第74話 大事な弟
「人間...我に逆らおうと言うのか。」
マルキエルは受け止められた大剣に、嘲笑を含んだ力をさらにこめる。
「愚かな」という言葉が聞こえそうなほど、その力はヨーカスの持つ剣を軋ませ、彼の全身に重くのしかかる。
「...誰であろうと俺の大事な弟に手をかけようとするやつは俺が許さん。」
ヨーカスの目は、苦痛に歪みながらも、決意の色を宿していた。
彼は全身の筋肉を限界まで使い、剣を受け流すと同時に、マルキエルの体勢が崩れた一瞬を突き、懐に飛び込む。
「もらった!」
ヨーカスの叫びとともに、剣が横なぎに振るわれるが、マルキエルはそれを紙一重で後ろに飛び退いてかわした。彼の顔には、わずかながら驚きの色が浮かんだ。
「いいだろう。ならば先にお前を殺してからラムジュを殺してやろう。」
マルキエルは冷酷な笑みを浮かべ、手をヨーカスにかざした瞬間、周囲の空気が激しく渦巻き、見たこともない強烈な風がヨーカスを襲う。
「ぐっ…!」
吹き飛ばされそうになる体を必死に地面に踏ん張り、ヨーカスは風圧に耐えつつ、折れた剣とは別の、腰に佩いていたもう一本の剣を抜き構え続ける。
彼の体は悲鳴を上げていたが、その目はマルキエルをしっかりと捉えていた。
「ほう、これを耐えるか。」
「この程度で俺を吹き飛ばせると思うな。シュオは…絶対に守る…!」
ヨーカスは再びマルキエルに向かっていく。
足元は覚束ないが、その一歩一歩には強い意志が宿っている。
そして剣を大上段に構えると、全身の力を込めてマルキエル目掛けて振り下ろす。
「うおおおお!」
マルキエルは、その渾身の一撃を、信じられないことに剣ではなく、光を帯びた手で受け止めた。
「何!?」
ヨーカスの目が見開かれる。
「人間が作る武器など所詮この程度という事だ。私に傷をつける事も出来ない。」
マルキエルは嘲弄の色を深め、剣を握ると、信じられない握力でそれを握りつぶした。
金属が悲鳴のような音を上げ、無残な破片となって散らばる。
そしてマルキエルは、容赦なくヨーカスを蹴り飛ばす。
ヨーカスの体は、まるで落ち葉のように吹き飛び、シュオのそばまで転がっていく。
激しい衝撃に、ヨーカスの意識は一瞬遠のいた。
「ヨーカス兄さん!」
駆け寄ろうとするシュオを、以前に世話になったヨーカスのパーティーメンバー、屈強なドワーフの戦士アルグが止めた。彼の顔には深い悲しみと怒りが入り混じっていた。
「ア、アルグさん……どうしてここに?」
「異変が起きた時に、ヨーカスが真っ先に動き出してな。わしらも急いで後を追ってきたんじゃ。シュオ坊、お前さんは怪我の手当をしてもらえ。あいつの事はわしらに任せろ。」
「でも! ヨーカス兄さんじゃあいつには勝てない!」
シュオの声は震え、目には涙が滲んでいた。
「あんな…化け物みたいなやつに…!」
「シュオ坊……どうやらお前は何か大事な使命を背負っているようじゃな。だがヨーカスもお前と同じように、大事な物を背負って戦っている。お前を守るというな。」
アルグの言葉は重く、シュオの胸に突き刺さる。
シュオは、口から血を流しながらも立ち上がろうとするヨーカスを見る。
その背中は、何度倒れても立ち上がろうとする、不屈の意志を示していた。
ヨーカスは、腰に残ったもう1本の剣を、震える手で抜き放つ。
「シュオ坊、もしあいつを倒せるのがお前しかいないというなら、今は治療に専念するんだ。そしてあいつを倒せ。そのための時間を、わしらが稼いでやろう。」
そう言うと、アルグは重い足取りで立ち上がる。その後ろには、ローブを纏った魔術師イドネスが続く。彼の顔にも、覚悟の色が浮かんでいた。
二人はヨーカスの元に駆け寄り、マルキエルに向き直る。
三人の背中がシュオの目に焼き付いた。
「アルグさん…イドネスさん…」
シュオは、感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「シュオ、今はあの人達を信じて。私があなたを治療するから。」
エルフの術師フィエリッテが、シュオの後ろから優しい声で語りかける。
しかしその声には、わずかな震えが混じっていた。
「フィーアさん……」
「さあ、その折れた腕を出して。時間は少しかかるけど、必ず治してみせるから。」
フィエリッテはそう言うと、優しくシュオの腕に触れた。
シュオがおとなしく指示に従って折れた左腕をフィエリッテに見せると、フィエリッテはそこに両手をかざし、集中して治癒魔法を詠唱し始めた。
淡い緑色の光が、シュオの腕を優しく包み込む。
痛みが少しずつではあるが薄らいでいくのを、シュオは感じた。
しかし、目の前で繰り広げられる激しい戦いから、目を離すことができなかった。
「フィーアさん…ありがとうございます。」
シュオは、こんなにも周りの人間に自分が助けられているんだと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。同時に、自分も早く立ち上がり、皆と共に戦いたいという強い思いが込み上げてきた。
―――――――――
騎士団と天使の戦いは、終結を迎えようとしていた。
第一から第三までの騎士団が力を合わせ、天使の軍勢を次々と蹴散らしていく。血と光が舞う戦場に、勝利の兆しが見え始めた。
「隊長! あらかたの敵は駆逐しました!」
部下の報告に、ガイアは周囲を静かに見渡す。
立ち上がっている天使の姿はほとんどなく、人間側の勝利はもはや疑いようのないものだった。
「分かった。お前たちは引き続き残りの敵の殲滅にかかれ」
「隊長はどうするのですか?」
部下の問いに、ガイアは迷いなく答える。
「私は敵の親玉を叩いてくる。今、私の可愛い後輩が必死に戦っているからな」
その言葉には、かつて生徒会長として、そして今は騎士団長として、後輩を守るという強い意志が宿っていた。
「分かりました!」
部下は一礼し、再び残敵掃討のため乱戦の中に戻っていった。
「シュオ、今行くぞ」
ガイアが走り出そうとしたその時、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、傷だらけではあるが、その瞳にはまだ燃え盛る闘志を宿したカイルが立っていた。その後ろには、リーザも続く。
「どうした?」
「俺達も戦います! シュオのために!」
カイルの力強い言葉に、ガイアは一度目を細める。
「シュオを守ろうと言うその心がけはいいことだ。だが、相手はとんでもない化け物のようだぞ。死ぬ可能性もある」
「それでも!」
カイルは真剣な表情で叫んだ。
「シュオは…あいつは俺達の大事な幼馴染なんです! いつも俺たちを庇ってくれたあいつに、これ以上辛い運命を一人で背負わせたくないんです!」
リーザもまた、決意の表情で続ける。
「私もシュオ一人に戦わせるなんてもう嫌です! 今までシュオはラムジュと一緒に、たくさんの敵と戦ってきた。その度に私たちは、ただ見守ることしかできなかった。でも、もう違う! 今度は私たちも一緒に戦いたいんです!」
二人の想いは真剣なものだった。ガイアは彼らの顔をじっと見つめる。
その瞳には、かつて生徒会で共に過ごした、若く、ひたむきな日々の記憶が蘇っていた。
「…分かった。二人ともついてこい。ただし、相手は相手だ。自分の身は自分で守るんだ」
ガイアの言葉に、カイルとリーザは大きく頷く。
「「はい!」」
ガイアは再び走り出す。その後を、カイルとリーザも続いた。
彼らの心には、ただ一つ、大切な幼馴染を守るという強い想いが燃え盛っていた。
―――――――
一方、マルキエルとヨーカスたちの戦いは、あまりにも一方的なものだった。
イドネスが放つ強力な魔法は、マルキエルの周囲に張り巡らされた見えない壁に阻まれ、霧散していく。アルグの頑強な斧も、ヨーカスの鋭い剣も、マルキエルにはまるで届かない。
逆に、マルキエルが放つ一撃は、3人の体を容赦なく吹き飛ばし、追い詰めていく。
「まったく……とんでもない敵とシュオ坊は戦っていたんじゃな。」
息を切らし、血を流しながらアルグが呟く。その言葉に、イドネスも重い声で応えた。
「ああ、ここまで魔法が通じない敵は初めてだ……」
彼らの目に映るのは、絶望的な力の差だった。それでも、ヨーカスの目は決して諦めてはいなかった。
「……それでも、俺はシュオを守る。せめてフィーアがシュオの怪我を治すまでだけでも、時間を稼ぐ。」
そう言うと、ヨーカスは再びマルキエルに突っ込んでいく。それに呼応するように、アルグも立ち上がった。
「無駄なことをする人間だ。これまでで貴様らでは勝てないと、分かっているだろう。」
マルキエルは憐れむような目でヨーカスたちに手を向けると、詠唱を始めた。
「光の斬撃」
マルキエルの手から放たれたのは、まるで太陽の光を凝縮したような、鋭い光の刃だった。
それは、ヨーカスたちの目掛けて一直線に飛んでくる。
ヨーカスとアルグは、お互いの武器でそれを受け止めるが、光の刃は彼らの武器を紙のように引き裂き、二人の体を深く切り裂いた。
「ぐっ……!」
その場に崩れ落ちるヨーカスとアルグ。その姿を見たシュオは、フィエリッテの制止の声も聞かずに叫んだ。
「アルグさん! ヨーカス兄さん!」
「シュオ! まだ動いちゃダメ!」
今にも駆け寄ろうとするシュオを、フィエリッテは必死に抱きしめて止める。
「フィーアさん! まだ治らないんですか!?」
「焦らないで! 今ヨーカスたちが必死に頑張ってくれているのを、無駄にしないで!」
よく見ると、フィエリッテの目からは涙がこぼれ落ちていた。
自分の大切な仲間が目の前で傷つけられていく中で、何もできない。治癒術師として、その悔しさと無力感に彼女は耐えられなかったのだ。
「フィーアさん……」
その涙を見て、シュオははっとした。
自分だけが苦しいのではない。
皆、それぞれの立場で、苦しみながらも必死に戦っているのだ。
シュオはフィエリッテから振り向き、ただ、ヨーカスの背中を見つめた。
(ヨーカス兄さん……お願いだから死なないで……!)
その強い想いが届いたのか、ヨーカスは再び立ち上がった。
彼の体は満身創痍で、まともに立つことさえもままならない。
それでも、ゆっくりと、一歩ずつ、マルキエルに近づいていく。
「その体でもまだ起き上がるのか。その気迫だけは認めてやるぞ、人間。」
「……シュオは……弟は俺が守る……」
もはや意識ははっきりとしていないのかもしれない。それでも、ただ一つ、大切な弟を守りたいという一心だけが、ヨーカスの体を突き動かしていた。
「弟を守ろうという想い、天使の私としてはお前を尊敬する。せめて苦しまないように、一撃で楽にさせてやろう。」
ヨーカスの執念を感じ取ったマルキエルは、剣をしっかりと構えた。その姿を見て、シュオは再び叫んだ。
「ヨーカス兄さん! 逃げて!」
しかし、その声はヨーカスには届いていないようだった。
マルキエルはヨーカス目掛けて動き出す。
もはやヨーカスには、その姿が見えていなかった。
マルキエルはヨーカスの前に立つと、容赦なく剣を振り下ろす。
「ヨーカス兄さん!!!」
「ヨーカス!!!」
シュオとフィエリッテの悲痛な叫びが、戦場に響き渡る。
しかし、マルキエルの振り下ろされた剣の先から、ヨーカスの姿は消えていた。
「何?」
驚くマルキエルの背後で、ヨーカスを救い出したのは、ピンクの髪をポニーテールに束ねた女戦士だった。彼女はヨーカスを優しく地面に降ろすと、剣を構えてマルキエルに向き直る。
「危ないところでしたね、ヨーカス様。」
「また新しい人間か。」
「セーレン家護衛戦士エシュ・ホランド。シュオ様とヨーカス様は、私がいる限り死なせない。」
エシュは静かに、しかし確固たる意志を宿した瞳で、マルキエルを見据えた。彼女の剣は、まるで生きているかのように、かすかな光を放っていた。
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