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19話 医師アスクレピオス

 部屋を出ていったセレナが、すぐさま白衣の男を引き連れて戻ってきた。

 スパーダはどうしたのかと僅かに警戒したが、セレナがお医者さんだと説明する。そうなのか。とは言ったが、怪しい奴だという印象があったので、すぐに状況が飲み込めなかった。


「手を出してくれ。風邪だとは思うが念のため診察する」


 高熱にうなされるエールは朦朧とした意識で布団から手を出した。

 脈を測るわけでもなく、白衣の男は自分の手を重ねる。

 数秒経って、男の手がぼう、とおぼろげに光を纏う。


「……ただの風邪だな。これなら普通の治癒魔法で問題ないだろう」


 エールの額に手を当てると、温かな光が白衣の男の手に灯った。

 間違いなく治癒魔法の光だ。医者なら誰でも使えるというわけではない。


 セレナは孤児である。

 銃士隊の訓練生になるまでは教会の老神父の手で育てられた。

 教会の近くにはエールの両親が営んでいたパン屋があり二人はすぐ仲良くなる。

 育ててくれた老神父は簡単な治癒魔法が使えた。


 手から放つ光で傷や病気を癒していく姿は奇跡のようだった。

 優しい治癒の光は今でもセレナの記憶と目に鮮烈に焼きついている。

 その神父は、セレナが14歳の頃に亡くなってしまった。


「完治しただろう。もう自由に動いて問題ない」


 白衣の男の端的な言葉を聞いて、エールはベッドから起き上がった。

 だるさも汗もいつの間にかすっと収まっている。苦しかったのが嘘のようだ。


「まったく、エールったら心配かけて! ちゅーしてやろうか!」


 セレナが飛びつくように抱き着いて、唇を何度もエールの頬っぺたに重ねた。

 こういうのはいつものことなので、セレナのしたいようにされるがままである。


「あ、ありがとうございます。もうすっかり良くなりました。あの……お名前は?」


 エールがおずおずと感謝を述べると、白衣の男は少し黙り込んだ。

 聞いてはいけないことを聞いたのかと思ったが、やがて口を開く。


「……アスクレピオス。私の名前は、アスクレピオスだ」


 アスクレピオスはそれだけ言って立ち上がり、部屋を去ろうとする。


「あっ……! ま、待ってください。お礼をさせてください」

「金なら必要ない。風邪を治しただけだし、患者を治療するのは当然のことだ」


 そう言えば相手も納得するだろうとアスクレピオスは考えた。

 だがお礼をする、と言い出した手前エールは食い下がる。


「じゃ、じゃあ……一緒にお食事はどうですか? もう晩ご飯の時間です」


 もちろん、晩ご飯代は自分たちが払う、という意味だ。

 アスクレピオスは思わぬ面倒事に巻き込まれた気がして断ろうと思った。


「あっ。それいいねエール。美人三人とご飯が食べられるなんてアスクレピオスさんは幸せだなぁ! うん、うん!」


 すぐさまセレナが話に乗っかって、断りにくい空気を作る。

 アスクレピオスは無言でいるとスパーダの腰袋から顔を覗かせた。

 眠そうに目を擦ったあと、目をぱちぱちさせて口を挟む。


「セレナ、三人じゃなくて四人だよー……」

「あはは。ごめん。エリーゼも入れて四人だったね」


 そこで断った方がかえって面倒だと、アスクレピオスは気づいた。

 数日間はこの魔導列車で一緒に旅をするのだ。部屋に閉じこもるという選択肢もあるが。だがどうやったって食事の時は顔を合わせる可能性がある。食堂車はひとつしかないのだ。


 彼女たちを気にしながら数日を過ごすのはどうにも窮屈だ。

 そちらの方がアスクレピオスは嫌だったので、止むを得ず了承した。

 それに、彼女たちにまったく興味がないというのも嘘だった。


 食堂車はまだ人が少なく、四人席もちゃんと空いている。

 上流階級が旅行に利用するだけあり、食事は豪華だった。

 一流のシェフが腕によりをかけて、フルコース料理を提供してくれる。


 こんな食事は誕生日にも食べたことがない、とエールは思う。

 フォーマルな場の食事作法があやふやだったので三人とも正直適当である。

 セレナが大口を空けてパンをむしゃむしゃ食べた時、アスクレピオスの視線がちらりと動いた。


「……君の名前はたしか……」

「あっ。私はセレナです。なんでしょ?」

「余計なことかもしれないが……こういう場においてパンは千切って一口ずつ食べた方が良いとされている。私は気にしないが、周囲に君たちが悪い印象を抱かれるのは、好むところではない」


 もぐ、もぐ。ごっくん。

 口に咥えていたパンを手に取り、セレナは無言で千切りはじめる。

 顔がやや紅潮している。それから、セレナもエールもスパーダも黙ってアスクレピオスの真似をした。三人と違って彼はテーブルマナーが完璧だったのだ。

 エリーゼは何も食べずに窓から外の景色を眺めている。妖精は、大気や自然に宿る魔力を吸収して生きる。本来食事など必要ない。


「……君たちはなぜ魔導列車に? どこかに旅行でも?」


 次の食事が運ばれてくる僅かな間に、アスクレピオスは質問した。

 何も話さないというのも社交性を疑われるだろう、という考えもある。


「私たち……旅をしてるんです。お姉ちゃんは冒険者なんですけど、行方不明になってしまって」


 姉探し。それは見つかる保証も無い、ほとんど彷徨のような旅。

 だが銃士が外の村をふらふらしている理由がこれでようやく分かった。

 さらに次の一言はアスクレピオスに奇妙な縁を感じさせた。


「お姉ちゃんは手紙に『最果ての楽園』へ行くって書いてました。だからそこを目指してるんです」


 アスクレピオスは平静を装い、一言だけ「そうか」と返事をした。

 エールの姉について深く追求しようかとも考えたが、怪しまれるかもしれない。

 それ以上聞くことはせず、話題を世間話に変えて食事を終わらせた。


「大変な旅だろうが無理はしない方がいい。君のお姉さん、見つかるといいな」


 食事を終えたアスクレピオスは、去り際にそんなことを口走っていた。

 我ながら心にもない一言だ。ただ姉の身を案じる無垢な少女を、せめて励ましたかったのか。


 いいや。そんなわけない。アスクレピオスは知っているからだ。人の本性の醜さを。これは未だに姉離れもできない世間知らずの少女への冷笑を隠しただけだ。そうに違いない。


 どうも彼女を見ていると心が搔きむしられそうになる。胸が張り裂けそうになる。忘れてしまおう。しょせんこれ限りの縁。そろそろ『戻る日』も近いのだ。


「アスクレピオスさんと会えて良かったです。えへへ……おやすみなさい!」


 そう言ってエールたちとアスクレピオスは別れた。

 部屋に戻った三人は各々の時間を過ごし、寝る時間になった。


「ねぇセレナ。アスクレピオスさん良い人だったね。優しい人みたい」

「うん……まぁ。そうだと思うけど。でも……仮面を被ってたね。あれは」


 スパーダは二人のやり取りを聞きながら、寝間着に着替えてベッドに潜り込む。

 するとセレナが自然のことみたいにするりとベッドに入ってきて、悪戯っぽく笑った。そうだ。魔導列車に乗る前、セレナは堂々と言っていたではないか。


 ――あっ! ごめんごめん。乗ってからゆっくり楽しもうねぇ。むふふ。


 その時がやって来た、というだけなのだ。少なくともセレナにとっては。


「エール、これは浮気じゃないから。おやすみ!」

「うん。おやすみなさ~い」


 エールが部屋の明かりを消した。

 暗がりの中でセレナの顔がゆっくりと近づいてくる。

 同性のスパーダの目から見ても、セレナは美人だった。顔だけじゃない。

 足は長く、腰も羨むほど細い。指なんて綺麗でほっそりしている。


 いつもは悪戯好きの子供のような顔をしているが、ふとした表情は驚くほど大人で色っぽい。その表情を維持できたらもっと男性に好かれるだろうに、と思ったこともある。


「ね……スパーダの肌って綺麗だね……普段どうしてるの?」

「な、何もしてないさ。僕は美人とは程遠いから……」

「うそ……だってこんなに可愛いのに。もっと自信持ちなよ……」


 セレナの細指がスパーダの肩を優しく撫でた。赤子をあやすように。

 手のひらひとつ分の距離で、セレナの息遣いが聴こえる。それがくすぐったい。

 スパーダは下を向いて少し顔を逸らしたが、セレナが頬を触ってくる。

 それが顔をこっちに向けて欲しい、というサインだと気づいた。


「恥ずかしいの? 一緒に寝るなんて子供のすることだもんね……でも肌と肌で触れ合うのって大切なことだよ……お互いの気持ちが分かっちゃうの」

「き、君のことは嫌いじゃない。でも君の顔を見ているとなんだか……」

「いいんだよ。私、もっとスパーダのこと知りたいな……私たちは仲間だから……」


 いつの間にかセレナの手はスパーダの太ももへと滑っていた。

 分からない。なぜこんなにセレナを意識してしまうのか。あの妙に熱っぽい目を見ているとおかしくなりそうだ。彼女はただ親交を深めたいだけなのに。


「夜は長いよ……もっと楽しも……?」


 ベッドの中でスパーダがびくっと跳ねた。

 その後、セレナはスパーダを撫でたり、ぎゅっと抱きしめたり、耳元で友情を囁いたり。二人の親交を深める時間は深夜にまで及び、気がついたらセレナはすーすーと寝息を立てていた。


 ――よ、ようやく解放された……お嫁にはいけそうだ。


 そんな馬鹿みたいなことをスパーダはつい考えてしまった。

 なんだか変に気分が高揚している自分もいて、結局その日は一睡もできなかったのである。

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