番外編3 エシュ・ホランド2
デルガライト洞窟への道中は、幸いにも大きな問題に見舞われることなく、一行は数日後、無事にその入り口へと到着した。
目の前に広がる光景は、エシュの想像を遥かに超えるものだった。
洞窟の前には、これから内部へと挑もうとする数多くの冒険者たちが集結し、それに伴って、武器や食料を売る露店、さらには簡易的な宿泊施設までが軒を連ね、まるで一つの小さな街のような賑わいを見せていたのだ。
「こりゃまた、すごい賑わいだな…。」
馬車から降り立ったギットが、その活気に満ちた光景を目の当たりにして、呆然とした表情で呟いた。彼の金色の髪が、火山地帯特有の熱気を帯びた風に揺れている。
「そりゃあ、今一番ホットなダンジョンですもの。これくらい人が集まっていても、何もおかしくないわよ。」
ギットの後ろから軽やかに降りてきたメイが、赤い髪を揺らしながら、どこか呆れたような口調で言った。彼女の緑色の瞳は、周囲の喧騒よりも、目の前の洞窟の入り口へと鋭く向けられている。
「俺たちの目標は、あくまであの洞窟だぜ。あんまりのんびりしてると、俺、そこらの酒場で遊び始めちまうかもしれねえよ。」
盗賊のリンドが、いつものようにおどけた口調で軽口を叩くと、パーティーの副リーダーであり、治癒士でもあるアイファが、「こら、リンド。あまりリーダーを困らせるんじゃありません。」と、母親が子供を諭すような優しい口調で、しかし、その金色の瞳には確かな威厳を込めて注意した。
本当に、このパーティーはいい雰囲気だ。
リーダーのギットは明るく面倒見が良く、メンバーからの信頼も厚い。
戦士のモーゼは無口だが、いざという時には頼りになる存在だ。
お調子者のリンドはムードメーカーであり、アイファは皆を優しく包み込む。
そして、自信家のメイは、その言葉に違わぬ強力な魔法でパーティーを支えている。エシュはこのトライデントというパーティーならば、あるいは本当に、この難攻不落のデルガライト洞窟を踏破できるのではないか、と淡い期待を抱き始めていた。
馬車を近くの馬車置き場に預けると、ギット、モーゼ、リンド、アイファ、メイ、そしてエシュの六人は、早速洞窟の入り口へと向かう。
入り口付近には洞窟から戻ってきたばかりなのか、何組かの冒険者パーティーが休息を取っていた。
どのパーティーのメンバーも、それなりに手練れに見えるが、その多くが手傷を負っており、中には担架で運ばれている者もいる。この洞窟の過酷さを物語っているようだった。
「なあ、あんたら。悪いけど、ちょっと聞いてもいいかい? どのぐらいの階層まで潜ってきたんだい?」
リンドが、持ち前の人懐っこさを活かして、近くで休憩していた一組の屈強そうなパーティーに話しかける。
「ああ? 俺たちか? 俺たちは、10層までだ。お前たちは、今から行くのか? だとしたら、忠告しておくぜ。10層から先は、急に魔物の強さが跳ね上がる。油断してると、あっという間に全滅だ。」
「へえ、マジかよ。そりゃあ、貴重な情報をどうも。気をつけることにするわー。ありがとな、あんちゃん。」
リンドが得た情報は、すぐにギットたちパーティーメンバーにも共有された。
「10層、か。まずは、そこまで無事に辿り着くことが最初の目標だな。」
ギットが険しい表情で呟く。
「まあ、そこまでは比較的楽だって言うんだから、さっさと行っちゃいましょうよ。私は、早く腕試しがしたくてウズウズしてるんだから。」
メイが愛用の魔術杖で肩をトントンと叩きながら、いつものように自信に満ちた、しかしどこか気だるそうな口調で言った。
パーティーメンバーは、それぞれが背負った荷物をしっかりと持ち直し、覚悟を決めた表情で、暗く巨大な口を開けたデルガライト洞窟の中へと、足を踏み入れていった。
――――――――
洞窟内部は、予想通り薄暗く、外の熱気とは対照的に、ひんやりとした空気が漂っていた。
壁は黒っぽい火山岩で形成されており、絶えず水滴が滴り落ち、不気味な反響音を立てている。
9階層までは確かにそれほど強力な魔物が出現することはなかった。
時折、個々で対処するには少々骨が折れると思われるような、厄介な能力を持つ魔物も出現したが、さすがはA級パーティーと謳われるトライデントだ。
ギットの的確な指示と、メンバーたちの見事な連携によって、それらの魔物も苦戦することなく、ことごとく打ち破っていった。
エシュもまた、長年の単独行で培ってきた卓越した剣技と戦闘経験から、トライデントのパーティー連携にも、まるで最初からメンバーの一員であったかのように、ごく自然に溶け込み、的確に立ち回ることができた。
「はっはっは、流石だな、エシュ! まるで、ずっと前からうちにいたみたいに、上手く立ち回ってくれるじゃないか。」
戦闘の合間に、ギットが感心したようにエシュに声をかける。
「別に、特別なことをしたつもりはない。お前の指示が的確なだけだ。それに、後衛のアイファとメイの援護が頼りになるから安心して前衛に集中できる。信頼が置けるパーティーだ。」
エシュは素っ気なく答えながらも、内心ではこのパーティーの質の高さを実感していた。肉体的にも、精神的にも、まだまだ余裕がある。
普段、一人で全ての状況判断と戦闘を行っている時よりも、格段に楽で、そして何よりも心強い。このトライデントというパーティーでの戦闘は、決して悪くない。むしろ、心地よいとさえ感じ始めていた。
「おい、みんな! あっちの突き当りに、下へ続く階段があるぞ!」
先行して斥候に出ていたリンドが、興奮した様子で戻ってきて叫んだ。
「よし、次はいよいよ10階層か。さっきの話だと、ここから魔物の強さが格段に変わるらしい。みんな、決して油断するんじゃないぞ。」
ギットが、リーダーらしく引き締まった表情で、全員に鋭く声をかける。
それにメンバーたちは無言で、しかし力強く頷き返す。
エシュもまた、腰に下げた愛剣の柄に当てる手の力を、無意識のうちに少し強めていた。
階段を慎重に降りていくと、確かに、そこはこれまでの階層とは全く異なる、異様な雰囲気に包まれていた。
9階層までは、まだ洞窟内に微かに生物が生息している気配や、自然の息吹のようなものが感じられた。
しかし、この10階層からは、そういったものが一切感じられないのだ。
まるで、生命が存在することを拒絶しているかのような、死んだような静寂と、不気味な圧迫感が漂っている。
「...なんだか、ここ...すごく気持ち悪いですね...。」
アイファが、愛用の杖をギュッと強く握りしめながら、不安げに呟いた。彼女の顔からは、いつもの穏やかな笑みは消え、緊張の色が浮かんでいる。
メイやリンドも、さすがにいつものような軽口を叩く余裕はなく、警戒心を露わに周囲を窺っている。
いつもは無口なモーゼも、背中に背負っていた巨大な両手剣を静かに抜き放ち、いつでも振り下ろせるように、その無骨な肩に担ぎ直した。
エシュもまた、この得体の知れない異様な雰囲気に、久しぶりに肌が粟立つような、本能的な恐怖にも似た感覚を覚えていた。
「いいか、みんな。ここからは、これまで以上に慎重に進むぞ。誰一人として欠けることなく、必ず全員で最深部まで辿り着くんだ。」
ギットは力強い声でそう言うと、自ら先頭に立ち、覚悟を決めたように一歩を踏み出した。その後ろを、他のメンバーたちが続く。
道自体はそれほど複雑に入り組んでいるわけではない。
しかし、道幅が、これまでの階層とは比較にならないほど異様に広いのだ。
それこそ、伝説に語られるような、巨大な竜や巨人が悠々と通り抜けられるのではないかと思えるほどに。
パーティーは、息を殺し、周囲のあらゆる物音や気配に注意を払いながら、慎重に歩みを進めていく。
「ストップ!」
突如、リンドが小声ではあるが、鋭く、そして力強い声で制止をかけた。
「この先に、何かとてつもなく大きな気配を感じる。はっきりとは分からないが…こいつは、かなりヤバそうなヤツだぜ…。」
「よし、全員、戦闘準備だ。何が来てもいいように備えろ。」
ギットの緊張を孕んだ声に、全員が即座に臨戦態勢を取る。
「メイ。悪いが、この先の暗闇に向かって、何か一つ、派手な魔法を撃ち込んでみてくれ。敵が姿を現したところを、ここで迎え撃つ。」
ギットの指示に、メイは静かに頷くと、パーティーの先頭へと進み出て、魔術の詠唱を開始する。
メイが最も得意とする魔術属性は『火』。
彼女の詠唱によって、周囲の空気が揺らめき、みるみるうちに巨大な炎の球が作り出されていく。
そして、メイはその灼熱の炎球を、暗闇が広がる道の先へと向かって放った。
数秒後、洞窟の奥から、何かに直撃し激しく爆発する轟音が響き渡った。
それと同時に、地響きと共に、こちらに向かってくる巨大な足音が聞こえてきた。
「来るぞ! 俺が盾になるから、エシュとモーゼは、左右から挟み込むように攻撃を仕掛けろ!」
ギットの叫びに、エシュとモーゼは、それぞれの得物を強く握りしめ、いつでも飛び出せるように身構える。
暗闇の中から、徐々にその巨大な影が近づいてくる。エシュの剣を握る手のひらにも、じっとりと汗が滲んでいた。
そして、ついにその姿を現したのは、頭部に巨大な一本の角を生やし、その手に人間など容易く叩き潰せそうな、巨大なこん棒を握った、一つ目の魔獣――サイクロプスだった。その巨体は、ゆうに三人の人間を縦に並べたほどの高さがある。
「いくぞぉぉっ!」
ギットが雄叫びを上げ、巨大な盾を前面に構え、サイクロプスへと果敢に突進する。
サイクロプスは、そのギットの姿を捉えると、巨大なこん棒を力任せに振り下ろした。ギットは、その圧倒的な破壊力を持つ一撃を、なんとか盾で受け止めるが、その衝撃で大きく後退させられる。
その隙を逃さず、左からはエシュが、右からはモーゼが、まるで示し合わせたかのように同時に飛び出し、サイクロプスの巨体に鋭い剣撃を叩き込む。
「エアシールド!」
後方からは、アイファの的確な支援魔法がギットへと飛来し、彼の防御力をさらに高める。
「エンチャント・バーニング!」
メイの詠唱と共に、エシュとモーゼの剣に、まるで生きているかのように激しい炎が巻き付き、その攻撃力を飛躍的に増大させた。
モーゼが、渾身の力を込めてサイクロプスの左足に両手剣を叩きつけると、サイクロプスはバランスを崩し、大きく体勢が傾いた。
そこに、エシュが獣のような俊敏さで飛び上がり、がら空きになったサイクロプスの巨大な一つ目を目掛けて、炎を纏った剣を深々と突き刺した。
断末魔の咆哮と共に、サイクロプスの巨体はビクビクと激しく震えだし、やがて、地響きを立ててゆっくりと後ろへと倒れ込んだ。
「よしっ! やったぞ!」
ギットが、サイクロプスの体が完全に動かなくなったのを確認すると、安堵の声を上げた。
他のメンバーたちも、強敵を打ち破った達成感と安堵感から、思わずほっと胸をなでおろす。エシュもまた、ふぅ、と短く息を吐くと、剣を鞘へと納めた。
「まさか、この階層でいきなりサイクロプスが出てくるとは思いませんでしたね...。」
アイファが、まだ少し顔を青くさせながら言った。
「ああ、確かに、10階層から先は噂通りかなりやばそうだ。みんな、ここからはさらに連携をしっかり取りながら、慎重に先に進むぞ。」
パーティーは、倒したサイクロプスから手際よく素材を剥ぎ取ると、再び洞窟の奥へと前進を開始した。
「エシュ、本当に助かったよ。お前がいてくれなかったら、今頃どうなっていたか…。」
「本当だぜ、エシュ。さっきのサイクロプスの目を正確に射抜いた剣捌きはマジで凄かったぞ。ここから先も頼りにしてるからな。」
ギットやリンドからの、素直な称賛と信頼の言葉。
エシュは、このトライデントというパーティーの中で、確かに自分が認められ、必要とされているという、確かな手応えを感じ取っていた。
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