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キバラナ  作者: 地藤零一
19/22

第四話ノ4

「こんなところで何をヘタっとる」

 格納庫の中は外ほど人が少ない。

 展示用の大格納庫と単機収納用の小格納庫で、騒音は天と地ほども違う。有馬はVIP待遇なのをいいことに機材の影でヘバっていた。

「キバリー捜してたら……酔った」

「またか。酔いやすい体質だな」

「雷電に乗ったときは酔わなかったのに」

「ありゃ俺の腕が良かったからだ阿呆。素人に乗せられてたら振動でえらいことだったぞ。雷電だからな」

 有馬は寝ぼけたような目で、半分身を起こした。

「次、トールジイの番だよね」

 前の試合でフォッケは負けた。午前の部のラストはシード組のトールジイだ。

「ヘルキャットが相手だ。大戦中は空中退避しても避けてたって話だな」

「正直なとこ、勝ち目どうなの?」

「単機空戦じゃハナシにならん」

 ぐでんと有馬はたっぷり煮込んだ白菜みたいになる。トールジイは前歯を見せ、笑い、

「ほかのやつが乗ったらな」

「……このかっこつけ」

 どうやったら、こんな爺さんみたいになれるのだろう。

「よく聞け。大戦末期は工作精度が落ちてた。内地じゃ燃料もロクなもんがない。大本営の命令で斜め機銃なんか付けなきゃならん。そういうハンデを全部とっぱらって軽荷重量で飛ばすんだ。機体をガソリンで磨くまでしたんだぞ。これで、負けに行くやつがいたらクズだ」

「トールジイって、戦争のときは子供だったんだよね?」

「それがどうかしたのか?」

「なんで、そんなに自信あるの?」

 押し殺すような笑い。

「紫電改は二つあった。憲さんの分と二郎さんの分だ。二郎さんが帰ってこなくなるまで俺は、この二人によく遊んでもらった。予備隊で空軍が立ち上がってから正式なパイロットにはなったが、その前からも飛べてたんだよ」

「え…………」

 それってつまり、

「トールジイも、軍にいたってこと?」

 事業免許は見せられたけれど、よく考えたらこんな不安定な時代に航空機で商売なんか成り立たない。事業免許は戦闘機パイロットならついでみたいに取れる資格だ。

「この雷電はな、俺がごく個人的に手に入れたもんなんだよ。宙ぶらりんになってた時代が長くて、就役して一年も使われなかったのに、いきなりジェットエンジンに転換だ。教導用にゃもちっと使い勝手のいいやつ余ってるってんで、エンジン外して廃棄処分されそうだったのを、俺が引き取ったんだ。二郎さんみたくは飛ばせなかったが、初めて自分の乗機ができたみたいでやたら嬉しかったな」

 昔を懐かしむように目が細められる。

 有馬はまた一人だけ置いていかれたような気分だった。トールジイがどんなふうに生きて、誰に憧れて、何を楽しみにしていたのか、知る由も無い。人の悪さは一級品だが、親しみやすいくせに、踏み込めない面もある。

 それがわかれば、もっと仲良くなれるのだろうか。

「トールジイは、キバリーからなんか貰ってない?」

 一瞬ぎょっと目を剥かれた。

「お前……いや違うか」

「なんだよ」

「俺が言うのもなんだがな、あいつに頼るのはもうやめにしろ」

 突き放すように冷たく言われた。

「俊郎のいないあいだに基地の燃料タンクを満タンにした。簡単な素材も作ってもらった。俺が矢面に立ってるからいいが、俺のいないところでこれ以上何かしたら、あれだ、バレて解剖とかさせられるぞ」

 ふざけているように聞こえる。トールジイはこんな言い方しかできない。

 それはきっと冗談ではなく、至極真面目な忠告なのだろう。

 キバリーの力を使えば、要するに、金になるのだ。

 言い方を変えれば、代償無しで生産力が無限に跳ね上がるから、悪い大人がやってきて利用される。そんな漠然として現実感のない空想が、いとも容易く現実になってしまうのだ。

 今だってそれに近いことをやっている。

 言い訳は用意してあった。今回限りの特別なこと。他人を納得させられるだけの理由も全部トールジイが用意してくれた。

 それでも、小さな針の刺さったのような不安が、疼くようにずっと残っていた。

 いつか欲に目が眩んで、キバリーのことを道具みたいに扱うことがあるかもしれない。

 そうなるのが、有馬は怖いのだ。

「時間だ。行ってくる」

 メットを取って、トールジイは容赦なく行ってしまう。鷹揚な後姿。

「お前がこの祭りをやりたかったから、色々やれてきたとは思わん。こんなのは暇潰しだ。暇潰しにどれだけ力を使えるかってのが人生の分かれ目だがな」

「何……いってんの?」

「賭けをしないか?」

 振り返りもせず言い放つ。

「俺が優勝したら、キバリーは俺に預けろ。俺が自由に使う」

「な…………」

 開いた口が塞がらなかった。

「だがもし俺が一度でも負けたら、お前の願い事をなんでもひとつ叶えてやろう」

 不敵に、魔人みたいなことを言うのだ。

「ヤツを見つけてこい。見つけて、このことを話せ。あとはそれからだ」

 暇潰し。人生のヒマつぶし──

 キバリーも、同じことを言っていた。



 雷電の活躍は相当なものだった。

 因縁の敵であるヘルキャットをいいように振り回して、終始ペースを握って、相手の疲れた一瞬の隙に背後へ回り込み、見事決着を付けた。見た目も派手な戦い方で観客ウケはすさまじく、その反動でか午前の部が終わると、弛緩したような空気が会場を漂うようになった。

 有馬は至るところでキバリーの行方を捜して回った。みんな空のパフォーマンスに夢中で、誰もそんな子は見ていないと言う。

「あーりまっ!」

 有馬は、虚ろな目で振り返る。

「うわっ! 何その顔! 具合悪いの!?」

「なんだ、セリ姉か……」

「なんだとは何よー! せっかく抜けてきたのに!」

「キバリーかと思ったから」

 ふぐみたいに膨れる。

「約束したでしょ! 午後は一緒に回ろうって」

「うん、でも、もう相当回ったんだよ……疲れた」

「なによなによー! 私なんて昨日からリハーサルとかでヒマなかったのに! 付き合ってくれたっていいじゃない! ばか有馬! ええい強制連行ついてきなさい!」

「はしゃぎすぎ……」

 ぐいぐい引っ張られるので、有馬は仕方なく付き合うことにした。

 昼時真っ盛り。露店が行列を作るほど繁盛している。

「有馬といると財布いらない!」

 行く先々で歓待されて、食い物を押し付けられる。たこ焼き。焼きそば。クレープ。豚汁。ジャンバラヤ。ドネルケバブ。カキ氷。セリナは、この祭りに出ている露店を全部制覇してやろうという勢いで、食べ歩きツアーを続けた。

「そうそう。私こないだすごい量の鍋拾ったのね」

「ナベ? なんでまた」

「わかんない。たくさん捨ててあったから、一応私が引きとったんだけど、いらないから金物屋の富さんとこにあげたのね。でも、昨日話聞いたら倉庫から全部無くなってたんだって」

「ナベ泥棒……盗むならもっとマシなもんなかったのかよ」

「そうそう。変よね~」

 じーっと見られていた。青海苔でも顔に付いてるのだろうか。

 駐機場を端まで歩くと、滑走路脇の野っ原に、アメリカの戦闘機が日干しにされているのが見えた。手に手にペンキのコップを持った子供たちに群がられている。脇に『ちびっ子限定! 落書き大会』と、のぼりが立っている。

「あれ、私もやりたいなぁ」

「セリ姉、でかい」

「お祭りなんだから細かいこと気にしない! ぶれいこーぶれいこー」

 チビっ子たちに混じってセリナは思う存分筆を振るった。横で受付をしていたらしいパイロットの人が涙目でペンキを注いでいた。

「あー遊んだ! ちょっと休憩しよ」

 大の字に寝転がってしまうので、いい加減有馬は呆れる。

「セリ姉、はしたないですよ」

「いいじゃない。有馬も転がろう?」

 号砲が打ち上げられる。

 どこかの露店がラジカセでチャチな音楽を垂れ流している。

 人の流れは絶えることがない。駐機場いっぱいを使って、大人も子供もあっちこっちに回って遊び場を探し歩いている。

 セリナの隣に腰を下ろした。

「お祭りねー」

「苦労したよね。ここまでするのに」

「そーそー! みんなで並んで草むしりしたり地面平らにしたりご飯作ったり、私けっこう働きものじゃない? 家政婦とか向いてたりして」

「いいお嫁さんになれるよ」

 強い風が吹き抜けていった。

 太陽が真上にある。影は墨のように黒々としていた。休むなら、日陰のあるところがいいな、と有馬が思い始めたころ、セリナがぽつりと言った。

「私、無理してるように見える?」

 目が合う。見下ろすかたちで。

 そこには、紛れもない、不安の色があった。

「知ってる? お爺様がね、初島の家には恩があるから、自分の娘を嫁に出そうとしてたの。それって私のお母さんのことだったんだけど、鉄平さん、急に別の人と結婚しちゃったんだって。お爺様ってああ見えてすごい義理堅いんだから、怒っちゃって」

 知らない。

 じゃなくて、どうして、急にそんなこと。

「だから、子供がだめなら孫にって、どうしても恩を返したかったみたいなの。私のお爺様と、初島の家のあいだに何があったのは知らないけど、それほど大きなものだったのね。それで、生まれる前から期待されてたのが、千愛ちゃんと、私なのね」

 絶句した。

 セリナは、有馬の動揺も気にせず続ける。

「遊んでるように見えて、こういうことにはすごく厳格なの。それに反発したのがお父さんの世代で、鉄平さんなんてすごく反発したんだって。だから二人仲悪いのね。有馬は嫁ぎ先を勝手に決めちゃうなんて、古い考え方だと思う?」

 かろうじて、頷けた。大人の決まり事を煩わしく思わない子供なんていない。

「私はね、先に生まれたから、そういう意味で期待されてたの。そういうものなんだって受け入れてたし、私も嬉しかったし。まだ五歳くらいだったのにお嫁さんに憧れてたのよ。すごいでしょ? 有馬が物心ついたのって、いつごろ?」

「同じくらい、かな」

「じゃあ、やっぱり、憶えてないか」

 ごそごそと、尻のあたりを探っていたかと思うと、取り出したのは栞だった。

 あっと思ったときには、もう遅かった。



 泣いている子供がいる。

 石ころだらけの広い川辺で、一人で、ひどいべそをかいて、何かを一生懸命捜している。

 足にたくさん擦り傷があった。

 今日できたものばかりじゃない。探しながら何度も転んで、傷を作って、その上からまた傷を作って、痛みに耐えながらずっとここで捜し物をしていたのだろう。枯れてしまいそうなほどの涙が、跡になるまで流れていた。

 空が紫色に染まり、影は暗がりへ溶けていく。

 子供の目にはもう何も映っていない。

 泣き疲れて、歩き疲れて、岩の上にへたり込んでいる。瞳に映る対岸は意識を素通りしているに違いなく、擦り切れてもなお千切れることのない執着が、子供を岩場に縫い止めていた。

「ここでなにしてるの?」

 後ろに少女が立っていた。

 幼いという点では何も変わらない、幼稚園だったら年長組くらいの女の子。

 なのに、とても大人びた目で、へたり込んだ子を見下ろしている。

「お父さまとお母さまがさがしてたよ。いっしょにかえろう?」

 この女の子は、セリナだ。

 透き通るみたいに綺麗な髪を、腰までまっすぐ伸ばしていた。今ではちょっと想像つかないくらい女の子らしい女の子のセリナ。

 岩場の子供が顔を上げた。

「……いないよ」

 わかってる。

 こいつが有馬だ。

 どうしようもないハナタレだった。

 人に言われないと何もできない愚図で、そこくせ一度やり始めると周りが見えなくなるくらい熱中して、いつの間にか一人になって、挙句迷子になるという親泣かせなガキだった。駐在所の世話になったのは一度二度じゃ済まされないし、自分の苗字と電話番号はいち早く覚えさせられた。

 今だってきっと、自分だけおいてけぼりにされたとでも思っているのだろう。

 セリナは夕暮れ時に朝顔が花弁を閉じるように、悲しげに目を細めた。

「お姉ちゃんは、もういないの」

「どうして?」

「知らないところに行ったから」

「かえってくる?」

「わからないの。だから、みんなでさがしてるの」

 幼い有馬の顔は、くしゃくしゃに歪んでいく。

「アリマは、もう泣いちゃだめだよ」

「でも、おねえちゃんいないよ」

「うん。だから見つかるまで、わたしがアリマのお姉ちゃんになるから」

 頭を撫でて、あやして、いつまでも泣き止まない有馬と手をつないで帰った。

 半年後の雪の降る日に、葬式が執り行われた。

 それから、有馬はたびたび一人でいなくなる事が増えていった。保育所でも、小学校でも、課外授業があるたび、ふとした隙にいなくなる。何度注意されて叱られて拳骨を食らって正座させられても、夢遊病者のようなクセは無くなる事がなかったらしい。

 理由を訊くと、決まって「わからない」と答える。

 有馬は、姉の存在を忘れていた。

 周りの大人は事情を知っていたし、無理に思い出させることは、有馬にとっても良くないだろうと皆で示し合わせていた。対策としては、引率者が特に目を光らせておく事どまりになる。

 しかし、有馬は注意をすり抜け、霞のように消えてしまうことが続く。

 頭を悩ます大人たちと違って、セリナは違う考えを持っていた。

「有馬はどうしてすぐいなくなるの?」

「わかんない……」

「いいえ、わからないくないわ。有馬は、宝物を探しているの」

「宝もの?」

「そう、それを見つけられたらみんなに自慢できて、たくさん誉めてもらえるもの。有馬はそれが欲しくて探してるのに、全然見つからないから、どうして自分が探してるのかも忘れちゃうのよ。わかる?」

「なんとなく」

「どうして見つからないか、わかる?」

「……ばかだから?」

「違う! 有馬が弱いからよ。宝物を見つけるためには、いくつもの困難を乗り越えていかなきゃいけないの。有馬はその方法を知らないのよ」

「どうすればいい?」

 幸い、セリナは本屋の娘だった。

 本に書いてあることをメモして、不慣れな釣り具を扱ったり、アオイソメの頭をちぎって釣り針に通すという偉業も成し遂げた。冒険小説をたくさん読んで、読みやすいものを有馬に聞かせて、ときには買い与えたりした。

 スカートをやめ、ジーンズを穿き、梳き下ろした長い髪もばっさり切ってしまった。

 そしてある日、まだ有馬に知らせてもいなかった、取り決めの破棄を申し出たのだ。

「何故だ?」

 まるで解せんといった感じにトールジイはむっつり腕を組む。

「お前が有馬に良くしているのは、有馬のことを慕っていたからだろう?」

「そうです。これからもそれは変わりません」

「だったら何故だ?」

「先を歩いて引っ張るのと、横に並んで歩くのは違います。有馬にとって私は姉です。あの子がこの先道を踏み外さないように見守るなら、私は姉であり続けたいと思います」

 彼女の固い決意に、トールジイは折れた。

「道か。……それを決めるのは有馬だろうに」

 存在しない何者かをいつまでも追い続ける有馬を、もっとも心配していたのはセリナだった。

 そうやってセリナは教え続けた。怪我をしない歩き方を、凍えない夜の過ごし方を、食べられる野草の在り処を、素晴らしい冒険の日々を。

 根気よく、刷り込むように。

 はじめからそうであったように。

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