第三章フランケンシュタインは唐突なお泊りを断れない。
「今日泊めてし」
玄関を開けて開口一番。湯ヶ崎姫子はそう言った。
「え……え~と……」
慧は玄関のノブを持ったまま固まった――。
日曜日。学校が休みの慧はジャージ姿でTVを見ていた。見ているのは録り溜めしていた昼ドラだ。慧の様な初心な少年にはドロドロした関係のこのドラマは中々刺激的な物だった。自分の保護者である漆が居ない今、慧は全部見ようと心に決めていた。
そんな矢先に現れたのが、ラフな格好をした姫子だった。その手には大きなスポーツバックを持っていた。
「取りあえず……中に入ります?」
慧は重たそうな荷物を気遣ってそう尋ねる。すると姫子はそれに頷いて家に入った。
「あ、何か飲みますか? ジュースとか、お茶とか、コーヒーとか」
「じゃあ、水頂戴」
「あ、はい」
慧は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して氷を入れたコップに注いだ。
「どうぞ……それで、さっきの話し何ですけど」
「うん。親父と喧嘩したから家出してきたっしょ。だからしばらく家に置いて欲しいっしょ」
「はあはあ家出ですか……て、えええええええええええええええええ!」
慧は驚いて思わず自分の分の水を零してしまう。
「あ、大丈夫? これで拭くっしょ」
「あ、どうも、ありがとうございます」
姫子は鞄からハンドタオルを取り出すと慧の服を丁寧に拭った。慧はされるがままでお礼を口にする。
「て、違いますよ! い、家出って!」
「わ! びっくりしたっしょ。急に大きな声を出さないで欲しいし」
「いや僕がびっくりしますよ! 家出って! そんなの家の人が心配しますよ!」
「だから慧。私今、その家の人と喧嘩してるっしょ。心配なんてしてないっしょ」
「そんな……でも、きっと心配してます。だから一度――」
帰った方が良いと慧が言おうとした時だった。
『プルルルルルルルルルルルルルル』
家の電話が鳴った。普段あまりならない電話に慧は驚く。
「慧。出た方が良いっしょ」
「すみません。すぐに戻ります」
慧は急いで受話器の所に行くと電話を取った。
「お待たせしました。佐々凪です」
『……お忙しい所失礼します。神楽です』
慧はびっくりして思わず手に持った受話器を見る。
「あ、神楽さん。こんにちは」
『慧様。今、姫子様はそちらにいらっしゃいますか?』
前置きの無い神楽らしい質問だった。
「あ、はい! そうなんですよ! 家出したって、心配してましたよね? 直ぐに帰るように言いますから」
『安心しました。ではお嬢様をよろしくお願いします』
「ええ! ちょっと待ってくださいよ! よろしくお願いしますってどういう……」
『お嬢様を家に泊めていただけるのですよね? ですからよろしくお願いしますと』
「だ、駄目ですよ! そんな……えっと今、僕は一人なんです! だからこの家に泊まるのは倫理的に良くないんです」
『なるほど。慧様がお嬢様の処女を散らすと』
「しょ、処女? ち、違いますよ! 僕はそんな事しません!」
『そうですか。安心しました。ではお嬢様をよろしくお願いします。お嬢様は枕をお忘れになられた様ですので後で届けます』
「はぁ……それは御丁寧にどうも……って違いますよ。迎えに来てくださいよ!」
『それでは失礼します』
微妙に会話が成り立たず、そのまま神楽は通話を終了した。ツーツーと鳴る電話を慧は呆然と眺めていた。
「あれぇ? 僕の話し方が悪かったのかな? 通じて無いよ!」
慧は頭を抱えた。
(最近話を聞かない人ばかりだよ!)
「慧。神楽何だって?」
「えっと……枕を持ってくるって」
「あ! そうっしょ! 忘れてたっしょ! さすが神楽分かってるっしょ!」
姫子はすっかり泊まる気だった。慧は諦めた様にうな垂れる。
「そうだ! 慧。私慧の部屋見てみたいっしょ!」
「僕の部屋? 良いけど……何も無いですよ?」
「別にいいっしょ! 私、一度でいいから彼氏の部屋っていうのに入ってみたかたっしょ!」
「……そうですか」
慧は渋々ながら姫子を連れて二階に上がる。
二階は数多くの部屋が有った。しかし、その殆どが漆の私物(主に漫画やゲーム)に埋め尽くされている。その部屋を越えて一番奥。そこのドアに木製のネームプレートでKEIと記されていた。
「どうぞ」
「お邪魔するっしょ!」
姫子は元気良く、目を輝かせて入室した。
「わぁ~ここが慧の部屋っしょ……」
キラキラとした目で周囲を見渡す。
「……何か地味っしょ」
しかし、その感想は意外なほど辛口だった。
「え、ええ? そうかな?」
慧が戸惑った様に自分の部屋を見る。慧の部屋は十畳ほどの広々とした部屋だった。タンスにクローゼット。ベッドに小さいテーブル。それだけしか置いて無いシンプルな部屋だった。
「何か作り込みの甘いドラマのセットみたいっしょ。特徴が無いっていうか、面白くないっしょ」
「ええぇ……」
慧が落ち込んだ様に肩を落とす。
そんな慧を微笑みの表情で見ながら姫子はグルッと部屋を回る。
「けど……慧の優しい匂いがするっしょ」
「え……そうなの?」
(優しい匂いってどんな匂いだろう?)
慧は自らの服の匂いを嗅いだ。しかしあまりピンと来なかった。
「まあこれから私好みの部屋にするから問題無いっしょ!」
姫子はそう言ってベットに向ってダイブした。そしてシーツにその顔を埋める。
「ううぅ……気持ち良いっしょ……慧も一緒に寝る?」
「ぼ、ぼ、僕は。い、良いです……」
上目遣いで見てくる姫子に慧はブンブンと首と手を振った。その顔は恥ずかしさからか真っ赤になっている。
「こうしていると……何だか昔を思い出すっしょ」
懐かしそうに姫子は枕を抱き締めながらそう呟く。
「昔ですか?」
「うん。昔は私もこんな感じの家に住んでたっしょ。当時は母さんと神楽と親父が居て、親父は普通のサラリーマンやってたっしょ。特別お金持ちじゃ無かったけど、毎日家族で一緒に居れて、結構楽しかったっしょ」
「そうなんですか。それはいいですね」
慧自身には過去という物が存在しない。漆が慧を作ってそれからずっとそのままだった。だから慧は他人のこういった幸せな話を聞く事が好きだった。
「うん。でも……小学校の時に私の体調がおかしくなって、それから何か家族の雰囲気が変わったっしょ」
「体調が?」
「うん。何だか日によって高熱が出たり。突然体が震えたり、変に力が入り過ぎて物を壊したりしたっしょ。その頃から親父は病院に私を押し込んで、自分は実家の仕事をする様になったっしょ」
「それで……姫子さんは大丈夫だったんですか?」
今、現在こうして元気でいる所を見ると勿論大丈夫なのだろうが、慧は気になってそう聞いた。
「うん。何故か親父が紹介した病院に入ったら症状は落ち着いたっしょ。でもそれ以降親父は仕事ばかりになって家にあんまり帰らなくなったっしょ。それに急に家も引っ越すって言い出して……私は昔の家が好きだったっしょ。けど強引に親父は変な豪邸に引越したっしょ」
「それは少し……寂しいですね」
「そうっしょ! 母さんも寂しそうにしてたっしょ!」
姫子は鼻息も荒くそう言った。だが怒りもやがて収まったのか枕に顔を埋める。
「戻れるならあの頃に戻りたいっしょ。母さんがご飯を作ってくれて、神楽が遊んでくれて……親父が笑ってる日に」
寂しそうな言葉だな……と慧は感じた。
「戻れますよ。きっと」
慧はだから自分が思った事を口にした。すると姫子が顔を上げる。
「お母様が生き返る事は無いですけど……けど、きっと分かり合える日が来ますよ。湯ヶ崎さんの願いは叶いますよ」
「どうして慧にそんな事が分かるの?」
「…………どうしてでしょう?」
慧は姫子の質問に首を捻る
「強いて言うなら湯ヶ崎さんがお父さんの事を大好きだという事が分かったからですかね?」
慧の言葉を聞いて姫子は驚いた様に目を開いた。だが、やがて拗ねた様にそっぽを向く。
「分かった様な事を言うなし」
「あ、ご、ごめんなさい。無神経でしたね」
不機嫌そうな声色で言った姫子に慧は慌てて謝った。しかし、慧の方を向いた姫子の顔は慧が予想したよりも不機嫌そうでは無かった。
「あ~あ。何かしらけちゃったし。何か面白い事無いかな~」
姫子は枕を抱えながらゴロゴロと布団を転がる。
「あ! そうだ! 良い事思いついたっしょ!」
すると急に体を起して笑顔を慧に向ける。
「な、何?」
「うん。慧の部屋見て思ったっしょ! 折角だからデートも兼ねて衣替えの物を買いに行くっしょ!」
どうだ! とばかりに姫子は胸を張った。形の良い胸が強調され、慧は顔を赤くする。漆の裸は良く見ているが他の女性の胸は慧には刺激が強すぎた。
「そうですね。お出かけしますか」
(確かに休日を家でゴロゴロして過ごすのは勿体無いかもしれない)
慧はそう思い姫子に同意する。すると姫子は嬉しそうに立ち上がった。
「じゃあ、早速行くっしょ!」
こうして慧と姫子は慧の部屋の衣替えの為、ショッピングモールに出かけた――。