 嬉しいね。プリアは嫌がるだろうが、問題ないよ」
嫌がる?
この話をした時は特に嫌そうな顔はしなかったけどな。
「大丈夫だと思います。お願いした時快く許可をもらえたので」
私の言葉に、苦笑を浮かべるローズさんとデロースさん。
あれ?
何かおかしなことを言ったかな?
ドルイドさんを見るが、優しく微笑まれた。
いつ見てもドルイドさんの笑顔って安心するな。
「アイビーは気にすることじゃないから大丈夫」
「うん」
それにしても、ファックスでの交流が増えていくな。
友人が増えていくようでうれしい。
皆年上なのがちょっと気になるけど、同い年の知り合いがいないので仕方ない。
宿では、同い年ぐらいの子たちと少し交流が持てたのだが、どうも違和感を覚えてしまった。
ドルイドさんに相談すると、前の私の影響だろうと言われた。
どうも年齢より考えが、大人らしい。
それなら仕方ない。
前世の記憶があったから、今私はここにいられるのだから。
彼女も私の大切な家族だ。
「そろそろ行こうか」
「うん」
「これから何処かへ行くのかい?」
ローズさんの膝の上で遊んでいたフレムを、彼女が机の上に置く。
フレムはローズさんの事を、使っていい魔石をくれる良い人として覚えたようで店に来るとローズさんの所へ遊びに行くようになっている。
「ありがとう、フレムもしっかりお別れした?」
「てっりゅりゅ~」
膝の上でごろごろ、プルプルさせてもらえて満足らしい。
頭をそっと撫でてからバッグに入れる。
「『シャル』という服屋です。春から夏にかけてのコートを買ったのでサイズ調整をしてもらっていたので」
「あぁ、あそこの服はいいモノが多いね。アイビーは可愛いからオシャレしなよ」
「えっ、えっと。はい」
ドルイドさんが選んでくれたコート。
凄く可愛かったから、今からちょっとわくわくしている。
「いい買い物が出来たみたいだね」
「えっ?」
「気付いていないのかい? アイビー、今凄くいい笑顔だよ」
そんなに表情に出てたのだろうか?
両手で頬を押さえる。
ドルイドさんを見ると、凄く嬉しそうに笑っている。
「気に入ってくれてよかった」
ドルイドさんの笑顔に、笑みが浮かぶ。
やっぱり彼の笑顔は、私の心を安心させてくれる。
「選んでくれてありがとう。シエルとソラを迎えに行ってくるね」
ローズさんのお店を見渡すと、お店の隅に2匹を見つけた。
何をしているのか、不思議に思いながらそっと近づく。
後ろから覗き込むと、小さな虫を見つめる2匹。
ただ見ていただけだが、楽しいのだろうか?
春のコートをドルイドさんが選んでくれた日、私は1枚の春物を選んだ。
今まで欲しいモノがあっても、我慢するしかなかった。
家族、暖かい家、優しい手、温かい空間、人との関わり、安全な食事、新しい服、新しい靴、安全。
どんなに欲しいと願っても、手に入らなかったモノ。
ずっとずっと苦しかった。
それがある時、気が付いた。
欲しいと思うモノが無くなったと。
本当は無くなったのでなく、苦しい心を守るために諦めた。
欲しいと思わなければ、心は痛まない。
苦しくない。
我慢しているわけではなく、私にはいらないモノなのだと心に刻み込んだ。
その時はきっと必要な事だったのだろう。
だから後悔はしていない。
「そもそも、気付いたの最近だし」
小声で言った言葉は誰にも聞かれなかったようだ。
ただ、バッグに入れようとしたソラがじっと私を見上げている。
それに笑って、頭を撫でる。
「大丈夫」
諦めたモノが身近にあると気付いたのはこの冬。
雪道で何度もこける私を抱き起こしてくれるドルイドさんの手を、優しいなと感じた時。
それまでもずっとそばにあったのに不意に『私がずっと欲しかった優しい手』だと認識した。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間に『私はずっと欲していたんだ』と理解した。
いらないと思っていたのではなく、諦めたのだと。
でも、欲しかった手は私の手を握って心配そうに私を覗きこんでいた。
グッと手を握ると、握り返してくれる手。
諦めたモノを手に入れている事にようやく気付いた。
家族、暖かい家は宿だけど、優しい手、温かい空間、人との関わり、安全な食事、新しい服、新しい靴、安全。
ドルイドさんが私にくれた欲しかったモノ。
いや、ドルイドさんだけではない。
今まで出会った人たちも、私が欲しかったモノをいっぱいくれていた。
「気付くの遅すぎだよね、私」
きっとドルイドさんは、我慢してきた事で出来た心の歪みに気付いている。
そうでなければ私の気持ちを優先してくれるドルイドさんが、意見を訊かずに私の服を選ぶはずがない。
おそらく、バルーカさんの服屋で無意識に何かしたんだと思う。
もしかしたら、一緒に生活してきたからそれ以前から気付いていた可能性もあるけど。
「あんなに嬉しそうな顔するなんて思わなかったな」
春のコートを選んだ日。
可愛い服を選ぼうとした。
1枚の服を手に持った時、それまで可愛いなと思っていたのになぜか不快感を覚えた。
だから手に持ったその服は『私には不要なモノ』なのだと理解した。
棚に戻そうとした時、
「可愛いな、アイビーが着るところを見てみたいな」
ドルイドさんがコートをお店の人に渡して、私の傍に戻ってきていた。
ちょっと驚いた。
呆然とドルイドさんを見ていると、不思議そうな表情で私を見て首を傾げる。
「どうした?」
「いえ、戻ってくるのが早かったので」
「いや、あれから10分は……なんでもない。それよりその服可愛いな。アイビーに似合うと思うな」
そう言って嬉しそうに笑うドルイドさんを見て、もう一度手に持った服を見る。
確かに色も刺繍も可愛い。
「ちょっと鏡の前で合わせてみたら?」
そう言うと、手を引いて店にある鏡の前に私を立たせた。
そして、私の手から服を取ると体に合わせてくれる。
「うん。アイビーは最近ぐっとお姉さんぽくなったから似合うな」
鏡に映った私は、ちょっと戸惑った表情をしていた。
「ほらっ、アイビー笑って笑って。その服には笑顔が似合うよ」
そう言って、頭を優しく撫でる優しい手。
鏡の中の自分を見ると、嬉しそうな笑みに変わっていた。
「似合うかな?」
「絶対。俺が保証する」
保証されてしまったし、可愛いし。
凄くその服が欲しくなって、買う事に決めた。
その服を、バルーカさんに渡すとぐしゃぐしゃと頭を強く撫でられた。
抗議をしようと後ろを振り向くと、今までの中で一番とも言える笑顔があった。
あまりの笑顔にちょっと恥ずかしかったけど、私も笑ってしまった。
「ただ欲しいと言う理由だけで、服を買うなんて初めてだったな」
いつも色々理由を付けて買っていた。
そもそも服を買いだしたのは冬服からだけど。
あの服を着るには、まだちょっと早い。
はやくあの服を着て、ドルイドさんに見てほしいな。