第43話 対抗戦前夜
アレキサンドライトの月。
生命力に満ちた緑が眩しい季節。
春の柔らかな陽気は過ぎ去り、夏の力強い日差しが大地を照らし始める。
サディエル王術学院にとって、この時期は特別な意味を持つ。
長年のライバル校である、アルドラ地域の首都「ミアウツ」に存在するヴァルフ王術学院との、年に一度の対抗戦が行われるのだ。
武術と魔術、それぞれの分野で学院の誇りをかけて競い合うこの対抗戦は、両校から各学年、武術コースと魔術コースそれぞれ3名ずつが選抜され、雌雄を決する。
今年で記念すべき60回目を迎えるこの伝統行事は、これまでの戦績でサディエル王術学院が32勝27敗と、わずかにリードしていた。
去年シュオ・セーレンが1年生だった頃は、マッシュ・ランフォードたちが代表選手に選ばれ、シュオやカイル、リーザは観客席から声援を送る側に回った。結果は、1年生チームこそ敗れたものの、2年生、3年生チームの活躍により、サディエル王術学院が見事勝利を収めている。
そして、今年――。
「んじゃあ、今年の対抗戦選抜メンバーは、これでいくで。」
放課後の生徒会室。
マティが、1枚の羊皮紙をテーブルに叩きつけた。その声には、いつもの軽薄さとは違う、どこか真剣な響きが込められている。生徒会役員として集まっていたシュオたちは、一斉にその羊皮紙を覗き込んだ。
1年生、3年生の選抜メンバーは、順当というか、誰もが納得する顔ぶれだった。そして、注目すべき2年生の欄には――。
「えっ!? ぼ、僕が出るんですか!?」
自分の名前を見つけたシュオは、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。
「当たり前やろ、シュオ。」
マティは、ニヤリと笑いながら言った。
「お前は、去年の学内剣術大会でも堂々の準優勝や。それに、最近じゃあ苦手やった魔術も、そこそこ様になっとるやないか。選ばれて当然っちゅー話や。」
「そ、それはそうですけど……それに、一緒に出るメンバーって……」
シュオは、自分の名前の横に並ぶ2つの名前に、さらに目を丸くした。カイル・ディラート、そして、マリア・ガナッシュ。
「まあ! 私も、シュオ様とご一緒に対抗戦に出場できるのですね! なんて光栄なことでしょう!」
シュオの隣に座っていたマリアが、頬を上気させ、熱っぽい視線をシュオに送りながら歓喜の声を上げた。
「そらそうやろ、マリアちゃん。」
マティが頷く。
「去年のうちの1年は、正直、マリアちゃん1人に手も足も出んかったようなもんやからな。今年は、うちの学院の秘密兵器として、バリバリ活躍してもらうで!」
マリアは、元々ヴァルフ王術学院に在籍していたが、2年次になる際にサディエル王術学院へと転校してきた経緯がある。
「自分よりも強い相手を探すため」という、なんとも彼女らしい理由だったが、去年、敵として1年生チームを文字通り蹂躙した彼女が、今年は味方として戦ってくれるというのは、これ以上ないほど頼もしい戦力だ。
そしてもう1人のメンバー、カイル。
2年生になり、槍術コースに進んでからの彼の成長は、目覚ましいものがあった。元々身体能力は高かったが、剣術では今一つ才能を発揮しきれていなかった彼にとって、槍との出会いはまさに運命的だったと言えるだろう。持ち前の明るさと前向きな性格で、黙々と練習に打ち込み、その槍捌きは、既に学院内でもトップクラスと評されるほどになっていた。
「よっしゃあ! いっちょう、俺たちのすごいところを、ヴァルフの奴らに見せつけてやろうぜ、シュオ!」
カイルは既に闘志満々といった様子で拳を握りしめている。今すぐにでも試合が始まりそうな勢いだ。
そんな対照的な二人の姿を見て、シュオは小さくため息をついた。確かに、カイルもマリアも個人としての実力は非常に高い。だが、問題は自分だ。
(本当に僕は強くなったと言えるのだろうか…。)
エシュとの特訓の成果は感じている。剣術大会での準優勝も、自信にはなった。
しかし、心のどこかで、まだあの「落ちこぼれ」だった頃の自分を引きずっている。
そして、自分の中に眠るラムジュの強大な力。あれは、自分の力ではない。
本当の意味で、自分は強くなれたのだろうか。そんな葛藤が、シュオの胸の中で渦巻いていた。
「あ、そうや。1つ、言っておかなアカンことがあるんやった。」
マティが、ふと真面目な表情になり、シュオたち2年生の選抜メンバーを見据えた。
「向こうのヴァルフの2年生にも、とんでもない化け物がおるらしい。マリアちゃんみたいに、2年生になってから編入してきた奴らしいんやけどな。そいつの剣の腕は、あのミアウツの王国騎士団長すら圧倒するほどの実力やったとか…。」
「はあっ!? なんですかそいつ、本当に化け物じゃないですか!?」
カイルが目を剥いて叫んだ。
ミアウツの騎士団長といえばサディエル王術学院のアイス団長と並び称されるほどの、王国屈指の剣豪のはずだ。それを圧倒するとは、一体どれほどの強さなのか。
「せやから、本当に化け物かもしれんのや。なんでも、今まで見たこともないような、奇妙な魔術も使うらしいで。」
見たこともない魔術――その言葉を聞いた瞬間、シュオの脳裏にラムジュの存在がよぎった。竜の力、第四世界の魔術体系とは異なる古の魔術。
(もしかして…ヴァルフ王術学院にも、僕とラムジュみたいな…魂を憑依させられた人間がいるっていうのか…?)
嫌な予感がシュオの背筋を走った。
「ま、ひとまず武術チームの選抜メンバーはこれで決定や。魔術チームの方は、これからリーザ副会長と相談して決めていくわ。」
マティは再び生徒会長の顔に戻ると、分厚い学生名簿とにらめっこを始めた。
シュオは先ほどのマティの言葉が、胸に重くのしかかっているのを感じていた。
――――――――
その夜、セーレン家の屋敷に帰ったシュオは、夕食の席で、家族に対抗戦のメンバーに選ばれたことを報告した。
父アルギリドは、驚きのあまり持っていたフォークを落としそうになりながら、口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
長兄のラルフは普段の厳しい表情を崩し、珍しくにこやかな顔で「そうか、シュオ。大したものじゃないか。セーレン家の名誉のためにも、せいぜい頑張るんだな。」と、弟の成長を素直に褒め称えた。
そして、次兄のヨーカスはいつも通り無口だったが、シュオに向かって力強くサムズアップをして見せた。その無言の激励が、シュオには何よりも嬉しかった。
食事の後、シュオはエシュの部屋を訪ねた。彼女はランプの灯りの下で、黙々と自主トレーニングに励んでいるところだった。
「エシュさん。報告があります。今月行われる、ヴァルフ王術学院との対抗戦のメンバーに、僕が選ばれました。」
「そうですか。」
エシュは汗を拭いながら、静かに頷いた。
「ラルフ様も学生時代には何度も選抜されておられました。シュオ様も、ついにそこまで到達されたのですね。素晴らしいことです。」
「…ですが……」
シュオは一瞬言葉を詰まらせてしまった。自分の中に渦巻く、言いようのない不安。それをエシュに話してもいいものだろうか。弱音を吐いていると、呆れられてしまうのではないか。
「シュオ様。」
エシュはシュオの心の揺らぎを感じ取ったのか、優しい、しかし芯のある声で呼びかけた。
「シュオ様はきっと、ご自身の強さに対して、まだ確信が持てずにいらっしゃるのでしょう。一年前に比べれば、あなたは比べ物にならないほど強くなられた。それは紛れもない事実です。ただ、それが本当に『自分の力』なのか、それとも、まだ見ぬ強敵を前にすれば、脆くも崩れ去ってしまうような、上辺だけの強さなのではないか…と。そう迷っていらっしゃるのではありませんか。」
エシュの言葉は、まるでシュオの心の中を見透かしているかのようだった。図星を突かれ、シュオは何も言い返すことができない。
「大丈夫です、シュオ様。」
エシュはシュオの肩にそっと手を置いた。その手は、いつも剣を握り、鍛え上げられた、力強い手だった。
「シュオ様の強さはこの私が保証します。あなたは私の最高の弟子です。どうか、ご自身の実力と、これまでの努力に、誇りを持ってください。」
エシュの、優しく、そして力強い言葉。それは、まるで温かい光のように、シュオの心に深く染み渡り、迷いや不安を少しずつ溶かしていくようだった。
「…分かりました。」
シュオは、顔を上げた。その瞳には、もう迷いの色はなかった。
「僕、やってみます。ヴァルフ王術学院の相手がどれだけ強くても、今の僕の全てをぶつけて、正々堂々戦ってきます。」
その力強い宣言に、エシュは満足そうに頷いた。シュオの顔は、不安から解放され、すっきりとした、決意に満ちた表情に変わっていた。




