第75話 復活
エシュは剣をしっかりと握りしめ、マルキエルを睨みつけながらも、常に周囲の状況を冷静に確認していた。
(シュオ様は怪我の治療中......ヨーカス様とそのお仲間の方達は立ち上がれないでいる......状況はこちらが分が悪いか......)
頭の中では瞬時に戦況を分析するが、その表情には一片の動揺も見せない。
「人間よ。やめておけ。お前一人では私には勝てないぞ。周りを見れば分かるだろう。」
「状況は把握した。だが、ここでお前をなんとかしないといけないようだからな。」
エシュの言葉に迷いはなかった。それは、セーレン家に仕える者としての、揺るぎない覚悟だった。
「そうか。ならばお前にも圧倒的な力の差というものを教えてやろう。」
マルキエルは再び剣を構える。
その姿は一瞬でかき消え、次の瞬間にはエシュとの距離を詰めていた。
エシュはその尋常ではないスピードに目を見張りながらも、反射的に剣を振るう。
大剣をうまく受け流すと、マルキエルに向かって強烈な蹴りを放った。
「ぐっ...!」
その蹴りは、これまでの戦いで誰も届かなかったマルキエルの体に、初めて触れた。
圧倒的な存在として、人間を見下していたマルキエルの表情が、初めて驚愕に変わる。
それは、自分が「下等な種族」と蔑んでいた人間に、初めて土をつけられたことへの衝撃だった。
「うおぉぉ!!」
豪快な雄叫びとともに、エシュが剣を振るう。
その剣筋には、護衛戦士としての確かな技量が宿っていた。
マルキエルはそれを受け止めることなく、後ろに大きく飛んで避けた。
「逃がさない!」
エシュがさらに追いかける。再びエシュの剣がマルキエルを斬らんと振られる。
「人間が...調子に乗るな!」
マルキエルは咄嗟に右手を突き出すと、詠唱もなく光の球を作り出し、それをエシュ目掛けて投げつけた。
エシュはその圧倒的な速度の攻撃に、咄嗟に横っ飛びで避ける。
光の球はそのまま飛んでいき、校舎に直撃し、凄まじい爆音とともに爆発させた。
「人間が...この私に触れただと...この3000年、ラムジュ以外に私に触れることができる者はいなかった...それをこの女がやっただと...」
信じられないといった様子で、マルキエルは己の腕を見つめる。
「教えておいてやろう。人間というものは、誰かを守ろうという強い想いがある時、普段以上の力が沸いてくるのだ。私は今、セーレン家の人間として、シュオ様達を守らなければならない!」
「それが人間の強さか......第四世界の下等な種族として馬鹿にしていたのは詫びよう。一人の戦士として、私はお前と真剣に剣を交えてみたくなった。」
マルキエルはそれまでとは一変して、剣をしっかりと構えてエシュを見る。
その目には、先程までの侮蔑の色は消え、ただ一人の戦士として、目の前の相手を捉えていた。
「人間、もう一度名前を教えてもらえるか。お前の名は、しっかりと覚えておきたくなった。」
「エシュ・ホランド。これが私の名だ。」
「ありがとう。ならばエシュよ、この第三世界の守護騎士団団長、マルキエルがいざ参る!」
マルキエルのスピードがさらに早くなった。
一瞬でエシュの前に立つと、剣を振るう。
エシュはそれを間一髪で受け止めると、その剣の威力を利用して、舞うかのようにマルキエルの右に回った。
素早く斜めに剣を振るが、その剣はマルキエルの右腕につけられた固い小手で受け止められる。
その腕で鋭い裏拳を振るうと、それはエシュの右脇腹に深く入った。
「ぐっ...!」
一瞬息が詰まり、エシュの動きが止まる。
そこをマルキエルは見逃していなかった。トドメを刺さんと、左手で持っていた剣をエシュ目掛けて振り下ろす。
だが、そこに横から氷の魔法が飛んできて、マルキエルの剣を弾いた。
「なんだと!?」
その方向を見たマルキエルの先には、傷だらけになりながらも駆け付けたガイア、カイル、リーザの3人の姿があった。
「エシュさん! 大丈夫ですか!?」
「カイル様...リーザ様...それに、あれは前の生徒会長...?」
エシュはマルキエルと距離を取ると、3人の元に駆け寄る。
「あなた方、危ないから下がってください! あいつはあなた方では危険すぎます!」
「エシュ・ホランド、確か過去最強の冒険者と言われたお前がそこまで言う相手か。ならば余計に戦ってみたくなった。」
ガイアはそう言うと、剣に魔法を込め始める。
その魔力は、かつてラムジュと戦った時よりも、共に魔獣と戦った時よりも、遥かに高まっていた。
ガイアも卒業後、騎士団に入り、その力をさらに磨き上げてきた。
全ては、ラムジュと肩を並べられる男になるために。
そして今、そのラムジュを打ち負かした目の前の相手に、自分の力がどこまで通用するのか、試してみたくなったのだ。
一方のマルキエルは、怒りに震えていた。
3000年ぶりに真剣に戦っていたところを、横から邪魔されたのだ。その怒りは計り知れないものだった。
「...貴様ら...この私の神聖な戦いを邪魔するなどあってはならない! 私とエシュの戦いは、この二人だけのものなのだ!」
マルキエルは手に持つ大剣に魔力を込める。そしてその剣を振るい、魔力の刃を四人目掛けて飛ばした。
「舐めるな!」
それをガイアは真っ向から受け止める。
魔力と魔力のぶつかり合い。
それはより魔力が高い方が勝つ。
天使の魔力と人間の魔力では、その絶対量が違う。
いくらガイアが特訓を重ねてきたといえども、その差は決して埋められるものではなかった。
ガイアの持つ剣は、まるでガラス細工のように砕け散り、光の刃はガイアを横一文字に切り裂いた。
魔法剣のおかげで致命的な傷にはならなかったものの、そのダメージは大きく、ガイアはその場に崩れ落ちる。
「会長!」
倒れ込むガイアを、カイルが間一髪で受け止める。そして横からリーザが、震える手で懸命に治癒魔法を唱え始めた。
「奴は...あんな...とてつもない魔力を持っているのか...」
その光景を見たエシュは、初めて全身が震えるという経験をする。
これまでどんな困難な状況でも、体が震えることはなかった。
だが、今この時ばかりは、剣を持つ手がガタガタと震え、足もガクガクと震えていた。
「私の尊厳をも傷つけるとは、やはり人間は滅ぼすべき存在だったようだ。もはや容赦はしないぞ。」
マルキエルは一歩ずつ、ゆっくりとエシュたちに向かって歩みを進める。
もはやこれまでなのか、エシュが諦めかけた、その時だった。
「エシュさん達を、やらせない!」
横からマルキエルに飛びかかったのは、傷の治療を終えたシュオだった。そしてその手には、ヨーカスからもらった一本の短剣が握られていた。
「シュオ様!」
シュオは短剣をマルキエルに振り下ろす。それをマルキエルは、軽々と見切ってかわした。
「ラムジュの器か...だが今となっては、お前ごときでは私の相手にはならん。そこの人間どもと同様に、消え去るがいい。」
「そんなこと、させるわけないよ。」
シュオは懐から一本のビンを取り出す。
そしてその中に入っていた薬を一気に飲み干した。
途端に、シュオの魔力が急激に高まっていく。
その高まりは止まることを知らず、シュオの体を眩い光で包み込んでいった。
「なんだ...? 何が起きていると言うのだ...?」
「これが...僕たちの...最後の武器だ!」
魔力の中で叫ぶシュオ。
そしてその魔力が限界まで達した時、光は大きく爆発した。
その爆発に、地面が、周りの木々が、そして校舎の一部が吹き飛ぶ。
立ちこめる砂埃。
それがおさまった時、マルキエルの前には二人の姿があった。
「おお......まさか......」
シュオと同じ顔、同じ背格好をしてはいるが、間違いなく人間よりも遥かに高い魔力を持つ存在。
その視線は、ただマルキエルを捉えていた。
「マルキエル、ここからは俺とシュオが相手をしてやる。決着をつけようか。」
「貴様、やはりラムジュか! ついに復活したのか!」
シュオと分かれ、ついにラムジュがこの世界で、新たな体を持って復活したのだった。
その体は、二人の絆によって生み出された、最強の器だった。




