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13.旦那様怒る

 つむぎは気持ちを切り替え、畑に足を踏み入れた。トマトの赤く柔らかな実から弾け飛んだ水分が、まるで血のように見えてしまう。その中で形を保っていた食べかけのトマトを一つ、拾い上げた。


「これがトマトというのですね」

『はい。トマト美味しいですよ。でもここまで食べ尽くすなんて、かなりお腹を減らしてるんですね』

「そうですね」


トマトが好きなあやかし。人と同じ形をして、鋭い歯を持つあやかし。


「ケカレではなさそうですね」

『そうですね』


ケカレはお腹を減らさない。彷徨い、あらゆるものを道連れにしようとする黒い物体だ。このような食い散らかすような事はしない。

 つむぎは胸を撫で下ろした。

 もしケカレだとしたら、とてもつむぎでは太刀打ちできない。

 しかしヒヨノ帝国のあやかしにトマトを知る存在は少ないだろう。八百屋のおじさんもまだ珍しい野菜だと話していた。


「なぁにしてるのかな?我が愛しの妻よ」


低くて甘い声が耳元で囁かれた。最近いつもその声で愛を囁かれているつむぎは、すぐに顔を赤くした。耳を抑え、顔を真っ赤にして後ろを振り向いた。

 するとそこにはリヒトがいた。

 美しい金髪が太陽の光を浴びてさらに輝きを増している。口元は優しく微笑んでいるのに、赤い瞳は全く楽しそうではない。


「だ、旦那様」

『ひいぃっ!』


つむぎの隣にいたあまねは思わず悲鳴を上げた。顔は真っ青である。


「あまね、お化けを見たみたいな反応はやめろ」

『失礼しました!』


リヒトに指摘されたあまねは勢いよく頭を下げた。あまりの潔さにつむぎは目を丸くした。

 リヒトはつむぎの肩を抱き寄せ、じっとつむぎを見つめた。赤い瞳がつむぎを逃すまいと見張っている。

 何故だろう。

 正直に答えるのがちょっと怖い。

 つむぎは話題を逸らす事にした。


「え……と。旦那様、どうしてこちらに?」

「今は俺が聞いているんだけどなぁ」


しかしリヒトはそれに乗ってくれなかった。


「その……トマトを、買いに」

「トマト?」

「今朝旦那様が手料理を食べたいとおっしゃったので」


仕方なくつむぎは正直に話し始めた。


「せっかくなら旦那様が好きなトマトスープを作ろうと思ったんです」


しかし話していくうちに何だか恥ずかしくなってきた。

 リヒトから食べたいと言われたのは自分の勘違いだったのではないだろうか。

 自分が勝手に良いように妄想しているのではないだろうか。

 そんな疑問が浮かんできてしまったのだ。

 一度浮かんだ疑念はすぐには解決しない。ほんのりと頬を染め、恐る恐る上目遣いでリヒトの様子を伺った。


「…………駄目、でしたでしょうか」

「うぐっ!」


その仕草はリヒトには効果てきめんだった。手で顔を隠して、何かに悶えている。つむぎは金城家に来てから何度もこの状態になったリヒトを見てきた。すでに慣れたとは言え、やはり心配にはなる。


ーーまた持病でしょうか。こうも突発的に起こったら大変ですね。しかし、こればかりは私にはどうにもできませんし。


そう思いながら、持病の原因たるつむぎは、リヒトを心配そうに見つめるのであった。


「すまない、少し取り乱してしまった」

「いえ。あの、ご病気は本当に大丈夫なのですか?」


リヒトは言葉に詰まった。上目遣いで心配そうに見つめられると、また発病しそうだ。しかしつむぎが心配してくれるのは嬉しい。ほんの少しだけつむぎからリヒトに近付いてきてくれるのだ。寄り添うように密着してくれるつむぎは大変貴重である。そんな機会を逃したくない。


「うん。まだ本調子じゃないかな」


そうして欲望が勝ったリヒトは、嘘をついた。素直なつむぎはそんな旦那様の可愛い嘘を疑う事なく、支えるようにリヒトに寄り添った。

 ただでさえ近い二人の距離がより縮まる。

 しかも、つむぎから縮めてきてくれている。

 それがリヒトには何より嬉しかった。


「無理しないでください。あ。もしかして、ここにいらしたのもお仕事ですか?」

「ああ、そうだよ」

「ではやはりこれはあやかしの仕業なのですね」

「……」

「?旦那様、どうかされましたか?」

「トマトを買いに、と言っていたね。何故畑に?」


後ろで静かに控えていたあまねの体が跳ねた。明らかに動揺した様子に、リヒトの目が細くなった。


「どういうことか説明しろ、あまね」


つむぎでは甘くなってしまうと自覚がある。リヒトはあまねに話させることにした。

 当然、リヒトに睨まれてはあまねは正直に話すしかない。


「は、はいぃ〜……」


あまねはつむぎの方を見た。つむぎをしっかりと抱きしめて離さないリヒトから、逃れられるわけもなく、つむぎは困った表情を見せていた。

 しかしもはやあまねに道はない。


『奥様と私はトマトを買うため八百屋へと向かったのですが、トマトは当分難しいと聞いたのです。そこで事情を聞いて何か出来ないものかとここに来て、畑の主人から話を聞いて状況を見ていたところなんです』

「あまね、危険だとは思わなかったのか?」

「す、すみません!私が無理を言ったんです。あまねさんは何度も指摘してくださいました」

「……何故、あまねの言う事を聞かなかったんだ?」


つむぎは言葉に詰まった。確かに、何度もあまねから注意された。けれどそれを何度も跳ね除けた。危ないとわかっていても、どうしてもトマトが欲しかった。

 ただ喜んでもらいたかっただけなのに。リヒトの笑顔を見たかっただけなのに。

 いつもは優しい赤い瞳が怒りに満ちている。まさかこんな風に怒らせてしまうとは思わなかったつむぎはひどく落ち込んだ。

 リヒトはため息をついた。


「あまねがいるからと言って無茶はいけない。特にここ最近は術師を狙う襲撃事件も起きているんだから」

「はい」


先程よりも少しリヒトの口調が優しくなっていた。


「もし何かしたいなら俺にちゃんと言うんだ。すぐに休暇をとってくるから」

「はい」

「そのあとは我が妻の服をたくさん買うんだ。帰る前に帝都の美味しい菓子を食べよう」

「はい。……?」

「そして家に帰って一緒にゆっくり過ごそう。買った服を着て見せてくれると尚嬉しい」

「……はい?」

「わかった?」

「は、はい」


最後の方は本当に必要な事だっただろうか、と疑問に思う。しかし頷いておかないとまた怒られそうなので、つむぎは素直に頷いた。

 そんな二人の様子を見守っていたあまねは何とも複雑な気持ちになっていた。口を挟むと怒りの矛先がこちらに向かいそうなので、何も言えない。心の中でつむぎに謝りながら、あまねは口を閉じ続けた。



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