第6話 シュオの魔法
漆黒の煙がもうもうと立ち込める魔術練習場。
第三位魔法『サンダー・ランス』の直撃を受けたシュオ・セーレンの姿は、その濃い煙の中に完全に掻き消えていた。
「シュオ!」
「シュオ君!」
カイルとリーザの悲痛な叫びが、静まり返った空間に虚しく響く。
マッシュは肩で息をしながら、忌々しげに煙を見つめていた。
その表情には、残忍な満足感と共に、やり過ぎたかもしれないという微かな不安が浮かんでいる。
練習場の隅で成り行きを見守っていた他の生徒たちも、息を呑んで煙が晴れるのを待っていた。
誰もが、煙の向こうにあるであろう悲惨な光景を想像していた。
やがて、ゆっくりと煙が晴れていく。そしてそこに現れた姿に、その場にいた全員が息を呑んだ。
そこに立っていたのは、シュオだった。
彼が着ていたサディエル王術学院の制服は、雷撃の熱で焼け焦げ、衝撃でズタズタに引き裂かれている。
白いシャツも所々が破れ、肌が覗いていた。見るも無残な姿だ。
しかし――服とは対照的に、シュオの体そのものには、傷一つ見当たらなかった。
火傷の跡も、裂傷も、打撲の痕跡すらない。
まるで、強力な第三位魔法の直撃など受けていないかのように、彼は平然とそこに立っていたのだ。
「…うそ…。」
「シュオ…無事、なのか…?」
カイルとリーザは、信じられない光景に目を丸くした。安堵と驚きが入り混じった表情で、二人はシュオの元へ駆け寄ろうとした。
だが、その足は途中で止まった。
シュオは俯いたまま、ピクリとも動かない。
まるで魂が抜けてしまった抜け殻のように、ただ静かにそこに佇んでいる。
その異様な雰囲気に、カイルもリーザも、そして周囲の生徒たちも、動きを止めてしまった。
シュオが動かないのを見て、マッシュの顔からも血の気が引いていく。
先ほどの自信に満ちた笑みは消え去り、焦りと恐怖がその表情に浮かび上がった。
(ま、まさか…やりすぎた…? 死んじまったのか…? いや、そんなはずは…でも、もし本当に…どうすれば…親父や兄貴に知られたら…!)
マッシュの頭の中で、様々な考えが混乱し、渦巻く。
第一貴族の次男という立場も、今は何の助けにもならないように思えた。
人を殺してしまったかもしれないという恐怖が、彼の心を支配し始めていた。
張り詰めた沈黙が、魔術練習場を支配する。誰もが、次に何が起こるのか、固唾を飲んで見守っていた。
その重苦しい静寂を破ったのは、他ならぬシュオの声だった。
「...ほう。お前ぐらいの年でこれだけの威力の魔法を使えるとは驚いたぞ。なかなか見どころがあるじゃないか。」
その声に、カイルとリーザはハッとして顔を上げた。
しかし次の瞬間、二人の足は完全にその場に凍りついた。
シュオの声は、いつもの内気で弱々しい響きとは全く違う、低く、落ち着き払った、まるで別人の声のようだったのだ。
そこには、底知れない深みと、絶対的な自信のようなものが感じられた。
ゆっくりと、俯いていたシュオが顔を上げた。
その口元にはかすかな、しかし明らかに嘲るような笑みが浮かんでいた。
焼け焦げた制服とは対照的な、傷一つない端正な顔立ち。だが、その瞳の奥に宿る光は、以前のシュオとは全く異質のものだった。
「人間を始末するなら、これぐらいの魔法で十分、といったところか。威力だけなら、まあまあだな。」
シュオはまるで他人事のようにそう言うと、ニヤリと挑戦的な笑みを深めた。
その表情、その声、その佇まい。全てが、マッシュが知っているシュオ・セーレンとはかけ離れていた。
マッシュは目の前の存在に対する本能的な恐怖に襲われた。背筋を冷たい汗が流れ落ち、体が震えだすのを止められない。
目の前に立っているのは、本当にあのシュオなのか?
あの、いつも自分が小馬鹿にし、いじめ抜いてきた、泣き虫で頼りない、第四貴族の落ちこぼれなのか?
違う。断じて違う。
今のシュオの瞳には、底知れない冷たさと、獲物を定める猛獣のような鋭い光が宿っている。
それは、格上の存在が格下の存在に向ける、絶対的な捕食者の視線だった。
「お、お前…なんなんだよ…!? どうして…どうして今の魔法を受けて、平気で立っていられるんだよ!?」
マッシュは震える声で問いかけた。恐怖で声が上ずり、情けない響きになってしまう。
シュオはマッシュの問いには答えなかった。代わりに、ボロボロになった右腕の袖を、まるで邪魔だというかのように、無造作にビリリと引きちぎって捨てた。
露わになった右腕の肌は、やはり傷一つなく、滑らかで白い。だが、その華奢に見える腕には、明らかに尋常ではない魔力が、まるで静かな奔流のように渦巻いているのを、魔力に敏感な者たちは感じ取ることができた。
それは、マッシュの魔力など比較にならないほど、強大で、深淵な力だった。
シュオはゆっくりと、しかし確かな足取りで、マッシュに向かって歩き出し始めた。
一歩、また一歩と近づくにつれて、シュオから放たれる威圧感が増していく。
マッシュは後ずさりしたい衝動に駆られたが、足が鉛のように重く、動かすことができない。
「…そのくだらない魔法で、いつもこの体を嬲ってくれていたそうだな。」
シュオの声は、静かだが、氷のように冷たかった。その声には抑えきれない怒りのようなものが微かに滲んでいる。
「あんまり、感心しないな。弱い者いじめというのは。」
シュオは、マッシュの目の前で足を止めた。その距離、わずか数メートル。
「だから、教えてやろう。本当の恐怖というやつをな。」
そう言うと、シュオは無造作に右手をマッシュに向けて差し出した。
「…お返しだ。」
そしてシュオは低く呟くと、魔術の詠唱を始めた。
それはマッシュが先ほど使った雷の魔法とは違う、しかし明らかに強力な魔術の詠唱だった。
シュオの詠唱を聞き、その場にいた全員が息を呑んだ。
「ま、まさか…あの詠唱は…第二位魔法!? しかも、雷属性…!?」
カイルが信じられないという表情で叫んだ。
第二位魔法は、学院の教師クラスでも扱える者が限られる、超高等魔術だ。それを、一年生であるはずのシュオが、こともなげに詠唱している。
詠唱が進むごとに、シュオの右手に、凄まじい量の魔力が集まっていく。
それは、周囲の空気中のマナを強引に引き寄せ、圧縮していくような、圧倒的な力の発露だった。
右手のひらの上に、眩いばかりの光の球体が形成され、みるみるうちにその大きさを増していく。
バチバチと激しい放電現象が起こり、空気が歪むほどの熱と圧力が周囲に放たれる。
「う、うわぁぁっ!」
「逃げろぉぉっ!」
その尋常ならざる魔力の奔流に恐怖した生徒たちが、我先にと魔術練習場の出口に向かって逃げ出し始めた。
「リーザ、危ない!」
カイルは隣にいたリーザの前に咄嗟に立ち、防御魔法の詠唱を開始した。
彼の覚醒属性は『氷』。必死の形相で、氷の壁を作り出そうとしている。
シュオの詠唱が終わった時、その右手には、もはや光の球体というより、小さな太陽とでも言うべき、巨大な雷のエネルギー塊が形成されていた。
それは、一年生の、いや、学院のどの生徒も扱えるような代物ではなかった。その存在自体が、常識を覆している。
「そ、そんなウソだろ…!」
カイルが愕然とした表情で叫んだ。
「シュオの覚醒した魔術属性は、『水』だったはずだ! どうして雷の、しかも第二位魔法を使えるんだよ!?」
この第四世界において二つ以上の属性を覚醒し、自在に操るなどということは、王国に数人しかいない宮廷魔術師クラスの、桁外れの魔力と才能を持つ者、あるいは、死をも覚悟するほどの過酷な修練を積んだ者にしか不可能とされている。
ましてや、学院の一年生が、適性検査で判明した属性とは違う、しかも第二位という超高等魔術を行使するなど、全くの論外、ありえない話のはずだった。
目の前の現実を理解できず、カイルは混乱していた。リーザもまた、恐怖と驚愕で顔面蒼白になっている。
一方、魔法の標的となっているマッシュは、シュオの手のひらの上に輝く、圧倒的な破壊のエネルギーを見て、完全に戦意を喪失していた。
恐怖に顔を引きつらせ、腰を抜かし、這うようにして逃げ出そうとした。
「さあ、悪ガキ。お仕置きの時間だ。」
シュオは冷酷な宣告と共に、右手のひらの上にあった雷の弾丸を、逃げ惑うマッシュに向かって放った。
光の弾丸は、マッシュの悲鳴を置き去りにして、信じられない速度で飛翔した。
それはマッシュの体を狙ったわけではない。彼の頭上すれすれを掠めるように、一直線に練習場の壁へと向かっていく。
そして―――激突。
ゴォォォォォォォンッッ!!!!
天地がひっくり返るかのような、凄まじい轟音が響き渡った。
Xは以下のアカウントでやっています。
フォローお願いします。
@aoi_kamiya0417
感想もお待ちしています。