25.ケカレ
「つむぎ」
「はい」
リヒトは何度もつむぎの名前を呼んだ。愛おしくてたまらないのだと伝わってくる。それがくすぐったくて、つむぎはクスクスと笑っていた。
そんな笑うつむぎを、リヒトはまた愛おしそうに見つめるのだ。
「つむぎ、愛してる」
「私もです、リヒト様」
甘く温かな時間が流れる。
こんな時間がずっと続けばいいのに、と思っていた。
しかし、そう上手くはいかない。
二人の間を引き裂くかのように、辺りに不穏な気配が漂い始めたのだ。二人ともその気配に気がついて、自然と身構えた。
「つむぎ、俺から絶対離れないで」
リヒトはつむぎを守るように背に隠した。
「リヒト様」
そんなリヒトをつむぎは心配そうに見つめた。
「術師会合で式町家の当主様が殺されたのは知ってるね。その犯人はまだ捕まっていないんだ。だけど、朱音さんも俺も犯人に目星を付けていた」
「え」
「実は術師会合の時、俺は魅了の力を使っていたんだ。その目星をつけていた人物の欲望を曝け出して、近付くためにね」
「そ、そうだったんですね」
まさかそんな思惑があったとは思わなかった。
「前々から被害者に共通する点はあったんだ。同じ任務に当たっていたとか、たまたまその周辺にいたのを目撃されていたとか。それで会合に呼び出して魅了をかけて近付こうとした。けど想像以上に行動が早かった。まさか式町家の当主様を殺すなんて、想定外だった。だから朱音さんは尾行をして、俺が待ち伏せすることにしたんだ」
「待ち伏せ?」
それは、この家の人が犯人だと言うことなのだろうか。つむぎの心がざわめき出した。
「き、きよ様が狙われていると言うことですか?」
「いや違う」
リヒトはすぐに否定した。その答えにつむぎはほっとした。そんなつむぎを見て、リヒトは困ったように眉根を下げた。
「だけど、つむぎには衝撃的な事かもしれないな」
そうして不穏な気配は次第に近付いて来ていた。カサカサと庭の草を踏み締める音が、次第に大きくなっていく。それが犯人の足音だと思うと、自然と手に汗握る。
あたりはとっぷりと暮れていて、星の明かりだけが頼りであった。近付いてくる人物の姿形は分かっても、誰なのかまでは分からない。
「え」
次第に近付いてきて、ようやくその人物が誰なのか分かった。
リヒトが漏らした通り、つむぎは大きな衝撃を受けた。
「な、何で……きよ様が……ここに?」
近くに来てようやくきよの表情も分かるようになった。憎しみでいっぱいのきよの表情は、まるで鬼のようであった。
それがあまりにも恐ろしくて、つむぎは体を震わせた。
「つむぎ。彼女だよ」
「え?」
「彼女……式町きよが、術師連続襲撃事件の犯人だ」
つむぎは顔をさっと青くした。
「そ、そんな事ありません!そうですよね、きよ様!」
つむぎがきよに問いかけるが、きよはつむぎを睨み返した。まるで殺したくてたまらないといった鋭い視線につむぎは言葉を失った。
「認めない認めない認めないみとめないみとメナイミトメナイ』
きよはブツブツと呟いている。本当に小さな声だが、静かな夜にはしっかりと聞こえる。そうして彼女の体から黒いモヤのような物が飛び出してきた。夜だというのにそのモヤはしっかりと視認できた。
「何でアイツが待ち伏せてるの?そしてあんたみたいな半端者が何で幸せそうなの?リヒト様みたいにかっこいい旦那を侍らせて。一体何様のつもりなのよ。私より下のくせに。あんたは私より下じゃないと駄目なのよ』
リヒトは眉間に皺を寄せた。
「私は式町家の跡取りなのよ私のいうことは何でも許される。そうじゃなきゃいけないの私は一番じゃなきゃいけないのよ貴方は邪魔なの。 私と同じように力を持っているだけでも許せない一番は私なの一番じゃないと私に価値はないよ』
息継ぎもせず捲し立てるようにブツブツと悪態をついている。
そして歪みまくった表情でつむぎを睨みつけた。
『あんたなんか消えてしまえばいい!!!』
きよがそう叫ぶと、黒いモヤが勢いよくきよから溢れ出てきた。そうして黒いモヤは容赦なく二人に襲いかかってきた。まるで飲み込まれ出てこられなくなるのでは無いかと思うほど大きく覆い被さってくる。黒いモヤは見ているだけで気分が落ち込んでいく。つむぎは目眩を覚えた。しかし何とか踏みとどまってきよをしっかり見据えた。
「きよ様……?な、何なんですか、その力」
つむぎの焦った表情に、きよはようやく優越感に浸れた笑みを浮かべた。
「ふふふ。私ね、ずっとずっと貴方が憎かった。邪魔だなぁって思ってた。いやだな、て思ってたらね。真っ黒いものを見つけたの。触ったら私と一つになってね、力がみなぎってきたの』
きよはうっとりとした表情を浮かべていた。
「これは選ばれた私に与えられた力なのよ。私は選ばれた存在なの。でもたまに私の気持ちに敏感になってしまうのよね』
そうして困ったようにため息をついた。
「私の思い通りにならないと力が溢れてくるのよ。まるで世界が私に味方してくれてるみたいだったわ。だから私の嫌なもの全部消えていったのよ』
「消えていった」と言った時、とても嬉しそうに笑ったのだ。そんなきよの姿につむぎは息を飲んだ。きよはまるで子どものように無邪気だった。自分の感情に素直で、その通りに動いている。
何人も犠牲となった術師襲撃事件。
つむぎは被害者のことなんて知らないが、まさか犯人が自分のすぐそばにいたとは衝撃的だった。手足は震え、目を大きく見開いた。
しかしリヒトはため息をつくだけで驚いた様子はない。
「自白したか」
「リヒト様……」
「大丈夫だよ、つむぎ」
見つめ合うつむぎとリヒトに、きよはまた眉間に皺を寄せた。
「私が気に入らないものは全部消えちゃえばいいわ』
きよは黒いモヤをつむぎに向けて放った。
「つむぎ!」
それに気がついたリヒトは慌ててつむぎを抱きしめて庇った。
「リヒト様!!!」