01 Omelette Simple ~ プレーン オムレツ ~
実習室の窓から見える空は今の生徒達の心境を表したかのような曇天。
それは講師の口から出て、目の前の黒板にもデカデカと書かれた『期末試験』の文字のせいだろう。
製菓師の専門学校もやっているこの調理師専門学校に通う生徒の年齢の幅は広く、
高校を卒業したばかりの若い子も居れば、脱サラし自分の店を持とうと思い立った40過ぎの生徒も居る。
がだいくつになっても『試験』、『テスト』と言う言葉は嫌な物だ。
そこだけは生きた年代の違う生徒達全員が同じ所と言うところか。
今日に限っては何処と無く楽しそうに授業を受ける生徒達も講義の授業以上に元気が無い。
その様子に毎期の事だ、と慣れきった講師は何時もと変わらず数ヶ月前に1度説明した料理を前回と同じように丁寧に説明しながら作る。
今期の西洋料理の期末試験はプレーンオムレツ。
卵料理は古くからフランス料理で用いられ、調理方は100以上とも言われている。
それほど広い調理の幅があり家庭でも簡単に作れる物も多く、オードブルの一品、付け合せ、朝食のメニューにもなる卵料理は調理師の基本として知っておくべきなのだ。
特にオムレツは、
「調理師はオムレツが出来ないと一人前ではない」
と言われるほど卵料理の基本の料理。
その中でも溶き卵に味をつけただけのプレーンオムレツは、ここから色んな具を入れたりソースや餡を掛けたりするオムレツの基本の基本。
一人前の調理師を目指す者の試験の課題になるのは当然と言えるだろう。
そのプレーンオムレツの材料はたったの5つ。
・卵 3つ
・塩 少量
・コショウ 少量
・バター 大匙1
・フライパンに馴染ませる用のサラダ油 適量
これが1人分の材料だ。美味く焼くポイントは4つ。
1つ、新鮮な卵やバターを使うこと。
2つ、焦げ付きの無い厚手の良く使い込んだ小さめのフライパンを使うこと。
今時ならテフロン加工されたフライパンを使う方が楽だろうが、残念ながらこの学校にはテフロン加工されたフライパンはない。
長年何十人もの生徒に使われ続けた古い鉄のフライパンだけだ。
3つ、卵は掻き混ぜすぎないよう溶く。
4つ、強火で手早く焼く。
そして試験で注目されるのはフライパンの操作、焼き方の見極め、手早く調理できているか、だろう。
完成の理想形は外は均一な黄色でサッと固まり、中は半熟のふんわりとした中央が丸く盛り上がった木の葉型。
まずはボールに卵を“両手”で割りいれ溶きほぐし、塩コショウで味をつける。
テレビで見るようなかっこよく片手で割るのは殻が入る率が上がるので、相当自信が無ければ辞めるべきだ。
卵は10回位混ぜれば十分。
力を入れすぎて溶くと卵のこしが無くなり、泡が出来ると仕上がりのきめが粗くなってしまうのだ。
次はフライパンの準備。
汚れを落とした熱したフライパンにサラダ油を入れ、全体に伸ばす。
1度火を消して余分な油を捨てキッチンペーパーなどで平均的に塗る。
卵が引っ付かないよう油を馴染ませるために黒くなるまでもう1度焼き、火を止めしばらく置く。
これを3回くらい繰り返す。
美しくてふんわりとしたオムレツを作るにはフライパンに焦げ付いたら終わり。
だからこそ、フライパンの手入れも大事なオムレツ作りの技術の1部!!
料理学校の古いフライパンだからしつこい位準備も念入りに、だ。
さて、ここまでしてやっと卵を焼くことが出来る。
フライパンにバターを入れ中火かやや強めの火にかけ約30秒、バターが溶け出し熱くなったら焦げる前に溶き卵を一気にザーッと入れる。
バターを弱火で溶かすと余分な油が卵に混じって奇麗なオムレツにならないのだ。
そしたら中火のまま箸とフライパンを同時に動かし半熟スクランブルエッグを作る。
フライパンを揺り動かしながら、箸は勢い良く卵の外側から中心部に向かって渦を描くように。
卵が固まりそうなら火から下ろして混ぜても良いだろう。
スクランブルエッグが出来たら外を少し固めるためにゆっくり3秒そのまま火に掛け、剥がれやすくする為にコンロに3回打ち付ける。
そしたらフライパンの柄を利き手とは逆の手で持ち上げ手前から向こうの側に向かって卵を折って巻き送る様に寄せる。
フライパンの先だけに火が来るように下に向け斜めにし、柄の部分を拳で叩いて卵を回転させ三日月形になるように箸を使いつつ形を整える。
フライパンの斜頚は45°位、柄を叩く部分は下から3分の1位で、トントントンと。
ちょうど繋ぎ目が下に来るように。
持ってる手に負担が掛かるけど柄をしっかり持って斜めにしないと卵は上手に回転しないのだ。
オムレツが開かないように繋ぎ目を2~3秒焼き固め、一回転から一回転半。
繋ぎ目が上に来るようにもう1度トントントンと回して、利き手にフライパンを持ち替え反対の手にお皿を持ち、フライパンを返すようにお皿に盛る。
これで完成だ。
1つ1つの工程は楽に見えるが熱が入ると直ぐ固まる卵故に時間との勝負!
そして卵が入ったフライパンは意外と重く、利き手とは逆の手で支え続けるのは意外と難しい。
更に具を追加したり、オムライスを作るときはもっと大変だ。
流石、基本的な調理動作に意外と高度な技術を必要とするオムレツを今まで何十、何百回と作り続けただけあり講師は喋りながらでも流れるように作り上げた。
だが、完成された見本のオムレツを見て生徒達は更に気分が沈む。
「自分は本当に試験に合格できるこんなオムレツが出来るのか?」
「合格できるオムレツを作れるまで何パック分の卵を買えば良いのか?」
と。
自分の実力的にも経済的にも不安しかなく、生徒達は暗い顔のまま材料を準備していた。
そんな生徒の中まったく自分の分の材料を準備をしない生徒が“1匹”。正確には最初からその生徒の分は用意されていないのだが。
講師も同級生も気づかないその生徒は実習室の天井の隅、小さいがポッカリと開いた穴から糸を垂らした蜘蛛だ。
大きさは大人の指先くらいだろうか?
図鑑にも載っていないような見たことも無い小さな黒い蜘蛛。
蜘蛛だからっと言って馬鹿にしてはいけない。
その蜘蛛は実習のみとはいえ講師の教えを人間の生徒以上に学ぼうとする立派な生徒なのだから。
講師の動きから見本のオムレツ、苦戦し失敗する生徒の様子を8つの目に刻むようにジーッと見つめ続ける蜘蛛。
息をするのも忘れるほどの真剣に授業を聞く姿勢と講師の知識を余すことなく自分の物にしようとする貪欲さ、
他の生徒の失敗すら立派な手本と言わんばかりの態度は、蜘蛛が人間の生徒だったら講師が他の生徒に爪の垢をせんじて飲ませたいと思うほどだっただろう。
蜘蛛は終業のチャイムが鳴り生徒と講師、誰一人居なくなるまでその場でジッとしていた。
その様子はまるで目を瞑り、今習った事を頭の中で繰り返しているようにも見える。暫くして、
「よしっ!!」
とでも気合を入れるように小さく頷くような動きをした蜘蛛は、音も無く糸を伝って天井の穴に戻っていった。
その穴は暗く深く、既に上の階に着いていても良いはずなのにまだ続いている。
やっと見えた光の先、そこは不思議な木々が生い茂る林の中にポツンとある誰からも忘れられた枯れ井戸。
井戸から出てきた蜘蛛は実習室に居たときの何百倍、150cm以上は優に超える巨大な姿になっていた。
その巨大化した蜘蛛は井戸に落ちる心配の無い場所まで来た途端、
ポンッと言う軽い音共に白い煙に包まれ蜘蛛が居た場所には中高生くらいの女の子が居た。
女の子にしては短すぎる髪のためはっきり見える大きな目の周りに3づつある黒子の様な小さな目と、服の隙間から見える蜘蛛の時の模様がそのまま刺青の様な痣になった体から彼女があの巨大蜘蛛と同じ存在だとわかる。
「んー。・・・・・・・・・よっし!!速く帰って練習しないと!!」
固まった体を解すように両手を上に伸ばし、彼女は軽やかな足取りで駆け出した。
彼女が向かった先。
そこに在るのは1件の料理屋、『ゆきぐも亭』。
彼女の実家にして現在不在の両親に代わって彼女が調理を担当する店だ。