15話 弱きは食われ強きは食らう
風が冷たい。空気を吐くと白い息となって視界の端へ流れていく。
自分たちを取り囲むイエティに注意を払ったまま、荒くなった呼吸を整える。
スパーダが倒した魔物だけを数えても、もう四体は仕留めている。
いったい何体いるのだろうか。総数が分からない。
他に気になることもある。リーダーらしきイエティの胸に埋め込まれた欠片。
あれは一体何だろうか。まるで宝石のように綺麗だが、明らかに怪しい。
「あんまり抵抗しない方がいいぞぉ。冒険者ぁ。楽に殺してやるからよぉ」
リーダーのイエティは間延びした声でそう忠告した。
余計なお世話としか言いようがない。罪もない村人を襲った報いを受けさせてやる。スパーダはサーベルを構えてリーダーのイエティを睨みつけた。
「エリーゼ、力を貸して。あいつを倒せば群れは統率を失うはずだ」
小声で呟くと、スパーダは大きく息を吸い、疾風のように駆けた。
加速した身体はたった一歩でリーダーのイエティの眼前まで距離を詰める。
その勢いに任せて、頭頂部に狙いをつけサーベルで斬りかかった。
「はや…………!?」
鈍重なイエティではその戦闘速度に対応することは不可能だった。
咄嗟に防御しようと片手を突き出し頭を傾けるが、すり抜けて肩口に食い込む。
「おぁぁぁぁ!!?」
イエティの真っ白な毛皮がだんだんと赤黒く染まっていく。
魔物は死亡すると光の粒となって跡形も残さず消滅する。
つまり、出血に留まっている間はイエティを倒せていないということだ。
リーダーのイエティは犬歯を剥いて笑い、サーベルを掴み取った。
「つっかまえたぁ~。『欠片』の力で傷もすぐ回復するんだぁ。無意味な攻撃だったな?」
もうサーベルは使えない。スパーダが柄から手を離したのと同時に、イエティの拳が振り抜かれた。命中する寸前、スパーダの身体はふわりと宙に浮き、拳が空を切る。
飛翔魔法でも使わなければ出来ない芸当だ。そう、これは魔法によるもの。
風の妖精エリーゼが魔法を行使してスパーダをアシストしているのだ。
さっきの風のように加速した一撃も、エリーゼの補助魔法によって行っていた。
スパーダはそのまま落下してイエティの首に組みつく。
そして持っていた短剣を取り出し、深々とイエティの眼に突き刺す。
「うがぁぁぁぁぁ!!!!」
サーベルが使えていれば、そのまま頭を切り裂いて勝てていたのに。
粗末な短剣では片目を潰すので精一杯だった。素早く後方へ退避する。
このイエティ、欠片の力で回復がどうのなどと怪しいことを言っていた。早く倒した方がいい。しかし仲間の追撃の邪魔にならないよう、離れたのがかえって不味かった。スパーダが距離を置いた位置。その真後ろには木造建築の一軒家が建っている。
「スパーダッ! 後ろ、逃げてッ!!」
エリーゼが腰袋から飛び出して叫んだときは手遅れだった。
ばきばきと家の壁が割れて、中から新たなイエティが飛び出してきたのだ。
不意打ちを食らったスパーダはイエティともつれて地面に倒れこむ。
「はぁ~……余計な抵抗をしやがって。お前ら降参しろ。こいつの命が惜しければな」
リーダーのイエティはいざという時のために伏兵を用意していた。
そこまで追い詰められるのは想定外だったが、念には念を入れておくものだ。
他のイエティと戦っていた仲間たちは人質となったスパーダを見捨てることができず、降伏するしかなかった。
リーダーのイエティは肩に食い込んだままのサーベルを投げ捨てる。
片目に刺さった短剣も引き抜くと、目が高速で治癒していく。
両腕を後ろで捕まれ拘束されたスパーダは、恐ろしい剣幕で叫んだ。
「殺すなら早く殺せっ。死ぬ覚悟は冒険者になった時からできてる!」
「うん、それを決めるのは勝者の特権なんだよなぁ。なんかお前、気になるんだよなぁ」
イエティは舐めまわすようにスパーダをじっと観察する。
やがてぽん、と手のひらを拳で軽く叩いて疑問が解けたらしい。
「あぁ、お前、女だな? なんで男みたいな服装してるんだぁ?」
「急に何を……」
「いやぁ。匂いがちょっと違うんだよなぁ。いやぁ、そういう奴もいるんだなぁ」
何を思ったのか、リーダーのイエティはスパーダの衣服を破り始めた。
その大きな手からは似つかわしくないほど、包装紙でも剝がすみたいに丁寧に。
露になったのは一糸纏わぬ女性の身体だった。
スパーダは羞恥を覚えて俯く。隠していたのに、知られてしまった。
女性を好む魔物というのは存外多い。飢えた魔物にとっては格好の餌だ。
他にも慰み者にしたり、理由は様々だが、女性というだけで狙われやすい。
冒険者として戦いになったときも同様である。
男の冒険者からも不必要に舐められたりするので肩身が狭い。
そこでスパーダはあえて名前と外見を隠していたのだ。
髪も短くしてより男性らしく装っている。
女性だと知っているのはエリーゼだけなのだ。
それをよりにもよってこんな形で知られたくなかった。
「髪形はともかく、顔は悪くないし体も綺麗だなぁ。よーし。お前は奴隷にして生かしてやる! ありがたく思えよぉ」
イエティの言動はあまりに下劣で自身の末路を容易に推測できてしまった。
配下である他のイエティはそんなことに興味ないのか、他の人間は食っていいのかとリーダーに聞いた。
「お前らは食うことしか頭に無ぇなぁ。まぁ好きにすればいいけど」
「待ってくだせぇ。妖精はどこに行っちまったんですか?」
「そんなもんほっとけばいい。ちっこ過ぎて餌にもならないだろぉ」
エリーゼは逃げたのだろうか。スパーダは魔物の手がエリーゼにまで及ばないことに安堵した。どうか、遠くまで逃げて生きてくれと。自分は悲惨な末路を迎えても構わない。たとえエリーゼだけでも無事に逃げ切ってほしい。
「食ったら撤収するか。森に隠れればしばらく冒険者にも追撃されないだろう」
スパーダの仲間たちがさっと青褪めた。
イエティたちはただの馬鹿ではなく、多少の用心深さも持ち合わせていた。
『欠片』があれば大抵の冒険者は倒せると思うが、やはり侮ってはいけない。
事実、今回は少し危なかった。冒険者の中には信じられないほどの強者がいる。
「……ん?」
リーダーのイエティはとっさに仲間を盾にして身を隠した。今まさにスパーダの仲間に食らいつこうと口を開けていたその個体は、頭を撃ち抜かれて死んだ。
次々と、正確に頭を撃ち抜かれてイエティの仲間が絶命する。光の粒となって消える。
「だ、誰だ……!? お前はッ!?」
「魔物に答えても意味ないでしょ。どうせ死ぬんだから」
トレンチコートを羽織った少女だった。両手には魔導銃を持っている。
すでにイエティはリーダーを除いて全滅していた。自由を取り戻した冒険者たちは一斉に逃げ出す。
スパーダはその少女の顔を知っている。『赤鼻の酒場』で会った銃士の少女だ。
セレナである。セレナはトレンチコートを脱いで衣服の破けているスパーダに着せた。
「ん。寒いだろうから使って。武器もないし、みんな建物を盾にして隠れててよ」
なぜ彼女がここにいるのか、疑問が尽きないが、今は指示通りに動くしかない。
仲間もスパーダも負けた時に武器を奪われ壊されてしまった。
「ここは私たちで対処する。まぁ任せておいて」
セレナは手短に冒険者たちに告げて、二丁の魔導銃をイエティに向けた。