傷と熱
5話目 相場さんの過去話です。BL的な?キス表現があります。
頭がクラクラする。
この間、営業先のお客様の子供がインフルエンザだと聞いていた。大分治ったけど、一週間は休んでいたとの話だった。うつされたかもしれない・・なぁ・・と思いつつ、病院に行かなくちゃ、それでも今日だけは会社を休むわけにも行かず、マスクをしていつも通りにスーツを着て俺は部屋を出た。階段を降り、車のドアに手をかけたとこまでは記憶にあった・・。
「・・相場さんってば!!」
耳元で叫ぶ人の声で俺は一瞬、自分の意識が飛んでいたらしい事に気が付いた。
側には見慣れた来希と、アパート隣人の女の子・・佐々木さんだったかな・・が心配そうに俺を覗き込んでいた。
「よかった・・。」
ほっとしたように女の子が少しだけ笑顔を見せた。
二人の肩を借り、俺は自分の部屋へと戻る事となった。
一応会社へ連絡しようとすると、来希に携帯を奪われ、かなり大げさに報告された。
その間に女の子が手際よく、俺の熱を測ったりしていた。まるで看護士のようだと、俺が呟くと女の子はにっこりと笑う。
「ええ・・看護士なんです。」
近くの総合病院で看護士をしているという。
測り終わった体温計をみて、彼女は少しだけ眉を顰める。その顔に来希が覗き込む。
「39度!?」
「急に熱が上がったって話でしたよね。・・インフルエンザの可能性もありますね。よければ、私が連れて行きますから病院へ行きませんか?」
俺の返事を待たずに来希が頷き、俺は彼女の車で彼女の勤務先の総合病院へと連れて行かれた。
救急入り口へ彼女は車を止め、俺と来希を下ろすと「入ってすぐのところで座っていてください。」そういい残して、彼女は車を移動させ、すぐに戻ってきた。
まだ、朝の出勤の時間帯で病院内は閑散としていた。
それでも医療スタッフや受付の人間と思われる人が、これから始まる忙しい時間に備えて、手際よく準備しているのが目に入る。
来希に支えられ、彼女の誘導で、救急の部屋に入る。
「・・この時間って、救急終わってるんじゃないの?」
来希が入り口の診療時間を見たのか、彼女に問いかける。
「大丈夫です。今先生呼び出しますからね。」
彼女はぱたぱたと良く動く。体温計を渡されて熱を測る。
もう一人別の看護士が入ってきた。
「佐々木さん、今、先生こっちへ来るって。今のうちに着替えてきたら?」
「ご近所さんなんで、出来れば診察終わるまで付き添ってあげたいので・・いいですか?」
「ええ。大丈夫よ。終わり次第、内科へ戻ってね。」
「はーい。」
彼女は内科の看護士らしい。
「おはよ。佐々木さん、君が患者連れてきたって言うから走ってきたよ。」
体格のいい医者が部屋へと入ってきた。
「稲波先生、うちのお隣さんなんでよろしくです。
急に熱が上がったとの事で、もう一人の方が見つけた時に車に凭れて意識が少し無かったとのことです。熱は、家でも、ここでも39度7分です。」
「インフルエンザかな?」
それから診察や採血などをして、薬を持たされ、家へ戻ったのは10時半だった。
結局、佐々木さんは俺達を送るところまで面倒見てくれた。
「だいじょぶ?」
そしてもう一人、来希も俺に付き合って会社を休んだのか・・朝から俺のそばに居る。
でも・・具合が悪い時に誰かが側に居てくれるってのは安心する。
「・・おー。なんか小学校以来だよ・・。こうやって寝込むの。」
「なんか食べる?お粥とか作るよ?」
「・・今は・・いい。・・悪いな会社休んだんだろ?」
「あ、違うよ。大丈夫。今日は先週日曜日に出た分の代休だから。
ちょうど、コンビニ行こうと思って出たとこで相場さんが死んでるんだもん。びっくりした。」
「・・し・・確かに・・意識はなかったか・・。」
「どうしよーって思ってたら、佐々木さんが来て。良かったよね。」
俺のデコにぴたっと何かが張られた。
「冷えピタだよ。首にもはるからねー。」
同じものが両側首筋に張られる。なんだか、すごく気持ちがいい。
「とりあえず薬飲んで寝てなよ。」
枕元にポカリスエットと剥いたリンゴが入った皿が置かれた。
「お供え。・・嘘です。」
・・病人に対して容赦はないのか・・。
薬が効いてきたのか、少しずつ眠気に襲われて俺は目を閉じた。
ぐるぐると世界が回る気がする。
夢を、見ていた。
学生の頃の夢を見ていた。
野球選手を目指してがむしゃらに走っていた。
俺の学校は県内でも有名な野球の強い学校だった。
夢中になっていた頃に、事故に巻き込まれた。
主力選手の俺とピッチャーだった親友を含む5人が練習を終え帰宅途中にあるコンビニに入ったとき、アクセルとブレーキを踏み違えた車が店のガラスを突き破り飛び込んできた。
俺、親友とチームメイト一人が車に弾き飛ばされ腕や足の骨折、一人は全身にガラスを浴び・・ずっと入退院を繰り返す事となった。車の下敷きとなった一人は搬送中に死亡した。
入退院を繰り返す彼とは連絡を取る事も出来なくなった。
俺たちは試合に出る事も適わず、親友は怪我のために野球を続ける事も適わなくなった。
病院のテレビで俺達はチームメイトが泣き崩れるのを見・・そして最後の夏は終わった。
もう傷が痛む事は無い。
仲間と社会人チームとはいえ楽しんで野球も出来る。
でも、時々・・無性に悲しくなる。
まるで書いた物を読むように、あの時の出来事から今までの事が繰り返し繰り返し通り過ぎていく。
目を開けた時、俺の目元の涙をタオルで拭いてくれる来希の姿があった。
そして何事も無かったかのように彼は笑顔を向けた。
「・・熱下がったみたいだね。」
「・・そうか・・。」
記憶に思考を占領され俺はうまく言葉が出てこなかった。
「高熱が出ると・・変な夢みるからさ。うん、あんまり考え込まない方がいいよ。具合悪い時の夢ってホント変な夢なんだもん。」
気を使ってくれたのが解る。
「何か食べられそう?」
「・・喉渇いたな・・・。」
キャップをあけたポカリが目の前に差し出される。
「起き上がれる?ストロー在るけど使う?」
「いいよ。起きるから。」
ボトルを受け取りながら起き上がると、クラクラするが大分楽になっていた。
「・・なぁ・・側にいたらうつるから帰っていいぞ・・。」
「邪魔?」
「そうじゃないけど・・うつしたら悪いから。」
ボトルを来希が自然に受け取ってくれる。俺はまた布団に横になる。
「俺の家って、兄弟多くて喧嘩多いんだけど、病気になると誰かが必ず側に居てくれたんだ。それが、すごく安心で。でも家出てから、病気になっても一人でさ、それが結構寂しくて・・だから側に居るだけでも気持ち楽になるかなって思ったんだ。・・ノンケの相場さんの側に居るのが・・男で悪いけど。」
「・・いや・・ありがと・・わるいな・・もう少し寝るから・・。」
俺はまた睡魔に引きずられるように目蓋が重くなる。
1週間もかからずすっかり体調も元通りになっていた。念の為に病院へ行くと、この間診察してくれた医者にも驚くほどの回復力だと言われ、来希はというと、うつった様子も無く仕事が終わると俺の部屋に様子を見に来てくれたりしていた。
今までは挨拶ぐらいしか交わした事のない、隣人の佐々木さんともこの機会に話をするようになり、彼女はこの秋にこの間の医者と結婚すると言う。
そんな彼女に突然言われたのが・・。
「来希さんって、不思議な雰囲気ですよね。男の人なのに、色気があるっていうのかな。守ってあげたいって感じがするっていうのかなぁ・・うーん表現が違うような気がする・・。お近づきになれてラッキーって感じ。
うちの先生は如何にも男って感じで、全くタイプ違うんですけど。来希さんみたいな人もいいなって。」
先生が一番なんですけどねー」
彼女は笑う。
来希を守ってやりたい・・それは俺も思った事があった。でもそれは相手に対して失礼な事ではないかと思う。俺は来希のトラブルを見たから・・同情しているとも思われるだろう。それに俺も同情していると言う気持ちが少しはある。
「あは。今度、来希さんも誘って飲みに行けたらいいですねーって、私の時間が合わないから無理か。それじゃー!」
と彼女は笑顔で去っていく。引越しの準備も進めているとかで、まもなく隣は空き部屋になるだろう。少しの寂しさが胸を覆う。あの夢を見てから・・少しだけ気持ちが落ち着かない。
あの時の仲間と連絡を取ることも無くなった。同級生と顔を会わせても誰もその話題には触れない。同窓会があっても顔を出しにくく、一緒に事故にあった仲間は誰も出席していないそうだ。親友とも年賀状以外のやり取りはなくなっていた。
部屋へ入ろうとドアに手をかけると、誰かが階段を上る音がした。
かさかさと荷物の音がする。
「あれ、出かけるの?」
来希が最後の一段に足をかけた姿で声をかけてきた。
手にはビールらしい缶が数本入った袋と食料が入った袋が提げられていた。
「出かけるなら・・かえろっか。」
「いや、部屋に入るとこだよ。」
「差し入れ。ついでに飲まないかなーって。」
「ああ・・上がれよ。」
ドアを開いてやると、お邪魔しまーすと相変わらず礼儀正しい。前の彼女よりも礼儀正しいかもしれない・・って・・俺、何比べてんだ・・?佐々木さんの影響だよな。
「どした?」
キッチンに荷物を置き、来希が俺を顧みる。
「いや・・。」
「なんか変だよ。相場さん。・・なんかあった?」
何がって事もない。ただ・・過去に引きずられているだけなんだ。
「・・俺、帰ろうか・・。」
何でかは解らなかった。
ただ一人になりたくなかった。
気が付くと俺は来希を抱きしめていた。
「な・・に・・?」
「ごめん。ちょっとだけ、このまま居てくれ。」
腕の中で頭が少し頷くように動いた。
温かい体温が凄く安心感をくれた。
「生きてるんだよな・・。」
「・・え?」
「俺も生きてるんだよな・・。」
涙が零れるのを止める事が出来なかった。
「相場さん?」
来希を抱きしめたまま俺は涙を止める事が出来なかった。
「生きてるよ?俺も相場さんも生きてる。」
「ああ・・・。」
過去が変えられないのは充分に実感した。でも誰かに話したところでどうにもならないって思って・・同情されるのが嫌で・・俺達は事故のせいで、ニュースのせいで、野球を断念した可哀想な子供達と誰かに会う度哀れまれる。それがどうしても嫌だった。だから俺達はお互いを遠ざけ、何事もなかったように俺は社会人になり就職した。でも来希には話してもいいような気がした。
俺は静かに聞いてくれる来希に、順序も何も無くただ思いつくままに話し続けた。
話していてすっきりしたと言うわけではなかったが、胸のつっかえが少しだけ溶けたようにも思えた。来希は何も言わなかった。ただ黙って、俺の話を聞いてくれた。
「ごめんな・・。」
話し終え、まだ来希を抱きしめたまま俺は謝った。この温もりを手放すのが惜しいと思っていた。
「あったかいでしょ?」
「ああ・・。」
「俺もね、すぐ上の兄貴を亡くしたから・・。人の温かさって本当に安心できるよね・・。」
俺は・・来希に顔を寄せ、唇を重ねた。
来希は抵抗しなかった。
傷を舐めあっているのかもしれない。いや・・俺の傷に来希を付き合わせているだけ、優しい来希に甘えている。相手が男だとかそんな感情も起きなかった。ただ・・この温かい、来希という存在が愛しいと感じていた。
唇が離れ、それでも温もりを確かめるように抱きしめる俺に腕の中で来希は恥ずかしげにいった。
「・・あのさ・・ご飯・・作ってもいい?・・俺、お腹空いたんだけど・・。」
「わ・・悪い。そうだよな。俺も手伝うよ。」
いつもと変わらない感じで俺達は飯の準備に取り掛かった。
実は相場さんは重い過去を持って居るのです。
同情する事や相手に感情移入する事は悪くないと思いますが、時に過ぎた同情は寄せられた人を傷つける事があると思います。