71話 迷いを断ち切るために
腹に突き刺さった剣をスパーダが引き抜くと、オルフェウスが静かに降下していく。深手だ。あの状態のまま、戦いを続けたら間違いなく死ぬだろう。地面に着地したオルフェウスは剣を仕込みリュートに納刀し、音楽を奏で始めた。
殺伐とした戦いに不釣り合いな優しい音色をしている。スパーダは追撃すべく急降下しながら剣を振り下ろす。
オルフェウスは器用に演奏を続けながら余裕で身を躱した。さっきの一撃は弱点を突いていたから当たっただけで、まともに戦うと掠りもしない。
不可解だ。音楽を戦いに使う発想がない、とまで言ったオルフェウスがリュートを爪弾くことが。理由はともかく自身の信条を曲げてまで音魔法を解禁するということは強力な効果を秘めているということだ。
「安心するといいよ。この音楽は人を傷つけるためのものじゃない。僕の治癒魔法は癖が強いんだ……音を聴いた者を無差別に癒す。こんな風に……ね」
スパーダの身体にゆっくりと変化が起きていた。切り傷でボロボロだった肉体が跡も残さず綺麗に治っていく。それはオルフェウスも同様だ。腹の深い刺し傷が急速に癒えて遂に跡形もなく消えた。これで戦いは振り出しに戻ったのだ。
「……治癒魔法まで使えるんですか。さっきと同じことができる自信、無いんですが」
「そうかな。でも僕は君のことをより警戒せざるを得なくなった。今の僕の剣には、確かに隙があるようだからね」
「貴方がその気になればいくらでも消せる隙です。最高のチャンスを無駄にしてしまった……」
「……人の心なんて簡単には変わらないよ。だから僕も相応の覚悟で……君たちに立ち向かおう……!」
オルフェウスが懐から取り出したもの。それは『フィロソフィアの結晶』だ。結晶がオルフェウスの肉体に溶けると、全身が翠玉に似た結晶に覆われていく。
背中から結晶質の翼を生やすと顔は猛禽のごとく変化し、手足は鉤爪のように鋭くなり、持っているリュートも禍々しい形状へと変化する。
「結晶形態……『翠嵐の神鳥』!!」
これが『フィロソフィアの結晶』による形態変化。スパーダもセレナも『フィロソフィアの欠片』と持つ魔物との戦いなら何度か経験したが、結晶による強化は桁違いだ。ただでさえ強いオルフェウスが遥か高みへと至った感覚。それでも勝ち目がまったくないわけじゃない。
長期戦だ。それしかない。アレイスターの後遺症を知る二人は、結晶がもたらす代償のこともよく理解しているつもりだ。無理に攻めなくていい。ただ、死なないように生き残る。時間が経てばオルフェウスは勝手に自滅するはずである。
気になることがあるとすれば、それはオルフェウスも重々承知しているはずということ。セレナとスパーダを始末するだけなら、わざわざ結晶形態になる必要などなかったはずなのに。なぜリスクを背負ってまでこの姿になったのか、理由が分からない。
「ヒャハハハハハハハァ!! さぁ~始めようぜぇ、楽しい地獄のセッションをなぁ!!」
スパーダはその豹変ぶりに驚きを隠せなかった。今までとまったく性格が違う。
「一体……何が起こってるんだ……」
「あん? 知らねぇのか? 『フィロソフィアの結晶』を使うとなぁ、肉体だけでなく性格も変質するんだよ! より魔物に近づく……! つまり虫も殺せない穏やかな奴でも、殺戮を好む最悪の人間に凶暴化するってわけさぁ!!」
そんな話は実際に戦ったエールからは聞いていない。単にオルフェウスが影響されやすいだけの気もする。でもこれでオルフェウスが結晶を使った理由がはっきりした。自身の甘さを消すため、迷いを断ち切るためこの姿になったのだ。
「さぁて、甘ちゃんじゃなくなった俺に手加減なんてもんはねぇ! こいつで死にやがりなァァァァ!!」
さっきまでの攻防からてっきり接近戦になるものと思い、スパーダは身構える。しかしオルフェウスは仕込みリュートに剣を納刀したまま、荒っぽい動作で弦を掻き鳴らす。その音色はリュートとは思えないほどの邪悪でけたたましい音だった。
「う……うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
思わずスパーダは叫んだ。破壊の旋律による脳が揺れるような痛み。平衡感覚が狂い、立つこともままならず剣を落として倒れた。腰袋の中のエリーゼは目を回して気絶している。オルフェウスは至極愉快そうな声で笑った。
「ヒャハハハッ!! いいねぇ、こいつは『ジャミングエレジー』って言う音魔法よ! 聴覚を介して脳にダメージを与える! もちろん三半規管も狂うから、まともに動くこともできやしねぇ! 最早戦うなんて不可能だろう~~~~?」
ジャミングエレジーの本来の用途は、魔法使いに対して発動し、集中力を削ぐことで魔法の発動を阻害する目的で使う。ただ結晶形態となって効力が大幅に向上した今なら攻撃魔法としても十分通用する。
動けなくなったスパーダを見て、オルフェウスは演奏を止めるとリュートから剣を引き抜く。遠くにいるセレナでさえ、先程の音を聴いて少し気分が悪くなったほどだ。近くにいたスパーダはまともに剣を振ることもできないだろう。呆気なさすぎる結末だ。
「音魔法は使わないみたいなこと言ってた癖に……!」
「うるせぇクソガキィッ!! こっちのスパーダとか言うのをぶっ殺したら次はテメェだ! 覚悟しとけ!!」
凶暴化したオルフェウスは信条さえ容易く捨て去る。この状態こそが真の戦闘能力を発揮していると言えるだろう。剣をスパーダの頭に突き刺そうとした瞬間、背後の頭上から光の砲弾が飛んできた。振り返りざまに風魔法を纏った剣で防御する。
「横やりを入れたのは誰だァ~~~~? そんなに死にたいってのかよ?」
放たれたのは浄化弾だ。光の翼を広げて空中に浮かぶエールを、オルフェウスの鋭い瞳が捉える。エールがここにいるということはアグリッパは始末に失敗したということになる。オルフェウスは舌打ちしながら剣の切っ先をエールに向ける。
「エール! 戻ってきてくれたんだ……!」
「随分早いお帰りじゃねーか。アグリッパの奴、役に立たねぇなぁ。俺の仕事が増えるだろうが!?」
エールはその発言を無視して、離れた位置にいるメーティスに目配せした。このエリアまで運んできてくれた彼女は静かに頷き、転移魔法で飛行艦まで撤退する。セレナは倒木の下敷きとなり、スパーダとエリーゼは戦闘不能。間一髪だ。到着が間に合って良かった。
「オルフェウスさん……なんだか、性格が変わってますね。でも……倒させてもらいます」
「誰に口聞いてんだテメェ。そうかそうか。そんなに死にたいんだな? なら望み通り死ねやッ!!」
オルフェウスは剣を仕込みリュートに納刀すると、滑らかに音を鳴らす動作へと移行する。スパーダに使った『ジャミングエレジー』をエールに対して使う気だ。掻き鳴らされたリュートから破壊の旋律が襲いかかる。
「エール、気をつけて! オルフェウスさんは音魔法を使うよ! 音の影響の少ない距離で戦って!」
「奏でろクォ・ヴァディス! その音色で奴を粉砕しろォォォォ~!!」
通信機からセレナの声が聞こえる。エールは一気に加速してオルフェウスから距離を置きつつ、浄化弾を連射する。運がいいことにこのエリアは広い。音の影響が少ない距離から魔導砲で攻めることができる。それでも『ジャミングエレジー』の効果は強烈で、エールは早速頭痛を感じていた。
一方、オルフェウスは浄化弾の雨を避けながらリュートを鳴らし続けている。なんとか距離を縮めて音魔法で仕留めたいと考えている。
音魔法の有効射程は、せいぜい近距離から中距離程度だ。それより離れると効果が薄まる。離れたいエールとなんとしても近づきたいオルフェウス。今二人の戦いが幕を開けた。




