27.きよの罪
つむぎは、言葉を失って、きよを見つめていた。しかしきよと視線が合うことはない。
疲れ果てた表情に虚な瞳のきよは、つむぎの姿なんて見えていないのだろう。つむぎはそれが悲しくて、じんわりと目頭が熱くなった。
リヒトはそんなつむぎの隣で、優しく肩を抱き寄せた。
今のつむぎにリヒトがいてくれるように、きよにも優しく寄り添ってくれる人がいたら、今とは違う未来もあったのだろうか。けれど、それをいくら考えてどうしようもない。
つむぎはリヒトの肩にそっと頭を寄せた。リヒトはそんなつむぎの頭を優しく撫でてくれた。
「私……きよ様を信じようと思います」
「酷いことされたのに?」
リヒトは少し驚いていた。
それはそうだろう、とつむぎは苦笑した。
「はい。だってきよ様も私ももう両親がいませんから」
だからこそ辛さや悲しさが分かる。きよが正気に戻って、自分で父親を殺したのだと知った時にそばにいてあげたいと、つむぎは思った。
リヒトはため息をついた。
「つむぎは優しすぎるな」
「そんな事ありませんよ」
つむぎがきよを追い詰めてしまったのではないかと、ずっとずっと不安だった。だからこれは罪滅ぼしのつもりだったのだ。
優しさのつもりは、つむぎにはない。
「そうだな。彼女は一人だからね。待ってあげよう」
リヒトの言葉に、つむぎはゆっくり頷いた。
そしてきよの手を握った。
勿論、きよの反応はない。いつまでも呆然としたきよの様子に、つむぎは不安でいっぱいだった。本当はきよも魂が抜け落ちてしまったのではないかと疑っていた。
けれど、きよの手はまだ温かさが残っていた。
その温かさが、きよは確かに生きているのだと実感させてくれた。
「きよ様、お待ちしています」
つむぎは優しくそう語りかけた。きっときよの耳には届いていない。それでもつむぎは真っ直ぐきよを見つめた。
ふと、カサカサと庭の草を踏み締める足音が聞こえてきた。
「よくやったね。リヒト」
「朱音さん」
そこには朱音と瀬戸の姿があった。朱音は満足そうな表情をしていた。なかなか捕まらない術師連続襲撃事件の犯人をようやく捕えられたのだから無理もないだろう。
「罠を張った甲斐があったね」
「もう二度と御免ですけどね」
そう言えばリヒトは術師会合で魅了の力を使っていたと言っていた。リヒトの術にかかったきよは己の欲望に飲まれケカレの力を暴走させた。おかげさまで事件の犯人を追い詰める事が出来たのだ。
朱音とリヒトは前々から打ち合わせしていたようだったが、リヒトはうんざりした表情を見せた。
「ますます人気者になるね」
「俺のことを好きになるのはつむぎだけで充分です」
「つむぎ?」
朱音はリヒトの隣にいるつむぎへと視線を向けた。
「それが君の本名か」
「はい。申し訳ございません、偽名で名乗ってしまいまして」
「いや構わないよ。きよが偽名なのはわかってたんだ。色々事情があるんだろうなって」
朱音は全てを見透かしているかのようだった。つむぎはそんな朱音が少し怖く感じた。
「それで彼女がきよかな?」
朱音はつむぎのそばにいるきよへと視線を移した。
「完全に放心状態だな。これはなかなか」
そして難しい表情を浮かべた。その表情につむぎは慌ててしまう。
「あの。その、きよ様は……どうなるのですか?」
「当分は療養かな。その後で罪を償ってもらう」
「そうですか」
「つむぎ。彼女がどんな状態になろうと罪が消えることはない。彼女もある意味被害者なのかもしれないけれど、それが加害者になっていい理由にはならない。彼女がどんな過酷な状況でもつむぎに酷いことをしていい理由にはならないのと同じようにね」
朱音の言葉につむぎは下を向いてしまう。
それは最もだった。きよがどんなに追い詰められても、人を殺す理由にはならない。それで罪が軽くなるなんて、殺された人が浮かばれない。
「まあ彼女が罪に問われるのはもう少し先かな。彼女にはまずは元に戻ってもらわないとね」
「……はい」
つむぎに出来ることは、少ない。だから今はきよを待とうと思うのだった。
朱音は使用人達を呼び出して、きよをどこかへと連れて行った。つむぎはそんなきよを黙って見守るのだった。
「朱音さん」
「わかってる」
「これでいいんですよね」
「ああ。本当に助かったよ」
「じゃあ約束、守ってもらいますからね」
リヒトは朱音に詰め寄っていた。そんなリヒトの気迫に、朱音はうんざりしている様子だ。
「リヒト様、約束とは何ですか?」
何か訳ありの二人の様子に、つむぎは首を傾げた。するとリヒトは満面の笑みをつむぎに見せた。
「実はね。つむぎと結婚してからずっと朱音さんにお願いしていたんだ。そしたらこの事件を無事解決できたらいいって言ってもらったんだよ」
「お願いですか?」
「そう。しばらく休みを貰えないかってね」
「お休みですか?」
リヒトは少し含みのある笑顔を見せた。
「だってつむぎともっとゆっくりしたいもん」
「っ」
「俺たち、新婚なんだし」
リヒトが色気たっぷりに囁いた。魅了を使っているのではないかと思うくらい凄まじい色気である。こんな凄い色気、つむぎにはとても耐えられそうにない。そう思って距離を取ろうと思ったが、時すでに遅し。リヒトは腕の中につむぎを閉じ込めていた。逃すまいと力強く抱きしめているのに、優しくて温かくて心地よい。抵抗しなければと思うのに、抵抗する気力がだんだん無くなっていく。
リヒトはそんなつむぎの耳元を優しく囁いた。
「俺はもっとつむぎの近くにいたいんだ」
その台詞だけでつむぎは頭が沸騰するのではないかと思ってしまった。
「駄目、かな?」
「だ……だ……」
頭がいっぱいいっぱいで言葉がうまく紡げない。顔を真っ赤にしたまま、視線を泳がせている。
「だ?」
そんなつむぎを面白そうに見つめつつ、つむぎの返事を甘く優しく催促してくる。
「だ、駄目じゃ……ない、です」
そんのリヒトから逃げられるわけもなく、つむぎは小さな声で答えた。
「それはよかった」
リヒトは大変満足そうであった。
どうにも腑に落ちない。つむぎは頬を膨らませてリヒトを睨みつけた。
しかしそんなつむぎもリヒトには可愛くて仕方なかった。デレデレと表情を崩して、つむぎを見つめている。
「そうだ。新婚旅行とかどうかな」
「新婚旅行?」
つむぎは首を傾げた。新婚旅行とは一体何なのだろう、と疑問に思った。
つむぎは自分が結婚できるとは思っていなかったのでそういうのに疎いだけなのかもしれない。
「俺の母の国の風習なんだ」
つまり外国の風習らしい。つむぎは成程、と頷いた。だから聞いたことがなかったのだ、と納得した。
「ね?行こうよ」
リヒトがおねだりしてきた。それがまた可愛くてつむぎは口をつぐんだ。またリヒトの思うがままに流されてしまいそうなのだ。何とかこの状況から逃げ出したいつむぎは懸命に脱出する術を考えた。