37話 エンリケの正体
バルカロールは粘り強く交渉を続けているが、伯爵は決して首を縦に振らない。
エールは少し悩んだが、居ても立っても居られなくなって、急に話を変えることにした。伝えなければいけない。それが命を救ってもらった自分の役割だと思うからだ。
「あの……メーテルリンク伯爵。ひとつよろしいでしょうか」
「何かね、エール君。まぁバルカロールさんも、少し落ち着いて。紅茶のおかわりでも如何かな。新しいお茶菓子も用意させましょう。あまりヒートアップしても仕方ないからね。私は、君たちと争いたいわけじゃない」
「あの。あの……セイレーンのアヴリルさんと、妖精のパイロンをご存じですか?」
一息ついて紅茶を飲もうとした伯爵は、その名を聞いた瞬間、手が止まった。
震える手でどうにかティーカップを机に置き、恐る恐るエールに確認する。
「なぜ……その名前を? 会ったのか二人に……二人は元気なのか?」
「はい。二人は私の命の恩人なんです。元気であの島で暮らしてます……!」
伯爵は突然立ち上がると壁に両手をつき、懺悔するように項垂れた。
「何で今更! 何で今になってそんな話を……! 二人は私のことを嫌っていただろう!? 魔物に怯えて一人で島から逃げ出したこの私を……!」
なんだか、アヴリルとパイロンと聞いていて話の印象と少し違う。
エンリケの言い方では、まるで二人を裏切ったかのように聞こえてしまう。
「そんな。そんなこと一言だって言いませんでした。アヴリルさんだって……」
「止めてくれ! 絶対に聞きたくない、彼女の話なんて! 私を幻滅してるに決まってる!」
「い、いえ……逆です。アヴリルさんは、今でもエンリケさんことが好きで。けどもう結婚をしてる年だろうから引け目を感じずに自分の人生を生きて欲しいって……」
エンリケは物凄い勢いでエールへ顔を向け、目を見開いて叫んだ。
「結婚なんてするわけがないだろう!! 僕はずっとアヴリルを愛してる! でも……あの島に戻っても他の魔物が僕を拒むだろう。一緒には生きられない!」
いっそ金で冒険者を雇い、自身を拒む島のミノタウロスを全て殺そうかとも考えた。でも駄目だった。そんな暴力的な手段を優しいアヴリルが望むわけない。
ならアヴリルと一緒に人間社会で暮らそうかとも考えてみたが、それも駄目だ。
アヴリル自身が心配していたように、魔物と一緒に暮らすなんて天蓋都市で許されるわけがない。
また伯爵には継ぐべき家があった。天蓋都市の外で生きることもできない。
だから若かりし頃の伯爵は一人で島を脱出するという現実的な選択をした。
もっと愚かであったなら。もっとなりふり構わず生きられたなら。アヴリルと共に暮らせたのだろうか。今日に至る10年以上、考えない日は無かった。
「アヴリルさんだって気持ちは一緒だと思います。あの……私の勝手な意見ですけど……伯爵さんが良いのなら会ってあげてください。きっとアヴリルさんも喜ぶと思います……」
「10年以上ほったらかしにした私にか。はっ。とてもじゃないがそう思えないよ……絶対に駄目だ」
頑ななまでに悲観的な伯爵を見て、エールは思った。
これは強く後押ししなければいけない相手だ。両想いなのに。
伯爵とアヴリルにとって最大の障害は人間と魔物の禁じられた関係なんかじゃない。お互いに会えない理由探しをするという迷宮に迷い込んでいることだ。
「ちょっと! さっきから聞いてりゃあ何ですか! 幻滅してるとか、嫌われてるに決まってるとか! 勝手な思い込みで他人の気持ちを決めつけて! そんなの分からないでしょ!!」
じれったくなってきて、急に話に割り込んできたのはセレナだ。
右拳を固く握りしめ、まるで為政者の演説のようにぶんぶんと振り回す。
「君に何が分かるんだ……私が何も考えてないとでも言うのか!」
「伯爵は逆に考えすぎなんですよ! 勇気を出して一歩踏み出してください!! そうすれば色々スッキリしますよ! ねっ! エール!」
「う、うん……私もそう思います。伯爵さん、現実的な問題は後回しにして、まずは気持ちに正直になった方が……」
「待て。待て待て。話を元に戻そう。私の恋愛についての問題じゃなかったはずだ。借金の形になっているトロイメライ号を買い戻すための資金が欲しいんだろう」
たしかに伯爵とアヴリルの恋の行方については、話の本筋には関係ない。
だが女の子は恋愛関係の話になるとつい盛り上がってしまうものなのだ。
「それは後でいいじゃないですか。でも10年以上放置するのが酷いのも事実だからなぁ。謝っといた方がいいのは確かかも。あと……」
これはセレナの言である。もう船の話なんてどうでも良くなっている。
スパーダは何か話したそうな、気になっているような、様子を窺う目でちらちらと二人を見ている。珍しく両手の指を合わせてもじもじしていた。それに気づいたエールがスパーダに話を振る。
「スパーダ、どうしたの?」
「いや……お二人はどの関係まで行ったのかなって。その……ちゅ。ちゅーとかしたんでしょうか?」
「うぉぉ核心に触れてくねぇ! 私もそこまでは聞けない! でも気になる~!!」
伯爵は少し眩暈を覚えた。女子たちの暴走を止められない。
バルカロールもいい年齢の中年なので、話に混ざれず蚊帳の外になっている。
「……で、実際はどうだったんですか? 誰にも言わないんで教えてくださいよ。にひ」
「あの……それも大事ですけどやっぱりアヴリルさんと会った方が……」
「僕もその……他にもデートはどうしてたのか知りたいなって……」
机でぼーっとしていたエリーゼは、なんだか話の風向きが変わるのを感じていた。船の話と恋愛話は全く無関係なのだが、纏めて解決しそうな気がする。
「……分かった。分かったから降参だ。あまり私とアヴリルの関係を詮索しないでくれ。それは二人だけの秘密にしておきたいんだ。会うよ……彼女に。10年も放っておいて許してくれるのかは分からないが」
「そ……それじゃあ!」
「ただし。君たちにも協力してもらうよ。エール君、島にミノタウロスがいるのは知っているね。私は彼らに酷く嫌われている。私自身が何か悪いことをしたわけじゃないが、縄張りに侵入する敵だと思われている。君には護衛をしてもらいたい」
「そんなのお安い御用ですよ! エールにかかればちょちょいのちょいです!」
伯爵の提案にセレナが二つ返事で了解した。エールもスパーダもそのことに異論はない。バルカロールは妙な話になったなと思いながら紅茶を啜っていると、伯爵に肩を叩かれる。
「他人事じゃないですよ、バルカロールさん。島に行くまでの船を誰が動かすんです? あなたにもしっかりと働いてもらいますからね!」
「いや……それは構わねぇけど船が無いことにはどうにも……」
「私がトロイメライ号をトレドから買い戻しますよ。あなたの船と言えば、あれしかありませんからね」
「え……ほ、本当かよ!? 冗談じゃなくて……!?」
「私の顔はそれほど冗談が得意に見えますか。真面目な話です」
嬉しい提案だったが、バルカロールにはいまいち伯爵の心変わりの理由が分からない。確かなのは伯爵にとってアヴリルへの気持ちに正直になって行動する。これこそが吹っ切れるための大きなきっかけになったのは間違いない。
アヴリルを捨てて島から逃げたことで、伯爵は海に嫌気が差して関わりたくなくなった。あれだけ手助けしたいと思っていた父の夢、楽園を見つけることにも関心を失った。だが今、エールたちとの出会いで二つは結びつき、止まっていた時間が動き出す。




