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9.運命の人

 つむぎはすぐにお腹いっぱいになって倒れた。リヒトはそんな妻を愛おしそうに部屋に運び、苦しむ表情をたっぷり堪能した後、名残惜しそうに執務室へと戻って来た。

 いや。少し違う。あまりの変態主人に嫌気が差した瀬戸が引きずるようにして執務室に連れてきたのだ。


「全く瀬戸は頭が固い」

「奥様に知られたら絶対に引かれますよ。それでも良ければ私は何も言いません」


そう言われると、リヒトも何も言えない。妻をいつまでも眺めていたいが、引かれるのはさすがに嫌だ。


「旦那様。奥様のことで少し気になる事が」

「……何があった?」

「本日、奥様から仕事をしたいと申し出がありました」

「仕事だと?何故だ?」

「どうやら式町家では日常的に家事を行なっていたと申されるのです。それに仮にも華族である式町家のご令嬢の婚姻なのに、日も昇らない時間帯に令嬢一人で歩いてここまでやって来るなんておかしい話です」

「それは俺も気になっていた。しかし家事だと?あの式町家が娘にそんな事をさせるとは思えないな」


リヒトは嘲笑した。術師の家系の中でも徹底した保守派として有名な式町家だ。格上である金城家のリヒトが話しかけた時でさえ、汚物を見るかのような視線を向けてきた一族だ。

 令嬢に家事をさせるなんて考えられない。


「現在あまねに調べさせています」

「そうか」


ふと、食事の時に触れたつむぎの腰の細さを思い出していた。女性の腰は男性よりも細いものだが、あれは異常だ。本当に内臓が入っているのだろうかと心配になるほど細かった。


「旦那様」

「何だ」

「あの方は本当に旦那様の長年の片思いの相手ですか?」

「それは間違いない」


リヒトは断言した。


「俺が間違えるはずない」


つむぎがこの屋敷にやって来た時から、彼女こそリヒトが追い求めていた女性だと、疑いの余地もなかった。


 そう。あれは十年前の事。

 リヒトがまだ幼く、術師としてもまだまだ未熟であった時。リヒトは親の仕事で小さな村を訪れていた。親の仕事中は暇を持て余し、ぶらぶらと散策していたところだった。

 長閑で平和で静かな村だった。自然以外は特に何もない場所だったが、都市暮らしのリヒトには何もかも真新しく見えた。

 あまりに興奮しているので従者である瀬戸から口酸っぱく注意された。


「駄目ですよ、リヒト様。この辺にはあやかし……ケカレがいるのですから。あまりうろうろしていると危ないですよ」


瀬戸の注意を上手く聞き流し、うろうろしていると案の定迷子になった。

 ケカレーーそれは、あやかしや人間の成れの果てだ。自我を失うほどの欲に塗れ、自らを追い込み、思いに飲み込まれ、そうして人間でもあやかしでも無い「何か」になってしまったもの。

 ケカレが通った後には草木も枯れて不毛地帯となる。さらにケカレは仲間を求めて人間やあやかしを襲う。

 非常に厄介なモノなのだ。

 リヒトも術師の一人として日々ケカレに対抗するための技術を磨いていた。それでもまだまだケカレと会い対するには未熟であった。


 しかし、そういう時に限ってケカレに遭遇するものである。


 近くに来るだけで気分が重くなるこの感覚。全身に酷い倦怠感が襲い、何もかもがどうでもよくなっていく。

 近くにケカレがいる証拠であった。

 ずるずると黒い靄がゆっくりと近寄ってくる。

 いや。ケカレはただ彷徨っているだけなのだ。まだリヒトを見つけ、引きずり込もうとしているわけではない。

 それでも着実にケカレはリヒトに近付いて来ていた。

 逃げなければ、と思うのに緊張で足が動かない。

 リヒトはどうしたら良いのか分からなくなっていた。ただ震えそうなのを必死に堪え、息を潜めるしか出来ない。

 そんな自分が悔しくて、奥歯を噛み締めた。

 だがこのままでは危ない。早く逃げなくては。それがわかっているのに、なかなか足が動かなかった。

 その時、リヒトはぐいっと体を引っ張られた。


「こっちですよ」


手を引っ張ってくれたのはリヒトより幼い少女であった。クリクリとした真っ直ぐな瞳がリヒトの心まで捕えた。

 二人はケカレに気付かれる前に素早くその場から逃げたのだった。そうしてリヒトはしばらく少女に手を引かれながら走っていた。

 一体どれくらい走っただろうか。

 息を切らして足も絡れ始めた頃、ようやく少女は足を止めた。


「ここまで来れば大丈夫でしょう。貴方は無事ですか?」


優しく問いかける少女に、リヒトは顔を赤くした。

 少女は飛び抜けて可愛い顔立ちというわけではなかった。しかし屈託のない笑顔からリヒトは目が離せなかった。

 ずっとこの笑顔を見ていたい。

 彼女には自分のそばにずっといて欲しい。

 是が非でも彼女を手に入れたい。

 そんな欲望でいっぱいになり、言葉が出てこない。

 不思議に思った少女は首を傾げ、リヒトの顔を覗き込んできた。


「?どうしたんですか?」


そう言ってずいっと顔を近付ける。急に近寄って来た少女の顔に、リヒトの顔は真っ赤に染まる。


「顔赤いですね。もしかして熱がありますか?」

「だっ、大丈夫!本当!おかげさまで元気だし!怪我もない!」


リヒトは慌てて両手を振り回した。そして名残惜しいが心臓がもたないので少女から距離を取った。


「良かったです。それだけ動けたら大丈夫ですね」

「う、うん」


リヒトの事を心から心配してくれていたのだろう。少女の花が咲いたように美しい笑顔に、リヒトは完全に胸を射抜かれた。

 もう少女から目が離せない。

 この幸せな時間がずっと続けばいいと心から願った。

 が。それは叶わなかった。


「いた!」


リヒトの忠実な従者が声をかけてきた。いつもはとても心強いのだが、今は邪魔で仕方ない。

 瀬戸の存在に気が付いた少女はまた可愛いらしい笑みを見せた。


「お知り合いみたいですね。良かったです」

「そう……ですね」

「では私は行きますね」

「え!」


少女は立ち上がり颯爽と立ち去って行った。



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