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キバラナ  作者: 地藤零一
22/22

最終章



 装備を確認する。

 荷物は多くなくていい。

 水筒はいる。飲み水は確保できないこともあるから。

 テントと寝袋はいる。地図。鍋。鉛筆。アルミのコップ。携帯コンロと釣竿。火種とナイフ。食糧はちょっとで済む。お金はあまりかからないから。

 準備は万端だろうか?



 有馬は迷った。

 何かを忘れている気がするのだ。

 朝もほど良く過ぎた、温かい日の落ちる時間。ガードレールを手すりにして、小さな道を渡す橋。竹林に囲まれた細い道が向こうにあり、右手には鳥居があって、古い神社の参道がある。立駒の子供にとってここまでが遊んでいい場所で、ここからが行ってはいけない場所だ。

 知らなかったがこの神社は、個人の氏神を祭っているところで、実は私有地らしい。

 珠樹は連れて来るわけないし、飯も食ったしトイレも済ませた。リムもフレームバランスも調整して、なんとか走れるようにした無印MTBの強度が気にならないわけでもないけれど、決定的にそうかと言えば心にすとんと落ちてくれない。

 きっと些細な事だ。忘れるくらいだから。

 そう思って、有馬はすぐ出発する事にした。

「──待って!」

 鋭いブレーキの音とその声に引き止められた。

 チャイが肩で息をして、ママチャリに乗って来ていた。

「どうして、黙って、行くのですかっ!」

「誰にも言ってないはずけど」

「有馬のお母様に聞きました。前日に準備していたから、今日あたりに出るんじゃないかと……」

「よくこっちの道だって判ったね」

「こちらの道が、有馬の家から、一番近いですから」

 どちらも西のどん詰まりだから、判断としては間違ってないだろうけど。

「それよりどうして行くんですか!? 夏休みあと十日もないんですよ!?」

 意味が分からないみたいに有馬は首をかしげ、

「まだ十日くらいあるじゃん? そんな休みめったにないし」

「有馬は宿題やってないはずです!」

「う…………」

「ちなみに珠樹さんもやってません」

 見せてもらっても無駄。痛いところを突かれた。けれど、冒険の旅という大儀の前に、宿題など些末事である。有馬は悟りをひらいた(開き直った)。

「ぼくが宿題やんなくても、日は昇り、日は沈むんだ」

「……かっこいいこと言ってるつもりですか?」

 譲れないものがあるとき、人は無敵になれるのだ(主に世間体とか)。

「じゃ、そういうことだから」

「そういうことだからじゃないです! どこに行くんですか!」

「まず隣町だよ。今どんなふうになってるか見てみたいし、チャイの家にも挨拶に行きたい」

「な──やめ、やめてください!」

「なんで?」

「だって、隣町といっても何十キロあると思ってるんですか……それに危険ですし……あの、それが、今回の目的なんですか?」

 尻すぼみ。有馬はにまりと笑う。

「ついでだから。旅ってのはこう、自然の荒波に翻弄されながら花鳥風月を楽しむものだよね。雨降ってるのに出歩くのとかけっこう好きだし。逆境がいいんだよ逆境が」

「……それが楽しいのですか?」

「楽しいよ!」

 胸を張って言ってやる。

「何も考えないでずっと走ってると、気持ちが澄んでくるんだよ。水になったみたいって言えばいいのかな。自分は何者でもないけど、何者にもなれるんだ、っていうすーっとした感じ」

 チャイは困惑しているようだった。

「……有馬は、てっきり、もう旅には出ないのだと思ってました」

「なんでさ?」

「キバリーさんがいなくなったから……です」

 キバリーがいなくなるのが、どうして旅をやめる理由になるのだ。

 ふっと笑う。心の底から格好をつける。

「物ってなくならないよな」

「え?」

「ほら、金属とか、有機体も全部、酸化したり腐ったりしてぼろぼろになるけど、結局分解されただけで、その質量が宇宙から消え失せるわけじゃないよね」

 バイクの部品を作り、鍋に化け、台風を起こした力。

 キバリーのあの力は、汲み上げた石油のように、この町の深い部分から抽出して変化させたものではないか。

 最近になって有馬はそう思うのだ。

「それが、どうかしたんですか?」

「人の気持ちも同じだよ」

 すべては、もとは違う誰かのものだった。あるいはこの町が吸収して、記録していたものだった。それが人へ行き渡り、組成を変え、見かけ上では増えたり減ったりしていても、質量をもった物質のように巡り巡っていただけなのではないか。

 ひばりの想いが、セリナに継がれたように。

 発生し、枝分かれして、様々なものに影響を与えたように。

「前より行きたくなったんだよね。この世界にはまだまだ知らないことが山ほどあるんだ。今まで見逃してたことも、今なら見つけられる気がするんだ」

 キバリーのおかげでそれに気付けた。

「だから止めても聞かないよ」

 呆れ顔ではない、チャイの事実を従容と受け入れるような表情。

「どうしても、行くのですか」

「どうしても行きたいんだよ」

「付いていっては、だめですか……?」

 どきりとした。

 切なそうに目を細めている。

「役に立てると思います。訓練を受けました。知識もあります。地形把握や危険察知はお爺様に頼られるほどです。わたしも、わたしも……有馬と同じものが見たいです」

 不安がにじむ。叩けば折れてしまいそうなほどの。

 それは切実な願いだったのだろう。

「ありがとう……でもまた今度に」

「…………はい」

「時間はあるだろ? これから一生」

「あ────はい!」

 それは素直な感情だった。

「チャイは、キバリーになんかもらったの?」

「い、いいえ、なにも」

「嘘だ。栞かなんかもらったろ?」

「貰ってません! 貰ってないですっ!」

「………」

 町にも心があるとしたら。

 気に入った思い出をアルバムみたいに集めて、本に綴じるのが趣味なのかもしれない。

 帰ったら、根掘り葉掘り訊いてやろうと思う。

 そのまま、何気なく手を振った。

「じゃ、いってきます」

「はい。いってらっしゃい」


 ──そうか、忘れ物はこれだったんだ。


 すっと胸に透き通る、湧き水みたいな言葉だった。

 誰かに、いってらっしゃい、と言われて、旅に出て行きたかったのだ。

 旅の門出はいつだって、希望に溢れてなければならないから。

 旅の帰りを、待っていてくれる人が欲しかったから。



 迷わずベダルを漕ぎ出した。

 振り返ってまた手を振ると、チャイもぶんぶん振り返してくる。

 前を向く。

 帰ってきてからのことに思いを馳せる。

 セリナに旅の話をしよう。そして今までのことを謝ろう。

 珠樹にはせいぜい自慢して、またヤーコの嫌味を買ってやろう。

 チャイには全部話してやろう。この夏に起こった事、始めからすべてを。


 今年の夏も一人旅だ。

 一週まわって同じ場所に戻ってくる。

 そういう感じを出したくて書きました。

 外の世界に旅立ちたい願望を、現実の居場所から逃げ出したいから、なんて後ろ向きな理由で持って欲しくない。そんな話です。

 と言われも、現実逃避ってしたくなります。

 それで積極的になれるなら立派な原動力ですけど、多くの場合なんの計画もない妄想や絵空事になってしまい、周りにも認められません。

 でもまあ、理解されたいですよね。

 あんまり考えるとドツボだから、気軽にいこうぜ。人生そんなむつかしくないよ。

 というテキトーなテーマなのです。


 最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 次作は近いうちに。今度は本屋の話です。

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