67話 深淵なる叡智
オルフェウスの放った竜巻に身動きを奪われたエールは、黒い穴を通って要塞内の別エリアへと飛ばされた。最初は空間魔法による攻撃かと身構えたが、どうやらただ移動しただけらしい。竜巻が消えてその足で着地すると、そこには見渡す限りの荒野が広がっていた。
とても要塞の中とは思えない。それにしても、瑞々しいまでの自然が広がっていたさきほどのエリアとはまるで対照的な場所である。ともかくエールは魔導砲を下に向けて、セレナたちのところへ戻ろうとした。
単純に考えれば天井を抜けてこのエリアへ移動したのだから、下をぶち抜けば戻れるはずだ。あの黒い穴が転移魔法の産物という可能性もあるが、要塞が妨害魔法を発しているせいで転移魔法は使えなくなっている。その可能性は現段階で低いだろう。
魔導砲のトリガーを引こうとした瞬間、目の前に誰かが現れたことに気づいた。天井に黒い穴が開いている。そこから降りてきたのだろう。青色のローブを纏った鷲鼻の大男だ。2メートルはあろう巨体なのに、屈強さよりも理知的な印象を受ける妙な男である。
「やぁ。待たせてしまってすまなかったね。私は七賢者のアグリッパと言う、まぁしがない研究者だ。君がエールで合っているかな?」
「え……あ、はい。私がエールです」
声色が優しいので思わず普通に答えてしまった。七賢者ということはこの男もまたラフィーネに洗脳されてしまった一人。アグリッパは溜息を吐いて、額を手で押さえた。
「はぁ。君みたいな年端もいかん女の子を始末せねばならんとは。命令とはいえ気が引けるよ」
「あのぉ……そのことなんですが、いい方法があります」
「ん? なんだね」
「えっと、そのまま動かないでください……」
エールは魔導砲をアグリッパに向けて浄化弾を発射した。
「おわっ! 危ないね、何をするんだ。不意打ちだよこれは!」
「すみません……それが一番いい手段だと思って……」
「良い子そうだと思っていたのに……正直がっかりだよ」
「そんなことを言われても……誰かを殺そうとしてるんですから、やり返される覚悟はしてください……」
実際のところ、エールにアグリッパを殺す気はない。魔導砲ブリュンヒルドがあれば、殺さずに制圧することも可能だ。
「まぁいいか。始めるとしよう……先制攻撃はそちらがしかけたのだから、次は私の番だ」
アグリッパが指を鳴らすと、足元から大量の水が放出された。それは津波さながらの勢いで流れ込み、荒野をみるみるうちに覆い尽くしていく。その圧倒的な、というより常軌を逸した水量にあわや飲み込まれかけたエールは、光の翼を羽ばたかせて空へと飛びあがり退避する。
「こんなこと……ありえるの……? たった1分も経たずに荒野が海みたいになるなんて……」
今いるエリアは少なくとも数百メートルはくだらない広さがあるだろう。どれほどの魔力があればこんなことが可能なのだろうか。エールは空中でただ唖然とするしかなかった。もし飛行能力がなければ溺死していたに違いない。
「エール……聴こえる、エール?」
その時、耳にセレナの声が響いた。通信機だ。そういえば、分断されたり連絡を取りたい時のためにつけていたのをすっかり忘れていた。エールは飼い主に飛びつく犬のように返事をした。
「セレナ……! エールだよ! ごめん、私は大丈夫! でも七賢者のアグリッパって人と戦うことになっちゃって……そっちは!?」
「こっちも戦闘中……! その様子だと戻ってくるまでに時間がかかりそうだね。こっちはこっちでなんとかするから、エールは気にせず戦って!」
それ以上の会話はできなかった。飛翔魔法を使って悠々とアグリッパが近づいてきたからだ。興味深そうに顎を撫でながら、エールをしげしげと眺めている。
「ふむ……なるほどなぁ。その翼、斥力を発生させて飛んでいるのか。飛翔魔法とは根本的に理屈が異なるな。面白い」
斥力とは反発する力のことである。例としては、磁石が同じ極同士のとき、反発しあう性質などが挙げられるだろう。光の翼がどんな原理で飛行を可能とさせているかはカノンの経験値を持つエールでも知らなかった。
きっとカノンも自分がなぜ飛べるのかについて理屈で考えたことがなかったのだろう。なのにその原理を一目で見抜いたアグリッパはただ者ではない。
「驚いた顔をしているな。私はこれでも魔導研究所の所長だったのだよ。その通信機も私が作ったものだ」
「そうですか……! じゃあ私もそろそろ全力でやらせてもらいます!」
オルフェウスと戦っているセレナとスパーダが気がかりだ。すぐにアグリッパを倒して、二人の援護に向かわなくてはならない。エールは魔導砲を再び構えると、浄化弾を連射した。光の砲弾が尾を引きながらアグリッパへと迫る。
「いやはや。困ったな。正確な狙いだ……防御魔法でガードせんとなぁ」
アグリッパが右手を前にかざすと、六角形を敷き詰めたような青色の障壁が出現し、浄化弾を防ぐ。これは魔法使いにとって基礎的な防御魔法と言われている、『ハニカムプロテクション』である。浄化弾は防御魔法を突破できずに全弾防がれてしまう。
「ついでに攻撃もしておくか……ガイザーランス」
右手を前にかざしたまま、左の手のひらを上に向けて、軽く持ち上げる。するとアグリッパの作った海から槍のように鋭い噴水がエールに襲いかかった。威力は高そうだが、エタニティモードの機動力があれば問題なく避けられる。
この一連の攻防でエールの脳裏にある疑問がよぎった。もしかしたら、この人は戦い慣れしていないのかもしれない。同じ七賢者のアレイスターとの戦いでは、もっと圧し潰されそうな威圧感や、剃刀のように鋭い殺気があった。だがアグリッパからはそういう気配をまったく感じないのである。
なんとなく、効き目のありそうな魔法で攻撃しているだけ。そんな感触だ。たしかにアグリッパほど魔法に長けている者はそうそういないだろうが、殺し合いに特化しているというわけでもない。
戦闘に不慣れなのはエールにとって有利な条件だ。しかし、ではなぜオルフェウスはわざわざこの男のいる場所にエールを分断したのか。それが理解できない。
「駄目か、この魔法では。ならこいつはどうだ。フラッドニードル!」
数万を軽く超す巨大な水の針がエールに向かって飛んでくる。エールはこれを光の翼で防御すると、セイントフェザーを連射して反撃する。アグリッパもまたハニカムプロテクションで防御する。初歩的な魔法でも、アグリッパが使えば十分な防御力を持つ。
しかし、エールも防がれるのは理解したうえでの攻撃だ。セイントフェザーを連射しつつ、防御魔法の展開されていない側面に回り込んで蹴りを叩きこんだ。速さはエールが圧倒的に上だ。防御魔法は間に合わない。左腕で身体を守られたものの、腕は確実にへし折った。
「ぐぅげぇ……! 痛い。痛いなこれは……やはり普通に戦っては勝ち目が無いか……!」
「浄化弾は効かなさそうなので、肉弾戦で弱らせてから洗脳を解かせてもらいますね……!」
「怖いことを言わないでくれたまえ。それは私をボコるってことだろ。正直この作戦は嫌だったが、ボコられるのはもっと嫌だ……!」
アグリッパが懐から取り出したのは、アレイスターも持っていた『フィロソフィアの結晶』だ。あれを使うと肉体が変質して魔物のような姿となり、身体能力や肉体の強度、使う魔法の威力も大幅に向上する。
「宣言しよう。これを使ったら君に勝ち目はない。絶対に私の勝利で終わるだろう。覚悟したまえ――結晶形態!!」
フィロソフィアの結晶と融合したアグリッパの身体は、青玉に似た結晶に覆われ、その姿を禍々しいものへと変貌させていく。顔には結晶質の髭のようなものを生やし、体格はより強靭に、脚部にはタコの吸盤に似たものがくっついている。最後に結晶で作られたトライデントを右手に握りしめ、変身が完了した。
「……これが君を始末する者の姿、その名も『紺碧の海神』だ!」




