第三話ノ2
流星祭りの計画における最重要課題がパイロットの確保であることは明らかで、そのためにトールジイは各方面への働きかけを行っていたらしい。
が、そこでトラブルが発生した。
「国外線が使わせてもらえん」
現在、通信インフラの未整備は地方の抱える小さくない問題のひとつである。
内地なら無線で何とかなる。電話も役場に行けば使える。ただそれが海外となると、面倒すぎる手続きがいるし、用意が済むまで何日もかかるうえ莫大な費用を請求される。私用ではまず使えない。隕石危機以降はどこもこんな状態で、中継アンテナは維持できないし電話線は引けないし、唯一まともなインフラを整えている首都さえも、民間人が使うとなるとローカルネットワークが限界という有様だった。天気に左右される無線はいざというとき役に立たないのだ。
「パラボラを借りようと思う」
基地の管制塔からトールジイは山の手を指差した。
山を越え、太陽光発電地帯も越えて、高架橋に沿って北へ北へと上っていくと、侵食に襲われて水没した都市部がある。かつて立駒で街と行ったら、そこにある駅周辺の繁華街を指していた、この地方の中枢だった街。
そこにあったテレビ局の通信設備を拝借しようというわけだ。
ただの無線なら長波だろうが短波だろうが、外国の、それも意図した相手と交信するには偶然に頼るところが大きい。だが衛星があれば話は違う。隕石危機のドサクサでほっとかれている民間衛星なら付け入るスキがある、という話。
「それって犯罪じゃないの?」
有馬が訊いてみると、トールジイはニカっと笑い、
「昔は銅線抜いてよく稼いでたもんよ」
堂々と語った。(犯罪)
俊郎が手を上げた。
「レシプロ機パイロットなら国内にもいるのでは? 海外の知人に頼まなくても基礎訓練は皆受けているはずです」
「ヒマな空軍パイロットの調達ぐらい簡単だが、あまりこういうことはデカイ組織に頼みたくない。公になれば面倒が増える。あと一基エンジンも欲しいしな」
部隊が編成される。
まず通信機器取り扱いのプロフェッショナルである俊郎を筆頭にして、先導役のトールジイ。電気技師として有馬。
「そして全知全能たるオレっちの登場で!」
ジョーカーということで。
俊郎の特殊能力『職権乱用』の発動によって軍用ジープの使用許可が下りた。
現地の被害状況は定かでなく、長丁場が予定されるものの、時間はあまりかけられない。
最低限のキャンプ装備が必要になった。
翌日、朝一番。
「ヒャッホー! そこだ蹴散らせー!」
大興奮するキバリーの横で、ぶすっとした顔の有馬がシートにうずもれている。
横に流れる緑の風景。サスペンションがギシギシ唸り、乗馬の訓練かと思うほどケツがよく跳ねる。乗り心地は最悪の一語に尽きた。道が悪いのであって車が悪いわけではなく、いつの間にか乗り込んでいたチャイが悪いわけだって、もちろんない。
トールジイにはこう説明された。
「あれは地図を読むプロだ」
今日び地図なんか五年前のものが手に入れば良い方で、侵食によって出来た崖や分断された道が、ろくな調査もなされないまま風化していくのである。家出のプロである有馬は、身をもってそれを知っていた。
知っていても、納得できないから、むすっとしているのだった。
助手席は、有馬のポジションだったのだ。
「右です。道から外れて、林の中を迂回してください」
「おし解った」「突っ込めー!」
いっそうひどくなる車の揺れ。
隣りにいる俊郎は狙撃銃のスコープの調整をしていた。
「トシさん。酔わないの?」
「ん? ああ。昔はよく吐いたよ」
「昔って?」
「そうだね、呉から脱出したときが一番ひどかったな。四方八歩敵だらけでさ。味方がクーデター起こして口封じに殺されそうになるわ、敵は攻めてくるわ空爆はひどいわ弾なくなるわ。これがなかったら死んでたよ」
有馬は歴史というものを知らない。かつて国が縮んで領土が分裂しまくってしっちゃかめっちゃかになっていた、という話は聞く。そのときもう立駒は陸の孤島だった。およそ凄惨な戦いとは無縁でいられたのだ。
「ここがそうだとは思わないけど、人がいるかもしれないから。人ってのは怖いから。用心用心」
「川に出るので渡ってください」
「おい来た!」「いえー!」
水しぶき。鈍い衝撃。意識の影を蝕むようにざりざり襲い来る疼痛。込み上げてくる吐き気。
「……トールジイ、街まであとどのくらい?」
「心配するな! 16kmだ、真っ直ぐ行ければな!」
くらっときた。
チャイが横目で後部座席を覗いてくる。
至極平気そうな顔だったので、負けん気を起こして背を伸ばした。こんなもの酔ったうちに入らない。風邪っぴきのまま大雨に見舞われたときなんかもっと死ぬ思いだったのだ。舐めるな。
五分と保たなかった。
中継ポイントの電波塔につくなり有馬は林の向こうへ消えた。風光明媚な大渓谷に流れる一隻の船や、風車の国に横たわる花畑を想像してみると良い。
トールジイと俊明はさっそく変電設備の点検に入った。町のラインとテレビ局を繋げるためだ。
「動くのですか?」と、チャイ。
「動く。老朽化して使えなくなってるウチの基地と違って、使われる機会が無かっただけだから。台風で木が突っ込んだとか、落雷でショートしたとかなければね」
チャイは心許なく頷く。電気の事はよく分からなかった。
俊郎は計器を眺め、トールジイは変電所の中でがっこんがっこんレバーを上げ下げしたりやっていた。チャイは手持ちぶさたになる。周りの景色に目を移す。
キバリーは車を止めた瞬間「うきっ!」と鳴いて森に突っ込んでいったきり帰ってこない。ふるさとを思い出して野生に帰ったのだろう。水筒を持って、茂みに消えた有馬を追うことにした。見栄を張って酔い止めを飲まないあいつが悪いのだ。かっこつけても誰もほめない。非論理的で、ばか──
「……だめ」
小言ばかり出てくる。
仕方ないのだ。
有馬は車の移動なんか初めてだっただろうし、道の悪さは天下一品で、自分だって始めのうちは酔いに悩まされたのだから。こんなときは思いやりの精神で接してあげなければならない。そう自分に言い聞かせて、深呼吸して、
「──有馬。大丈夫ですか?」
茂みの向こう。木に額をつけて有馬はしゃがみ込んでいた。
吐いてない。顔色だけは青い。
「吐いたほうが良いです。我慢して治るものでもありません」
「チャイはさ」
背中を向けたまま、有馬は言った。
「どうして来たの?」
余裕の無い声だった。
けれどそれが、あらかじめ用意されていた言葉であることは、わかった。
唇を濡らして間を持たせる。理論武装はしてあった。
「お爺様に頼まれたからです」
「それだけで?」
「……不可解ですか」
「どうしていつもいきなりなんだよ」
「それは、有馬が」
「なんだよ」
「…………」
まっすぐな目に、見透かされている気がした。
ふいと有馬の方から目線が逸れる。
「笑いたかったら笑えばいいだろ」
「ちが」
「もういいよ。平気だから」
有馬は、根本的に誤解している。誤解したままいつも人の脇をすり抜けて行ってしまう。
それは、たぶん、自分も言葉足らずだから。
もっと話したいのに。ちゃんと知ってもらいたいのに。
林の奥から枝葉を身に付け、カモフラージュしていたキバリーがぬっと出てきた。
「ひゃう!」
「どったん?」
「あ、あなたは空気を読んでください!」
引き返した。早足になる。恥ずかしくてイラついて、こけそうになった。
有馬は子供だ。
ばかあほまぬけ。
昼を過ぎたころ、繁華街跡に入った。
ガードレールのすぐ下に打ち付ける波しぶき。視界の果てまで広がる海。そこから煙突みたいにビルがいくつも生えていた。
逃げ水の浮かぶ道の先、真っ黒コゲになるまで焼けた麦藁帽の爺さんが、釣り竿片手にぶんぶんと手を振ってやって来る。
「うおおおおおーい! 待っとったぞおおお!」
拓海だ。
拓海はトールジイの兄で、漁師である。そして漁師であるからには自前の船を持っていた。目的地のテレビ局が水没しているから、そこまで運んでもらう予定だった。
ケチな漁船に機材を運んで、すぐ出航となる。
「昔はなぁ、ここの南に港があってよ、そこら一帯工業地帯で釣れてもヒトデぐらいだったもんよ。沖に出なきゃ大物なんて釣れねえ。こんな綺麗な海がだぜ? 潜ってみろよ今じゃーすっかり竜宮城だ」
緩く舵を取りながら、大声で話している。
「建物があるとなぁ、面白れえことに潮の流れが迷路になるんだな。満ち干きでちとコースが変わるが、覚えちまえばエンジンなしでもここら一帯一巡できるんさ。どういう具合でかそうなっちまった。だから道に迷っても元の場所に戻ってくることがあるんだな」
リゾート施設にあるプールなんかを有馬は想像した。昔はそんなのがあったらしい。
「だからオレは考えた! ここを観光地にしてひと儲けできねえかってな! 都に住んでるやつらは海なんか一生見ねーで育つみてぇじゃねえか。純粋培養ってこえーな。人も動物なんだからお日様の下で自然の恵みをかっ食う幸せってやつを知ってほしいもんだぜ。そのためにゃオレみたいな船乗りがいるのさ。そうだろ有馬!」
「そうですねー」
そうだろグハハとやかましい。トールジイは泰然と海に釣糸を垂らしており、チャイは地図と面突き合わせ、俊明はライフルを構え形而上の敵を次々とあの世に送っている。キバリーがサンなんとかに心を置いてきたとかいう意味の歌を絶望的に外れた調子で歌っている。
有馬はそのとき物思いにふけっていた。
立駒では「外に出て何になる」と言われるのに、こういう爺さんたちもいる。彼らは外に出て何になるのかちゃんと自分の考えを持っていて、それが周りからも認められている。
何が違うのだろう。
自分と、この人たちの違いは。
分からない。
けどはっきりと違いを感じた。
外に出て冒険するのが、かっこいい男の生き様みたいに思ってきた。
なのに、そう思えない人もたくさんいるのだ。
そんなのはつまらない。
けれど──
景色を眺め続ける。
旅の途中で何度か見たはずの、どこにでもある廃墟の町並み。
有馬にはそれが、静謐さをたたえる神社や、霊妙な山の洞窟と同じように映った。
ヤーコや、ほかの大人たちが、冒険ゴッコと言って眉をひそめる、有馬にとって遊び場は、彼らの故郷だったのかもしれない事に、ふと気付いた。