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31話 人無き島のセイレーン

 以前語ったことだが、魔物と人間は基本的に敵対関係にある。

 魔物は人間を餌のように思っているし、意思疎通もできない知能の低い種族もいる。好戦的な傾向にあることからも魔物と友好を結ぶ例は聞いたことがない。


 今夜、奇妙なことだがエールはその魔物に命を救われた。

 そればかりか果物を分け与えられ、食料すら提供してもらっている。

 今までの人間の常識ではあり得ない出来事だ。


「あの……なんでアヴリルさんは私を助けてくれたんですか?」

「誰かを助けるのに理由って必要? でも不思議に思うのも無理はないわね。私は魔物だから」

「ごめんなさい。そういう訳じゃなかったんですけど……気になってしまって」

「いいの……そうね。あの人を助けてから、私は変わったのかもしれない」


 アヴリルは自然と歌いはじめていた。

 エールはいつの間にかその綺麗な透き通った声に惹きつけられていた。

 こんな歌は聴いたことがない。船乗りも魅了されるわけだ。


 歌詞を聴く限り、内容は二人の男女の悲恋の歌だった。

 船乗りだった男性は船が難破してある島に流れ着く。

 島にいた女性は男性に一目惚れしてしまい、男性を助ける。


 女性に助けられるうちに男性も女性を愛し、二人は恋に落ちる。

 二人は幸せな日々を過ごすものの、やがて別れの時が訪れる。


 ある日、船乗りの男性は島から去ってしまった。

 一人取り残された女性は嘆き悲しむ。


 美しさの中に儚さと寂しさが織り交ざる愛の旋律。

 エールは歌を聴いていると、なんだかうとうとして眠くなってきた。


「子守歌になってしまったかしら。疲れてるみたいだからもう寝るといいわ」

「は、はい……ありがとうございます……」


 エールはそのまま藁布団にくるまって深い眠りに落ちた。

 目が覚めると朝になっていて、焚火は消えていたが懐でパイロンが寝ている。

 この時期は冷えるはずだが、炎の妖精である彼が近くにいるとそれを感じない。

 セレナが時々エールを湯たんぽ扱いするが、こういう気持ちだったのか。


「うーん。おはよ。果物がまだ残ってるから朝はそれを食べなよ」

「ありがとう。いただきまーす……」


 セイレーンのアヴリルは洞窟内にいないようだった。

 干してある隊服はすっかり乾いている。

 服を着た後でようやく魔導砲が無いことに気づいた。


「あっ……パイロン、魔導砲を知らない? これくらいの武器なんだけど」

「おいらは知らないな。でも浜辺に転がってるかもしれない。一緒に探そうか?」


 エールはパイロンを肩に乗せて洞窟を出た。雲ひとつない快晴が広がっている。

 すぐ近くには浜辺があり、水平線の彼方まで見渡せる。

 遠目に天蓋都市らしき建造物が見えるので、おそらくあれがウェンディゴだ。

 小舟か何かがあれば帰れないこともなさそうだ。


「ねぇ、パイロン。この島には船とかあるの?」

「無いかなぁ。ここには魔物しか住んでないし。人間は近寄らないから」


 浜辺には色々なものが漂着しているようだ。流木や小瓶など、ゴミが多い。

 天蓋都市が近くにあるせいなのか、はたまた船の往来が多いせいなのか。


「そういえばアヴリルさんの言ってたあの人って、どんな人なの?」

「ああ。エンリケのことか。それならよく知ってるよ。あいつは良い奴だったな」


 ちろちろと舌を出したり引っ込めたりしながら、パイロンは言った。

 エールは恋愛には疎い方だが、ここでコイバナ的思考が高速回転する。

 もしや。昨日のあの歌はアヴリルとその船乗りの歌なのでは。


 愛する人への想いと共に伝わってくる別れの寂しさと儚さ。

 あれは人間と魔物、相容れないが故に離別の運命を辿った歌ではないか。

 いや。そうに違いない。エールの予想は鋭いのだ。


「パイロン……それって! あの歌の男性がエンリケさんのことなの!」

「すごい食い気味だけど、予想は当たってるよ」

「やっぱり! でも……それじゃあアヴリルさんは……」


 エールは急にしょんぼりと肩を落とした。

 アヴリルの恋は実らずに終わってしまったのだろう。

 同情するしかない。しかもアヴリルには未練があるのだと思う。


「アヴリルの傷は癒えてないんだ。深い、深い、医者でも治せない心の傷だよ」

「ごめんなさい……軽い気持ちで聞いてしまって……」

「なぁエール……おいらは冒険者が着けた焚火の中から生まれたんだ」


 魔力を宿した自然には精霊が眠るとされており、実体化した精霊のことを妖精と呼ぶ。炎の妖精であるパイロンは冒険者の魔法使いが暖を取ろうと魔法で起こした火の中から生まれて、そのまま妖精と化した。


「人間って生まれた時のこと、覚えてるのかな」

「ううん。そういう人ってあんまりいないと思う……」

「そうなんだ。でもおいらはよく覚えてる。あれは夏の頃だ。冒険者が焚火を囲んで、吟遊詩人が歌っててさ。聴き終わるとみんな拍手してた。おいらは火の中からそれをずっと見てたんだ」


 それはパイロンにとって初めて認識した明確な記憶だった。

 吟遊詩人への称賛の拍手が誕生した自分への祝福のように感じたものだ。


「あの吟遊詩人の歌は明るくて楽しかったな……でもアヴリルの歌はいつも悲しいんだ。おいらはずっとアヴリルの心を温めてあげたいと思ってるんだけど、それができるのはきっとエンリケだけなんだろうな」

「エンリケさんも歌みたいに船乗りだったの?」

「たぶんそうだと思うよ。けどエンリケって不思議な奴でさぁ。ただの船乗りだって名乗る癖に妙に身なりが良くて顔もイケメンだったな。貴族みたいっていうか」


 パイロンは荷物に紛れながら色々な村や天蓋都市に赴き、人間の社会をひっそり彷徨っていた。見た目もトカゲのようだから、見つかっても珍しい色の小動物としか思われなかったのだろう。


 とある港町の船の中でパイロンとエンリケは出会った。

 エンリケは自分を見習いの船乗りだと名乗った。


 大きくなったら父の夢を手伝いたい、とよく語っていたという。

 そのためには航海術や造船技術を学ぶのが一番だとも。


 エンリケと仲良くなったパイロンだったが、嵐で船が難破し死にかける。

 特にパイロンは炎の妖精なので水がとても苦手だった。

 二人は漂流の果てに今いる無人島に流れ着き、アヴリルと出会う。


「エンリケとアヴリルはすぐ恋に落ちた。人間と魔物が恋をするなんておかしいかも知れないけど」

「ううん! おかしくないよ! イケない恋ほど燃え上がるって本で読んだもん!」


 恋愛の話の時だけ、やけに食いつきがいい。

 パイロンはちょっと呆れそうになったが、話を続ける。


「でも二人の仲を引き裂いたのが他の魔物たちだ。この島にはアヴリル以外にもミノタウロスが住んでるんだ。島の真ん中に集落を作って暮らしてる。魔物以外はすぐ追い出そうとする排他的な連中さ」

「えっ……そうだったんだ……私、大丈夫かな……」

「今はまだバレてないと思う。で、エンリケはミノタウロスに命を狙われてしまって、島を去るしかなかった。エンリケは自力で小舟を作って逃げたんだけどね」


 父の夢のためにと培った航海術や船の知識が役に立ったのだ。

 こうしてエンリケとアヴリルは結ばれること無く離れ離れになったらしい。

 幸運にも妖精だったパイロンに関してはミノタウロスも目を瞑った。

 それ以来、パイロンとアヴリルは10年以上洞窟でひっそりと暮らしている。


「アヴリルは未だにエンリケのことが好きなんだ。だから人間のことも嫌いじゃないし、親切なんだよ。エールを助けてくれたのはそういう理由だと思うよ」


 この島に漂着した自分を助けてくれた時、アヴリルは何を想ったのだろう。

 かつて愛した人間、船乗りのエンリケとエールを重ね合わせたに違いない。

 その後も魔導砲を探して浜辺をぶらぶらしていると、アヴリルが海を眺めているのが見えた。

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