39話 北に進路を取れ
楽園を探す航海が始まって数か月が経過しようとしていた。
とは言っても手がかりは姉のカノンが北を目指したという発言のみ。
その情報だって何か根拠があっての言葉なのか判然としない。
ともあれ現状は北に行ったという話を信じるしかない。
エールたちはまず北に存在する港を虱潰しに探す作戦を行った。
海に出たのであれば間違いなく船に乗ったということだ。
そして船に乗ったのなら基本的にどこかの港で降りるということになる。
理屈の上ではカノンはフェルネ王国以北の港の何処かに手がかりを残すはず。
無論、港も無いような未知の土地に行った可能性がないとは言い切れない。
しかし、後者の場合は手がかりがないため探すのは困難だ。
そこでエールたちはまず港を探すことにしたのである。
「はぁ……この港でも手がかりなしかぁ。現実は辛いなぁ……」
セレナのぼやきは淡雪のように港の喧騒に溶けていった。
ここはフェルネ王国の隣国、ユルトヴィト王国にある天蓋都市ネーヴェの港。
天蓋都市の中でも特に強固な構造になっており、要塞のような印象を受ける。
エールたちは数日を費やしてネーヴェで聞き込みを行ったが収穫はなし。
もう日が暮れる時間。宿屋に戻ると大広間でスパーダとエリーゼが待っていた。
二人はスパーダの座るソファに倒れるように腰かけ、ぐったり身を預ける。
その態度で聞き込みが空振りに終わったのをスパーダは察した。
「おかえり。そっちも目ぼしい情報は手に入らなかったようだね」
「んじゃスパーダも駄目だったんだねー。話が進展しないってもどかしいなぁ」
セレナの言う通り、エールももどかしい気持ちでいっぱいだ。
バルカロールも遅れて宿屋に戻って来たので各々今日の成果を共有した。
机に地図を広げると、バルカロールはネーヴェの位置する場所にバツを書く。
「この港も違ってたな。お姉さんが現れたという話自体、聞かなかったからな……」
エールの姉は『熾天使のカノン』と呼ばれ、最強の冒険者と言われるくらい有名である。何処かの村や天蓋都市を訪れたのであれば必ず誰かが見たはずだ。ちなみに熾天使という異名の由来は、彼女の戦う姿を見た者が決まって天使のようだと形容することから広まった。もっとも本人はこの評判を好んでいなかったが。
「ねー……バルカロールさん。もっと北は探さないのー……?」
スパーダの腰袋で寝ていたエリーゼがちょんと地図の北端に座り込んだ。
そこは北極圏であり、人間が住むにはあまりに気候が厳しい土地だ。
「いやー……そこはあまり探したこと無ぇなぁ。人が住んでないわけじゃないけど、楽園のイメージとかけ離れてるからよ。可能性は低いと思うぜ」
「楽園のおとぎ話では、緑豊かな自然があるって話だもんね。私ももっと温かいとこにあるんじゃないかなって思うけどなー」
バルカロールとセレナの言う通り、常識的な発想で行けばその通りだとエールも思う。だがエリーゼはその『最果ての楽園』の住民だった人物でもある。彼女の感性を信じてみるのも悪くない気がした。
「あの……一応調べてみませんか。北極圏。何か手がかりがあるかも」
「エールはエリーゼの勘を信じるってことね。まぁ空振り覚悟で動くしかないか?」
セレナがエールに同調するようにうんうんと頷く。
楽園へ辿り着くには、姉のカノンを見つけるにはあらゆる可能性を試すべきだ。
常識という枠に縛られていては今まで楽園を探してきた者たちと同じ結果に終わるだろう。
その後、エールたちは北の港を探し続けたが、一向に手がかりは掴めなかった。
目ぼしい場所を探し終わり、情報は未だに何も掴めていない。
そこでいよいよエリーゼの北極圏を探すという提案が実行に移されたのである。
北極圏は場所によっては海氷に覆われており、船で進むには氷を割りながら進む必要がある。つまり北極圏の航海は氷を砕き進む砕氷船が望ましい。これは偶然だが、トロイメライ号には砕氷船としての機能もあり、北極圏の探索のために新しく砕氷船を用意する必要はない。
「セレナ、北極に行ったらしろくまさんに会えるかなぁ……?」
「なにそれー? 水族館に行くんじゃないんだよ。まったくもう。もっと危機感を持たなきゃ。私はペンギンさんが見たいね」
「残念だけど……ペンギンが住んでるのは南極だよ」
上から順にエール、セレナ、スパーダである。
今をときめく女子たちは過酷極まる北極に関して何も心配していない。
呑気に動物の話をしている。彼女たちはこの時、想像力が欠如していた。
「じゃあスパーダの好きな動物は何なのさ。答えてみなよ」
「……アザラシだけど……」
「にひひっ。でも北極圏に住んでる人は食べちゃうらしいよ、アザラシ」
「あーあー。僕は聞きたくなかったよ。そんな情報っ」
楽しい気分だったのは出航時までで、北極圏に着いてからは辛い日々が続いた。
寒いのはもちろんのこと、変わり映えのしない海を見続けるだけの毎日。
船長バルカロールや3名の船員は熱心に航路の相談をしていたが、そんなもの素人のエールたちにはちんぷんかんぷんだ。なんだか置いてけぼりにされたみたいで、役目と言えば時折襲ってくる魔物を退治することぐらいである。
いや。もう一人。船乗りたちとは別に、真剣な表情で海を見つめ続けている者がいる。エリーゼだ。寒さも構わずに甲板に出て縁に座り、じっと何かを探っているようだった。思えば、北極圏に来てからエリーゼは寝ていることが少なくなった。
まるで全身の感覚器官を総動員させて、何かを知ろうと必死になっている。
スパーダもこんなエリーゼは見たことが無い。
だから心配になって、なるべく付き添って甲板にいた。
寒気が直撃し続ける環境に晒されたためか、スパーダは体調を崩した。
トロイメライ号の中は暖房が効いているので今は部屋で休んでいる。
代わりを務めると進言したのはエールだ。
エリーゼは無言でただじっと甲板の縁に座っている。
「気を張り過ぎちゃうと疲れるよ。少しは休んだ方がいいんじゃない?」
エールは傍に寄って声を掛けたが、エリーゼはふるふると首を横に振る。
「……大丈夫。今離れると分からなくなっちゃいそうだからー……」
「それって……『最果ての楽園』の場所のこと?」
「そうだよー……近くまで来てるはずなんだけどー……ちゃんとした場所はまだ分からないのー……」
風の妖精は、風に乗って運ばれてくる匂いや生物の気配を読み取れる。
北極圏に来てからというもの、エリーゼは幼い頃を思い出して仕方なかった。
『最果ての楽園』で感じていた父や母の懐かしい気配がするのだ。
少なくとも家族が近くにいるはずという確信を確証は無いながらも得ていた。
「エールはお部屋に戻っててー……スパーダみたいに寒さにやられちゃうよー……」
「えへへっ。私なら大丈夫だよ。寒さには強い方だもん。私が邪魔なら部屋に戻るけど……そうじゃないなら一緒に居させてほしいな」
エリーゼはきらきらと光る妖精の鱗粉を散らしながら、エールの肩に乗った。
「ありがとー……エール。嬉しいな。本当は寂しかったからー……」
エールは夜になるまでずっとエリーゼと一緒にいた。
一時船内に戻ろうとすると、バルカロールも操舵室から甲板に出てきた。
心配したのか、操舵を他の船員に任せて様子を見に来てくれたのだ。
手にはコーヒーが入ったマグカップを二つを持っている。バルカロールは片方をエールに渡した。ブラックコーヒーかと思ったが、砂糖がたっぷり入っていて飲みやすい。これならお子ちゃまな舌のエールでも大丈夫だ。身体が温まると元気も湧いてくる。
「昔からずっと感じてたことなんだが、楽園は普通の方法じゃ行けねぇか、魔法の類で場所が隠されてるのかも知れねぇな」
「確かに……その可能性はありますね。少なくとも地図には乗っていないんだし……」
「まぁ、な。もっとも世界も広いからな。未発見の大陸や島はまだまだ存在するって言われてる」
風は気まぐれなもので、エールとバルカロールが楽園は何処にあるのか議論を交わしていたその時。エリーゼは不思議なくらいはっきりとその位置が掴めた。同族である風の妖精がここにいるんだと気配を放ったのがエリーゼには分かったのだ。
「……感じた。北東。このまま北東に進んだら……何かがあるよー……!」
果たしてそこに楽園があるのかは分からない。
だが調べる価値はある。トロイメライ号は夜の海を北東へ進んでいった。




