隣に立つのは僕でありたいけれど
「…………と、……くと……、北都っ!!」
突然降って来た声に吃驚し、もう少し眠っていたいと思う意に反して目が開いた。
「……! 北都、大丈夫か……っ?」
心配そうに顔を覗き込んできたのは仕事に行った筈の兄だった。不思議に思って辺りを見渡せばどうやらそこは病院のようで。
「……えっと……?」
起き抜けの所為か上手く記憶が引き出せない。確かいつもの如く自転車で登校しようとしてて……
「自転車で事故ったって聞いて駆けつけたんだよ。全く、猫を庇って自分が怪我するってどこまでお人好しなんだお前は……」
呆れたような顔で息を吐きつつも「でも良かった」と言葉を付け足した兄は安堵の表情を浮かべて僕の頭を一つ撫でた。
「あんまり心配掛けないでくれよ。俺には手の余る弟みたいなのが他にもいるんだから」
兄の職業はある芸能事務所に所属するタレントさんのマネージャーだ。そのタレントさんも僕と同い年だそうで、多分その人の事を言っているのであろう。普段なら仕事を最優先するのに今回はそれを投げ打ってまで来てくれたのかと思うと頭が上がらない。……物理的にも。
「全身打撲で当分は動けないと思うからじっとしてるんだぞ」
「そうなの……?」
目が点になるとはこれ然り。そういえば気を失う前も全身が痛くて動けなかった……ような気がしなくもない。
「あと助けてくれた二人にもお礼言っておくんだよ。多分今も外で待ってくれてるだろうから呼んでくるけど」
「え?」
朧気に覚えていたあの光景は現実だったのかと俄に信じ難かったが、病室の扉を開けた瞬間に現れた二人の姿を目にして確信を得る事になった。
「あれ? ここにいたの?」
その台詞からするに廊下で待っていた事が意外だったようで兄が立ち竦んでいる間に相手の人物がお辞儀しているのが気配で知れた。
「……藤木君?」
兄と二、三言葉を交わした相手がひょこっと顔を出した。それは僕が思い描いた幻ではなく……
「門永さんっ!?」
思いの外大きい声が出てしまい慌てて口を塞ぐ。そんな僕を目にした彼女は一瞬キョトンとした顔をし、次の瞬間にはクスクスと控えめな笑い声を上げた。
「良かった。それだけ声が出せるなら大丈夫そうね」
そう言って彼女の視線が隣に移される。合わせて僕も彼女の隣へと目を遣ればそこにはあまり関わりたくない人物が立っていた。
「……えっと、門永さん……? 彼は、何でここに?」
「こら北都、言っただろ。この二人がお前を助けてくれたんだよ」
兄が見咎めて口出ししてきたが最早そんな事で癇に障ったりはしない。ただ彼女の隣に佇む彼が仏頂面で此方を注視している事に変な緊張感を覚えてしまう。
「ちゃんとお礼言いなさい」
「別にいいですよ! ね、安部君」
「……いや、言って貰おうぜ」
ニヤニヤしながら僕を見下げる様は明らかに揶揄っているようにしか見えない。
「……もう。安部君てホント藤木君の事好きだよね」
……え、何でそうなるんですか門永さん?
「……お前、どこをどう見たらそういう結論に行き着くんだよ」
その科白は、認めたくはないが尤もだと思う。僕はうんうんと小さく首を縦に動かした。が、門永さんは満面の笑みで言った。
「え? だって『可愛い子ほど苛めたくなる』んでしょ?」
「んなわけあるか! ……たくっ、小学生かよ」
ふいっとそっぽを向きブツブツと独りごちている彼ーー【安部 千遥】は小学校からの腐れ縁で何故か今も同じ高校に通っている。別に示し合わせたわけではないし友人と呼べる程の交流も絆もない。寧ろ僕達は真逆の性格で彼はぶっきらぼうで硬派な、それでいて顔面偏差値高めの麗人なのに対し、僕は何の取り柄もなくどちらかと言えば少し背が低いのがコンプレックスの平凡な男子高校生だ。そんな僕を揶揄するのは何も安部だけではない。周りの女子からは事ある毎に「可愛い!」と弄られるし、兄からも未だ子供扱いされている。そりゃ僕は頼りなく見えるかもしれないけど……
「僕だってもう高校生なのに」
「何か言ったか?」
聞き流しておけばいいのに兄が聞き返してくる。僕は不満気な表情を取り繕わずに首を左右に振った。
「とにかく目が覚めて良かった。じゃあこれで私は失礼します」
「じゃ、俺も」
「安部君はもうちょっと居てもいいんだよ?」
「……お前な」
呆れた様子でジトッと彼女を見遣る彼。だが彼女は悪びれもせずにフフッと笑ってみせている。
「じゃあまたね、藤木君」
バイバイ、と手を振って微笑む彼女はやはり上品でたおやかだ。ずっと見ていたいと思う反面、隣に佇む彼の存在が邪魔だと思うのに彼が彼女の隣に並ぶと僕の意に反して見目麗しい恋人同士に映ってしまうから物凄く見窄らしい気持ちになってしまう。
彼女は一体彼を、そして僕を、一体どう想ってくれているのだろうか。
そんな事を訊ける訳もなく、僕は二人の後ろ姿を曖昧な笑顔で見送った……