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〜Doragoon Life〜 最強種族の王子、転生して学園生活を謳歌する  作者: かみやまあおい
第1部

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第15話 闇の儀式

そこは、光という概念そのものが存在を許されていないかのような空間だった。

外の世界では、真夏の太陽が燦々と大地を照らし、生命が謳歌しているはずの季節。

しかし、この部屋には、そんな世界の法則などまるで通用しない。

まるで底の見えない古井戸の暗がりを覗き込んでいるかのような、あるいは夜の海の最も深い場所、陽の光など永遠に届かぬ深淵を思わせる、絶対的な闇が支配していた。

壁も、天井も、床さえも、その境界線は闇に溶け込み、部屋の正確な広さはおろか、形すら掴むことは叶わない。

ただ、しんと骨身に染みるような冷たい空気が淀み、あらゆる音という音を吸い込んで霧散させてしまうかのような、完全な静寂だけがそこにあった。死そのものが持つ静けさに似ているかもしれない。


その重苦しく、息苦しいほどの沈黙の中で、唯一、かろうじて存在を主張するものが一つだけあった。

部屋の中央付近にかすかに灯る、小さな、本当に小さなろうそくの火。

頼りなく左右に揺らめき、今にも消え入りそうなその儚い炎は、周囲の圧倒的な闇をほんのわずかに押し退け、直径にして一メートルほどの円を描くように、鈍く光る床の一部だけをぼんやりと照らし出していた。

しかし、その光はあまりにも弱々しく、闇の広大さと深さを際立たせるばかりで、見る者に安らぎよりもむしろ、根源的な不安と恐怖を掻き立てるかのようだった。


その、か細い光が作り出す小さな円の中に、一人の人物が立っていた。

全身を、フード付きの黒いローブで深く覆い隠しており、その姿からは性別を判断することすら難しい。

男か、女か。あるいは、そもそも人間なのかどうかさえも定かではない。

ただ、時折動く体の線や、ローブの袖口から僅かに覗く手首の様子から、その体躯が驚くほど細身であることだけが窺い知れた。

まるで、長い年月、陽の光を浴びることなく、地下で育った植物のような、不健康で病的な細さだった。


その人物――便宜上、「彼」と呼ぼう――は、小さな光の中で、一冊の古びた本を大切そうに手に持っていた。

革と思われる表紙は、長い年月と手垢によって擦り切れ、元の色すら判別できないほどに変色している。

ページは黄ばみ、端は脆く崩れかけており、不用意に扱えばたちまち塵と化してしまいそうだ。

何世代にもわたって受け継がれてきた秘密の知識が記されているのか、あるいは、決して開かれてはならない禁断の魔導書なのか。

その本は、異様なまでの存在感を放っていた。


彼は、その古びた本に記された難解な文字や図形に目を落としては、何かを確認するように小さく頷き、再び床に視線を戻す。

その視線の先、ろうそくの光が照らす範囲の床には、複雑怪奇な幾何学的な模様が、いくつも重なり合うように描かれつつあった。

鋭角的な線、流れるような曲線、そして不可解な記号。それらが緻密に組み合わさり、ある種の禍々しい調和を生み出している。

注意深く観察すれば、それが途方もなく複雑な魔法陣であることが分かるだろう。

彼は、その魔法陣の線を、何度も何度も修正している。

ローブの袖で汗を拭う仕草(それが汗なのか、あるいは別の液体なのかは定かではないが)を繰り返しながら、ミリ単位のズレも許さないというような、異様な集中力で作業を続けていた。


この魔法陣を完成させるために、彼は一体どれほどの年月を費やしてきたのだろうか。

この禁断の知識が記された本を探し求め、大陸を放浪し、時には人を欺き、時には人を傷つけ、そして…そう、前の所有者を呪い殺して、ようやくこの本を手に入れたのは、もう何年も前のことだった。

それ以来、彼は誰にも見つからぬよう、世間から完全に姿を消し、このような光の届かぬ、忘れ去られた場所で、ただ一人、来る日も来る日も、この魔法陣を描く作業に没頭してきたのだ。

食事も睡眠も最低限に切り詰め、狂気に近い執念だけを頼りに、ひたすらペンを、いや、彼自身の指を動かし続けてきた。

そして今、その永い、孤独で、狂気に満ちた努力が、まさに報われようとしていた。彼の血と汗と、そしておそらくは狂気そのものが染み込んだ魔法陣が、完成の時を迎えようとしていたのだ。


「あと…少し…。もう、あと少しで…これが完成すれば…我が、望みは…かなう…。」


ローブの人物は、かすれた声で呟いた。

それは、ほとんど吐息のような、弱々しい響きだったが、その声の奥底には、抑えきれないほどの熱、長年にわたる渇望、そして絶望的な状況からの脱却を願う、切実な祈りのようなものが宿っていた。

彼がこの儀式に、一体何を賭けているのか。その重さが、その一言に凝縮されているようだった。

彼は、左手の指先を、おそらくはローブの下に隠し持った小さな刃物で、躊躇なく切り裂いたのだろう。

そこから滴り落ちる、新鮮で生々しい赤黒い血。

それを、まるで絵筆を使うかのように、右手の人差し指で掬い取り、最後の仕上げとなる線を、床の魔法陣へと慎重に、しかし確かな手つきで引いていく。

ひたり、ひたりと、血の滴が床に落ちる、粘着質な、微かな音だけが、深淵の静寂を破っていた。

痛みを感じている素振りは、全く見られない。ただひたすらに、憑かれたように指を動かし、血の線を紡いでいく。


そして、ついに。彼の手が止まった。

最後の線が、先に描かれていた線と寸分の狂いもなく繋がり、複雑怪奇な魔法陣が、完璧な形で床の上に完成した。

血で描かれたそれは、濡れて鈍く光り、まるで生きているかのように、禍々しい脈動を放っているかのようだった。


「…できた…。ついに…完成した…!」


再び、安堵とも、極度の疲労ともつかない呟きが、フードの奥から漏れた。

彼は、血で汚れた指先を、ローブの裾で無造作に拭うと、傍らに置いていた古びた本を、まるで宝物でも扱うかのように、しかしどこか焦った様子で慌てて手に取った。

ぱらぱら、ぱらぱらと、乾いた、脆いページがめくられていく音が、静寂の中に響く。

その指の動きには、先ほどまでの鬼気迫る集中とは打って変わって、明確な焦りの色が滲んでいた。

まるで、完成したばかりの血の魔法陣が、その効力を失ってしまう前に、一刻も早く次の段階へ進まなければならない、とでもいうように。

やがて、目的のページを見つけたのだろう。彼の指の動きがぴたりと止まった。

そのページには、魔法陣の図形以上に難解で、おびただしい数の文字や記号が、隙間なくびっしりと書き連ねられているようだった。

彼は、そのページをろうそくの弱々しい光にかざし、まるで魂を吸い取られるかのように、食い入るようにその内容を確認する。


「よし…。あとは…この魔術を…これを唱えさえすれば…成功するはずだ…!」


独り言は、期待と不安がない交ぜになった、微かな震えを帯びていた。

成功への確信と、万が一の失敗への恐怖。その二つの感情が、彼の心の中で激しくせめぎ合っているかのようだ。

彼は一度、深く、深く息を吸い込んだ。

それは、これから行う神聖にして禁断の儀式に対する、覚悟を決めるための、最後の精神統一のようにも見えた。


そして、か細い、しかし妙に張り詰めた、どこか狂気を帯びた声で、本に記された禁断の言葉を読み上げ始めた。

それは、第四世界のどの言語とも、いや、おそらくはこの世界のどの言語とも似ていない、奇妙で、不気味な響きを持つ言葉の連なりだった。

喉の奥深くで響くような低い唸り声、舌を鋭く弾くような破裂音、そして、まるで蛇が這うような、囁くようなかすれた音。

それらが、理解不能な法則に従って複雑に組み合わさって、呪文のような、禍々しい旋律を織りなしていく。


彼の声は、最初こそ弱々しく、途切れがちだったが、詠唱が進むにつれて徐々に力を帯び、熱を増し、部屋の淀んだ冷たい空気をビリビリと震わせ始めた。

その、異様な言葉が紡がれるのに呼応するかのように、床に描かれた血の魔法陣が、おぼろげな赤い光を放ち始めた。

最初は、まるで残り火が風に煽られて、かろうじてくすぶっているかのような、弱々しく、頼りない光だった。


しかし、彼の詠唱が熱を帯び、その声が尋常ならざる響きを増していくにつれて、魔法陣の光もまた、次第に強く、鮮やかになっていく。

血で描かれたとは思えないほど、鮮烈で、目に焼き付くような赤。それはまるで、魔法陣の線そのものが生命を得て、ドクン、ドクンと脈打っているかのようにも見えた。

部屋の温度が、わずかに上昇していくのを感じる。

魔法陣を構成する、複雑に絡み合った線が、一本、また一本と、燃えるような赤い光を増していく。

彼の詠唱は、もはや人間の声とは思えないような、この世のものならざる、異様な響きを帯びていた。

苦痛とも、歓喜ともつかない歪んだ表情が、深く被られたフードの影の中で、激しく蠢いているのかもしれない。彼は完全に、儀式に没入し、我を忘れていた。


そして、ついに。魔法陣を構成する全ての線が、燃え盛る溶岩のような、強烈な赤い光を放った。

部屋の深淵の闇を切り裂くように、鮮やかで、しかしどこか禍々しい五芒星を中心とした魔法陣が、床の上に完全に浮かび上がったのだ。


その瞬間だった。


五芒星を取り囲むように描かれていた、もう一つの巨大な円形の線が、赤い光に呼応するように、今度は眩いばかりの白銀の輝きを放ち始めた。

赤い星と、白い円。二つの異なる色の光が、互いを打ち消し合うことなく、むしろ互いを高め合うように、その輝きを爆発的に増していく。

弱々しかったろうそくの火など、もはや存在しないも同然だった。部屋全体が、強烈な赤と白銀の光によって、昼間のように、いや、それ以上に明るく照らし出された。


「おお…! おおおおっ! 遂に…! 遂に発動したぞ…!!」


ローブの人物は、詠唱を終えた口で、歓喜の、ほとんど絶叫に近い叫びを上げた。

手にしていた古びた本を、まるで不用になったかのように放り出し、両手を高く、天に向かって突き上げる。

その細い体が、抑えきれない喜びでわなわなと打ち震えているのが、ローブ越しにもはっきりと分かった。


「これで…! これで我が望みはかなうのだ! 長年の…永年の宿願が…今、まさに、成就するのだ…!!」


闇の中に輝く、赤と白銀の魔法陣。そして、その中央で狂喜乱舞する、異様なローブの人物。それは、常軌を逸した、しかしどこか荘厳さすら感じさせる、異様な光景だった。

達成感と、これから訪れるであろう輝かしい未来への期待が、彼の全身から溢れ出していた。


だが、男の喜びは、文字通り一瞬のものだった。

狂喜の叫びが部屋に響き渡るのと、ほぼ同時だった。

床に輝く魔法陣の光が、その性質を再び、そして急激に変えたのだ。

それまで放たれていた、力強く、生命力に満ちたような赤と白銀の輝きが、一転して、まるで腐敗した内臓のような、薄汚れた、禍々しい紫色へと変貌したのである。


「な…!?」


予想外の色の変化に、ローブの人物の顔から歓喜の表情が一瞬で消え去り、驚愕と、そして得体の知れない現象に対する恐怖の色が取って代わった。

魔法陣から放たれる光は、もはや神々しいものではなく、不吉で、粘つくような、嫌悪感を催させるものへと変わっていた。空気中に、硫黄のような、腐臭にも似た異臭が漂い始める。


「違う…! こんなはずでは…! 何かが、おかしい…!」


彼が描いた魔法陣は、彼の意図と制御を完全に離れ、暴走を始めていたのだ。紫色の光は、まるで飢えた蛭のように蠢き、不協和音のような、耳障りな唸りを上げ始めた。

ローブの人物は、狼狽し、後ずさろうとした。だが、もう遅かった。


次の瞬間、禍々しい紫色の光を放つ魔法陣が、それまでで最大級の輝きを放った。それは、天上の雷鳴にも似た轟音と共に、部屋全体を、いや、この空間そのものを揺るがすほどの、暴力的な閃光だった。

あまりの眩しさに、彼は思わず目を覆った。時間さえもが引き伸ばされたかのような、永遠にも感じられる一瞬。

そして、光は唐突に消え去った。

後に残されたのは、先ほどよりもさらに深い闇と、耳鳴りがするほどの静寂。そして、床の魔法陣の上には―――


「……。」


ローブの人物は、恐る恐る目を開けた。そして、目の前の光景に、絶望した。

魔法陣の上に立っていたのは、彼が望んだ輝かしい存在ではなかった。

そこにいたのは、漆黒の体毛に覆われた、巨大な四足の獣。ねじくれた角、燃えるような赤い瞳、鋭い牙と爪。

体からは、闇そのものが滲み出しているかのような、禍々しいオーラが立ち昇っている。

それは、第五世界に棲むという、悪魔や魔獣と呼ばれる存在に違いなかった。儀式は失敗したのだ。いや、成功はしたのかもしれない。ただし、呼び出したものが、全くの別物だったというだけだ。


「ち…違う…! 私が…私が望んだものは…! こんなものでは、ない…!!」


ローブの人物は、その場に力なく膝をついた。長年の努力、犠牲、そして狂気が、全て水泡に帰した。絶望が、彼の心を完全に打ち砕いた。

漆黒の獣は、ゆっくりとその巨体を動かし始めた。ぎろり、と赤い瞳が、膝をつくローブの人物を捉える。その瞳には、知性のかけらもなく、ただ純粋な飢えと、破壊衝動だけが宿っていた。


「や…やめろ…。」


ローブの人物が、か細く、懇願するように呟いた。

だが、その声が獣に届くはずもなかった。漆黒の獣は、低く唸り声を上げると、その鋭い爪を剥き出しにして、無防備なローブの人物へと、一直線に飛び掛かった。


「ぎゃあああああああああああっっ!!!」


断末魔の悲鳴が、深淵の闇に響き渡った。肉が引き裂かれる生々しい音、骨が砕ける鈍い音。そして、壁や床に、生暖かい血が、無残に飛び散る音。

惨劇は、一瞬で終わった。


後に残されたのは、無残に引き裂かれ、血に濡れた黒いローブの切れ端だけだった。かつてそこにいた人物の痕跡は、それ以外には何も残されていない。

漆黒の獣は、満足したかのように、血に濡れた口元を舌で舐めると、天に向かって、空気を震わせるほどの、勝利の咆哮を上げた。


「グルオオオオオオオオッッ!!」


そして、その巨体を宙へと躍らせると、部屋の天井を、まるで紙を破るかのように、轟音と共に突き破った。

獣が去った後、部屋には再び静寂が戻った。ただ、天井に開いた巨大な穴から、外の世界の、わずかな月明かりだろうか、青白い光が差し込み、床に散らばるローブの切れ端と、生々しい血痕を、無情に照らし出していた。

禁断の儀式の果てに待ち受けていたのは、望んだ栄光ではなく、呼び出してはならない存在による、無慈悲な破滅だけだった。

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