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第2話 王子、世界を知る

アーニャがクローゼットから用意した服は、ラムジュの時代には存在しなかった、奇妙なデザインのものだった。

上着とズボンが分かれており、伸縮性のある布地で作られているようだ。

シュオは戸惑いながらも、アーニャに手伝われながら、その服に袖を通した。意外にも動きやすく、悪くはない着心地だった。

着替えを終えると、アーニャは少し慌てた様子でシュオを促した。


「シュオ様、朝食のお時間でございます。旦那様や兄上様方もお待ちかねです。さあ、一階の食堂へ。」


アーニャにせかされるように部屋を出て、長い廊下を歩き、螺旋階段を下りていく。

屋敷の中はどこもかしこも豪華な装飾が施されており、セーレン家というのがそれなりに裕福な貴族であることが窺えた。


案内されたのは大きな窓から朝日が差し込む、広々とした部屋だった。

部屋の中央には長いテーブルが置かれ、すでに三人の男性が席に着き、食事をとっていた。

中央の席に座っているのは、恰幅のいい壮年の男性。

豊かな口髭を蓄え、威厳がありながらも、どこか人の良さそうな雰囲気を醸し出している。

その左右には、シュオよりも少し年上に見える、二人の若い男性が座っていた。

どちらもシュオとはあまり似ていない、精悍な顔つきをしている。

壮年の男性は、シュオの姿を認めると、パッと顔を輝かせ、椅子から立ち上がった。


「おお、シュオ! 目が覚めたのか! よかった、本当によかったぞ!」


男性は心底嬉しそうに言い、シュオに駆け寄ろうとした。

シュオはその男性が誰なのか分からず、小声で隣のアーニャに尋ねた。


「アーニャ、あの者たちは?」

「あ、はい。中央にいらっしゃるのが、シュオ様のお父上、アルギリド様です。そして、お父様の右隣が長兄のラルフ様、左隣が次兄のヨーカス様でございます。」


(父親と…兄か)


シュオは、内心で呟きながら、目の前の男性――アルギリドに向き直った。そして、できるだけ自然に振る舞おうと、記憶の底から引っ張り出したような、どこか芝居がかった口調で言った。


「ああ、おかげさまで、すっかり元気に目を覚ましたよ、――親父殿。」


そう言うとシュオは自分の分の食事が用意されている空席へと向かい、どかりと腰を下ろした。

その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

アルギリドは目を丸くし、口を半開きにしたまま固まっている。

ラルフとヨーカスも、驚いたようにシュオの顔を凝視していた。


「……シュオ?」


アルギリドが、訝しげに呼びかける。


「その…『親父殿』とは…?」

「なんだ、シュオ! その口の利き方は! 父上に対して無礼であろうが!」


右隣に座っていたラルフが、厳しい声でシュオを叱責した。


(…む? 何かおかしなことを言ったか?)


シュオにはなぜ彼らがそんなに驚いているのか、何が「無礼」にあたるのか、全く理解できなかった。

竜人族の世界では、父親を「親父殿」と呼ぶのはごく普通のことであったからだ。

しかし、今は些細なことで波風を立てるべきではない。

シュオは目の前に並べられた料理に目を向けた。

見たこともない食材が、彩り豊かに盛り付けられている。

とりあえず一番近くにあった肉料理らしきものをフォークで刺し、口に運んでみた。


「……!」


シュオは目を見開いた。

美味い。驚くほどに。

複雑な香辛料の風味と、柔らかくジューシーな肉の旨味が口の中に広がる。

三千年前の竜人族の料理は、もっと素朴で、力強い味わいが主だった。こんな繊細で、手の込んだ料理は初めてだった。

次の瞬間、シュオは我を忘れて目の前の料理にがっつき始めた。

空腹だったこともあるが、それ以上に、この未知の美味さが彼を夢中にさせた。

フォークとナイフを巧みに操り(なぜかその使い方は体が覚えていた)、次々と料理を平らげていく。

その凄まじい食べっぷりに、アルギリドもラルフもヨーカスも、そして控えていたアーニャまでもが、ただただ呆然とシュオを見つめていた。

普段のシュオは食が細く、こんな風にがつがつと食べる姿など、誰も見たことがなかったからだ。


あっという間に皿を空にし、満足げに息をついたシュオ。その時、アーニャがおずおずと声をかけてきた。


「あ、あの、シュオ様…そろそろ、学院へ向かうお時間ですが…」

「学院?」


シュオは首を傾げた。


「それは何だ?」


その一言に再び部屋の空気が凍りついた。アルギリドは眉をひそめ、ラルフとヨーカスは顔を見合わせている。


「シュオ様…! 学院とは、先ほども申し上げました、サディエル王術学院のことでございますよ!」


アーニャが慌てて説明する。


「ああ、あのガキどもが剣や魔法を学ぶとかいう場所か。」


シュオは納得したように頷いた。


「で、なぜ俺がそんな場所に行かなくちゃならないんだ?」


もはや家族の誰もがシュオの異常を確信していた。

アーニャは、アルギリドに向き直り、震える声で報告した。


「だ、旦那様…! シュオ様は…その、記憶を失っておられるようなのです…!」

「なんと…」


アルギリドは深刻な表情で頷くと、テーブルの上に置かれていた小さな呼び鈴を手に取り、チリン、と鳴らした。

呼び鈴の音が静かに響くと、間もなくして、部屋の扉が開き、一人の女性が入ってきた。

長い黒髪を後ろで一つに束ね、腰には長剣を携えている。

凛とした佇まいで、明らかにただの使用人ではない雰囲気を漂わせている。

年の頃は二十代後半だろうか。鋭い眼光が、部屋の中を一瞥した。


「お呼びでしょうか、アルギリド様。」


女性は低く落ち着いた声で言った。


「うむ、エシュ。」


アルギリドは女性――エシュに頷きかけると、シュオの方を示した。


「シュオのことだが…どうやら記憶に混乱が見られるようだ。すまないが、今日も学院まで送り届けてはくれぬか。道中、何か変わったことがあれば、すぐに知らせてほしい」

「…承知いたしました。」


エシュと呼ばれた女戦士は、シュオを一瞥した。その視線には、わずかな疑念と、観察するような鋭さが含まれていたが、特に何も言わず、深く一礼した。


「シュオ様、参りましょう。」


エシュに促され、シュオは席を立った。

家族からの心配そうな視線を背中に感じながら、部屋を出る。

途中、アーニャが慌てて駆け寄り、革製のカバンをシュオに手渡した。

中には教科書らしきものが入っているのだろう。

エシュに連れられて屋敷の玄関ホールへと向かう。

重厚な扉の前で、エシュが静かにその扉を開けた。


「―――」


扉の外に広がっていた光景に、シュオは思わず息を呑んだ。

そこは、活気に満ちた街だった。

石畳の道を行き交う、様々な服装の人々。楽しそうな笑い声や、呼び込みの声が賑やかに響き渡る。

道の両脇には様々な店が軒を連ね、色とりどりの商品が並べられている。空は青く澄み渡り、空気は清々しい。

それはシュオが知る第三世界の戦火に明け暮れた竜人族の街とは、あまりにもかけ離れた、平和で豊かな光景だった。

人々は恐怖に怯えることなく、日々の営みを謳歌している。


(…これが、第四世界…人間の世界か…)


シュオの口元が、無意識のうちにわずかに緩んだ。

理由は分からないが、この平和な光景は、彼の心の奥底にある何かを、少しだけ和ませるような気がした。


「シュオ様、参ります。」


エシュの冷静な声に促され、シュオは屋敷の外へと足を踏み出した。

エシュの後ろにつきながら、賑やかな大通りを歩いていく。

すれ違う人々は、シュオの姿に特に注意を払う様子はない。

この「シュオ・セーレン」は、この街の日常に溶け込んでいる存在なのだろう。


しばらく歩くと、前方に巨大な建造物が見えてきた。

天高く聳え立ついくつもの塔、広大な敷地を囲む高い塀。

その壮麗な建物に向かって、シュオと同じような制服を着た少年少女たちが、続々と吸い込まれていく。


「あれが、サディエル王術学院でございます。」


エシュが前方を指さしながら言った。

そこがシュオがこれから通うことになる場所。

記憶を失った(とされている)落ちこぼれの貴族の子息として、彼はこの未知の世界で、新たな生活を始めなければならないのだ。

シュオは巨大な学院の校門を見上げながら、小さく息をついた。

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