49話 似た者同士の二人
誰がいるかなんて分からないまま、適当にノックしたのだ。それがお姫様の部屋でもおかしくはない。でもよりにもよって、一番失礼になりそうな人の部屋でなくてもいいのに。エールはとてつもない後悔に襲われ、自身の浅はかな思考を呪わずにいられなかった。
「あの……部屋が分からなくなってしまったんですよね……」
ルシアは静かに、確認するようにエールに問いかけた。
動揺しきっていたエールは停止していた思考を慌てて回転させる。
今は失った礼節を取り戻すために最大限取り繕う努力をするべきだ。
「あ、あああ、あ! 違うんです! 姫様の部屋だって分からなくて、その……」
その努力が実ることは無かった。まともな言い訳すら思い浮かばない。遂には言葉すら出なくなり、小さな声で「すみません……」とだけ謝るしかなかった。
「気に……しないでください。この城広いですから……案内します。こっちです」
ルシアは部屋から出ると扉を閉めて、エールの無礼を責めることもなく、城の廊下を進んだ。小柄なルシアの後ろ姿をエールは黙って追いかける。二人の間に会話は無かった。姫様に案内してもらうだけでも恐れ多いのに、フランクに雑談なんて出来るわけがない。今はただルシアの優しさに感謝することだけがエールにできる精一杯の礼儀なのだ。
廊下を歩いていると、窓から月の光が差し込んでいた。何気なく窓を覗くと空には星が散りばめられ、満月が浮かび、青白い光のカーテンがなびいている。その幻想的な光景に見惚れたエールは思わず足を止め、じっと窓の外を眺めた。
「オーロラ……見るの、はじめてですか?」
あれがオーロラ。エールも流石に聞いたことくらいはあるが、実際に見るのは初めてになる。北極や南極の近くに行けば見られる、とだけ教わった記憶があるが、そうだ。すっかり忘れていたがディーヴァは地理的には今、北極圏にいるのだ。ならばオーロラが見れても不思議ではない。
「はい……初めて見ました。姫様は何度も見てるんですか?」
「島をここに移動させてからはよく見ます。あの……良ければ庭に行きませんか? 外に出た方が良い眺めですよ……」
エールはルシアの言葉に甘えて、城の中庭に出てオーロラを眺めた。なんて美しい光景なのだろう。どうせならセレナとスパーダも誘えばよかった。部屋に戻ったら教えてあげなければいけない、とエールは己の使命であるかのように思った。
「そうだ、姫様……ありがとうございます。私たちを客人として迎えてくれて。すごく嬉しかったです」
明日にはこの島を去る身だ。また姫様に直接会えるか分からない。もてなしを受けたことへの感謝をするチャンスは限られている。今のうちに礼の一つくらいは言っておかなければならないだろう。
「そんな。いいです……妖精と一緒なら悪い人たちではないと思ったから。姫様って呼び方も……しなくていいです。ルシアで構いません。敬語も大丈夫です……私、確かに姫様の血は継いでますけど、それだけです。何の才能もないですから……」
「じゃあ……ルシア、って呼ぶね。ルシアも私のことはエールって呼んで。えへへ……いいかな?」
オーロラを見ながら二人は他愛ない会話を続けた。その中で、二人はお互いを似た者同士だと思うようになった。年齢は同じで、人見知りをする性格で、友達も少なくて、自分の力に自信が持てなくて。会話を続けるうちに共通項を見出し、二人の距離は縮まり、いつの間にか打ち解けていた。
「こんなにたくさん話せたのエールが初めてです。でも……明日には帰ってしまうんですね」
「うん……お姉ちゃんが危ないって言うの。私も出来るなら協力したいなって思ったんだけど……」
「そのことは気にしないでください。これはディーヴァの問題です。それにお母様は……とても自分本位で、恐ろしい人です」
そう語るルシアには、母親であるラフィーネとの思い出がほとんどない。ラフィーネはルシアを産んだ後、育児を一切せず、その全てを父親と教育係に任命されていたシュタインに任せた。ルシアが会いたいと望んでもラフィーネはそれを拒んだ。幼い頃のルシアはラフィーネの真意が掴めず、母親に嫌われていると思い込み、ずっと悲しい思いをしていた。
ルシアを産んでからというもの、ラフィーネは次第に本性を見せるようになった。ディーヴァには人類の存続させるという大きな目的がある。この世界に訪れた長い冬を乗り越え、魔法によって人間が過ごしやすい世界に戻す。そのためにずっと魔法の研究を続けているのだ。
だがラフィーネは、人類を存続させるためにはただ魔法の技術を研究しても意味がない、と考えた。猿に文明の利器を与えても満足に使いこなせないように、いや、猿より半端に利口な人類はどんな技術でも悪用する。だから自分たちが指導者となり、世界を正しく管理していかなければならないと主張した。
そんなことは現実的に不可能だろう、と大昔、ディーヴァを創った初代の姫君が結論づけている。すでに人々はそれぞれの思うがままに国家を作り、自分たちの力で歩んでいる。それに協力するのは問題無いが、自分たちでわざわざ世界を統治する必要はない。頭がすげ変わるだけでは意味がない。だからディーヴァはどこにも属さぬ中立として、世界を見守り続ける道を選んだ。
ラフィーネはそれが気に入らなかった。この世の天地全ては自分の欲するがまま、思い通りにならねば気が済まなかった。思い通りにならなければ、壊して、潰して、抹消する。そうして溜飲を下げるという悪癖があった。このことについて当時の七賢者は辛抱強くラフィーネを説得したが、彼女は最終的にたった一人で反乱を起こし、多数の犠牲者が生まれることになる。その時、ラフィーネは確かに死亡したはずだった。
夜風が少し冷たくなってきた。オーロラを見るのはこれくらいにして、部屋に戻りましょう、とルシアは言った。その時、何かが爆発するような激しい音が響いた。城の外からだ。音はひとつではない。あちこちで轟音が鳴り響いている。
「な、なに……何が起きてるのっ!?」
「まさか……お母様の襲撃が始まったのですか……? でも、そんな様子は何も……」
ルシアはこの瞬間まで異変を何も感じなかった。それはルシアが鈍感だからではない。元々、島の位置を北極圏に移したのは人間がほとんど住んでいない、過酷な環境だったからだ。魔物ですら棲息する数は少ない。もし何者かが島の居場所を看破して近づいて来てもすぐに目立つというわけだ。実際、トロイメライ号が近づいてきたときは簡単に気づくことができたのである。
エールは反射的に城の外へと飛び出していた。丘の上にあるヴァールハイト城からは街の様子が一望できる。街は炎に包まれ、あちこちで爆発が起きていた。人々は混乱し、助けを求めて逃げ惑っている。防衛用のゴーレムが起動し、この島にはいないはずの魔物と戦っている。ルシアもエールを追いかけてきて、息を切らして街を見た。呆気にとられて、腑に落ちない様子で独白する。
「まさか……転移魔法で魔物を送り込んで……!? でもそんなこと……」
ラフィーネほどの魔法使いなら転移魔法などお手の物だろう。だが、ディーヴァは移動できる島だ。ラフィーネには島の正確な座標なんて分からないはずである。誰かが情報を漏らさない限りそんなことはできない。
「でもそんなこと? できるんだな、これが。久しぶりだねルシア。元気そうで嬉しいよ」
聞き覚えのある声。忘れもしない。これはラフィーネの声だ。上空を見上げると、ぼろぼろの茶色のローブを纏った、人間状の黒い靄が浮かんでいる。地面まで降りてくると鷹揚に両手を広げ、まるで娘が胸に飛び込んでくるのを待つ母のような仕草をした。エールは警戒心を最大限に引き上げて、ルシアを守るように一歩前に出る。
「貴様は……確かエールと言ったか。奇妙な縁もあったものだな。しかし、私はルシアに会いに来たのだよ。ああ、愛しき我が娘! 10年ぶりの再会を祝おうじゃないか」
「お母様……! 復讐をお考えになられているのでしょうが、どうかお止めください。どうしても怒りの矛先を向けたければ、統治者たる私だけに向けてください。この島で生きる人々に罪はありません……!」
ルシアは、自分でも驚くほどはっきりと自分の意見を言うことができた。相手は最早人間ですらない化け物だと言うのに。エールがいるおかげだろうか。手は震えているし、顔もきっと強張っているだろうが、彼女がいるだけで勇気が湧いてくる。
「ルシアに復讐する? 私の血を受け継ぐ娘にそんなこと、出来るわけないさ。まぁ……少しはやり返さないと気が済まないのも事実だ。魔物はそのために連れて来たからな。昔と違って今は部下もいる。中々優秀な人物だよ」
ラフィーネの隣に男が現れる。エールもルシアも目を疑うしかなかった。
転移魔法で現れたその男とは七賢者の一人、アスクレピオスである。




