第13話 収穫祭
シュオ・セーレンの体にラムジュの魂が宿り、サディエル王術学院での波乱の日々が始まってから、早くも一ヶ月が過ぎた。
季節は燃えるような夏から、過ごしやすい初秋へと移り変わろうとしている。
この時期になると、ラスティーナ地域の首都ベロニアでは、毎年恒例の一大イベント『収穫祭』が開催される。
豊かな大地の実りに感謝し、神々への祈りを捧げると共に、人々が飲めや歌えやの宴を楽しむ、活気に満ちた祭りだ。
収穫祭の期間中、ベロニアの街は普段以上の賑わいを見せる。
近隣の街からはもちろん、他の地域からも多くの観光客が訪れ、人口五万人の大都市は人で溢れかえる。
特に、街の中心を貫く大通りには様々な露店が所狭しと立ち並び、昼夜を問わず陽気な音楽と人々の笑い声が絶えない。
学院の授業が終わると、シュオはクラスメイトであり、幼馴染でもあるカイルとリーザに半ば強引に連れ出され、その賑わう大通りへとやってきていた。
「うわー! すごい人だな!」
カイルは、人の波にもまれながらも、興奮した様子で目を輝かせている。
「本当にね。でもこの活気、なんだかワクワクするわ。」
リーザも楽しそうに周囲を見渡している。
シュオはそんな二人とは対照的に、ややうんざりした表情で人混みを眺めていた。
ラムジュだった頃、竜人族の祭りも経験している。
それは、巨大な焚き火を囲み、屈強な戦士たちが豪快に酒を酌み交わし、力強い歌と踊りに明け暮れる、もっと荒々しく、生命力に満ちたものだった。
それに比べると、この人間の祭りは、どこか洗練されすぎていて、物足りなさを感じてしまう。
(…まあ、これも悪くはないか。平和なのは、いいことだ。)
そんなことを考えていると、リーザがシュオの腕を軽く引っ張った。
「ねえ、シュオ君。たしか、ベラ牛の串焼きが好きだったわよね? あそこのお店、すごく人気みたいよ!」
「ベラ牛…?」
シュオにはその名前の牛に聞き覚えはなかった。元のシュオの好物だったのだろうか。
しかし「串焼き」という響きには、素朴で力強い響きがあり、シュオの食指を動かした。
「…ああ、そうだったかもしれんな。」
シュオは曖昧に頷いた。
リーザに手を引かれるまま、3人は人気の串焼き露店の前へと向かう。
香ばしい肉の焼ける匂いが漂い、食欲をそそる。
露店の前にはすでに長い行列ができており、その盛況ぶりを物語っていた。
「うわ、すごい列…」
カイルが少しげんなりした顔をする。
「美味しいもののためなら、これくらい我慢しなさいよ、カイル。」
リーザがカイルをたしなめる。
3人は辛抱強く列に並び、ようやく熱々のベラ牛の串焼きを手に入れることができた。
早速かぶりつくと、口の中に濃厚な肉汁がじゅわっと溢れ出し、香ばしいスパイスの香りと共に、極上の旨味が広がる。
「うまっ!」
シュオは思わず声を上げた。柔らかく、それでいて噛み応えのある肉質。
竜人族の世界でも食べたことのない、複雑で奥深い味わいだ。
元のシュオはなかなかの美食家だったのかもしれない。
シュオは夢中になって串焼きにかぶりつき、あっという間に一本を平らげてしまった。
カイルとリーザも、その美味しさに満足げな表情を浮かべている。
串焼きを堪能した後、3人はぶらぶらと他の露店を見て回ることにした。
新鮮な野菜や果物、手作りのアクセサリー、珍しい工芸品、そして冒険者が使うであろう武器や防具。様々な品物が並び、見ているだけでも楽しい。
そんな中、一つの露店でシュオの足が止まった。
そこは様々な種類の武器や防具を扱っている露店だった。
他の露店で売られているものとは明らかに違う、質の高さを感じさせる品々が並んでいる。
(ほう…これは…なかなかの業物だな。)
シュオは、露店に並べられた剣や鎧を、鑑定するように見つめた。
どの品も、実用性を重視しつつも、洗練されたデザインが施されている。
素材の質も良く、作り手の確かな技術が窺えた。
露店で売るには惜しいほどの品ばかりだ。ちゃんとした店を構えれば、もっと高く売れるだろうに。
「へぇ、お兄さん、なかなか見る目があるねぇ。」
シュオが品物に見入っていると、店番をしていた若い女性が、快活な声で話しかけてきた。
歳は二十代前半くらいだろうか。青い髪を無造作に束ね、鍛冶作業用らしい革のエプロンを身に着けている。
その下に着ているシャツは、彼女の豊満な胸を強調し、今にもはちきれそうだ。健康的で、快活な印象の女性だった。
「これは、あんたが作ったのか?」
シュオは女性に問いかけた。
「そうだよ。ここに並んでるのは、ぜーんぶ、この私が丹精込めて作った逸品さ!」
女性は胸を張って答えた。その瞳には、自身の仕事に対する誇りが溢れている。
「私はね、生まれはここから近いグロッセなんだけど、トギル地域のドワーフの親方のところでみっちり修行して、最近ベロニアに戻ってきたんだ。将来の夢は、世界一の鍛冶屋になること!」
女性は、夢を語る子供のように目を輝かせた。
(トギル地域のドワーフ…なるほど、道理で腕がいいわけだ。)
トギル地域は、第四世界でも屈指の鍛冶技術を持つドワーフが多く住む場所として知られている。そこで修行を積んだというのなら、この腕前も納得だ。
シュオは展示されている様々な武具を改めて見ているうちに、一本の短剣に目が引きつけられた。
それは、他の武器とは異質な輝きを放っていた。
刀身の部分が、まるで月光を凝縮したかのように、白く、淡く輝いている。
ラムジュが知るどんな金属とも違う、未知の物質で作られているようだ。
その輝きには、どこか神秘的な力すら感じられた。
「…この短剣は、いくらだ?」
シュオはその短剣を指さして尋ねた。
女性はシュオの視線に気づくと、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「おっ、お兄さん、それに目を付けるとは、やっぱり只者じゃないね! そいつはね、『月鋼』っていう、トギルでしか採れない特殊な鉱石を使って作った特別製なんだ。だから、お値段も特別。―――3ゴールドだよ。」
「さ、3ゴールド!?」
女性が提示した金額に、隣で聞いていたカイルが素っ頓狂な声を上げた。
「そ、そんな大金、学生の俺たちに払えるわけないだろ!」
シュオは第四世界の通貨単位についてまだ詳しくなかったため、カイルに小声で尋ねた。
「3ゴールドというのは、そんなに高いのか?」
「高いも何も…!」
リーザが、呆れたように説明する。
「1ゴールドは1000シルバー、1シルバーは1000ブロンズよ。さっき食べたベラ牛の串焼きが1本30ブロンズだったでしょ? つまり、この短剣は串焼き10万本分ってこと!」
(串焼き10万本…!)
シュオはその数字に驚愕した。金銭感覚がまだ掴めていないとはいえ、それが途方もない金額であることは理解できた。
「3ゴールドなんて言ったら、ベロニアでそこそこの家が一軒買えちまうくらいの金額だぞ!」
カイルがさらに追い打ちをかけるように言った。
(…家が一軒…か。)
ラムジュだった頃は王国の王子として金銭に不自由したことはなかった。欲しいものは何でも手に入った。
しかし、今のシュオ・セーレンは第四貴族とはいえ末端の貴族の三男坊にすぎない。そんな大金を持っているはずもなかった。
(…仕方ないか。今は、諦めるしかないな。)
シュオは、内心で溜息をつき、名残惜しそうに短剣から視線を外した。
「でもさぁ」
女性が、残念そうなシュオの表情を見て言った。
「こうやって、ちゃんと私の作った武具の価値を分かって、褒めてくれたのは、お兄さんが初めてだよ。ベロニアの奴らは、見た目の派手さばっかり気にして、本当の良さが分かってない奴らが多いからね。」
「ふん。それは、ここに来ている連中の目が節穴なだけだろう。これほどの業物の価値が分からんとはな。」
シュオは女性の腕を認め、正直な感想を述べた。
その言葉に、女性は嬉しそうに破顔した。
「あはは! お兄さん、言うねぇ! 気に入った! あんた、名前はなんて言うんだい?」
「シュオ・セーレンだ。」
「シュオか! 私はリッテ・カーネル。さっきも言ったけど、世界一の鍛冶屋を目指してる! よろしくな、シュオ!」
リッテは快活に笑いながら手を差し出してきた。シュオも、その手を握り返す。力強い、職人の手だった。
「リッテ、あんたはいつもこの辺りの露店にいるのか?」
シュオが尋ねると、リッテは首を横に振った。
「いや、普段は職人通りのはずれで小さな工房を借りて、そこでカンカンやってるよ。祭りの時だけ、こうやって露店を出してるんだ。まあ、たまに素材の仕入れでトギル地域に行ってる時もあるけどね。」
「職人通りのはずれか。分かった。もし、武具のことで何か頼みたいことができたら、その工房を訪ねさせてもらう。」
シュオはリッテの工房の場所を詳しく聞きながら言った。
いずれ、この世界で生きていく上で、信頼できる武具が必要になる時が来るかもしれない。
その時、このリッテという鍛冶師は、大きな力になってくれるかもしれないと感じたからだ。
「おう! シュオの頼みなら、特別価格で最高の逸品を作ってやるよ! いつでも来いよ!」
リッテはウインクしながら言った。
「ああ、その時は頼らせてもらう。」
シュオは、リッテの快活さに好感を覚え、自然と笑みを浮かべていた。
――――――――
リッテと別れた後、シュオたちは再び露店を見て回った。様々な珍しいものに触れ、活気ある祭りの雰囲気を楽しんでいるうちに、空は茜色に染まり、時刻は夕方を迎えていた。
「そろそろ帰らないと、アーニャさんに心配かけちゃうわね。」
リーザが時計を見ながら言った。
「そうだな。じゃあ、また明日な、シュオ!」
「ああ、また明日。」
3人は大通りで別れ、それぞれ家路についた。
セーレン家の屋敷に帰ると、やはりアーニャが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、シュオ様。収穫祭はいかがでしたか?」
「ああ、なかなか楽しかったよ。面白い出会いもあったしな。」
シュオはリッテとの出会いを思い出しながら答えた。
「まあ、それはようございました。」
アーニャはシュオの楽しそうな様子を見て、嬉しそうに微笑んだ。
自室に戻ったシュオは、今日の出来事を振り返っていた。
カイルやリーザとの他愛ない時間、活気ある祭りの雰囲気、そして、リッテという才能ある鍛冶師との出会い。
それは、ラムジュとして生きていた頃にはなかった、穏やかで、しかし刺激的な一日だった。
(いつか、また戦う時が来るかもしれない。その時のために、備えておく必要はあるな。)
シュオはリッテが作った武具の質の高さを思い出しながら、未来への布石を打てたことに、密かな満足感を覚えていた。
この第四世界で生きていく上で、力だけでなく、信頼できる仲間や協力者を見つけることもまた、重要なのかもしれない。シュオの心に、新たな決意が芽生え始めていた。
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