番外編1 アーニャ・レノン2
それから数日後、アーニャは組織の幹部に呼び出された。
幹部に直接呼び出されるなど、よほどの失態を犯した時か、あるいは何か特別な任務を与えられる時くらいしかない。
自分は組織から放り出されてしまうのだろうか、それとも、最悪の場合、口封じのために殺されてしまうのだろうか。
言いようのない不安を抱えながら、アーニャは幹部が待つアジトの奥へと向かった。
「アーニャ、お前、何かとんでもないことをしでかしたのか?」
薄暗い部屋に入ると、開口一番、幹部の鋭い声が飛んできた。
「は? 私は何もしていませんよ。まあ、何もしていないっていうか、いつも通り仕事は真面目にしてましたけど…。」
「嘘をつくんじゃねえぞ! 今、貧民街を変な女戦士がうろつき回ってるんだが、どうやらお前を探しているみたいなんだぞ?」
「変な…女戦士…?」
アーニャは必死に過去の記憶を辿ってみるが、そんな屈強そうな女戦士と関わった覚えは全くない。
ましてや、そんな相手からスリを働いた記憶など、あるはずもなかった。
「そのおかげで、こっちの仲間が何人もやられちまってるんだ! いいから、お前、そいつのところに行って、何とかしてこい!」
それって、下手に絡んだから返り討ちに遭っただけじゃないのか、とアーニャは思ったが、口に出せるはずもない。
「でも、それって、私も殺されちゃうんじゃないんですか...?」
「うるせえ! てめえの命なんざ知ったことか! こっちの仲間が大勢やられるよりマシだ! 大体お前みたいなガキがいつまでもうろちょろしてると目障りなんだよ!」
幹部の怒声と共に、アーニャは半ば強引にアジトから追い出されてしまった。
結局のところ私を追い出したかっただけか。
アーニャは半ば覚悟を決めて貧民街を歩き出す。
自分を探しているという謎の女戦士。
誰かの依頼を受けてきたのだろうか。
しかしそんな戦士をやとって私の始末をするような人間から盗みをしただろうか?
まあ、いいさ。死んじゃうかもしれないけどここで生きてくよりはマシか。
最初は絶望的な気持ちだったが、途中からなんだか明るく考える事ができるようになってきた。
私の人生ってこんなもんだったのかもな。
重い足取りで貧民街を歩いていると、不意に、どこかで聞いたことのある、明るい声がした。
「いた! おーい!」
声のした方へ顔を向けると、そこには、先日市場で出会った、あの貴族の少年が立っていた。そして、その背後には、屈強な体つきの、いかにも手練れといった風情の女戦士が控えていた。
間違いない、噂の女戦士はあの人物だ。だとしたら、私は、あの少年に何か取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか?
いや、そんなはずはない。彼には、お店の場所を教えただけだ。
アーニャは、固唾を飲んで少年の出方を見守った。
その少年はアーニャの姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄り、その小さな両手でアーニャの手をギュッと握った。
「ありがとう! 君がこの前教えてくれたお店で、父上のプレゼントを買うことができたんだ! 父上も、すっごく喜んでくれてね!」
「あ、ああ…。そりゃ、よかったね…。」
「それでね、君にお礼を言いたかったんだけど、名前も何も分からないし、困ってたんだ。市場の人たちに聞いて回ったら、きっと貧民街のアーニャだろうって教えてくれて、それでずっと探してたんだよ!」
「え…? そんなことのために…?」
張り詰めていたアーニャの緊張の糸が、ぷつりと切れた。全身から力が抜けていくのを感じる。
「そんなことのために、私は命を捨てさせられるところだったのかい…。」
「え? どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ。こっちの話。それで、もう用は済んだんかい? だったら帰らせてほしいんだけど。とはいっても帰る場所はなくなっちまったんだけどね。」
「ほんと!? それならちょうどいいよ! 父上に君の話をしたらね、その子をぜひ家に連れてきなさいって言うんだ。」
「は!?」
あまりの予想外の言葉に、アーニャは思わず目を丸くした。
私みたいな貧民街の子供を、貴族の家に連れていく? いったい何を考えているんだ。
「君みたいな立派な子には、ちゃんとお礼をして、しっかりとした生活をさせてあげなければいけないって、父上は言ってたんだけど、僕にはちょっとよく分からないや。」
「あんた、それってもしかして、私にお情けをかけようっていうの?」
「お情け? うーん、よく分からないけど、たぶん違うと思うな。だって、君と僕は、もう友達でしょ?」
友達? 何を言ってるんだ、この子は。
市場でほんの少し言葉を交わし、店まで案内しただけの間柄だ。それだけで、友達?
「私はあんたと友達になったつもりはないんだけど...」
「えー! 絶対友達だよ!」
少年はアーニャの手をブンブンと振る。
「だからさ、ウチにおいでよ? ウチは兄さんが2人いるんだけどどっちも年が離れてて遊んでくれないんだ。だからキミみたいな遊び友達が欲しいんだよ!」
これは、もしかしたら、この泥沼のような貧民街の生活から抜け出す、またとないチャンスかもしれない。
だけど、貴族なんてものを下手に信用したら、何をされるか分からないという警戒心も、アーニャの心には根強く残っていた。どう判断したものか…。
疑念と希望の間で揺れ動いていたアーニャだったが、目の前で期待に満ちたキラキラとした瞳を向けてくるシュオの顔を見ていると、なんだかもう、どうでもいいかというような、投げやりな気持ちになってきた。
「…分かった。ついていくよ。その代わり、もし私に変なことしようとしたら、容赦なく殴るからね?」
「変なこと? うーん、よく分からないけど、まあいいや。僕はシュオ・セーレン。君は?」
「……アーニャ・レノン。」
「よろしくね、アーニャ!」
シュオは屈託のない満面の笑顔を見せた。その笑顔は、アーニャがこれまで見てきたどんなものよりも純粋で、温かいものだった。
昔見た両親の笑顔を思い出した。
お父さん、お母さん、私はこの子を守っていくっていう使命なのかな?
じゃないとこんな偶然なんてあり得ないよね?
遠く空の上にいる両親に向かってアーニャは心の中で尋ねる。
「......どうしたの?」
「いや、どうもしないよ。それじゃあ早速あんたの家に連れてってもらおうか。」
こうして、アーニャはシュオに連れられてセーレン家を訪れ、シュオの父であるアルギリドの温情と、シュオ自身の強い希望によって、セーレン家のメイドとして働くことになったのだった。それは、アーニャの人生における、大きな転換点となった。
今の自分の仕事はシュオ様を命を懸けて守る、それが私をここまで導いてくれたシュオ様に対する恩義だから。
――――――――
「アーニャー、僕のカバン知らないー? 昨日、確かにこの辺に置いておいたはずなんだけど、どこにもないんだよー。」
二階の私室から、少し間の抜けた、しかしアーニャにとっては聞き慣れた坊ちゃんの声が響いてきた。
珍しい。今日はもう起きているみたいだ。
とはいえ自分が置いたカバンの場所すら覚えてないとかどれだけ天然なのやら。
「はいはい、ただいま行きます、シュオ様! ですから、ご自分で探す努力も少しはしてくださいまし!」
アーニャは小さくため息をつきながらも、その声に応えると、いつものように軽やかな足取りで階段を駆け上がっていった。その表情には、呆れと、そしてほんの少しの親愛の情が浮かんでいた。
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