第47話 目覚めた悪意
「不意打ちとは、やってくれるじゃねえか…。」
舞台の端まで殴り飛ばされたゲルトが、口元から流れ出る血を無造作に拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。
その巨躯は、先ほどまでの余裕を失い、明確な怒りをたたえている。
「ゲルトをあそこまで殴り飛ばすとは…貴様、何者だ? しかも、さっきまでの気弱な小僧とは、雰囲気がまるで違うようだが。」
中央に立つサイ・ドルエンが、長剣の切っ先をラムジュに向けながら、訝しげに問いかける。
だが、ラムジュはその問いには答えず、逆に冷徹な視線で二人を射抜いた。
「お前たち、その力…どこかで感じたことがある。第五世界の魔獣が放っていたオーラと酷似しているな。第四世界の人間が、どうやってその力を手に入れた?」
「俺たちの力、だと? フン、これは我々の強い願いに、神が応えてくださった結果だ。裏切り者であるマリア・ガナッシュを、この手で抹殺したいという、切なる願いにな。」
サイは嘲るように言った。
「神、だと? 笑わせるな。そんなものは、神の力などではない。ただの、汚らわしい魔族の力だ。お前たち、まんまと騙されたようだな。」
ラムジュはかつて第三世界で、第五世界の魔族と一度だけ対峙したことがあった。あの時の魂まで凍り付くような禍々しいオーラと、理不尽なまでの力。目の前の二人から感じるものは、まさにそれと同質のものだった。
「神だろうが魔族だろうが、今となってはどちらでもいい。こうして、我々は絶大な力を手に入れることができたのだからな。それに、我々の目的であった裏切り者マリアは、もう虫の息だ。」
サイが顎で舞台の隅を示す。そこにはマリアが意識を失い、ぐったりと床に倒れ伏している姿があった。その傍らでは、カイルも左腕を押さえ、苦痛に顔を歪めている。
「マティ!」
ラムジュは観客席に向かって叫んだ。
「カイルとマリアを回収して、すぐに治療しろ! 急がないと、本当に手遅れになるぞ!」
「わ、わかった! すぐに行く!」
生徒会長のマティが他の生徒会役員数名を引き連れ、慌てて観客席から舞台下へと降りてくる。
「ふん、そんなことをさせると思うか? マリアには、ここで確実に死んでもらわねば困るのだよ。」
サイがマティたちの行く手を阻むように、長剣を構えて走り出す。邪魔者は容赦なく始末する、という殺気がその全身から放たれている。だが――
「こっちこそ、そんなことをさせる訳にはいかねえんだよ…!」
サイの振るった長剣を、ラムジュは二本の短剣を交差させて、真正面から受け止めた。
シュオの時にはいとも簡単に弾き飛ばされたサイの重い一撃が、ぴたりと止まる。
さらに、横から殴りかかってきたゲルトをラムジュは鋭い回し蹴りで的確に蹴り飛ばした。
「な、なんなんだ、お前は! さっきまではあんなにも貧弱な、三流以下の人間だったではないか!」
サイが驚愕と怒りに顔を歪めて叫ぶ。
「ああ、さっきまではな。だが、お前たちは、超えてはいけない一線を、とっくに超えちまったんだよ!」
ラムジュは双剣でサイの長剣を力任せに弾き返すと、その勢いのまま、得意の左足による強烈な回し蹴りをサイの脇腹へと叩き込んだ。
「ぐはっ!」
まともに蹴りを受けたサイが、悲痛な叫び声を上げながら、舞台の上を無様に転がっていく。
さらにラムジュは転がったサイに追撃を加えようと飛びかかった。しかし、その動きを読んでいたかのように、横からゲルトが巨腕で掴みかかってくる。
ラムジュはその攻撃を軽々と身を捻ってかわすと、両手を固く組み、がら空きになったゲルトの脳天目掛けて、渾身の力で振り下ろした。
ゴッ、という鈍い音と共に、ゲルトの巨体は、まるで杭を打ち込まれたかのように、勢いよく地面に叩きつけられた。
「お前たちはただの人間のくせに、魔族なんぞの薄汚い力を借りてまで、仲間だったはずのマリアを殺そうとした。それが、俺にはどうしようもなく気に入らねえんだよ!」
ラムジュは地面に蹲るサイを指差した。
「お前、大方マリアに惚れていたんだろうが! だから、自分から離れていったマリアが許せなかった。だがな、それならそれで、テメェ自身の力で、マリアを取り戻してみせろってんだよ! 他人の力を借りて、女々しい真似してんじゃねえ!」
ラムジュの言葉は、まるでサイの心の奥底まで見透かしているかのようだった。
図星を突かれたのか、サイは膝を地面についたまま、悔しさに顔を歪め、動けなくなっている。
その時、足元で倒れていたはずのゲルトが、不気味な笑い声を上げながら、ゆっくりと起き上がった。ラムジュは即座に後方へ飛び退き、距離を取る。
「ククク…その小僧の言う通りだ。サイは惚れた女に逃げられ、その怒りと絶望から、我に力を求めた。そして我は、そそのかしてやったのさ。そんな裏切り者の女など、いっそ殺してしまえばいい、とな。」
ゲルトの体に異様な変化が起こり始めた。
皮膚の色がどす黒く変色し、背中からは蝙蝠のような禍々しい翼が突き出す。
頭にはねじくれた角が生え、その顔はもはや人間のそれではなく、醜悪な魔族の顔へと変貌していく。
「…まさか、貴様自身が魔族だったとはな。」
ラムジュの瞳に鋭い光が宿る。
「フフフ…いかにも。我は、第五世界より遣わされし者。この脆弱な第四世界に、真の混沌をもたらすために来た。そこのサイという小僧は、実に扱いやすい駒だったわ。怒りや憎悪といった負の感情を糧に、我が力を増幅させ、代わりにこの世界で暴れてもらうには、な。」
「黙れ、醜い魔族が。人間を利用して、この第四世界を壊滅させようなどという下劣な考え、この俺様が、今ここで叩き潰してくれるわ!」
ラムジュは二本の短剣を構え直し、全身から闘気を立ち昇らせる。
変貌を遂げたゲルトは、その巨大な翼を広げ、けたたましい羽音と共に宙へと舞い上がった。
「死ぬがいい、矮小なる人間よ!」
宙から急降下してくるゲルト。その拳が、大地を揺るがすほどの勢いでラムジュに迫る。ラムジュは、二本の短剣を交差させて、その一撃を受け止めた。
凄まじい衝撃。
だが、その力はあまりにも強く、さすがのラムジュでも完全に受け止めきれずに数メートル後方へと弾き飛ばされてしまう。
「ラムジュ! 加勢するで!」
舞台下にいたマティが、剣を抜いて舞台へと上がろうとする。
「来るな! こいつは俺でなければ勝てん! 下手に手を出すな!」
ラムジュはマティを一喝して制止した。今、ゲルトから受けた一撃の威力。それは、普通の人間では到底太刀打ちできるレベルではない。
本来のラムジュの肉体ならばこの程度どうということはないのだが、今はシュオの体。その制約が、もどかしい。
「人間にしては今の一撃を防いだだけでも褒めてやろう。だが、次はないぞ。」
ゲルトは両腕を胸の前でクロスさせ、その禍々しい魔力をさらに高めていく。
周囲の空気がビリビリと震え、空間そのものが歪んでいるかのように見える。
「やばい! お前ら、全員逃げろ!」
その尋常ならざる魔力の高まりを察知したラムジュは、観客席にいる生徒たちや、舞台下にいるマティたちに向かって、大声で叫んだ。
「遅い! 塵となって消えろ!」
ゲルトが右手に凝縮された暗黒の魔力球を、ラムジュ目掛けて放った。
それは以前の魔獣が放ったブレスをも凌駕するほどの、圧倒的な破壊のエネルギー。これをまともに受ければ、いくらラムジュでも無事では済まない。
そして、もしこれを避ければ、背後にいる仲間たちや観客が吹き飛ぶことになる。
ラムジュは歯を食いしばり、二本の短剣を固く握りしめ、迫りくる暗黒の魔力球を、その身をもって受け止めた。
ドゴォォォォンッ!!!
凄まじい衝撃と熱波が、ラムジュの全身を襲う。
体が内側から弾け飛びそうになるほどの、圧倒的な力。足元の舞台が砕け散り、視界が真っ白に染まる。
だが、ここで耐えなければ、全てが終わる。
ラムジュは奥歯をギリギリと噛み締め、必死に耐え続けた。
ただ耐えるだけではない。
彼はこの絶望的な状況の中で最後の賭けに出た。古の竜の言葉による、力の解放の呪文を唱え始めたのだ。
その詠唱に呼応するかのように、シュオの左腕に浮かぶ竜の痣が、まるで生きているかのように脈動し、鮮やかな赤い光を放ち始める。
「まだ足掻くか、人間め! 無駄なことだ!」
ゲルトは嘲笑し、さらに左手からも、もう一つの暗黒の魔力球を放った。
二つの破壊の奔流が、ラムジュを襲う。
威力を増したゲルトの魔力の前に、さすがのラムジュも限界が近づいていた。
(くそっ…! このままでは、俺諸共、後ろの奴らも吹き飛ぶ…! 最強の竜人族と謳われたこの俺が、この程度の魔族相手にここまで追い詰められるとは…!)
『ラムジュ!』
その時、意識の奥底から、シュオの必死な声が聞こえた。
「なんだ、シュオ!? 今、お前と話してるどころじゃねえんだよ!」
『僕の魔力を! 僕の魔力を合わせれば、もしかしたら、なんとかなるかもしれない!』
「お前の魔力を…合わせるだと…?」
そうだ。この体は、元々シュオのもの。彼自身の魔力が、まだ残っているはずだ。
あの魔力混合を応用する。シュオの魔力を、俺の魔力と完全に同調させれば、あるいは…。
だが、シュオの魔力測定の結果は、確かD級だったはずだ。あの程度の微弱な力を合わせたところで、この絶望的な状況を覆せるとは到底思えない。
『僕を信じて…! やらなきゃ、このままじゃ、本当にみんな死んじゃう!』
シュオの悲痛なまでの叫び。その声には、以前の彼にはなかった、強い意志が込められていた。
「…チッ。分かったよ、相棒! この土壇場で、お前のその根拠のない自信に、賭けてみるぞ!」
ラムジュは覚悟を決めた。
やり方はもう分かっている。
魔力混合の要領で、シュオの意識と自分の意識を完全にシンクロさせ、二つの魔力の流れを、一つの強大な奔流へと変えるのだ。
シュオの、清らかで優しい水の魔力。そして、ラムジュの、荒々しくも強大な竜の魔力。
二つの全く異なる性質を持つ魔力が、一つの体の中で混ざり合い、共鳴し始めた瞬間。
ラムジュの体から、今まで感じたことのない、新たなる力が湧き上がってくるのを感じた。
そして、高められたシュオの魔力が、奇跡的な変化を引き起こす。
『こ、これは…! 僕の属性が…覚醒したの…!?』
シュオの驚きの声が、ラムジュの意識に響く。
「なんだ、覚醒ってのは!? どういうことだ、シュオ!」
『僕に、新しい魔術属性が追加されたってことだよ! しかも、この属性は…『光』!? まさか、こんなことが…!』
光属性。それは、第四世界の人間の中でも、ごく一部の、神に選ばれたとしか思えないような者しか覚醒しないとされる、極めて希少で強力な属性。
現在、このベロニア王国においても、大教皇ただ一人しかその力を持たないと言われている、伝説の属性だ。
「でかしたぞ、シュオ! この力があれば…いける!」
ラムジュの左腕の竜の痣が放つ光が、鮮やかな赤から、神々しいまでの黄金色へと変化した。
自分自身のものとは思えないほどの、圧倒的な質と量の魔力が、体中に満ち溢れてくる。
その新たなる力に呼応するように、ラムジュが握る二本の短剣もまた、まばゆい黄金色の光を放ち始めた。
「うぉりゃあああああああああっっ!!」
ラムジュが黄金色の光を纏った双剣を力任せに振り抜くと、ゲルトが放った二つの暗黒の魔力球は、まるで朝靄が太陽の光に溶けるように、あっけなく掻き消されてしまった。
「ば、馬鹿な……! 人間如きが、我が渾身の魔力をいともたやすく消し去っただと……!?」
ゲルトが信じられないという表情でラムジュを見下ろしている。
「言ったはずだ。俺は、ただの人間じゃねえ。三千年の時を超えて蘇った、最強の竜人族の王子、ラムジュ様だ!」
ラムジュは黄金色のオーラを全身から立ち昇らせながら、翼を持つ魔族ゲルトに向かって、一直線に飛び上がった。
そして、その両手に握られた光り輝く双剣を、ゲルトの胸元目掛けて、力強く振り抜いた。
ザシュッ!
ゲルトの屈強な魔族の肉体に、大きなバツ印の深い傷が刻まれ、そこから大量の黒紫色の血が激しく噴き出した。
「ぐあああああああああっっ!!!」
ゲルトは断末魔のような悲鳴を上げ、翼の揚力を失い、地面へと墜落していく。
光属性の力は、全ての闇の存在に対して絶大な効果を発揮する。
第五世界の魔族であるゲルトも、その例外ではなかったようだ。地面に叩きつけられ、苦痛にのたうち回るゲルト。
ラムジュは宙を蹴り、さらに勢いをつけてゲルトへと急降下する。
「これで、終わりだあああっ!!」
ラムジュの双剣が、一閃。ゲルトの太い首が、胴体からたやすく切り離された。
勢い余って、ラムジュ自身も着地に失敗し、舞台の上を数回転がる。
「ば、馬鹿な……この我が…人間などに……」
首だけとなったゲルトは、信じられないという言葉を最後に残し、その醜悪な顔から光が消え、塵となって霧散した。
「……はあ……はあ……つ、疲れた……冗談じゃ、ねえぞ、こんちくしょう……」
ラムジュはその場に大の字に座り込むと、そのまま後ろへとひっくり返った。全身から力が抜け、もはや指一本動かす気力も残っていない。
だが、彼の顔には、確かな達成感と、安堵の笑みが浮かんでいた。
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