桜の花弁舞い散る下で
桜の花弁がヒラヒラと舞い落ちる並木道を僕はただ只管に自転車を走らせている。情緒も何もあったものではない。理由は至極明快で、今にも遅刻しそうだからだ。
「ったく何で起こしてくれないんだよ……っ」
本来なら僕がいつもの時間に起床しないと母が起こしに来てくれるのだが生憎今日は結婚記念日で父と旅行に出掛けていた。なので今日に限っては既に就職している兄に「家出る前に起きてこなかったら一言声掛けて」と言伝しておいたのに、結局僕を起こす事なく家を出て行ったらしい。
寝坊した事に愕然とした僕はいの一番に兄へと電話した。けれど繋がらなかったので文章にして怒気を露わにすれば暫くして返ってきた答えは非常に端的で、
『起こしたけど起きなかったお前が悪い』だった。
「一回だけなんて……もっと粘ってよ……!!」
確かに「一言」とは言ったけど!!
矛盾しているが大抵の人間は自分の都合の良いように考えるからそれは僕も例外ではない訳で……。
と、そうこうしている間に並木道を抜けて校舎が眼前に見えてくる。これならギリギリ間に合いそうだとホッと安堵の息を吐いたところで十字路の交差点から突然黒猫が飛び出してきた。
「うぇっ?!」
予想だにしなかった展開にも拘らず咄嗟にハンドルを切って猫を轢かなかった僕を誰か称賛してはくれないだろうか。ただその所為で自分が自転車ごと豪快に地面に叩き付けられたが。
「……っ、痛……」
間違いなく全身傷まみれだろうななんて頭では意外と冷静に分析出来たが身体は思うように動かない。これはもう絶対遅刻だ、と未だにそんな事を思いあぐねていたら優しい声が耳に響いた。
「藤木君! 大丈夫っ?!」
それは僕の初恋の君ーー【門永 皐】さんその人で。
「か、どなが、さん……」
痛みだけではない吃り方で言葉を紡げば心配そうに表情を曇らせる彼女。キョロキョロと辺りを見回してくれてはいるが生憎この時間に通りすがる生徒はいないようで周りは閑散としていた。そんな彼女の様子を少しの間観察していたのだが途中で瞼が重くなってきて見ていられなくなる。それに気付いた彼女は声を大にして僕の名前を呼び続けてくれていたが次第にその声もフィルターが掛かったみたいに聞こえ難くなり次第に遠退いていく。
その時僕の頭上にふっと大きな影が落ちた。
「ーーーー君!!」
彼女の声が弾んだ。誰かが傍に来たようだが誰だか判らない。その正体を確認出来ぬまま僕の意識はそこで途切れた。