1036話 準備中と思案中?
ドールさんの言った通り、フォリーさんは調理場を快く貸してくれた。
その調理場でパン生地を捏ねながら、届けてもらった弓を前にして考え込んでいるソラを見る。
「さっきからずっと動かないな」
同じようにパン生地を捏ねているシファルさんが、不思議そうに首を傾げる。
「うん、もう既に20分はあの状態だね」
捏ね終わったパン生地をボウルに入れ、濡れたタオルをかけて一時発酵が終わるのを待つ。
「シファルさん、捏ねるのはそれぐらいで大丈夫だよ」
新しいボウルをシファルさんに渡すと、彼はパン生地をそのボウルに入れ、濡れたタオルをかぶせた。
「ぷ~」
「「「えっ?」」」
急に聞こえたソラの鳴き声に視線を向けると、なぜかソラは1本の弓を咥えて振り回していた。
「どうしたんだ?」
調理パン用のソースを煮込んでいたお父さんが、私の傍に来る。
「分からない。鳴き声が気になって見たら、あの状態だったから」
「あっ、振り回すのを止めたみたいだ」
シファルさんの言葉が聞こえたのか、チラッとソラが彼を見る。
すぐに視線を逸らしたソラは、咥えていた弓を放り投げ、横に伸びて体をぷるぷると震わせた。
「てりゅ~」
「ぺふっ」
そんなソラに声をかけるように、フレムとソルが鳴く。
ソラは、チラッと2匹を見てから、さらに横に伸びた。
「あれは、うまく出来そうにないから……落ち込んでいるのかな?」
困惑した表情でソラを見るお父さん。
「無理なら――」
「アイビー」
お父さんが私の名前を呼んで、言葉を遮る。
視線を向けると、お父さんは首を横に振った。
「アイビーは、信じて待っていればいいよ。もし無理なら、ソラが自分から言ってくるだろうから」
そうかな?
でも、無理はしなくていいんだけど。
「ぷぷっ!」
ソラを見ると、ピュンと跳びはねて、放り投げた弓を咥えた。
そして、その弓をそっと前に置くと、またジッと見つめて考え始めた。
「どうやら落ち込む時間は終わったみたいだな」
「そうだな」
シファルさんが微笑ましげにソラを見て言うと、お父さんも嬉しそうにソラを見て頷いた。
「あっ、ソース」
お父さんが慌てて、煮込んでいるソースのお鍋をかき混ぜる。
「アイビー、ソースの状態を見てくれないか?」
「分かった」
お父さんの傍に寄って、お鍋を覗き込む。
ふつふつと煮込まれているソースは、水分が飛んで、とても良い状態になっている。
「うん、これぐらいでいいよ。ありがとう」
「どういたしまして」
お父さんがお鍋を火から下ろすと、新しいお鍋を火にかける。
「次は、おにぎりの具にするお肉を煮込むんだったな」
「うん。お肉はもう細かく切ってあるから、油で炒めて欲しい」
細かく切ったお肉を指さすと、お父さんはそれを確認してから頷いた。
「分かった。味付けはどうする? 甘辛? それともピリ辛?」
「沢山作るから両方とも作るつもり」
セイゼルクさんが「ノースが果樹園に現れるのを待つ可能性がある」と言ったので、片手で食べられるおにぎりとサンドイッチを大量に作ることにした。
これなら、待機している場所でも簡単に食べられるからね。
「他には、どんなおにぎりの具を作るつもりなんだ?」
一時発酵を終わらせたパン生地のガスを抜き、小分けしているシファルさんを見る。
「葉野菜とお肉を炒めたものを、味付けを変えて何種類か作るつもりだけど、希望の味付けはある?」
サンドイッチに挟むための肉を準備する。
1つ目は少し厚めに切って、準備していたタレに浸け込む。
2つ目は薄く切って、こちらもタレに浸け込む。
待機中に食べるサンドイッチは、手が汚れないように、なるべくソースの量を少なくしている。
だから、お肉にはしっかり味を付けないといけないんだよね。
ソラ達の様子を見ながら、料理を作り続けて数時間。
準備した最後のカゴに、サンドイッチを詰めて蓋をする。
「「「出来た」」」
大量に積まれたカゴを見て、お父さんやシファルさんと一緒に笑い合う。
「かなり作ったな」
「そうだな」
お父さんの言葉に、シファルさんは少し疲れた表情を見せて頷いた。
「二人ともありがとう。休憩しよう」
「「うん」」
調理場のテーブルにお茶とお菓子を用意して、お父さんとシファルさんに声を掛ける。
2人が椅子に座ると、私はお菓子の入ったカゴを開けた。
これは、ラットルアさんが買って来てくれた甘味だ。
「そういえば3人とも、帰ってこないな」
甘味を食べながら、調理場の出入り口を見るシファルさん。
セイゼルクさんとヌーガさん、それにラットルアさんも一緒に料理を作る予定だった。
でも朝食を食べている時に、巨大化したノースの目撃者がいるという情報を受け、3人は「話を聞いて来る」と出掛けて行ったのだ。
途中でラットルアさんが、今食べている甘味を買って戻って来た。
その時に彼が教えてくれたのは、巨大化したノースは2匹ではなく、少なくともあと1匹はいるということだった。
そして、3匹のうち1匹は魔法を使える可能性があるかもしれないと言った。
「まさか、また新しい情報があったとか言わないよな」
お父さんが2個目の甘味に手を伸ばす。
手に持っている甘味を見る。
10cmほどの甘めの蒸しパンに、果物のソースが挟まっていて、かなり甘い。
だから、1個で十分食べ応えがある。
「まさか。それはないだろう」
シファルさんも2個目の甘味に手を伸ばす。
あっ、シファルさんも2個目だ。
「ノースっていう魔物は、子だくさんだよなぁ」
お父さんが3個目の甘味を食べ始める。
「あぁ、だから町や村に入られたら大騒ぎだ。そう考えると、今後さらに増えるかもしれないな」
シファルさんは2個目の甘味を食べ終えると、お茶を飲んだ。
そして3個目に手を伸ばす。
「アイビー、どうしたんだ?」
お父さん達が、かなり甘い甘味を3個も食べるから驚いていたんだけど。
あっ、そうだ。
シファルさんの話から、気になった事ができたんだった。
「ノースの数が増えたから、参加する冒険者が増えたりするのかな?」
他の冒険者達が参加したら、シエルが自由に動けなくなってしまうんだけど。
「それはないな。巨大化した魔物と戦ったけど、あれは上位冒険者でも一部の者にしか対応出来ないだろうから」
戦ったお父さんが言うなら、そうなんだろうな。
「でも特別手当が出るから、それ目的の冒険者が集まって来そうだよな」
シファルさんの言葉にお父さんが肩を竦める。
「特別手当?」
「凶暴化した魔物など、通常の魔物とは違う場合は、冒険者ギルドから特別手当が出るんだ。お金を稼ぎたい冒険者達が、それを狙っているんだよ」
「そうなんだ」
お父さんの説明に頷く。
「「「ただいま」」」
あっ、セイゼルクさん達の声だ。
「まだこっちにいるのか?」
ラットルアさんが調理場に顔を出す。
「おかえりなさい」
「アイビー、疲れたよ。帰ろうとしたら、ノースの噂を聞いた冒険者チームが、討伐に参加させろと言って来てさ」
ラットルアさんが、疲れた表情で私の隣の椅子に座ると甘味に手を伸ばす。
その傍でお父さんも甘味に手を伸ばす。
えっ、お父さん……4個目?
「実力はありそうだったのか?」
シファルさんの問いに、甘味を食べながらラットルアさんが首を横に振る。
「あれは、ない。でもセイゼルクが断っているのにしつこくて。だから冒険者ギルドに行って、話し合いをする事になったんだ。討伐中に無理やり入り込んできても困るし」
そんな事をする冒険者がいるんだ。
「それで、どうなったんだ?」
ため息を吐くラットルアさんにお茶を渡すシファルさん。
「冒険者ギルドに行って話をしたら、冒険者ギルドの職員が『死にたいのか』と冒険者達を一喝してくれたよ。彼等、上位冒険者になったばかりだったそうだ」
それは無謀だね。
セイゼルクさん達に怪我を負わせるほど、巨大化した魔物は危険なのに。




