頑張る兄と頑張らない弟。(3)
「うーん、ここは『のたまう』だから、敬語になるのわかる?」
「え、そうなの?」
「…そ、だから訳は『言うと』じゃなくて、『おっしゃると』になるの。これ、けっこう出てくるから覚えといて」
「おっけ!じゃあ書いとく!」
貴一はそう言うと、ノートの隅っこに『のたまうはおっしゃる!』と書いてその周りをぐるぐると囲んだ。
直巳の言う通り、あまり頭はいいほうではないらしいけど、飲み込みは割と早いほうだし、素直に聞いてくれるから教えるのが楽だ。
「じゃあ今言ったこと思い出しながらでいいから、この文訳してみよっか」
「らじゃー!」
うんうん、最初チャラいとか思ってたけど素直なわんこみたいじゃないか。
僕がそんなことを思いながら貴一を見ていると、ふと隣から視線を感じた。
ちらっと直巳の方を見ると、意外と言わんばかりの顔をして僕をじっと見ていた。
「え、なに」
「お前やっぱ頭いいだろ」
「…なに急に」
「急じゃないけどな。俺だってそこまで丁寧に教えてやれないぞ」
呆れ半分、おどろき半分といったところだろうか。
真面目に取り組む貴一を見ながら直巳は小さなため息をついた。
「別に大したことじゃないよ。直巳がやってもきっと同じだと思うし」
「んなわけあるか」
その言葉に苦笑を返して、僕は簡易キッチンにコーヒーのおかわりをつぎに行った。
マグカップいっぱいにいれて戻ると、貴一はまだ現代語訳にてこずっているみたいで、静かに直巳の隣に座る。
ちらりと直巳を見ると、真剣に英語の問題を解いている顔が見えた。
うわー、イケメンすぎる。
棗でイケメンというイケメンは見慣れてるつもりでみたけど、タイプが違うとちょっと見惚れちゃうね。
や、別に惚れてるとかいうわけじゃないけど。
貴一だってイケメンだし。
やっはー、ハーレム。
と、思いながらふいに見せた直巳のノート。
さーっと見えた部分。
「直巳そこのスペル違う」
「……は。え、どこって」
「問5の2。そこaじゃなくてu」
僕の言葉に直巳は見直してから「本当だ」と言って赤ペンで書き直した。
そして僕の顔を見た直巳の顔はなんとも言い難い表情をしていた。
せっかくのイケメンが台無しじゃないかと言いたくなるけれど、そんな顔もまた様になっちゃうからイケメンって怖い。
「お前ほんとなに」
「なにってなに」
「なんでそんなことに気が付くんだよ。つーか見ただけでわかるか、それ」
「目についただけじゃん、そんな言わないでよ」
べぇっと舌を出して言ってやると、直巳はどうしてか舌打ちを返した。
そんなやりとりを貴一がじっと見ているから、首を傾げて「どうした?」と聞くと貴一は満面の笑みを向けた。
「仲良しじゃん!」
「へ?」「は?」
「ほら!」
いやほらって。
言葉かぶってないし。
「寿人がこうやって話すことって俺たちバスケ部以外数えるくらいしかいなかったじゃん。それもクラス別れちゃってあんま会ってないんでしょ?よかったね、寿人」
「…余計なお世話だ」
「へへー、彰がちょっと心配してたんだから」
「彰に心配されたらそれこそ厄災が起こる」
「彰に言ってやろー」
「じゃあ出てけ」
「え、むり!俺樹に勉強教えてもらうんだから」
「じゃあ、「僕ごと出ていけとか言わないよね?」
直巳が言いそうな言葉を先に言ってやると、直巳は僕を睨むようにして見た。
でも悲しいかな、その鋭い眼光にここ3日ほどで慣れてしまったのだ。
「いくら直巳でもそんな勝手な言い分許されるわけないじゃん。ここはもう直巳だけの部屋じゃないんだから」
いい加減にしてよ、と付け加えると、直巳は珍しく言葉を詰まらせた。
口喧嘩で直巳が黙るなんて珍しい。
なんてことを思っていると、貴一も同じことを思っていたのか、僕に向かって小さな拍手を送った。
「寿人が口で負けた‥!」
「あ?」
「だってそうじゃん!いつもあの彰と競り合ってるくらいなのに!」
「今回は南雲の方が道理にかなってただけだろ」
「確かにー」
直巳の言葉に僕が賛同すると、直巳が睨んできた。
だって事実だもんねー。
「そういやさ、この期末中間が終わったら夏の学園祭あるよね」
「なにそれ」
夏の学園祭?
夏の?
え、なにそれ、どういうこと。
「あ、そっか樹は知らないのか」
貴一はそう言うと、勉強は終わりとばかりに教科書を閉じて前のめりになって話し始めた。
「この学園はさ、学園祭が夏と秋の2回あるんだ」
「うわー‥なんか無駄ー」
「そう?この学園イベントごとが好きみたいでさ、学園祭以外にもいろいろとあるんだ」
へー‥なんか初めて知ったなー、それ。
なんかそれらしいことはパンフレットに書かれていたような気もするけど。
それらしいこと、ここの学園長なにも言ってなかったと思うんだけど。
「夏は夏で楽しいよ!文化祭はみんなでいろんな出し物をして、夜には浴衣で花火大会があるの!」
「浴衣?」
え、それ強制なんだろうか。
だとしたら困る。
「今年はなにするんだろうね?」
「さぁな。クラス対抗だから知ってても言わねぇけど」
「クラス対抗?」
「そーだよ!学園祭はいつも土日にあるんだけど、総動員数?が一番多かったクラスが、景品をゲットできるんだよ!」
「まぁ、ようはどんだけ客入れたかって話だな」
「へぇー、なんだか楽しそうだね」
「そうかぁ?他校の生徒も来るし、今年は荒れるぞ?」
「え、なにそれ」
「確かにねー。転校生が2人もイケメンだからね」
そう言いながら、貴一は僕の方を見た。
いやいや、イケメンなのは僕の片割れの棗であって、僕じゃないから。
「・・・・だから余計に荒れそうなんだけどな」
僕の言いたいことがわかったのかどうかはわからないけれど、ため息と一緒に直巳はそう言った。
え、僕のせいみたいに言うのやめてよ。
「まぁどっちにしろ、お前がテストで点数取らなきゃ学園祭だって浮かれてる余裕ないぞ」
「う…」
「まぁまぁ大丈夫でしょ」
「お前はこいつの馬鹿さ加減を甘く見てる」
ビシーっと指をさして直巳はそう言うと、また深いため息をついた。
「‥お前が今回のテストはワースト30に入るなよ」
「…が、頑張る」
え、頑張らないとだめなの。
この学園、1学年280人くらいいるよ?
そのワースト30に入るってなかなかにやばくない?