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キバラナ  作者: 地藤零一
20/22

第四話ノ5

 高い日差し。黒々とした影。土と草の匂い。

「キバリーさんに会ったとき、予感みたいなのがあったんだ」

 懐かしむ目で、セリナは栞を眺める。

「私はもう有馬のお姉さんじゃなくて、周りにいる大人の一人になっちゃったんじゃないかって。それが、寂しかったの。最初は姉代わりだったけど、今は違うから」

 半身を起こす。言葉も無い有馬の目線をたぐり寄せて離さない。

「私はどうしたらいいかな。有馬のお姉さんじゃなくなったら」

 憂いを帯びた瞳に、熱を含んだ頬に、身動きを封じられた有馬は、まばたきひとつできない。吐息のかかる距離にセリナの顔があって、仔犬が鼻でじゃれつくように額が触れ合っていた。肩も胸も密着していて、その距離は刻々と、一方的に縮まっていく。

 じれったいくらいの間は、セリナが与えてくれた猶予だったのかもしれない。

「なんで今さらなんだよ……」

 情けないほど、震えた声。

「最初から代わりなんかじゃなくて、普通にしてれば良かったんだよ。姉代わりなんかにならなかったら、普通に好きでいられたのに」

 取り返しなんかつかない。

 胸がつぶれそうになる。セリナを引き剥がして、有馬は立ち上がった。

「ぼくのだ……これは、ぼくだけのものだ! セリ姉にもらったものじゃない!」

 悔しくて、鼻がつんとなって、どうしようもなく涙がにじんでくるのが、自分で分かった。

 もうセリナとは一緒にいられなかった。

 離れようとして踵を返すと、後ろから思い切り捕まえられる。

「待って! お願いだから聞いて!」

「はなせよ!」

「はじめは私もこうした方がいいと思ったからやったの! それが有馬のためだと思ったの! でも途中から、私は本当に、有馬に頼られるのが楽しかったから……っ!」

 痛いくらいに抱きすくめられて動けない。震えた息遣いと、湿り気を帯びていく声に、直接伝わってくる胸の鼓動に、有馬は熱をとられていくようで、力が抜ける。

「思い出したのね。昔のこと」

 頷いた。

 腕が緩んだ。

「じゃあ、行って確かめないとね」

 突き出されて、踏み出す一歩に、抗うことはできなかった。積み重ねた三年の意地が有馬の意志と遊離して、足を進めさせていく。

 走りながら振り返った。

 セリナの、救われたような表情。



 どこにもいない。

 あいつがいない。

 あちこち聞き回って、駆けずり回っても見つからない。

 それでも今度は感触があった。射的屋が骨董もののゲーム機を奪われたとか、チョコソースを容器ごとたいらげられたとか、丸ごと一匹タコを食われたとか、他人に迷惑をかけまくっている目撃情報には事欠かない。あいつの足跡。

 キバリーの探索は日が傾くまで続いた。流星祭りの航空部門は、もう佳境に入っている。

 捜しているあいだ、さらに三戦催しがあって、コルセアをフォッケウルフが堕とし、紫電改はマスタングにやられた。雷電とフォッケウルフの戦いは接戦を極め、互いに翼の端から尾を引くほど熾烈な絡み合いの末、雷電に旗が上がった。

 残すところ、あと一戦となる。

 会場は異常なほどの盛り上がりを見せている。厚く垂れ込める雲のような騒音が、有馬の声をかき消してしまう。キバリーの名を何度叫んでも、綿を噛んでいるみたいに自分の耳にさえ届かない。

 確かめなきゃいけないのに、目の前にいるはずなのに。掴んだと思って手を広げたら、そこから消えているような感触。その繰り返し。

 言い様のない喪失感。徒労感。

 有馬は、思い出そうとしていた。

 空白を埋める代替物としての旅。その底にあった原初の感情。

 ──違う。空白なんかじゃない!

 最初からそれはあった。セリナに教えられたから、信じ込まされたからではなくて、旅立ちを夢見る事は、言葉さえ無いときからあった。

 何が自分をそうさせたのか。どうしてそう思うようになったのか。

 自分の中に潜っていく。

 冒険を望む自分。新しいものを探す自分。すべてのものが鮮明で神秘にあふれ、まだ見ぬものを至高と信じ、心から探し求めていた。

 そして、ふと後ろを振り返る。自分の来た道に目を向けてみる。

 するとそこには何も無い。洞窟のような暗闇があった。自分の起点がわからない。わからない。わからない。わからない。

 不安があった。

 不安は手を伸ばしてきた。

 捕まえられて、振り回されて、引き離そうとして、それでも、執念深くこびりついてくるそれを、有馬はただ一心に振り切ろうとした。誰も見てないところに探し物はある。自分を救う光はある。そう信じて、追われながら、探してきた。

 どこにでもあって、同時にどこにもない。だから自分が進む先にこそあると信じて。

 わずかな光も見逃さず、耳を澄まして、

 やっと、見つけた。



 キバリーは、親父といた。

 親父は祭りに来るなんて一言も言ってなかった。

 親父だって仕事の鬼じゃない。風車管理なんてのはヒマなときは死ぬほどヒマだし、自分も息子も浅からず関わっているお祭りに、誰が出ちゃいけないなんて言えるのだろう。

 有馬が来ないと勝手に思い込んでいただけだ。

 朝に見た親父の背中は、意地でも行ってやるもんかと語っているようだったから。

 ここに来れば、息子や道楽ジジイどものやっている事を、認める事になってしまう。親父ならそう考えているはずだったから。

 それは、見てはいけないものだった。

 親父が泣いて、誰かにすがり付いている姿なんて──見てはいけなかったのだ。



「おーいもしもーし?」

 暗闇から急に引き戻されたみたいに、意識が鮮明になった。

 鍋底で煮詰めたみたいな空気を、たくさんの人が撹拌していた。日が落ちてきて涼しくなっても、冷気を外へ追いやるように人の密度は変わらない。

 現実とそうでないものの境目が曖昧になる。今見ていたのは本当に自分の目で見ていたものか。親父が祭りに来るなんて事があるか有馬は判らなかった。

 過去の記憶を見せられた。

 セリナの決意。

 珠樹とヤーコの出会い。

 こんなことができるのは、キバリーしかいないと思った。ごく自然に、そう思わされた。

 だったら、少なくともキバリーは、それを知っていた事になるじゃないか──

「おーいアリマ、ヘイ無視すんなよー、コラ」

 目の前に、べちべち無遠慮に人の頬を叩くキバリーがいた。

 目の焦点がそっちに合う。

 なんでこいつはいつも、こんなときにも、ふざけていられるのだ。

「──キバリー見つけた!」

「おおう。ずっと捜してた?」

 頭を振る。

 すべてお見通しなのか、キバリーはヘラヘラ笑っているだけだった。

 喉がひりひり焼き付くようでまともに息継ぎさえできなかった。人間の姿をしているはずのキバリーが、何か別の生き物に見えた。恐ろしい想像が有馬の胸を這い回っている。

 震える口で、訊ねる。

「これは、現実、なの?」

 どこからどこまでがそうでないのか、有馬にはもう判らないのだ。

「現実だよ。ぜんぶ」

 ハッキリ答えた。

「全部、アリマの周りで起こったこと。アリマがそうしたいと願ったから叶えられたこと。おめでとう。これでやっと地球侵略の一歩を踏み出せるぜ」

 くるくる楽しそうに回って、また向き直り、

「人がたくさん集まった。みんな喜んでる。この町も喜んでる。だから、もう行けるよ」

 差し出される手。柔らかな微笑み。

「町の外に、出られるよ」



 どうして忘れていたのか。

 キバリーと旅に出たくて、そのために「町を盛り上げる」ことが必要で、これだと思って仲間を集めて、次々と課題をこなしていって、そして──ここまで来たんじゃないか。

 やっと、町を出られるのだ。

 そのためにここまで来たのだ。

「さあ、行こう。準備はできてる」

 手を引かれて歩み出す。浮遊するような足取りで、有馬は基地を出る。落日の色に染まった田畑を、憑かれたように駆けていた。



 家の倉庫には、旅の装備を積載したカブがひっそり佇んでいた。

 新たにサイドキャリアが取り付けられていて、前部キャリアのポリタンクには飲料水がいっぱい入っていた。後部は毛布を巻いてタンデムシートになっている。ガソリンは満タン。ハンドルの左側に腕時計が巻かれている。頑丈そうなトラベルケースに着替えやキャンプ用品や瓶詰めの携帯食糧まで用意されている。ナイフも釣竿も地図も。至れり尽くせり。

 キバリーが、すべて準備してくれたようだ。

「これだけあれば困らねーよな。小遣いも、祭りで全然使わなかったろ? いざってときにゃオレっちに頼ってもいいけどさ、こういうのって自分でやるのが醍醐味だかんな」

 二人分の装備。

 宝物みたいにいつも持ち歩いてたバイクのキーの感触が、ポケットの中でちゃり、と動く。

 心が停止している。

 なのに身体は動く。シートに跨る。キーを差し込む。ペダルを蹴って吸気する。快音が響き渡った。

「おっしゃー! 行くぜえ!」

 キバリーが後ろに跳び乗ってきた。

 行けない理由が見当たらなかった。



 遠ざかっていく家を、後ろで騒ぎ立てる声を、他人事のように眺める自分がいる。

 商店街は、流星祭りに客も店主も持っていかれて、閑散としていた。誰も通らない道にある不気味なくらいの静けさを、カブで二つに引き裂いていく。商店街を抜け、新興住宅地を抜け、緩やかなカーブを描いて山の手へ入っていく高架橋を左にやって、田園地帯に抜け出した。誰かを呼んでも出てこないガソリン屋を通り過ぎると、河口近くの野太い川を一挙に渡す、あの鉄橋が見えてくる。

 入口付近で、有馬は止めた。

 自分の手足が、再生されたフィルムを見ているみたいに、離れたところにある。

「────あ、」

 どうして、ここにいるのか分からない。まるで現実感が無い。朝、目が覚めたら断崖絶壁に立たされていたように生きた心地がしなかった。

 ここを越えれば、違う世界が待っている。

 キバリーは宣誓するように言った。

「さあ立ちはだかる障害は、これまで幾多の旅人を飲み込んできた、難攻不落の川だ!」

 胸が締め付けられる。

「ここを越えれば、温かいスープもパンも寝床も雨露を凌ぐ場所も、自分で見つけなくちゃいけない! 君にその覚悟はあるのか! 苦難を乗り越える気迫があるのか!」

 ありません、と少年イマは答えた。

 こんな橋ひとつは、苦難のうちにも入らないから、と。

 イマは旅立ちの日に、何を考えていたのだろう。

 希望に溢れた未来の航路か? 残してく家族や友達のことは考えなかったのか?

 サスペンションが軋んだ気がする。そこにあるのは二人分の重量なのに、衝動のまま飛び出すにはとても重いものが圧し掛かっている気がしたのだ。

 今と、前は、もう決定的に違うのだ。

「ほら、早くしないと、出れなくなるぜ」

 急かされて、手が震えた。スロットルを開いて、前進。何て事ないはずだ。

 有馬はこの道三年のベテランだ。

 ベテランであるからには、旅の孤独さも知っていた。

「なんでだよ……」

 キバリーの目的。握りこぶしで道楽に身を捧げるといったあれは、嘘だったのか?

「どうして、あんなもの見せたんだよ……キバリーがやったんだろ。どうしてだよ! あれが、あんなのが、なかったら!」

「一人で旅に出られたのか?」

 しゃっくりみたいに言葉が詰まった。

 それは、言い訳だから。

 本気で、忘れていたのだから。

「なんで今なんだよ……」

「今じゃなかったらいつが良かった? 明日? 明後日? 一ヵ月後? 一年後か? 行けるなら早いほうがいいじゃん。夏休み、あと少ししか無いけど?」

「違う! そういうことじゃない!」

 夕凪の空を打ち壊すように二機の戦闘機が飛んでいた。低空で絡み合ったかと思うと急上昇して、容赦無く恐ろしい速度で、互いの喉笛に咬み付こうと回り込み、空を切る。

 これは、自分で作ってきた事だ。

 自分がやりたかった事だ。

 けれど、いつも隣にはキバリーがいた。

 越えられそうにない壁に行き当たったとき、ひょいと、それをどけてくれたのはキバリーだった。部品を作ってくれたのも、ガソリンを増やしてくれたのも、航空祭をやってみたいと思ったときも、戦闘機を見つけたときも。テレビ局でも。

 自分だけ、ふざけて遊んでいるような立ち位置で、いつもヘラヘラしてたのは、その発見を、能天気な誰かのものにさせたかったからではないか?

「アリマさー、まーたムズかしく考えてんじゃない?」

 肩に置かれた手にキバリーは顎をのっけた。

「ゴチャゴチャ考えてないで正直に言ってみな。リラックスだよリラックス。人生の大抵のことはシンプルにカタが付くんだぜ?」

 それは、悪魔の囁きにも等しい甘い香りで、有馬の耳に流れ込んできた。

 行って確かめてこいと言われた。有馬は自分の憧れていたものが、何かを誤魔化すためのものだなんて思いたくなかった。冒険の旅は、今でも、瑞々しく輝いて、心の泉に眠っている。

 でも、今日、このときだけは──

「……あっちの方が、おもしろそうじゃんか」

 空っぽの顔で、震えて、夕空の異様を指差す。

「なんで、今じゃなきゃいけないんだよ。今は、あっちだろ? あっちで楽しまなきゃ、バカだろ? せっかく、みんなで、盛り上げたのに……」

 口に出してしまったら、決壊したみたいに涙が溢れた。

 もっと前ならきっと、夏休みの最初の日、家を出たばかりの自分が傍にいれば、蔑むように見下されたかもしれない。

「アリマの旅は、楽しいことを探す旅だろ?」

 頷く。

「だったら何も変わんねーよ。楽しいこと探してきたじゃん」

 それだけは真実だ。

「自分で言ってたじゃん。この世界には知らないものがまだまだたくさんあるって。これからも色んな楽しいものを見つけるのがアリマの冒険なんだろ?」

 頷く。鼻水まで出てくる。

 キバリーは、ぽんと、人の頭を撫でた。

「だったら気張るなよ。気楽に行こうや」

 べしょべしょになった顔で、有馬は頷いた。

 それが敗北宣言だった。

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