第56話 もう1人のシュオ
カイルとマリア、そしてリーザの三人は、女子寮を飛び出すと、収穫祭で賑わう街の中心部へと、息を切らしながら駆け出した。
もし、本当に、本当にシュオが生きていたとしたら…。
その思いが、マリアの胸を激しく高鳴らせ、どうしようもなくなるほどの期待と不安が入り混じった感情が、彼女の全身を支配していた。
今の彼女は、手入れを怠ったボサボサの髪に、何日も着替えていないかのような、だらしなく皺の寄った普段着という、およそ貴族の令嬢とは思えぬ姿だった。
かつての、気高く、そして美しかった「学院の女王」マリア・ガナッシュを知る者が見れば、あまりの変わりように驚愕し、言葉を失ってしまうほど、その姿は酷いものだった。
(こんな、こんなみすぼらしい格好だけれど…それでも、私は、一刻も早くシュオ様にお会いしたい…! お会いして、この目で確かめたいの…!)
収穫祭の喧騒に包まれた街中を、まるで獲物を追う獣のように、周囲の人混みを強引に掻き分けながら、三人は一心不乱に走り続ける。
祭りを楽しんでいる人々は、何事かと、その異様な様子のマリアたちに怪訝な視線を向けてくる。しかし、今のマリアたちには、そんな周囲の目を気にしている余裕など、微塵もなかった。
ただひたすらに、カイルがシュオらしき人物を見かけたという、その場所を目指して。
そして、ようやく三人は、街の中心部から少し外れた、古びた一軒の酒場の前までたどり着いた。
店の前まで来ると、さすがの三人も、弾む息を整えるために、その足をぴたりと止める。
「…本当に、ここに、シュオ様がいらっしゃるの…?」
マリアが、肩で大きく息をしながら、震える声でカイルに尋ねた。
その瞳には、期待と、そしてもし違っていたらという恐怖の色が、ありありと浮かんでいる。
「ああ、間違いない。俺が、さっきここに来た時に、確かにこの店で見かけたんだ。あの後ろ姿は、どう見ても、シュオ本人だった。」
カイルの確信に満ちた言葉を聞くと、マリアはもはや一刻の猶予もないとばかりに、何も言わずに、勢いよく酒場の古びた木の扉を開け、中へと入っていった。
収穫祭の真っ最中ということもあり、薄暗い店内は、昼間だというのに大勢の客でごった返し、酒の匂いと人々の陽気な話し声、そして吟遊詩人が奏でる賑やかな音楽で満ち溢れていた。
その喧騒の中を、マリアは、まるで何かに取り憑かれたかのように、必死の形相で、カイルが言っていたシュオらしき人物の姿を探す。
その時だった。
彼女の目に、カウンター席の隅で一人静かに酒を飲んでいる、一人の男の後ろ姿が飛び込んできた。
服装は、シュオがいつも着ていた学院の制服ではなく、旅慣れた冒険者が好んで身につけるような、動きやすそうな薄手のシャツに、使い込まれた革製の鎧を重ね着している。
しかし、その肩幅や、少し猫背気味の姿勢、そして何よりも、その髪型は、紛れもなく、マリアが愛してやまなかったシュオ・セーレン、その人のものだった。
髪の色が、シュオの艶やかな黒髪ではなく、月光を思わせるような美しい銀髪であることだけが、唯一の違いだった。
マリアの手が、小刻みに震え始める。その震えは、やがて全身へと伝播し、まるで自分の体ではないかのように、思うように動かすことができなくなる。
「マリア、大丈夫…? 無理はしないで…。」
マリアのただならぬ様子に気づいたリーザが、心配そうに声をかけながら、そっと彼女の肩に手を置いた。その手は、温かく、そして力強かった。
マリアは、リーザの気遣いに小さく頷くと、深呼吸を一つし、震える足取りで、ゆっくりと、そして一歩一歩確かめるように、シュオに酷似したその男の背後へと近づいていった。
そして、ついに男のすぐ後ろまでたどり着くと、意を決して、その肩に、震える手をそっと置いた。
「うん? なんだ、姉ちゃん。俺に何か用か?」
男は、エールが半分ほど入ったジョッキを片手に、気だるそうに、そして少し面倒くさそうに振り返った。
その顔は――その顔は、まさしく、一年前にこの世を去ったはずの、シュオ・セーレン、その人だった。
マリアが夢にまで見た、愛しい、愛しい人の顔が、今、目の前にあった。
途端に、マリアの大きな瞳から、堰を切ったように熱い涙がこぼれ落ちる。
それは、悲しみの涙ではなかった。
長年、心の奥底に押し殺してきた、喜びと、安堵と、そして何よりも深い愛情が、一気に溢れ出した涙だった。
「シュオ様……! ああ、シュオ様…! やはり、あなたは、生きていらっしゃったのですね……! ずっと、ずっと、お会いしとうございました…!」
とめどなく流れる涙をそのままに、マリアの顔は、ずっと焦がれ、待ち望んでいた人物に、ついに再会できたという、この上ない喜びと幸福感で、最大級の、そして何よりも美しい笑顔になった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 姉ちゃん、誰だか知らねえけど、いきなりそんな風に泣き出されても、こっちは困るぜ! 人違いじゃねえのか?」
「何を仰っているのですか、シュオ様! シュオ様が、あの日、お亡くなりになったと騎士団の方から聞いてから、ずっと、私は…私は、この一年間、どれほど辛く、そして寂しい思いをしてきたことか…!」
「だから、待ってくれって言ってるだろ! 俺は、そのシュオってやつじゃねえって、さっきから言ってるじゃねえか!」
「え……?」
その、あまりにも予想外で、そして残酷な言葉に、マリアも、そして後ろで見守っていたカイルやリーザも、まるで時が止まったかのように、その場で動きが止まってしまう。
「お前、本当にシュオじゃないのか? 確かに、髪の色は違うかもしれねえけど、その後ろ姿から顔つきまで、どう見たって、俺の知ってるシュオじゃねえか!?」
カイルが、信じられないといった表情で、男に詰め寄る。
「ああ? 悪いが、俺はシュオなんて名前じゃねえぞ。ライ・アドゥーク、これが、俺に付けられた正真正銘の名前だ。それに、お前ら、どっかの金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんが通う、何ちゃら学院の生徒だろ? 俺は、しがない一介の冒険者だ。お前らみたいな高貴な方々とは、全く縁もゆかりもねえよ。」
「そん…な……。嘘…でしょう…?」
マリアは、その場で力なく崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
カイルとリーザもまた、そんな馬鹿なことがあるはずがないと、呆然とした表情で、ライと名乗った男の顔を、改めてまじまじと見つめる。
「おいおい、ライよぉ。お前、どっかで悪いことして、こんな別嬪さん相手に嘘の名前でも使って、騙したりしたんじゃねえだろうな?」
ライと一緒にカウンターでエールを飲んでいた、ガラの悪そうな他の冒険者の男たちが、ゲラゲラと下品な声で笑いながら囃し立てる。
「そんなこと、するわけねえだろうが! 俺のことを、一体なんだと思ってるんだよ!」
ライは、仲間たちの心ない言葉に顔を顰めると、マリアの前にそっとしゃがみ込み、その美しい顔を覗き込むようにして、少し困ったような、しかしどこか優しい声で言った。
「なあ、姉ちゃん。俺にそっくりな、そのシュオってやつのことが、そんなに好きだったのか。…でも、悪いな。俺は、本当に、あんたの探してるその男じゃないんだ。許してくれ。」
ライはそう言うと、まるで幼い子供を慰めるかのように、マリアの頭を優しく撫でようとした。
「…やめろ! シュオ様以外の、他の誰にも、私の体に触れられたくはない!」
マリアは、ライの手を激しく払いのけると、まるで何かに追い立てられるかのように、勢いよく立ち上がり、そのまま店の外へと、泣きながら飛び出していった。
「待って、マリア!」というリーザの悲痛な声が、背後から追いかけてくるのが聞こえた。
「…なんだか、俺、とんでもなく悪いことしちまったみてえだな…。」
ライは、マリアが飛び出していった扉の方を見つめながら、バツが悪そうに、自分の銀色の髪をガシガシと掻いた。
「いや、こっちこそ、本当に申し訳ない。あんたが、あまりにも、一年前に死んだ俺たちの同級生にそっくりだったもんだから、つい取り乱しちまって…。」
カイルは、ライに対して深く頭を下げ、心からの謝罪の言葉を述べた。
「なるほどねぇ。まあ、世の中には自分と似た人間が三人いるって言うしな。そういうことなんだろう。だけど、一年前に死んだってんなら、俺は全く関係ねえ話だな。その頃は、俺はここからずっと離れた『ヤチア』の街にいて、仲間たちと『ズリグル迷宮』に命がけで挑んでた真っ最中だったからよ。」
ライは、肩をすくめながら、あっけらかんと言った。
「…そうか。分かった。色々とすまなかったな、本当に、迷惑かけちまって。」
「まあ、気にするなよ。それよりも、さっきの姉ちゃん、相当落ち込んでたみてえだし、早く追って行ってやった方がいいんじゃねえのか? あんな綺麗な子が、一人で泣いてたら可哀想だろ。」
ライのその言葉に、カイルはハッとしたように顔を上げると、彼に改めて礼を言い、急いで酒場の外へと飛び出していった。
(シュオ…。お前、一体どうして、今ここにいないんだよ…。もし、お前が生きてさえいてくれたら、マリアだって、あんなに苦しむことにはならなかったはずなのに…。)
カイルは、収穫祭の喧騒が嘘のように静まり返った裏路地で、どこまでも広がる、雲一つない美しい青空を、やり場のない怒りと悲しみを込めて見上げながら、一年前にこの世を去ってしまった、かけがえのない親友のことを、ただひたすらに想っていた。
その時だった。
「街の外に、モンスターの大群だぁーっ!! 騎士団と冒険者は、至急、街の防衛にあたれーっ!!」
収穫祭の陽気な雰囲気を、まるで悪夢のように打ち砕く、切羽詰まった見張り兵の叫び声が、街中にけたたましく響き渡ったのだった。
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