83話 日輪を食らう聖域
「イノセンスセイバーッ!!」
ラフィーネめがけて左の手刀を水平に振り抜く。浄化が込められたその一撃は、いかなる邪悪な力をも祓う。ラフィーネはそれを転移魔法で回避した。エールの魔力探知が転移先から漏れ出す魔力を捉える。背後に現れる。
そこに浄化弾を置きにいく。かつてカノンがやった戦法だ。だがラフィーネとて学習している。ラフィーネは転移先に移動した瞬間、周囲の空間を歪めて浄化弾の軌道を逸らした。続けて魔力を練ると、ラフィーネの周囲に異空間が広がっていく。
「進歩がないな。カノンの妹。お前はカノンの猿真似しかできないのか。もし奴ならもっと別の戦術で私に挑んだはずだ」
「っ……!!」
「人は進み続けるものだ。見せてやろう。お前を完膚なきまでに叩き潰すために生み出した、我が魔法の極致をな」
異空間が広がり続けている。エールは本能的に危険を察知して、逃げようと反転して飛行したが、重力に引っ張られるように異空間に飲み込まれる。井戸の底へ落ちるように、暗い、暗い、暗黒の中へとエールは閉じ込められてしまったのである。
「ここは…………?」
真っ黒な世界だった。真っ黒な空に、墨で塗りつぶされたような黒い太陽が浮かんでいる。対して地面は真っ白だ。凹凸ひとつない平面な白い地面が地平線まで広がっている。これがラフィーネの作り出した異空間。何もない。殺風景な場所だ。
「ようこそ私の世界へ。私はこの魔法を『エクリプス・サンクチュアリ』と名づけた」
「……大仰な名前ですね。普通に私を攻撃すれば良かったのに。なんで異空間に閉じ込めるなんて回りくどいことを……」
「少しだけ説明してやろう。それはな、ここなら私は全能の力を発揮できるからだ。この聖域において私は絶対的な支配者なのだ」
ラフィーネはそれ以上話さなかったが、こう言っている。戦ってみれば分かる、と。ならお望み通りやってやろうではないか。ラフィーネを倒せばすべて終わる。そしてルシアを取り戻してみせる。
魔力の充填を開始し、マーシフルストリームの準備をしつつ、エールは接近戦をしかけることにした。ラフィーネは典型的な魔法使いタイプだ。どれだけこの空間が凄かろうが、格闘戦が苦手であることに変わりはない。浄化の力を込めたエールの拳や蹴りはそれだけでラフィーネにとって必殺級の威力に早変わりするのだ。
エールは再び翼を羽ばたかせ、全速力で突っ込むと、回し蹴りを脇腹めがけて放った。転移魔法で避けない限り、ラフィーネには防げないはずの一撃。もちろん浄化の力も籠っている。少し肉体を傷つけてしまうのがルシアに申し訳ないが、手加減はしていられない。
「芸がないな。そんなもので私を倒すつもりなのか?」
が、蹴りは受け止められてしまった。素手で簡単に掴み取られたのだ。ありえない。ラフィーネにそんな身体能力は発揮できないはずなのに。その光景が信じられず目を見開くエールを、ラフィーネはくすくすと嘲笑する。
「この聖域では、私は全能で絶対的な支配者だと言っただろう? 身体能力で私を上回ることも不可能だ」
掴み取った腕を振り、エールを投げ飛ばす。エールは光の翼を羽ばたかせて空中で急停止すると、右手に持った魔導砲から浄化弾を発射した。三発。正確な狙いでラフィーネへと飛んでいく。だがラフィーネは避けない。防御魔法を使う素振りすら見せない。
「ふっ。最早、魔法を使うまでもないな。消えろ」
たった一言。ラフィーネが言葉を紡いだだけで、浄化弾は命中前に掻き消されてしまい、大気に拡散して消滅する。ありえない。魔法も使わずにそんな芸当ができるなど。エールは実感させられたのだ。ラフィーネは本当にこの空間内において全能の支配者だと。
この空間の中で、ラフィーネを超えることは絶対に不可能と言えるだろう。どれほどの身体能力があろうとも、ラフィーネの力はそれを更に超えたものとなる。どれほどの威力を秘めた魔法を発動しようとも、ラフィーネに効くことはない。
無敵だ。この空間内に居続ける限り、ラフィーネに勝つことは不可能だ。となれば、最も簡単な対処法はひとつだ。この空間からどうにかして脱出することだろう。それが真っ先に思いつくが、どうすればそんなことができる。
「悩んでいるようだな。ではこちらから行かせてもらおう」
ラフィーネが一瞬で距離を詰めると、エールに殴りかかってくる。素人丸出しだ。咄嗟に光の翼でガードしたが、そのあまりの衝撃でエールは遥か後方へと吹っ飛ばされてしまった。あわや地面に激突しかけたところで、どうにか足で着地する。
「はははっ。良い気分だ、格闘戦など馬鹿のやることだと思っていたが、存外楽しいではないか!」
速い。一瞬で側面に移動したラフィーネが今度は蹴りを浴びせてくる。片腕で防御したが、骨が折れてしまった。エールには自動回復があるのでしばらくすれば治ると思うが、こんな調子ではまともに格闘戦に応じるわけにはいかない。ラフィーネはしばらく遊ぶようにエールをいたぶった。エールは必死に避けたが、避けきれず、何発かは攻撃を食らってしまい、もう満身創痍の状態だった。
「しぶといな。さすがはカノンの力を受け継いでいるだけはある。遊ぶのはやめて、そろそろ殺すか」
「……まだ、死ぬわけには……」
「死ぬんだよ。何度も言っただろう。この世界では私が神だ。その気になれば、私が死ねと言うだけでお前は死ぬ」
まだだ。まだ死ぬわけにはいかない。考えろ。どうすればこの窮地を脱出できるか。神のように振舞える特殊な空間。そんな魔法を実現するには、途方もない魔力と想像もできないほど高度な術式が必要だろう。そんなものを完璧に作れるはずがない。どこかに穴があるはずなのだ。
ラフィーネが生み出した空中要塞ノーアトゥーンだって、完璧とは程遠いものだった。考えろ。探し出せ。この聖域を破る弱点を。エールは必死に考えを巡らせていたが、答えは出てこない。その様子がラフィーネは不満だったらしく、怒りを滲ませてこう言った。
「面白くないな。お前はいつもそうなのか? どんな窮地でも諦めた顔をしない。絶望もしない。むしろこれから逆転を起こそうとでも言いたげな眼をしている」
「別に、そんなつもりじゃ……」
「何様だ。お前は。支配者である私に跪け。命乞いをしろ。なぜ希望を捨てずにいられる。知能が低いから、自分の状況も理解できていないのか」
話している最中にラフィーネは何かを思いついたようで、邪悪な笑みを浮かべた。
「そうだ。お前を殺すのはもちろんだが、仲間や知り合い、家族も皆殺しにしておかなくてはな」
「や、やめてください……私の知り合いって……なんでそんな酷いことを……!」
「カノンもようやく死んだと思ったら、力をお前に託していた。今度こそ厄介の芽は完全に摘んでおかねばならない。要塞に一緒に突入してきた……あの二人もお前の仲間だろう。後で殺しておいてやる」
それがセレナとスパーダのことであるのは、すぐに察することができた。正直ラフィーネにしてみればその二人は殺すまでもない、雑兵程度にしか思っておらず、手を出す必要もないと考えていた。だがラフィーネはエールをどうしても屈服させたくて、そんなことを言いだしたのだ。
「……やめてください」
「なんだと? 聞こえないな」
「やめてください……! 私の大切な人たちを……傷つけるのは! やめてくださいっ!!」
その時、エールの身体から眩いほどの浄化の光が放たれた。ラフィーネはそれをこの空間内の支配者の権能で掻き消そうとしたが、消えない。ラフィーネは狼狽しながら飛翔魔法で後ろに後退し、エールから距離を取った。
「ま、まさか……! この聖域の秘密に気づいたとでも言うのか……!?」
ありえない。魔法に造詣が深くなくてはそんなことに気づけるはずがない。いや、仮に気づけたとしても自身を超えるほどの『力』を発揮できるとは思えない。カノンの妹、エール・ミストルテイン。姉の力を受け取っただけの屑だと思っていたが、この聖域を破るという点においては特別と言えるほどの才覚を秘めていたのだ。




