2話 休職して旅に出ます
ノックの主はたぶんセレナだ。もう晩ご飯の時間なので誘いに来てくれたのだろう。ロープを隠す必要がある。こんなものを持っていたら怪しまれる。
「エールぅ? いないの?」
「あわわっ……早くこれを隠さないと……」
扉の向こうからセレナの声が聞こえてくる。エールは焦って椅子に足をぶつけた。痛い。どこに隠すか迷う内に、セレナが扉を開けて部屋に入ってきた。
「エール……どうしたの。何でロープなんて持ってるの?」
「えっと……えへへ……その……片づけでもしようかなって……」
セレナは目を細めてエールを見つめた。
「なんで急にそんなこと。嘘だ。絶対嘘だね。セレナさんには分かるんだから」
「ほ、ほんとだってば~。信じてよ。これは机を整理したら見つけただけで……」
「何か良からぬことを考えてるでしょ。さぁ、洗いざらい白状しなさい!」
エールの目は泳いでいた。嘘が下手なのだ。
秒で隠し事を看破されてしまい、遂に考えていた計画を全て吐いた。
その無茶な計画を聞かされたセレナは呆れた様子だった。
「そのロープで見張り場から地面に降りるのは無理でしょ……高さが違うよ」
「ええっ……そうかな……でもちょっとだけだよね?」
「長さが全然足りないよ。だいたい警備は二人でやるんだから私が止めるでしょ」
どうやらエールの考えた計画は最初から破綻していたようだ。
だが心はもう決まっていた。信じて待つだけの日々は終わりにする。
これはただ行方不明になった家族を探すためだけの旅ではない。
エール自身の夢を叶えるためでもある。姉と一緒に暮らすという夢を。
「……でも私決めたの。銃士隊は辞めてお姉ちゃんを探しに行く……!」
「駄目だよ、何言ってんの!? こーんなに可愛くてか弱い、世間知らずの女の子が! そんな危ないことするなんて!」
セレナはエールのもちもちした頬を両手で掴み、むにっと引っ張る。
年齢より幼く見えがちなエールの顔が横に広がって変形した。
「私、もう16歳だもん……子どもじゃないよ」
「まだ誕生日迎えてないんだから15歳でしょー! 嘘つかないの!」
「そんなの些細な違いだよ……セレナだって歳は同じだよ」
もちっとしたエールの頬っぺたから手を離すと、セレナは溜息をついた。
せっかく辛い訓練を乗り越えて銃士隊に入れたのに、それを辞めるなんてもったいない。銃士隊は訓練こそ厳しいが一度入隊してしまえば仕事は楽なものだ。給料も良い。
「みんなは心配して止めてくれるけど……ごめんなさい。もう決めたことだから」
エールは机の引き出しから封筒をひとつ取り出して、セレナに見せた。
「それは退職届。本気なのエール……?」
「……うん。お姉ちゃんは『最果ての楽園』にいる。必ず連れ帰ってみせるよ!」
セレナはしばし黙り込んだ。
姉が行方不明になってからというもの、セレナは何かと心配してくれた。
いや、それよりもっと幼い頃、ただの親友だった時からそうだ。
いい加減、愛想を尽かされても仕方ないかもしれない。
だがセレナはエールが想像だにしないことを言い放ったのだ。
「……分かった。じゃあ私も一緒に行く。それなら心配も無いし」
「えぇっ!? だ、駄目だよ……! 銃士の仕事はどうするの!?」
セレナにとってエールは家族同然の存在だった。
家族が危険な外の世界へ行くのを黙って見ていられるわけがない。
「私は孤児だから家族なんていない。大切な人はエールだけだよ。だからエールとずっと一緒にいたいし、助けてあげたいって思う。それって変なことかな?」
「で……でもやっぱりセレナまで銃士を辞めるのは……」
「エール。仕事はどうとでもなるけど、人は失ったら帰ってこないよ」
そう言ったセレナの表情はいつになく真面目なものだ。
真っ直ぐな瞳で、言葉には有無を言わせない強さが秘められていた。
「じゃあセレナ……一緒にお姉ちゃんを探すの、手伝ってくれるの?」
「……もちのろんだよ! 二人で探せばきっとすぐに見つかるって!」
だが、問題がひとつ残っているとセレナは話した。
なぜ同僚たちがそこまでしてエールの姉探しを止めようとするのか。
エールだけ知らない理由があるのだと、セレナによって知らされた。
「実は隊長に、エールが変な気を起こしても止めるように命令されてたんだよね」
「え……!? そ、そうなの……? なんで隊長が……」
「分かんない。でも隊長が許してくれないと門を開けてくれないかもよ」
天蓋都市の門の管理は、銃士隊の管轄だ。
隊長の強権を行使すれば外の世界へ旅立つエールの妨害も可能。
どちらにしても隊長に退職届を出す必要がある。避けては通れない。
隊長のマズルカは女性ながら優れた銃士であり、若くして隊長を任されている。そして非常に厳しいことで有名だ。
二人は退職届を出すためにマズルカのいる執務室を尋ねた。
エールが部屋の扉を二回ノックすると声が返ってくる。
「入れ」
その一言だけでエールはドキッとして心臓が早鐘を打つのが分かった。
やはり怖い。内心びくつきながら二人で部屋に入っていく。
「エールとセレナか……何の用だ? 手短に済ませろ。忙しいんでな」
淀みなく書類にペンを走らせながら、マズルカは冷たく言い放った。
本人に自覚があるのかはさっぱり分からないが、隊長は人を寄せ付けない。
他者を圧迫し恐れさせる達人だ。でなければ軍規の厳しい銃士隊は纏められないのだろう。それも今は残業で書類仕事をしている様子。
「あの……一身上の都合で退職したいと思いまして……退職届です」
ペンを走らせるマズルカの手がぴたっと止まったのはその時だ。
エールとセレナはおずおず退職届を提出すると、それをマズルカがじっと見る。
眼鏡越しの視線はまるで切れたナイフだ。
「受け取るのは構わないが……事情を聞こうか。行方不明のカノンを探しに行くんじゃないだろうな」
鋭い。エールを外の世界に出さないよう根回ししていただけはある。
言い当てられただけでもうエールは動揺を隠せない。
「図星か。なら止めておけ。あのカノンが本当に死ぬような状況に陥ったのなら、お前たちも後を追うことになるぞ」
「そ……それは……でもお姉ちゃんは死んでません。きっと生きてます」
「ならば猶更、信じて待つことだな。それが利口な判断だ」
マズルカの言うことはもっともだった。
銃士の仕事を捨てて探しに行くのはリスクを伴う行為だ。
気軽にやれることではない。だがそんなことはエールだって分かってる。
「お姉ちゃんは『最果ての楽園』にいます。帰って来れないのはきっと事情があるからです。なら助けてあげないと。きっとお姉ちゃんは困ってると思うんです!」
「隊長、すみません。そういうことなので私たち、銃士隊は辞めます」
セレナが締めくくって軽く頭を下げる。エールたちの意思は固かった。
するとマズルカは退職届をびりびりに破って足元のゴミ箱に捨ててしまう。
「……ならもう何も言わん。休職扱いにしてやるから好きにしろ。外は危険だぞ。生きて帰ってこい」
「え……い、いいんですか隊長……?」
「エール、同じことを何度も言わせるな。私は忙しい、早く出ていけ」
エールとセレナは何も言わず深々と頭を下げて部屋を出た。
鬼にも仏心が宿るのか、その慈悲深い処遇に驚きを隠せない。
二人は廊下を歩きながらひそひそと会話をはじめる。
「ねぇエール、なんか隊長優しくなかった……? 休職にしてくれたよ」
「理由は分からないけど……ありがたいよ。仕事を無くさないで済んだもん」
二人が去った執務室で、マズルカは溜息を吐くしかなかった。
エール・ミストルテイン。訓練生時代の成績はごく平均的。
『魔導砲』の扱いには優れているが、単独での戦闘には未熟さが目立つ。
エールが一人で旅をしながら姉を探すのはデータ上無茶だと言わざるを得ない。
だが同僚のセレナ・スターリングが加わるとなれば話は変わる。
訓練生時代の成績はトップだった。素行以外に文句のつけようがない。
特に『魔導銃』を用いた早撃ちはベテランの銃士も真似できない。
彼女と共に旅に出るなら死ぬことはないだろう、とマズルカは判断した。
友人の妹とはいえここまで気を揉んだのだ。死なないで欲しいものだ。
――気まぐれに吹く風。カノンはそんな人物だった。
誰よりも自由が好きで、誰よりも他人のことを考えていた。
その妹もまた、その風に乗って自分の手の届かないところへと羽ばたいていく。
やはり姉妹ということなのかもしれない。
自由に空へ飛び立つ鳥を、籠の中には閉じ込めておけない。