12話 小さな風の妖精
いよいよ日が沈み、夜を迎えようとしていた。
茜色に染まる空が少しずつ星を散りばめた藍色へと変わり始める。
天蓋都市の中は天井の照明でいつも明るく照らされている。
とはいっても24時間ずっと明るいと感覚が狂うので夜は照明が落ちて暗くなる。
魔法の力で局所的な天候も再現されており、天井から雨が降ることもある。
街灯が点いているだけの暗く、賑やかな天蓋都市の夜がやってきたのだ。
現在、エールとセレナは商業地域に向かっているところだ。
目指すは冒険者の集まる定番スポット、酒場である。
「夜なのに人が多いね~……ウィンターベルはもっと静かなのに」
「私から離れちゃ駄目だよ。エールは可愛いから変な人に連れていかれちゃうよ」
「も~。私はそんなに子どもじゃないよ。一人で歩けるもん」
などと話しながら歩いていると、エールの目の前を何かが通り過ぎて行った。
羽根を生やした、手のひらサイズの何かだった。思わず目で追いかける。
セレナもエール同様に目撃したらしい。羽根を生やした何かを凝視している。
虫ではない。それは羽根を生やした小さな人間だった。服も着ている。
だらーんと上半身を前屈させて、ぷかぷかと空に浮いている。
妖精である。自然が魔力の影響で実体化した存在だ。
おとぎ話やうわさ話で聞くことはあれど、二人が目にするのは初めてだった。
エールとセレナはバレないように顔を近づけて小声で会話する。
「セレナあれって……もしかして妖精さんなの……!?」
「都会ってすごいね……とんでもないとこに来ちゃったよ」
妖精はふわぁ、とあくびをして周囲をきょろきょろと探っている。
眠たげな顔だ。でもそのアンニュイな表情が堪らなく可愛いのである。
もしエールとセレナが自制心のない子どもであったなら、はしゃいで話しかけていただろう。
「あー……あのぅ。すみませんー……ちょっといいですか?」
「え……は、はいっ。なんでしょうか!?」
思いもよらないことに、なんと妖精がエールたちに話しかけてきた。
咄嗟に返事をしたもののエールはなんだか素っ頓狂な声を出してしまう。
「ひとー……ひとを知りませんか。スパーダって言うんですけどー……」
うつらうつら。眠たそうにしながら妖精は質問した。
当然、首都に来たばかりのエールたちがその人物のことを知るはずもない。
「ごめんなさい、私たちここに来たばかりで……」
「そうなんだー……それじゃーまたー……」
妖精はぱたぱたと羽根をはばたかせ、どこかの路地へ去っていく。
そのなんとも頼りのない動きが、エールの心を不安にさせた。
果たしてあの妖精は無事に探し人のところへ辿り着けるのだろうか、と。
自分も行方不明になった姉を探す身だ。なんだか他人とは思えない。
気がついたらエールは駆け出していて、地面へ不時着寸前の妖精を両手でキャッチしていた。
「はわー……ありがとー……お姉さん」
「私はエールです。エール・ミストルテイン。こっちは友達のセレナ」
「そうなんだー……私はエリーゼって呼んでー……よろしく」
エールの両手の中で、エリーゼという名の妖精は寝息をたて始めた。
うつ伏せの状態で気持ちよさそうにすやすやと眠っている。
見るからに幼い妖精に見えるので、もう眠る時間だったのだろうか。
「どうするの? エール?」
セレナの純粋な疑問に、エールはこう答えるしかなかった。
「……酒場でスパーダって人を探してみようよ。知ってる人がいるかもしれない」
ユールラズの商業地域には酒場が何件もある。
だが冒険者行きつけの、いわゆる『情報が集まる』酒場となると限られてくる。
宿屋を出る前にユールラズに詳しいダッシュからその場所を教えてもらった。
ダッシュ曰く、首都だからといってどこでもお上品というわけではない。
年若い女の子が下町の胡散臭い連中が集まる酒場に行ってもメリットはゼロだ。
そして訪れたのが『赤鼻の酒場』という店である。
2階建てになっており、看板には赤鼻のトナカイがでかでかと描かれている。
なんだか愛嬌のある店だなぁ、などとエールは思いながら、店を眺めた。
実は酒場に入るのははじめてなので、ここに来て今更緊張してしまっている。
それを察したセレナが無言で先陣を切って酒場の扉を開けた。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
女性の店員が元気よく迎えてくれて、エールは口の中でごにょごにょする。
緊張で舌が上手く回らない。もじもじしている内にセレナが答えた。
「二名です。あっ……三名かな?」
セレナの視線はエールの両手の中で眠るエリーゼに注がれた。
女性の店員は驚いた顔でエリーゼを掴み、ぶんぶんと上下にシェイクする。
「エリーゼ、また寝ながら飛んでたの!? スパーダが探してたわよ!」
「うーん……ごめーん……風の妖精なのに風に流されちゃったー……」
女性の店員が上へ、下へとエリーゼを振るたびにきらきらと光が散る。
いわゆる妖精の鱗粉だ。傷を癒すともされる貴重な素材である。
「あのぉ……その妖精さんとはお知り合いなんですか? 人を探してたみたいで、さっき道で会ったんです」
「はっ。ごめんなさい。この子は店に良く来る冒険者の仲間なんです。すぐ迷子になるんですよ」
エールが説明すると店員はカウンターにエリーゼを置き、二人をテーブル席へと案内する。ちょうどお腹も空いてきたので、ここで晩ご飯を済ませようという話になった。
「ワインも頼めるんだ。エール、せっかくだし飲んでみようよ。なんか貴族になった気分じゃない?」
二人はメニューを見ながら料理を選び、ついでにお酒も頼んでみた。
飲んだ感想として、エールはそれを苦い味と表現する他無かった。
それ以上の語彙と舌の感覚を、未だお子ちゃまなエールは持ち合わせていない。
「へー。結構いけるね。すぐ酔っちゃうかと思ったけど私、平気みたい」
しかし驚くべきことにセレナの舌には合っていたようだ。
ワイングラスをくゆらせて貴族の真似事をしつつ、一気に飲み干してしまう。と、そろそろお会計、という段取りになったところでエールは本題を思い出した。
姉カノンの行方についてである。酒場なら何かの手がかりが掴めると思ってきたのだ。エールは代金を支払うついでに恐る恐る、店主にそのことを聞いてみた。
「カノンさん? あぁ、そういえばずいぶん前に来てくれたね。ユールラズに来ると必ず寄ってくれるんだ。贔屓にしてもらって嬉しいよ」
「私……妹なんですけど、お姉ちゃんを探してて。どこへ行ったか知りませんか?」
店主はエールがカノンの妹であることを大いに驚いた。
ポーラもそうだったが、やはり最強の冒険者という異名の効果なのだろうか。
しかし残念ながら店主は行き先を何も知らなかったようだ。
「力になれなくて申し訳ない。でも……そうだ。スパーダと何か話してたな。時間があればもう少し待ってみてください。きっとエリーゼを探して戻ってくるはずですから」
人というのは思いがけないところで繋がっているものらしい。
当のエリーゼはカウンター席でタオルにくるまって眠ったままだ。
この妖精を相棒にしている、スパーダという人物は一体何者なのだろうか。