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キバラナ  作者: 地藤零一
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第一話ノ3

 立駒は奇跡的に隕石被害を受けなかった町で、海面侵食に追われながらも、年中潮風に晒されながらも、トタンに錆を浮かせても根強く残っている。

 その錆っぽい町の商店街、堤防へ出る道の曲がり角には、この町で唯一の本屋があった。

 入り口を開けたすぐ横の会計台に居座って、今日来たばかりの新刊を斜め読みしているのは、立駒のマドンナを自称する及川芹名嬢である。

 セリナは高校がなくなってからは店番を暇つぶしにして「この店を継ぐ」と言い張り読書三昧の日々を送っていた。人を煽るのが何より得意で、気性は活発。近所の子供ともよく遊んでいる。そんな彼女が物静かに読書していると、妙な色気があって、町の男連中に大人気だった。しかし、カウンター裏の伝票箱は未整理のまま溢れんばかりの賑わいであることを、平積みの本に埃がたまっていることを、多くは知らない。本の流通なんて首都でしか見なくなった今もオーナーである亨ジイが飛び回ってくれるおかげで新しいものが手に入るのだけれど、セリナは一人をいいことに商品を手垢まみれにしている。

 今日も仕事そっちのけで本を読み、「あぁ……」と感嘆の溜め息を漏らしたりしていた。

「冒険っていいわね……」

 重ねて言うが店には一人しかいない。

「でも子供ができたら、家で子育てしなくちゃいけないわよね。男の人って放っておくとどこまで行っちゃうから、横で喜びを分かち合いたいと思っても、置いていってしまうのね! ああなんてこと! 繋ぎ止めておくことがこんなにも辛い!」

 目をうるっとさせて、一人でくるくる踊る。他人が見たら哀れみを向けられかねない光景だ。

 そのとき入り口の鐘が鳴って、セリナは一瞬で居住まいを正した。

「いらっしゃいま……あれ?」

「こんちわー。ちょっと探したい本があってさ」

 颯爽と店に入ってきたのは有馬だった。この店の常連で、よく店を手伝ってくれて、薦めた本を片端から買ってしまう可愛い弟分だったけれど、昨日町を出たはずではなかったか?

 有馬とは旅に出るとき、必ず一言いう決まりを作っていた。

「どうしたの? まだ準備するものあったの?」

「いやー、そうじゃなくてね」

「何かあったの? 有馬がまだ出てないなんて」

「出るよ。出るけど、ちょっと必要なことができたんだ」

「必要なことって?」

「自転車の、雑誌とかない?」

「なんで?」

「ちょっとね……」

 あやしい。

 有馬に冒険小説を読ませて、冒険の旅を焚きつけたは、主にセリナだ。だから歯の奥に物の挟まったような言い方は許せないのだ。監督する義務があるのだ。

 有馬は申し訳なさそうに頭をかいて、言った。

「ちょっとね、自転車が壊れちゃったんだよね」

「え、壊れたの!? 何かあったの!?」

「昨日……ガケから落っことしちゃって……」

 嘘だ。店の前には有馬の乗ってきた自転車が停まっていて、ぱっと見どこも壊れていなかった。「あるじゃない」と指摘すると有馬はぶんぶん手を振って誤魔化す。

「あれは壊れてるんだって! フレームもガタガタでギアのワイヤも切れてるし、ホイールも歪んでるからまっすぐ走れないんだよ。ここに来るまで苦労したんだって」

「有馬は怪我してないの?」

「大丈夫。頑丈だから」

 やっぱりおかしい。苦労して買った自転車を壊してしまったのそうだし、自分で直したい気持ちも分かるけど、全然まったくそのことで、落ち込んでいる様子がないのだ。妙に焦っているというか、浮ついた気持ちを背に隠している気配すらする。

「だからそういう雑誌ない? 専門書とかでもいいけど」

「あるわよ。けどぉ、何か隠してるでしょ?」

「なんでもないけど……」

 湿っぽい目で「ふーん」と呟き、一滴また一滴と有馬の額に汗が吹き出る。

 セリナはふっと肩を落とした。

「はぁ……私もずっとお姉さんではいられないのね」

「何言ってんだよ……」

「よし! 弟分の門出を祝ってお姉さんまけちゃうから!」

 二三冊見繕ってやって有馬を見送る。蝉の大合唱。外はうだるくらいの暑さで、ほんの数メートル先の風景が歪んで見えた。セリナは前後左右を見渡し、ヒマそうに角を曲がってきた通行人Tを見つけると、瞬く間に店へ引きずり込んですぐ有馬の後を追った。

 あの顔は、何か面白いことを企んでいる顔だ。

 隠し事なんて許さないのである。



 セリナは鋭い。

 あれは、相手を泳がせようと演技している顔だった。

 有馬はときたま後ろを見ながら自転車を引いて歩いていた。高架橋下の道を西へ西へと進んでいく。駅を裏から通り過ぎると、田んぼを真っ二つにして伸びる細い通りに出ていった。正面の果ては山。そのふもとにぽつんと、有馬の通う学校がある。

「おいおーい。まだ着かねーの?」

 無視。背後を再び確認。見渡す限り人の姿はない。

 セリナはついてきてないようだ。

「しんどいよお。もう元に戻っていい?」

「だめだって! しゃべるな!」

「ちぇー」

 夏休み中、学校は開放されている。校庭と図書室は自由に使っていいのでヒマな誰かはいるかもしれないけれど、人目を気にするのならここの方が断然良かった。

 敷地に入っていく。見渡せば草野球ができる程度の広さ。体育倉庫にも電源棟にも鉄棒にも焼却炉にも、端から端まで人影は見当たらない。念のため、窓から職員室を覗いた。よし。いない。そのまま裏手に回る。フェンスと校舎に挟まれた薄暗い砂利道。その先にあるのは山で、角からちょっと首を出せば表の様子は丸見えだった。

「もう戻っていいぞ」

 自転車がぶるっと震え、毛糸の玉が解けるようにしゅるしゅる形を変えていく。いくつもの紐が団子状になって確かな輪郭を帯びてくると、形になったのはキバリーだった。

「ああ、肩こった。やっぱ二本足が一番だな」

 キバリーは、自分の食べたものに変身できるらしい。

 擬態能力。昨日もこうやって鍋に成りすましていたのだ。細部が曖昧で失敗することが多いけれど、それでも十分すごいことだった。きっと現地の支配生物に成り代わって地球を乗っ取るための能力に違いないと有馬は思う。

「で、オレっちをこんなところに連れてきて何する気だい? エロいこと?」

「ふふふふ……それはね、これだ!」

 大げさに広げて見せたのは、さっき買ってきた自転車のカタログだった。

 昨日の夜、MTBを食べられて、有馬は非常に困っている。自転車が無いと旅に出れない。外の世界を見せてあげられない。地球征服をするつもりならもっと外の世界を知るべきなのだ。

「これを食べればどこでも行ける!」

「はぁ~? なんで」

「キバリーの変身って精度が足りないと思うんだよね。だから、これを食べれば自転車の色んなことが分かって変身しやすいと思うんだよね」

「自転車欲しいだけじゃね?」

「違うよ! 地球征服のために必要なことなんだ!」

 強弁に主張する。キバリーは渋々といった感じでカタログを口にしてくれた。

 そのとき、キバリーの鼻にハエが飛んできた。

「ふぇっく──」



 慎重に遠くから後をつけてきたセリナは、有馬の目的地は学校だろうと見当をつけていた。

 塀に身を隠しながら敷地内を覗いてみる。

 有馬の姿は無かった。中に入ったか校舎裏に回ったのだろう。ずいぶん周りを警戒しているようだったから、セリナの疑念はますます深まる。学校の裏で野良猫を飼っているくらいならまだ許せる。でも、そんな感じじゃなかったし、新しい自転車の品定めなら家でだってできるはず。なのに、一目を避けてここまで来たのは、誰か他の人物にあの雑誌を見せたかったからではないだろうか? 逢っているところを、他人に見られたら困る、誰かと。

 ──考えすぎだと思う。許せないのは話してくれなかったことそのもので、何を隠してようと咎めるつもりなんてないのだ。有馬はそんな子じゃない。うん。でも気になるから確かめ、

 校舎裏で爆発が起こった。

 前触れも何もなかったので、身体の芯が抜けるくらい仰天した。

「──何ごと!?」

 校舎裏に回ってセリナが見たのは辺り一面に広がったガラクタの山だった。サドル、ペダル、グリップ、自転車の部品類。校舎の窓が粉々になって割れていた。バラバラに千切れた無数の本。無数の鍋。無数の自転車のタイヤ。脈絡のない無数のあれこれ。

「なにこれ……?」

 驚きすぎて寸でのところで向こうの角を曲がった影に気付かなかった。



 セリナが目を丸くしているうちに、有馬は学校を出て山沿いを走って逃げていた。

 緩やかに斜面が波打つ高原地帯にさしかかり、有馬の家が見えてくる。そのまま部屋には戻らず有馬は、隣の倉庫に飛び込んでいった。

 埃っぽい倉庫の中で息を荒げて鍵を閉めた。抱えていたキバリーが「こいつ大丈夫か?」という顔で見上げる。正気じゃない目がそこにある。

「──キバリー」

「なんぞ?」

 さっきの爆発は、ものすごいくしゃみだった。

 くしゃみをした拍子に、今まで食べたものが出てきたのだ。

 ただ吐いたなら良かった。なのに、中には同じ表紙の本や、同じ形の鍋がいくつも混じっていた。つまり、何が起こったかと言うと、

「食べたものを、増やせる?」

「んあ。頑張ればなー」

 事の重大さがやっと呑み込めてくる。

 この際、どうやってそんなことができるかなんて気にしない。キバリーという特殊な生物にそういった機能があると受け入れるしかない。説明されたってきっと分からない。有馬はずんずん奥へと進み、物置になっている場所から思い切りシートを取っ払った。盛大に埃が舞い、押し隠せない感情が笑みになってこぼれた。

「これ……なんだと思う?」

「あーん? 日本郵便局とか書いてるな」

 バイク。モーターサイクル。化石燃料で動く発動機付き自転車。

「キバリー……昔は石油ってばんばん採れてたらしいけど今だともうほとんど無いんだ。戦争が終わったときから無い無いって言われてたけどさ、隕石のせいで国に申請しなきゃ普通の人は使えない。うちって風車で電気作って町に回してるんだよ。ソーラーシステムとか、レンズの日とかに貯めて、ほとんど電動」

「へぇー」

「いまどきバイクなんて誰も使えないんだよ」

 それでも、今ここにある。在りし日のスーパーカブは赤い輝きを放っていた。

「整備して、燃料さえあればまだ使えると思うんだ」

「へー、そいつは面白そうだにゃー」

「これに乗って世界を回ろう」

 勢いに任せて、大風呂敷を広げるのだった。

「こんな何もないところよりもっと色んなものがある場所に行ってみようよ! そしたら絶対おもしろいよ! バイクのこと勉強して使えるようにするからさ、キバリーもついてきて一緒に旅をしようよ!」

 自転車だったらせいぜい日本中を回るくらいだ。バイクなら世界を回れる。自分で整備して、キバリーに燃料を作ってもらって、たくさん冒険できる。隕石のせいで世界中が水浸しになった今でも日本はアジアの隅に浮かぶ小さな島国でしかない。

「うーん?」

 キバリーは首を傾げた。

「世界を回れるんだよ! 今は国がばらばらでみんな内側に引きこもってどんどんちっちゃくなってるんだから、地球征服でもされないと人類はひとつになれないんだ! せっかくだからぼくたちでしてやろうじゃないか!」

 作業台に足をかけ、無闇にガッツポーズを取り「目標、世界一周!」とスローガンを掲げた。

「地球侵略ねえ……オレっち別に侵略しに来たわけじゃねえんだけど」

「えエえええおっええエエエぇぇえッ!」

 死ぬほど驚く有馬。キバリーの方が気後れしていた。

「しようよ侵略!」

 実を言わなくても有馬のやつは侵略とか征服とか冒険とか浪漫とか、そういう言葉に弱いのである。やっと野望を叶えられると思っていたのだ。

「じゃあキバリー何しに来たんだよ!」

「なんかこー、わーっ! ってしに」

「わかんないよ! もっとグタイテキに!」

「そうだな……」

 きらりんと目が光り、不真面目なキバリーが、刹那真剣な雰囲気を帯びる。

「たくさん『タノシイこと』をする、だな」

「テキトーだあ!」

「ケッ! 一生にヒマつぶし以外のことがあるってのかよウスラボケ! おめーのやりたいことだってけっきょく道楽だろーが!」

「なっ! ちが! ちが……くないけど」

「ならその道楽に命をかける! これがオレっちのやりたいことさ!」

 有馬は天啓を受けた気がした。キバリーの小さな体が神々しい輝きを放って見えた。

 テキトーなやつだなぁと舐めていたけれど、そういえば「キバリー船長」はやるときゃやるアツイやつなのだ。

 なら、上手くのせれば、説得できる。

「キバリー……道楽を極めるにもこの町は、狭いよ」

「んー? かもなー」

「たくさん楽しいことをするには、外の世界を知らなきゃだめさ」

「そうなん?」

「そう! 絶対そう! こんな町にいたら一生飼い殺されてやりたいこともできないよ! 男なら世界を目指さな!」

「別に男でもないけどなー」

 メスだろうとオスだろうと関係ない。狭い世界で小さくまとまって完結しているコミニティに繁栄なんか夢のまた夢。もしまた隕石危機みたいなイレギュラーが起きたとき生き延びることができるのか。異常気象や台風や洪水なんかが起こったら、作物が育たなくなったら、どうにもならない自然の驚異は過去に幾多も経験したが、それを回避できたのは物流という文明の恩恵に預かっていたからだ。交易をしに外へ出なければ人類なんて滅亡するのだ──と何も知らないキバリーに熱弁をふるう。まるで、今にも人が滅びかかってるみたいな言い草だが、国も自治体も銀行もちゃんとその手の努力はしていて、有馬が心配する必要はあまりないのだけれど、とにかく自分の目で見ないことには何も始まらないの一辺倒で、冒険の旅は楽しくて崇高でカッコイイ果たすべき目標で、これを成さぬは人にあらずと明朗快活な語り口。

 そんな勢いに、キバリーも当てられたのか、

「世界、おもしれーかもな」

「──!? でしょ? でしょ!? よっし! そうと決まれば計画だ! 地球侵略計画始動! 第一目標はこの町を出ることだ!」

 やることが決まり、有馬の目は今までになく輝き、キバリーのボルトみたいな目は困惑気味にくるくる回った。

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