第51話 真の魔族
一度倒したはずの魔族ゲルト。それがまた動き出そうとしている事はシュオにとってもラムジュにとっても脅威だった。
「シュオ君、一体何がどうなっているんだ!? 詳細を説明してくれ!」
アイスが研究員たちの避難を他の騎士に任せ、キュアと共にシュオの元へ駆け寄る。その顔には焦りと困惑が色濃く浮かんでいた。
シュオは、ラムジュから断片的に聞いた情報を、必死に言葉を紡いで二人に伝えた。
「まさか……そんな……。魔族に二つも心臓があるなんて、聞いたこともありませんでしたわ……」
キュアは震える声で呟いた。
「確かに、これまでの魔獣討伐後の検体は、二次被害を防ぐために、討伐後速やかに焼却処分することを徹底していたわ。でも、今回は……魔族なんて極めて貴重なサンプルだったから、徹底的な分析のために、特例として燃やさずに残していたの。まさか、その判断がこんな事態を引き起こすなんて……私の、責任です……」
キュアは自らの判断ミスを深く悔いるように、震える手で唇をきつく噛みしめた。
アイスも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「いや、最終的な許可を出したのは俺だ。責任は俺にもある。だが、今は後悔している場合じゃない! キュア主任、すぐにここから避難を!」
そうしているうちに倒れていたゲルトの体がゆっくりと起き上がった。
「う、動いた!!」
シュオは思わず持っていた剣を構える。アイスもまたキュアをかばいつつ剣を抜いた。
ゲルトは体を揺らしながら1歩前に踏み出す。
「......第四世界の下等生物ごときが......この俺の体で実験だと......? 調子に乗るなよ.......」
「この悪魔め......我々人間をなめるなよ...シュオ君、その剣を私に。」
アイスはゲルトから目を離さずにシュオに手を差し出す。シュオは持っていた剣をアイスに手渡した。
「覚悟しろ!」
剣を構えアイスはゲルトに向かっていく。そして剣を振るう。
柄に埋め込まれた宝石が魔力に反応し、剣先に魔力を宿らせる。
剣は確実にゲルトの体を捕らえ、切り裂いた。
「やった! あれならいけるよ!」
『いや、だめだ。』
ラムジュの冷静な声がシュオの頭に響く。
確かに剣はゲルトの体を切る事が出来た。だが、そこから闇があふれ出してくるとアイスを包もうとしてくる。
「ちぃっ!」
アイスは後ろに飛んでかろうじて闇をかわした。
「なんだあの闇は...?」
闇はどんどんあふれ出してきたかと思うと、ゲルトの体を包み始めた。
「ラムジュ! あれは何が起こってるの!?」
『あれは...進化の前触れだ...』
「進化の前触れ...? って言う事はあいつはこれから進化するっていうの!?」
『そうだ。魔族は進化して更なる強さを手に入れる。もし進化されたら俺達は終わりだぞ。』
シュオはそのラムジュの言葉を急ぎアイスに伝える。
「なんだと...ならば進化などさせん!」
アイスは今一度剣でゲルトを切ろうと試みた。
しかし、ゲルトを包みだした闇のせいか、剣は本体を捕らえる事が出来ない。
「くそ......どうすればいい!?」
「もう遅いわ下等生物...進化は始まるのだ!」
ゲルトの傷口から止めどなく湧き出る濃密で不吉な闇はゲルトを完全に包んだ。
闇は蠢き、脈打ち、ゲルトだったものの輪郭を急速に曖昧なものへと変えていく。
そして、信じられないことに、まるで粘土細工のようにみるみるうちに収縮を始めたのだ。
やがて、渦巻いていた闇が徐々に薄れていくと、そこには先程までのゲルトの面影はどこにもなく、人間より少し大きいくらいの禍々しい影が、ゆらりと立っていた。
その姿はまだ完全には定まっていないものの、そこから放たれるプレッシャーは、強大で、そして純粋な悪意に満ちたものへと変質していた。空気が重く、息苦しい。
そして徐々に影は形を成していき、姿形が形成されていく。
かつてゲルトだったものは今や凶悪な粗面をした禍々しい姿へと進化を遂げた。
「......貴様らのおかげで我はさらに進化できた......感謝するぞ、愚かな下等生物どもよ...」
魔族はゆっくりとその歩みを進め、シュオ達に近づいてくる。
「進化しようと貴様はここで止める!」
アイスが進化した魔族に向かっていく。だが、魔族が左手の平をアイスに向けた瞬間、アイスは衝撃で壁まで吹き飛び衝突した。
『シュオ、俺と変われ! お前じゃあれは相手にできない! 俺がやる!』
ラムジュの断固たる意志のこもった声が、シュオの意識の奥底に響く。
「……わかった。お願いするよ、ラムジュ。」
シュオは小さく、しかしはっきりと頷いた。
この悪夢のような事態を収拾できる可能性があるとすれば、それはラムジュの力をおいて他にない。託すしかない。
次の瞬間、シュオの意識は急速に深く沈み込み、代わってラムジュの意識が、シュオの身体の主導権を完全に掌握した。
シュオの身体から放たれる魔力の質が、瞬時に劇的な変化を遂げる。先程までの学生らしい穏やかで未熟なオーラは完全に消え去り、鋭く、力強く、そしてどこか荒々しい、幾多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の戦士のそれへと変貌した。
「主任さんは逃げてくれ。前の時は何とかなったが、今回も同じように、こいつを無事に倒せるとは限らないんでな。」
ラムジュは、シュオの声色とは全く異なる、低く落ち着いた、しかしどこか凄みを帯びた声でキュアに告げた。
その絶望的なまでの強さは、以前に一度だけ魔族と戦った経験のあるシュオとラムジュにしか、本当の意味では理解できていなかった。
新たな魔族はゆっくりとラムジュを見る。
その瞳には、狡猾な知性と、そして底知れぬ純粋な悪意が、爛々と宿っているように見えた。
部屋の空気がさらに重圧を増し、肌を刺すような緊張感が漂う。
「貴様には世話になった...今度はそのお礼をさせてもらうぞ...」
「まったく……どうしてこう、俺様が関わると、いつもいつも面倒事に巻き込まれるのかね……」
ラムジュは、やれやれと言った風に、しかしその声には微塵の諦観もなく、忌々しげに愚痴をこぼしながらアイスが落とした剣を拾う。
その手に握られた剣は、今度は確かな覚悟と、揺るぎない闘志と共に、より一層強く、強く握り直された。
その鋭い双眸は、目の前で完全な進化を遂げた新たなる脅威を、決して逃さぬとばかりに、鋭く射抜いていた。
再び始まるであろう死闘の予感が、冷たく重苦しい空気となって、絶望に包まれた実験室を支配していた。




