69話 計算通りに行くはずが
ありえない。リライティングネットワークを魔法で突破したこともそうだが、この結界魔法は強度だってとても頑丈にしてあるはずなのに。その分、魔力の消費は激しいが。たとえばアレイスターのマーダーライトニング程度なら百発撃たれても壊れることはない。それを目の前の少女はどうやってか突破したのだ。
「……アグリッパさん、まだ気づいてないんですか。自分で答えを言っていたのに」
「なんだと。そんな馬鹿な……私はそこまで愚かな人間じゃない」
「さっきの結界魔法は攻撃魔法だけを書き換えるんですよね。なら、他の魔法は使えるんです。だからあの結界を壊せた……」
「ん……? ああああ~~~~っ!!? ま、まさか……!?」
エールの言葉でようやくアグリッパは気づいた。自分がとんでもない失態を犯していたことに。自分自身が最初にヒントを与えてしまっていたのだ。
「せ……『斥力』なのか……?」
無言でエールが頷く。エールの背に生えている光の翼は、斥力を発することで空を飛行している。これ自体は攻撃魔法でも何でもなく、分類しようとすれば補助魔法に該当するだろう。エールはその出力を最大限にして思いっきり周囲に放出した。それだけだ。
アグリッパに叩きつけられた圧力のようなものは、エールが結界に向けて放った『斥力』だったのである。内側から外側に向かって力を加えられた結界は、その力に耐えきれず崩壊。結果としてエールはリライティングネットワークからの脱出に成功した。
「私はどうやって空を飛べてるかなんて考えたこともなかった……アグリッパさんが教えてくれなかったら、たぶん死んでいたと思います」
これは戦いの経験が浅いために発生した初歩的なミスだ。でなければアグリッパも得意気にそんな話はしなかったであろう。エールは魔導砲を構え、再びアグリッパと対峙した。
「ま……まだだ! まだ接近戦なら私に分があるはずだっ!!」
トライデントを振りかぶり、アグリッパが距離を詰める。繰り出したのは横薙ぎの一閃だ。純粋な腕力ではエールが負けている。残像を残しながら上空へ移動してこの一撃を回避すると、魔導砲に魔力を込めて浄化弾を発射する。
「馬鹿め、私の計算ではその魔法なら簡単に防ぎ切れ……」
アグリッパの計算上、結晶形態になれば浄化弾は素で食らっても大したダメージにはならない。はずだった。命中した浄化弾はアグリッパの顔半分を吹き飛ばし、結晶が粉々に砕け散って弾け飛んだ。素顔があらわになった状態で激しく狼狽する。
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な、馬鹿なぁぁぁぁ!! こんなこと! あり得るはずがないッ!!」
エールが放ったのは普通の浄化弾ではない。魔力をより多く込めた、特大の超浄化弾と呼ぶべきもの。魔力をいつもより多く充填する関係上、速射性を犠牲にするので今までは使わなかった。が、今回に限っては十分有効打となり得たようだ。
浄化弾には殺傷性がない。生身の人間がモロに被弾しても、外傷はなく、せいぜい気絶させる程度だ。邪悪な精神や悪しき力を滅する時のみにその力を発揮する。フィロソフィアの結晶による強化は、身体や精神を魔物のそれに近づける、まさしく禁じられた力。
よって結晶形態時に浄化の力を浴びれば、その効力は消滅するか、あるいは減衰する。より具体的には、アグリッパの変質した結晶の肉体を元に戻す効力があるというわけだ。
「エタニティモードに限界はありません! そんな計算、何回だって超えてやる!!」
エールの残像を残しながらの高速移動に、アグリッパが翻弄されている。水魔法を何度も発射し、時には近接戦に持ち込もうと接近を試みるが、すべて上手くいかない。距離を置かれたまま浄化弾が襲いかかってくる。時には防御魔法で防ぐが、速い。防御が間に合わない。
少しずつ、超浄化弾がアグリッパの肉体である結晶を引き剥がしていく。このまま攻めれば勝てる。そう確信した時、このエリア一帯に突如、暗雲が垂れこめて雨が降り出した。カノンの経験値が告げている。この雨に触れてはならないと。エールは光の翼を使って頭上を覆った。即席の傘となった光の翼が、降り注ぐ大雨を弾く。
「中々優れた判断力ではないか。このアシッドスコールの危険性に気づくとは。この雨は私以外を溶かす超強力な酸性雨だ。そのままジッとしていろ! 私の最大魔法でとどめを刺してやる!!」
荒野に満たされた海原が巨大な壁さながらに盛り上がり、エールに襲いかかる。その規模は街ひとつ程度なら簡単に飲み込めるほどの圧倒的な波濤だ。これがアグリッパ最大の水魔法。
「最後に勝つのはいつだってこの私なのだよ、海の藻屑となれ! カラミティ・タイダルウェイブ!!」
最大の魔法を放つタイミングは窺っていたのはアグリッパだけではない。エールも同じだ。高速移動で翻弄していたのは魔力の充填時間を稼ぐため。超浄化弾をたまに挟んでいたので時間がかかったが、今ようやく充填が完了したところだ。
「真っ向勝負なら私は絶対に負けない! 行くよ……マーシフルストリームっ!!」
魔導砲ブリュンヒルドの筒先から浄化の光が放たれる。その奔流は波濤を軽々と貫き、アグリッパを瞬く間に飲み込んだ。結晶の身体が砕けて元の身体に戻っていく。融合していたフィロソフィアの結晶と、アグリッパを洗脳していたラフィーネの精神の一部が消滅する。
「もう少しで……もう少しで勝てていたのに――――…………」
悔恨が詰まった言葉と共に、アグリッパは意識を手放した。アシッドスコールの暗雲が晴れる中、その身体は荒野の海原へと落下していく。その寸前でエールがアグリッパをキャッチし、かつて崖の上だった場所に着地した。
怪我らしい怪我はないが、フィロソフィアの結晶を使ったのだ。これからその副作用で苦しむはず。治癒魔法は効かないとのことだが、エールではその痛みを和らげたり看病することもできやしない。セレナたちが気がかりではあるものの、アグリッパを連れて一度飛行艦に戻るべきか。
「エール様、お疲れさまでした。アグリッパ様は私が飛行艦に回収しますわ。エール様はこのままお進みください」
この声は治癒師メーティスだ。エールは声のする方向へ振り向くと、そこには微笑を浮かべたメーティスが立っていた。飛行艦にいるはずの彼女がなぜここにいるのだろうか。
「驚いていますね。転移魔法を使ってここに来ました。ヒナ様が妨害魔法を解析して『妨害魔法を妨害する指輪』を作ってくださったのですわ。これで私たちは空中要塞内をある程度自由に移動できます」
「そ、そうだったんですか……でもなんで私の居場所が分かったんですか? 座標が分からないと転移魔法って使えないんじゃ……」
「ディーヴァでペンダントをもらいませんでしたか? それを辿って転移してきました。本来は島の来訪者の居場所を知るためのものなのですが」
そういえばもらった。失くさないようにポケットに入れていた気がする。
「あ……それじゃあ、後で私をセレナたちのところに連れて行ってください。分断されちゃって居場所が分からなくて……」
「承知しました。ではいったん失礼します。アグリッパ様を飛行艦に移動させますわ」
蝋燭の火が吹き消えるかのようにメーティスとアグリッパの姿が消えた。程なくしてメーティスだけが再びエールのいるエリアまで戻ってきた。
「エール様、お待たせしました。それでは転移する前に、エール様の疲労を取り除いておきましょう」
メーティスの指がエールの額に触れると光が広がり、感じていた疲労感が一瞬で取り除かれた。これはいいものだ。斥力で結界魔法を破壊する時に、かなり魔力を消費したので少し気だるかったが、そのだるさが無くなっている。
「ありがとうございます、メーティスさん。それじゃあお願いします!」
こうしてエールはセレナたちのいるエリアへと戻ることになる。エールがアグリッパと戦っている間に、オルフェウスとセレナたちの戦いもまた新たな局面を迎えようとしていた。




