第一話ノ2
手があって、足がある。
どちらも極端に短くて、子供の描いた絵のようだ。
鏡餅みたいな頭にでっかいボルトを埋め込んだみたいな適当なギョロ目が二つ。どう見たって昭和の時代のブリキ人形か何か。無機的な外見。
ただ、その玩具みたいな何かは、明らかに意思をもって動いていた。
短い手を懸命に伸ばし、細い金属フレームを引っ掴んで、バカでかい口をあんぐり開けて、むしゃむしゃと、有馬の自転車を食っていたのだ。
──宇宙人だ。
昔の映画で見た。怪我をした宇宙人が、アパートの屋上に住み付いて、住人みんなでその世話をするやつ。
映画の中でその宇宙人は電気と金属を食べて生きていた。きっとこいつも同じ。絶対そうだと有馬は思った。
怖いと言えば怖かったし、興奮していたし、混乱もしていた。あんな小さな身体で自転車なんかを食うさまは異様だった。しかし、ひょっとしたら友好的な宇宙人かもしれず、ここで何もせず逃げ出したら一生後悔するかもしれない。
だいいち、ここで逃げたら、なんて人に話したらいい。
自転車を失くした言い訳が「宇宙人に食べられた」になる。
もう自転車なんかどうでも良かった。家の手伝いをして貯めたお金でやっと手に入れた、今じゃレアな輸入品だったけれど、お金ならまた貯められる。自転車も手に入れられる。そしてこんな体験は二度とできないかもしれない。
そこには「冒険」があった。有馬の求めていたものがあった。
宇宙人が自転車を食い終えて、ゲップまで吐くと、新たに獲物を探し始めた。きゅるきゅる目を回転させて、次に見つけたのは、有馬のリュックサックだった。持ち上げたり転がしたりして中身を出そうとしている。じれったくなったのか、隙間を無理にこじ開けて、すっぽり中に入ってしまう。
チャンスだ。と有馬は思う。
どういうわけか思ってしまった。
友好的に歩み寄るわけでもなく、警戒して逃げるでもなく。
猛ダッシュを決め、宇宙人の入ったままのリュックを引っ掴んで身を翻し、石段を駆け下りていた。
海岸線を無我夢中で走る。堤防の端を登って、後ろを見ながら歩んだ道を今度は全力で戻っていく。その先には、広大な田園地帯を彼方まで伸びる高架橋と、密集した町並みがあって、川沿いに、海を埋め立ててまで延命した巨大な滑走路が横たわっている。隕石迎撃基地の名残で、今はほとんど使われていない。
山に近い丘陵地帯に、いくつも風車が並んでいた。
ふもとの通りに面した場所には小さな家と、家よりも大きな倉庫が建っている。
表札に「立駒高原風力発電所管理事務所」とあり、その下へおまけのように「初島」の姓がくっついている。
有馬は、風車の管理を請け負う家の子だ。
だから、初島さん家の息子は、夜も凍る丑三つ時に転げ帰って来たことになる。父は寝床で身じろぎしたくらいだが、母の里子は目を覚ました。身を起こして変に思う。有馬は、夜中にこっそり家出したはずであり、机に今度も「旅に出ます。休み中に戻る予定」と書き置きを残していた。季節の境目になると、ふと思い立ったように有馬は冒険と称した家出をするのだ。でも一日未満は最短記録。幽霊でも見たのか忘れ物でもしたのか。年中縛り付けることはできないので、今はほぼ黙認状態だけれど、こんなふうに騒がしく戻ってこられてはたまらない。またきつく言い含めようと里子は静かに起き上がる。
そのころ、有馬は極度の興奮状態にあった。
有馬の部屋。冒険小説や歴史書、その他がらくた類に溢れ今にも床の抜けそうな鳥小屋に、頑丈で水にも強いリュックサックの中に、本物の宇宙人を捕獲したことが信じられないでいた。それは今もごそごそと動いている。
見間違いじゃないよな。何か別の小動物とかに──
頭を振る。あるわけない。自転車を食う小動物なんてどこにいるんだ。
ファーストコンタクトの台詞はどうしようと考えた。有馬は真剣に真剣に、今までになく真剣に考えた。ようこそ地球へ。こんにちは。友達になろう。びっくりさせてごめん。ワタシハチキュウジンダ。長旅ご苦労。地球人代表初島有馬である。貴殿の来訪を心より歓迎する。違う。もっとこう万人に訴えるような、切実でシンプルな──ええいめんどくさい。有馬はリュックを逆さにして中身をぶち、
「──あっちゃん何時だと思ってるの!」
抱きかかえてひっくり返った。
「……なにしてるの?」
いきなり入ってきた里子は、ものの見事に呆れた。
「そこに座りなさい」
そんな場合じゃないと思う。宇宙人を捕まえてきたのだ。これをみんなに見せて回って自慢しなくてはならないのだ。この際始めに見せる相手が母親でも構わない。宇宙人を捕まえた、なんて言ったら呆れを通り越して正気を疑われるだろうけど、信じられない話だろうけど、現物がここにあるのだから、堂々と鼻を高くできる。
「母さん! それよりこれ見てよ!」
里子が説教に入ろうとしたところ、リュックを逆さにして遮った。今度こそ、床にぶちまけられた携帯コンロ。コップ。釣竿。鍋。ナイフ。携帯食糧と鉛筆。
ぶんぶん振った。それ以上何も出ない。
床に押し付けると、リュックはぺしゃんこになった。
「──いない! なんで!?」
「これがどうしたの?」
何もできずに、有馬は黙りこくる。
その後、里子のお説教で完膚なきまでに絞られた有馬は、突然恐ろしくなって布団に入った。自分が見たものは紛れもない現実だったはずだけれど、それが妄想ではないという確かな自信が持てなかったからだ。変人扱いなら慣れていても頭がおかしいとは思われたくない。確かな証拠があればいいのに。そう思いながら床について、今度こそ寝ようと思い、
自転車。
確かな証拠。
自転車は、食べられたのだ。
目をゆっくり開けて。辺りを見回す。
四畳半の狭い部屋。有馬は木製のロフトベッドにいる。見下ろせば棚を溢れ積み上げられた数々の本。ぶちまけられたキャンプ道具。──鍋がなくなっていた。
真っ暗な部屋。誰もいないはず。徐々に闇に慣れていく目は、積み上げられた本の根元でごとごと動く影を捕らえる。
──もしかしたら、夢かもしれない。
今さら有馬は疑った。学校でTに冒険の話をして、わくわく気分で帰ってきて、約束の時間になるまで仮眠でも取っておこうと思ったのが実は全ての始まりで、約束をすっぽかされたのも、自転車を食べられたのも、宇宙人を捕まえて全速力で戻ってきたのも、母親に怒られたのも全部ぜんぶ刺激的な冒険を望んだ自分の、都合の良い夢だったのかもしれない。
ばり、ばり、ばり。
何かをちぎって食べる音が、耳障りなくらいはっきり聞こえる。
──夢だから何だってんだ。
夢だって、現実だって、自分のやることは変わりなかったはずだ。
意を決して、有馬はついに電気を点けた。
目が合った。
一方的に「合った」と思った。
何せ、そこにいるのが宇宙人だと思っていたし、まさか鍋に手足が生えて、ヤドカリみたいにカサカサと動いていたとは思わない。大きな口をあんぐり開けて有馬の冒険小説を食いちぎり、何食わぬ顔をしていたとは思わない。
「あ─────────────っ!!」
『キバリー船長の航海日誌』が食われていた。
部屋に置いていた、文庫本じゃない原本の方。それを鍋と一体化した(擬態化した?)宇宙人がバリバリと、せんべいみたいに食べていたのだ。有馬の宝物を。
飛びついて即座に本を奪い取った。「あーあーあーあー……」と力なく喚く。なんてこった。もう半分なくなっている。無理言って見つけてきてもらったのに。そして無理に譲ってもらったのに。秘蔵のブロマイド十枚と交換してもらったのに。
犯人は足元にいた。
有馬の顔を見上げて、げっぷーと息を吐いて「もっと無いの?」みたいな顔をしていた。
どういうわけか、そう感じた。
「おまえ、なにものだ!」
鍋は、不可解そうに首を傾げ、
「ハラ減っタ」
有馬は大いに錯乱した。頭に血が昇って驚いて感動して、笑いさえ込み上げてきて、わけが分からなくなったあと、一気に脱力した。宇宙人が喋った。すごい。すごいはいいが待って欲しい。怒りと興奮がないまぜになって、とりあえず一発殴らせてくれないかと思う。
動揺しちゃいけない。
「何なんだよおまえ! 本なんか食べて、人の自転車まで食べて、なのに腹減った? 食いすぎだよ宇宙人のくせに。それになんで鍋なんだよ!」
恨みがましさが先行した。混乱から抜け出せなかったようだ。
鍋と一体化した身体から、ぽん、と頭が生えてきた。
「食っチまった」
むちゃくちゃな生命体だ。
「ソレ、くれヨ。もっと欲しイ」
返事も聞かず、有馬の持っている本にかぶりつく。「あっあっあっ」と振りほどこうとするが、諦めと倦怠が押し寄せてきて、一気に抵抗する気が失せた。どうせもう読めない。
「マイ……ミャイ……ミャイ……うみゃい……うみゃい」
不意に異変が起こった。宇宙人の身体中を、黒い文字が這い出したのだ。
びっくりして、それが小説の中で使われている文章だと気付くのに、しばらくかかった。
様々な場面の文字が肌を這って循環していく。目を凝らして見ると、白い身体の表面に木目模様が浮かんでいた。
おかしい。変だ。よく考えたら自転車を食べたのに、そのまま持って来れたのもおかしい。食べたものは一体どこに吸収しているのだ。質量が変わってる? ブラックホールだって蒸発するのに、物理学の明日はどっちだ。
そのおかしさを、もう恐ろしいとは思わなかった。
本を食べ終わった宇宙人は「うめー。やべー」と呟いて、きょろきょろ辺りを見回していた。
有馬は手近にあったお気に入りの一冊を差し出す。
「くれんの?」
じっと、その「食事」の様子を観察する。
文字が身体を張っていくたびに、浮かび上がっていく不思議。未知の塊。目の前で起こっている。銀河系内ではありえない物質の変換。
有馬は三度目の同じ質問をした。
「ねえ、きみは、何なの?」
それはめんどくさそうに、片目だけ動かす(顔面がうごいた!)。
「んあ。オレっちはキバリーってんだよ」
「それ、小説の中の台詞……」
はしけ舟のようなボロ船で海を渡り、人に拾われては事件に首を突っ込んで引っかき回して、なぜか最後には解決してしまう、無精者のくせ人情家で自由気ままに生きるキバリー船長。
やっぱりそうだ。
こいつは、知識を吸収しているのだ。
ひとたまりもなく夢中になって、有馬はたくさんの本をその生き物に与えた。
「キバリーって宇宙人なの?」
「宇宙人? ばっかおめーイマドキそんなの流行んねーよ」
「じゃあ何さ。地底人?」
「とんでもねー。オレっちは神さまだよ」
とにかく話を合わせるために名前は「キバリー」で固定することにする。
「やっぱり地球を侵略しに来たの?」
「侵略ぅ? 人はね、日々何かを侵略して生きてるもんよ」
「見た目ロボットじゃん」
「うっせーうっせーばーか」
話しているうちに分かったことがある。
ものすごい、テキトーな性格なのだ。
これは恐らくキバリー船長の気性を踏襲しているものと思われる。子供っぽいところなんかソックリだった。たぶん鳥の刷り込みなんかと同じで、最初に食べた知識に大きく影響されているのだろう。こんなことならSF小説を先に食べさせておけばよかった。そうすれば、地球に来た目的なんかもスラスラ話してくれたはずだ。
そう、キバリーは宇宙人なのだから。
地底人や妖怪や天才発明家のロボットや古代文明の遺産や、色々と考えようはあったけれど、この世ならざらる法則で生きているものなら、やはり外宇宙人説が濃厚だ。地球を侵略しに来たのである。それか親睦に値するかどうか確かめに来たのだ。かつての人類なら即宇宙のごみとして焼き尽くされていただろうけど、戦争がなくなって久しく、日々の活力を生活に向けざるを得なくなった今なら、人も捨てたもんじゃない。頑張って、地球の良いところをアピールすれば宇宙人の保養地にでもしてくれるかもしれない。
そのとき、有馬にできることが決まった。
キバリーに、地球を見せてやるのだ。
自分はその水先案内人になるのだ。
「うー、もー食えない」
マンガみたい腹を膨らましたキバリーは、その場でごろんと横になった。
「そーやおまえ、名前なんてーの?」
「ぼく? ぼくは初島有馬」
謎の生き物と話しているのが、今さらになっておかしくなる。
「そ。んじゃオレっちは寝る」
「寝るの? 待てよ。まだ聞きたいことが……ておーい」
反応なし。聞く耳持たず。実に一方的にキバリーは眠ってしまった。
現実感が戻ってくる。本に囲まれた部屋、足元にはキバリーがいて、ロボットみたいな外見ですぅすぅ寝息を立てている。触ってみると柔らかい。人肌に近い温度。
ここで自分も眠ってしまえば、すべてが消えてしまう気がした。
朝起きて、これが夢だったとき、立ち直れるだろうか。
そんなふうに考えながらウトウトしてしまう。考えても仕方のないことは考えない方がいいのだ。さほど心配もせず、有馬は落ちるように眠った。