養子だと知りたくなかった娘
「アリア。話がある」
「はーい。これが終わったらすぐに行きます!」
巷ではそこそこの商家の娘。
両親はなかなか子供が出来なくてやっと授かった私を愛情をかけて、すごく可愛がってくれている。
店の昨日の売上の計算を終えて父の部屋へと急いで行く。
ノックをして部屋へ入ると両親が揃っていた。
「お父さん、お母さんまで・・・何かありましたか?」
もしかして私の結婚の話かしら?
「まぁ、座りなさい」
対面のソファーに腰掛ける。
母が三人分のお茶を入れてくれて、最後に席に付く。
「まずはこの書類に目を通してくれるか」
私は渡された書類に目を落とす。
『養子縁組届け』と書かれていて、両親の名前に私の名前が書いてあった。
日付は私の誕生日の二週間後・・・。
「これって・・・」
「アリアは養子なんだ」
「冗談は止めてよ・・・!」
「本当なんだ」
「うそでしょう・・・?」
母が私の横に座り私を抱きしめる。
「養子だったとしても私の子供にはかわりはしないわ。愛しているわアリア」
「お母さん・・・」
冗談だとしか思えないのに両親の真剣な顔に冗談だとは思えなくなる。
そんなこと言われても受け止めきれない。
今まで養子だなんて疑ったこともなかった。
両親の愛を疑ったこともなかった。
「どうしてそんな話をするの?今まで黙っていたのなら知らせずにいてくれたら良かったのにっ!!」
「私達も話す気はなかったんだ。アリアは私達の子だと胸を張って言える」
「だったらなぜ?」
「お前の兄だという人が訪ねてきた」
「えっ?」
「会わせて欲しいと言ってきているの」
「アリアが会いたくないのなら会う必要はない。けれど、血の繋がった兄がいるのならアリアは会いたいと思う可能性もあるのではないかと思ったんだ」
「少し、考えさせて・・・今は何がなんだか解らない」
「これだけは信じてほしいの。アリア、私達の大切な子」
母は震える手で私から手を離した。
足元がガラガラと音を立てて崩れていくような気がする。
養子縁組届には両親と私の名前はあったけど、私を産んだ人たちの名前はどこにも書かれていない書類だった。
受理書ではなくなぜ養子縁組届が手元にあるのかも理解できなかった。
兄がいるらしい。
私には兄弟はいない。
お母さんが私を産んだ時に次の子供は望めない体になったのだと偶然知った。
『だから大切な大切な私達の可愛い子』
そう言ってくれたのはつい最近のことだ。
少し笑い声が漏れた。
二日ほど部屋に閉じこもって答えの出ないことをぐるぐると考えて、やはり答えは出なくて部屋から出ることにした。
「お父さん、私が養子になった経緯を聞いてもいい?」
「勿論だよ」
父は私の隣りに座って私の手を取る。
ほんの少し、ビクッと体が震えた。
それでも父は私の手を離さなかった。
逆にきつく私の手を握りしめる。
両親はなかなか子供が出来なくてやっとお腹に宿った子供が嬉しくて仕方なかった。
お腹の中ですくすく育つ子供に早く会いたいと毎日願っていた。
出産に合わせて母の実家へと帰っていた母は予定日より少し遅く陣痛が来た。
父は急いで母の元に駆けつける。
一日以上を掛けて産んだ子供は臍帯(へその緒)が首に巻き付いて産まれてきた。
産まれてきた時にはすでに息をしていなくて、そのまま息を吹き返すことはなかった。
両親は嘆き苦しんだ。
小さな棺に入れられた子にマリアと名付け土へと還した。
その帰り道、一人の女衒と出会った。
その女衒は小さな赤子を抱いていた。
その小さな産まれて間もない子で、腹をすかして泣いていた。
母はその子はどうなるのか聞くと「女郎になる」という答えを聞いて「その子は私の子だからその子を私に返して」とお願いした。
とりあえず泣いている子にお乳をと言って女衒から取り上げて赤子に乳を飲ませた。
女衒は「銀貨一枚で買った子供だ。いくら払う?」と。
父は赤子に値段などつけられないと答えると、女衒は「手間賃に銀貨二枚でいい」と言ったそうだ。
「小さすぎてまだ育つかも解らないからな」
父は銀貨二枚を払って赤子を手に入れた。
それが私だった。
母の実家の両親はどこかで攫ってきたのかと強く問いただされた。
母は「私が産んだアリアよ」と言い、ひとときも手放さなかった。
父が母の両親に事情を説明すると「娘がこれで落ち着くのなら」そう言って私を孫として可愛がることに決めた。
母が出産後だったこともあって赤子は母の産んだ子供だと周囲には思われた。
誰に疑われることもなく十五歳まで育ててきた可愛い娘アリア。
それが崩れたのが一ヶ月ほど前、赤子を譲り渡した女衒が一人の男を連れて訪ねてきたことから始まった。
譲り渡した赤子の兄だと言って。
女衒はそれだけ言うと居なくなってしまい、男だけが残された。
「会わせてくれとは言いません。ただ私達の事情を知ってほしいのです」
その男はその家の長男だった。
大切に育てられていた。
母が三番目の妹を産んで直ぐの頃に長男が病にかかった。
流行病で、銀貨一枚する薬を飲ませさえすれば病は治るものだった。
ただその銀貨一枚が用立てられなかった。
実父は実母が寝付いている間に妹を女衒に売って薬を買って私に飲ませた。
長男は薬のお陰で完治したが、産まれたはずの妹がいなくなっていた。
産みの両親はそれから仲違いをして一年と経たずに離婚してしまった。
実父も売ってしまった娘のことが気がかりだった。
だから探した。売り渡した女衒を見つけた時、女衒は妹の記憶がなかった。
何度も何度も話をしてようやく思い出したのが隣の町で銀貨二枚で売り渡した子を亡くした夫婦のことだった。
それからは妹が生まれた年に亡くなっている小さな墓石を探し、やっと妹までたどり着いた。
女衒は思い出した赤ん坊がどうなっているのか興味があったから長兄の頼みを聞いて赤ん坊を渡した夫婦の元へ一緒に来てくれた。
「女衒を探してやっと見つけてここまで来てしまいました。自分勝手だと言うことは解っています。ですが父はもう治らない病に罹っています。死ぬまでに一度会わせてやりたいと思いました。養女だと知っているなら会わせてやることが出来るかもしれないと思ってしまいました」
「アリアは私達の子供です」
「解っています。返してくれとは言いません。いえ、言えません。会いたいと言うことも本当なら言うべきでないと解っています」
「解っているなら帰っていただきたい」
「・・・解りました。聞いていただいてありがとうございます。一応これは私達の家の住所です」
長兄が帰った後、父は住所の書かれた紙を二つに引き裂いて一度はゴミ箱に捨てたが、拾い上げて引き出しにしまった。
それからは何度も母と話し合って会わせないと何度も離しの決着はついたけれど、本当にそれでいいのか悩み続けた。
そして、私に告げることを選んだ。
「会いに行ってもいい、行かなくてもいい。アリアの好きにしなさい。ただし、アリアは私達の子供だ。会いに行っても必ず帰ってきなさい」
二つに引き裂かれた紙が手の上に置かれた。
そこには住所とアジュンと書かれていた。
実の父の名なのだろうか?それとも兄の?
三番目の子供ということはもう一人兄か姉がいるのね。
なぜ私なら売っても良かったのだろう?
長男を大切にするのは解る。二番目の子どもと私の違いは何だったんだろう?
そんなことを聞いてどうなるというのか?
今の私は幸せなのだから知る必要なんかない。そう思うのに考えることを止められなかった。
父から養子だと聞かされてから三ヶ月が経ったけれど私は行くとも行かないとも決められずにいた。
時折人の視線を感じることがある。
なんとなく兄なのではないだろうかと勝手に思っている。
視線を感じても振り返らないように気をつけている。
私の幸せを邪魔してほしくないからか、幸せな私を見せつけたいからか自分でも解らない。
父と母は今まで通り何のかわりもない。
ほんの少しだけ私が変わってしまった。捻くれた考えを持つようになってしまった。
両親達には買った意識はないのだと思う。けれど私は銀貨一枚で売られて銀貨二枚で買われた子供。
知らずにいたかった。
一時期感じていた視線を感じなくなった。
煩わしさを感じなくなってホッと息を吐いた。
けれど感じなくなったら感じなくなったで少しイライラする。
兄は私をあきらめてしまったのだろうか?
簡単に諦めるのなら最初っから来なければいいのに。
そうしたら私は知らずにすんだ。
私はまた少し捻くれた。
イライラが止まらなくなって私は二つに引き裂かれた紙を手に取った。
少しの荷物を持って馬に跨る。
両親のことを思いやる余裕はなかった。
誰にも何も告げずに家を飛び出してしまった。
家から二日ほど離れた小さな村。
こんなに近くにいたんだ。
母方の祖父母の家からだと隣に位置する村。
祖父母の家に寄る気にもなれなくて、宿に泊まる。
一人で宿のベッドで膝を抱えて考えてしまう。
売られたこと買われたこと。
売った父のこと、私を産んだ母のこと。
馬に跨っていてもずっとその事ばかり考える。
答えの出ないことを。
朝、重い体を無理矢理に起こしてなぜ起きなければいけないのかと考える。
食欲のない体に無理やり食事を詰め込んでのろのろと進んだ。
馬は今はもう歩いている。
昨日までは馬鹿みたいに馬を走らせて無理をさせたのに、ここまで来て怖気づいている。
「二度と関わるなって言ってやる。それから・・・罵るだけ罵ってやるんだ」
どんなにゆっくり進んでも前へ進んでいる以上到着してしまう。
鄙びた小さな村。
私が産まれた村なんだ・・・。
なんだか様子がおかしい?
馬上から降りてゆっくりと進む。
一軒の家に人の出入りが多い。
その家に近づいていくと家から出てきた人と鉢合わせした。
出てきた男は私を見てハッと息を詰めて「ナウルカ」と呼んだ。
「私はアリアです!!」
また息を詰めるのが見て取れる。
「そうだね。君はアリアだ。来てくれてありがとう。私はアジュン。マリア、残念だけど少し遅かったよ。父は昨日亡くなったんだ」
あぁ、私は私を売ったことを聞きそびれてしまった。悲しみは感じない。
「母親は?」
「行方は解らないんだ。離婚後実家に帰ったはずなんだけど、帰る途中で姿をくらましてしまったんだ」
ゆっくり深呼吸をした。
「お葬式なら邪魔になるわね。帰るわ」
男に急に腕を掴まれる。
「参列してくれないか?」
私は腕を振り払う。
「なぜ?顔も知らない相手の葬儀に出なければならないの?」
「それでも父親だよ」
「私にはっ!私を売った男!でしかないわっ!!」
「ごめん。・・・俺のせいだ」
「自己憐憫に酔いしれるのは止めてください」
「ごめん・・・」
背後から目の前の男よりせは低いけれど分厚い体の男が現れる。
「兄ちゃん・・・」
「ナウルカだよ」
「だから私はアリアよ!!」
分厚い体の男はいきなり私に抱きついてきて「ナウルカ!私はナウルカの直ぐ上の兄、アーレントだ」と泣き始める。
「会えて嬉しい。でも一日遅かったよ!父さんが死んでしまったよ!!」
「だから私はアリアよっ!!父親も母親も別にいるわっ!!」
長兄が息を吐きだす。
「解っているよ。アリアは商家の娘だ」
「そうよっ!!」
「俺達のことは兄と思えない?」
当然よ。そう言おうと思ったけれど言葉にならなかった。
これ以上口を開いたらきっと後悔する。
今既にいろんなことに関して後悔をしているから。
来るんじゃなかった。
もう一日早く来ていれば私が売られた理由は何だったのか聞けなくなってしまった。・・・聞かなくて済んでホッとした?
実の父が死んだことに興味は持てなかった。
「私が・・・売られた理由は何だったのでしょうか?」
長兄が苦しそうな顔をして「それは私が流行り病になって・・・」
「違います。私以外にも子供が・・・アーレントがいたんですよね?なぜ私が売られたんですか?」
「買いに来たのか女衒だったからだ。男の子は買ってもらえなかった」
「は?!・・・あはっ!・・・はははははははっ!!!!なにそれ!あっははははははっ!!!」
「アリア・・・」
「私はこれで失礼するわ」
「父の葬儀に参列してやってくれ!」
「お断りするわ。私の両親は私の帰りを待っているから帰る。もう二度と私の前に顔を出さないで。あなた達とは縁もゆかりもないわ」
飛び切りの笑顔を血の繋がりのある兄弟に精一杯見せて私は馬にまたがり、全速力で少しでも早くと走り去った。
両親が待つ家に帰り着いたのは飛び出してから六日が経っていた。
家に帰り着くと両親に抱きしめられて、ものすごく怒られた。
「どこかに行くならちゃんと行き先を伝えて出かけなさい。どれ程心配したと思っているんだっ!!」
父に初めて叩かれた。
正直不満が募った。
私が悪いことは解っているけど、叱られるのは鬱陶しかった。
けれど感情をぶつける相手は両親しかいなくて、私は心の中のぐちゃぐちゃなものを全部ぶつけた。
「知ってた?女衒が女の子しか買わないから私が売られたんだって・・・。そんな理由で私が売られたんだよ。私産まれて直ぐに銀貨一枚という値段が付いてその後村を一つ移動しただけで銀貨二枚になったのよ!」
「私達は赤ん坊を銀貨二枚で買ったのではないわ!!女衒に手間賃を二枚払っただけ。アリアは私達の子供だもの!買ってなんかいないわ!!」
「そうだよアリア。私達の可愛い娘。愛しているよ」
両親に抱きしめられ、わんわん泣いてその日は両親と一緒のベッドに寝た。
両親に愛されていることを疑ったことなどない。
これからも疑うようなことはないと思う。
知らなかった頃には戻れない。
一日ゆっくりしなさいと言われて、翌日から溜まった仕事に手を付ける。
上辺を取り繕った日常が戻った。
恋をして私は子供を産んだ。
私の夫は父の後を継ぐために父に仕事を教え込まれている。
商会は私の名義に書き換えられた。
運営するのは私と夫の二人ですることになっている。
ほんの少し両親の愛を疑っていた。
商会の名義が私のものになって両親の愛を前のように信じられるようになった。
・・・やっぱり違うかな?
子供への愛や両親の愛には本来なら損得は含まれるはずはないもの。
自分の子供を持ってみて他人の子供を我が子だと思うことの難しさを知った。
私には両親のように他人の子供を愛せない。
ましてや商会を譲ることなんか出来ない。
結婚するときに私の書類を取り寄せた。
実子として届けをされていた。
見せられた養子縁組の書類のことを聞いた。
いつか知らせなければならい時のために用意していたのだそうだ。
実兄が現れなかったら養子だと伝えることはなかったとも聞かされた。
知りたくはなかったけれど、ほんの少しだけ知って良かったかもしれないとも思えるときもある。
心はその時時でゆらゆらと揺れる。
兄達にはあれっきり会っていない。
多分、これからも私から会いに行くことはないだろうと思う。
私は商会の傷になることを広めたくないし、私の子供達を守りたいから。
夫にも何も話していない。
墓場まで持って行く秘密だ。




