1057話 小さな私と、今の私
「どうした?」
お茶の入ったコップを乗せたトレイを持ったお父さんが、不思議そうな表情で私を見る。
それから、私が持っている紙を見て、優しい表情で微笑んだ。
「書けないのか?」
「うん。『もういいよ』って書こうと思うんだけど、書こうとすると……」
色々な気持ちが溢れてくるなんて、どう言えばいいんだろう。
「頭がごちゃごちゃになるっていうのかな?」
お父さんはトレイをテーブルに置くと、私に座るように促した。
私はお父さんの正面のソファに座り、ゆっくりとお茶を飲む。
お茶の温かさにホッとして、小さく息を吐いた。
「アイビーは『許す』と伝えようと思っているんだったよな」
「うん」
「許す」というよりも、お姉ちゃんだって仕方なかった、だから……もういいよって。
「でも、傷ついた小さなアイビーは伝えたがっているんじゃないか?」
傷ついた……小さい私?
コップの中で揺れるお茶を見る。
「あの時の苦しさや悲しさを、今のアイビーは伝えても仕方がないと考えている。でも、小さなアイビーは、大好きなお姉ちゃんに傷ついた事を伝えたいんじゃないか?」
視線を上げると、私の事を優しい表情で見つめるお父さんがいた。
大好きなお姉ちゃん?
そう……だね。
私はお姉ちゃんが大好きだった。
優しくて、いつも私と遊んでくれた。
だから、態度がガラッと変わってしまった事は悲しくて、凄くつらかった。
今でも、家から追い出された時の気持ちは忘れられない。
森の中は、寂しくて寒くて。
大好きだった家族の事が、少しずつ大嫌いに感じるようになった。
あの時、私はお姉ちゃんの事も大嫌いになった。
だから、今は大好きだとは言えない。
でも、前みたいに大嫌いなわけでもない。
だって、オグト隊長が教えてくれたお姉ちゃんの様子は、昔の優しかった時のお姉ちゃんみたいで……。
「アイビー、思っていることは全部書いていいんだぞ。お姉ちゃんが傷つくかもしれないと心配しなくていい。たとえ言葉がきつくなっても大丈夫だ。小さかったアイビーが何を感じていたのか、どれだけ傷ついていたのか、そして今のアイビーがどう思っているのか、全部隠さなくていい」
「小さかった私と、今の私の気持ち」
「うん」
真っ白なふぁっくす用紙を見る。
「あと、無理矢理『許そう』としなくていいんだぞ」
えっ?
「『仕方なかったんだから、許さなければならない』。こんな風に考える必要はないからな」
お父さんの言葉にフッと気持ちが軽くなった。
「思っている事を全部か……。この1枚の用紙には書ききれないかもしれないな」
私の言葉に、お父さんが小さく微笑んだ。
「そうだ、アイビー」
「何?」
「気持ちを伝えるんだったら、ふぁっくすで送るのは止めて手紙を届けてもらったらどうだ? ギルド職員が読む事はないだろうけど、視界には入るだろうからな」
そっか。
自分の気持ちが丸見えになるのは、ちょっと恥ずかしいかもしれない。
「それに、急ぎでもないしな」
お父さんを見て、思わず笑顔になる。
「そうだね。手紙にする。それに、全部伝えてみる」
手紙を送ったら、きっと返事が来るよね。
その時に、もう一度自分の気持ちを考えよう。
お父さんは私を見て笑い、頷くとお茶を一口飲んだ。
「それで、アイビー。話そうと思っていた事なんだけど」
あっ、そうだ。
冒険者になるかどうかの話し合いだったのに、別の話をしてしまっていたな。
「うん」
「フォロンダ公爵が『捨てられた大地へ行くには冒険者にならなければならない』と言った以上、冒険者である事が最低条件なんだろう。それで、アイビーはどう考えている?」
お父さんの真剣な表情に刺激されて、私も背筋を伸ばしてお父さんを見る。
「私は、冒険者になって捨てられた大地へ行く」
今の実力では止められるかもしれない。
でも、私は絶対に捨てられた大地へ行って、木の魔物達が王都を襲うのを止めたい。
「そうか。それなら冒険者ギルドに行って手続きをしないとな」
「えっ?」
お父さんの返答に、私は驚いて声を上げてしまう。
まさかこんな簡単に、認めてくれるなんて思わなかったから。
「どうした? 捨てられた大地へ行きたいんだろう?」
「うん。でも、私の今の実力では……」
お父さん達の足を引っ張ってしまう事になる。
「だったら、今まで以上に練習をすればいい」
お父さんを見ると、ジッと私を見ていた。
「アイビーは現状に満足していないんだろう?」
「もちろん」
満足なんてするわけない。
「だったら、アイビーはもっと練習するしかないだろう?」
それは、その通りだね。
お父さんの何気ないひと言に、思わず笑ってしまう。
皆の足を引っ張るとか満足してないとか、落ち込んだり考えたりする時間があるなら、もっと練習すればいいだけだ。
「うん。満足できるまで練習する」
私の宣言にお父さんが笑う。
「ただし、体を壊さないように無理はしない事。あぁそうだ、冒険者登録をする時にスキルの登録も必要なんだけど大丈夫か?」
星なしの事だよね。
「大丈夫。星なしだって事が、最近は気にならないから」
前は、星なしだと知られるのが怖かった。
星なしだと知られれば、殺されると思っていたから。
それに、人と違うという事も知られたくなかった。
でも今は、全く気にならない。
だって、お父さんもラットルアさん達も、星なしだと知っても態度が変わらなかったから。
それに、人は皆、それぞれ違うものなんだと分かったから。
「そうか。まぁ、スキルが増えたり減ったりするなら、スキル登録は意味がないから、なくなる可能性があるけどな」
「そうだね。登録してもスキルが変わる可能性があるなら、登録する意味はあまりないよね」
「そうなんだよ。そろそろ両ギルドから何か発表があってもいい頃なんだけどな」
スキルが増えたり減ったりすると言う噂が流れてから少し経つもんね。
「あっ、冒険者ギルドへの登録は少し待った方がいいかもしれないな」
お父さんが嫌そうな表情で呟く。
「両ギルドからの発表を待った方がいいって事?」
「うん。そろそろ発表があると考えている冒険者達が、冒険者ギルドに集まっているだろうから」
あぁ、混んでいるって事だね。
「でも、発表によってはさらに混む可能性があるから今のうちに登録した方がいいのか? でも、登録条件が変わるかもしれないから、やっぱり発表の後にした方がいいのかな?」
「発表後は、落ち着くんじゃないか」
お父さんを見て首を傾げると、彼は肩を竦めた。
「スキルが増えると分かれば、自分のスキルを調べたくなると思わないか?」
「あぁ、そうだね」
確かに、スキルが増えるかもしれないと分かれば、調べたくて人が集まってしまいそう。
「……当分、冒険者ギルドには近付かない方がいいかもね」
「発表の内容によるけどな」
「うん」
スキルが増えている人は嬉しいだろうな。
まぁ、減る事もあるみたいだから調べる時はドキドキだろうね。
「お父さんは、スキルが気にならないの? もしかしたら増えているかもしれないよ?」
「俺は……まぁ、気になるな」
お父さんが少し恥ずかしそうに笑った。
「早く発表があるといいね」
「そうだな」
 




