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1話 ウィンターベルの銃士

 これはとても遠い昔の話。

 知恵の樹の実を食べた人間は神々の世界を追放されてしまいました。

 でも人間は困りませんでした。人間には魔法の力があったからです。


 魔法は人間の友でした。

 ある時は火となって夜を照らし、ある時は水となって渇きを癒やし、ある時は風となって正しき道標となり、ある時は土となって食べ物を育みました。


 ですが知恵を蓄えた人間たちはいつしか魔法を忘れ去っていきました。

 この世のあらゆることは知恵が生み出した科学で解決できると思ったのです。


 その知恵で人間の暮らしはとても豊かになりました。

 空から災厄が降ってくるまでは。


 空の災厄はこの世界に長い冬をもたらしました。

 その時、七人の賢者と救世の姫君が現れて緑豊かな大地と生き物を守り楽園を創ったのです。こうして人間は知恵と魔法を忘れず、平和に今を生きていけるのでした。




 ◆




 幼い頃から、ずっと姉の背中を追いかけてきた。

 姉の歩く道を辿っていけば間違いはないのだと信じていたからだ。

 瞼を閉じればいつでも思い出すことができる。一緒に遊んだあの平和な日々を。


 ずっと続いていたはずの道は、ある日を境に途絶え、暗闇に閉ざされた。

 姉のカノンは、半年ほど前から行方不明になってしまったのである。


「うーっ、さむさむっ。もう春なのにほとんど冬じゃん。もー。やっぱ寒いのは苦手だよ」


 同僚のセレナが不意に発した一言で、エールの意識は現実に引き戻された。

 今は警備の時間だ。いくら暇だからと言ってもボーッとしていたら怒られる。

 見れば雪が降り始めていた。降り積もるほどではないだろうが、通りで寒いわけだ。見張り場から見える自然の風景は、代り映えのない雪景色。


「もうちょっとで交代の時間だよ。それまでがんばろーよ!」


 エールは水筒を取り出してセレナに手渡した。水筒の中身はミルクココアだ。

 マグカップに注がれたココアは触ればかじかんだ手を、飲めば身体の芯を温める。


「ぬくぬくだぁ……やっぱり気が利くねエールは。いい子、いい子」

「もう~。セレナってば子ども扱いしないでよ。髪がくしゃくしゃになっちゃう」

「あはは。ごめんごめん」


 エールの白金の髪をセレナは荒っぽくよしよしと撫でた。

 あどけない顔立ちのエールは、しばしば必要以上に子ども扱いされた。


 対してセレナは、青みがかったロングの黒髪をしており、顔も美人だ。隊服の上から更にトレンチコートを着ていて分かりにくいが身体つきも大人びている。


「エール、さっきボーッとしてたけど……まさかお姉さんのこと考えてたの?」

「えっ……えへへ……ち、違うよ。ちょっと疲れてただけ……」

「本当にぃ~? 変なこと考えちゃ駄目だからね。お姉さんはきっと大丈夫だよ」


 エールとセレナは幼馴染の関係だった。

 姉が行方不明になり不安定なエールを、セレナはいつも励ましてくれる。

 警備の時間も交代が近い。雑談で時間を潰していると、恐ろしい声が響いた。


「ずいぶん退屈のようだな……もっとキツい仕事を任せてやろうか?」


 その声を聞いて恐れを抱かない者が果たして銃士隊にいるのだろうか。

 エールとセレナはあまりにも軽率だったと、後悔することになった。


「ま、マズルカ隊長……! すみませんでしたっ、現在異常なしです!」


 セレナは慌てて叫んで敬礼の仕草を取る。エールもそれに倣った。

 よりにもよって隊長のマズルカに怠けているところを見られてしまった。

 その代償は大きい。二人は交代時間まで説教を食らうことになる。


「こ、こわかったぁ……死ぬかと思った……」

「セレナごめんね……私のせいで……」

「いいんだよ。調子に乗って喋ってたのは私なんだし……」


 説教のショックが抜けないまま、外壁の見張り場からドームの中へと移動する二人。中に入った瞬間、待っていたのは春らしい温かな空気だった。大半が雪と氷に覆われたこの世界。寒さから身を守るため人々はドーム状の街で暮らしている。


 そのような街を『天蓋都市』と言う。中は魔法で温暖な環境に調整されている。

 そして天蓋都市を守るのが、エールたち銃士隊の役割なのである。

 ここはウィンターベル。フェルネ王国に存在する数少ない天蓋都市のひとつ。


 都市内にある銃士隊の隊舎に戻ったエールは、まず隊舎の管理人を尋ねた。

 これは姉のカノンが行方不明になってからの恒例行事で、毎日確認している。


「管理人さん、手紙は来てませんか?」

「あぁ。エールちゃん宛てに一通来てるよ」

「本当ですかっ!?」


 すっと手渡されたのは歯医者からの手紙。そろそろ定期健診の時期だ。

 エールはがくりと項垂れた。期待していたのは、姉からの手紙なのである。


 行方不明になる前、エールの姉は一か月に一度必ず手紙を送ってきてくれた。

 姉はかつて優れた銃士だったが辞めて冒険者をしている。


 冒険者は天蓋都市の外に出て新たな居住区を開拓するのが役割だ。外の世界には、魔物がいる。ゆえに冒険者は魔物退治も行う、大変な仕事である。


 自分の部屋に戻ったエールは歯医者の手紙をしまおうと机の引き出しを開けた。

 姉からの手紙でごちゃついているので、整理しようと手紙を全部、机に置いた。


「あっ……」


 すると一通の手紙が床に落ちる。

 拾い上げると、それは姉が最後に送ってきた手紙だった。

 内容は簡潔にこう書かれている。


 エールへ。

 天蓋都市の外は冬が近づいて冷たさを増し、生きる者を拒むかのようだ。

 冒険者になってからたくさん旅をしたけれど、いつでも冬は大変だった。

 私は今、首都のユールラズにいる。そろそろ銃士隊の仕事に慣れたかな。


 銃士の仕事は大変だと思うけれど、エールならきっと大丈夫。

 エールにだけ打ち明けようと手紙を書いたんだ。私はある場所を目指す。

 『最果ての楽園』のおとぎ話を覚えてる? 理由があって、楽園へ行く。


 私が経験した旅の中でもっとも過酷なものになると思う。

 たとえ何があっても心配しないで。エールは自分の道を歩むんだよ。

 カノンより。


「お姉ちゃん……自分の道なんて分からないよ……」


 エールの声は震えていた。半年経っても変わらず行方不明のままだ。

 両親が死んだ出来事を思い出さずにいられない。それはエールが12歳の頃だった。パン屋を営んでいた両親が突然、流行り病で亡くなったのだ。


 残されたエールは生きるため銃士隊に志願する道を選んだ。

 銃士隊に志願すれば訓練生として給料をもらうことができるためだ。


 もう、あんな悲しい別れは二度と経験したくない。

 姉はきっと楽園で生きている。エールはそう祈っている。


 なにせ最強の冒険者とも名高い姉だ。何か事情があるはずなのだ。

 もしそうなら自分が姉を助けなくてはならないと、エールは決意した。


「やっぱり……私がお姉ちゃんを探さないと!!」


 これまでもエールは音信不通になった姉を何度か探そうと試みた。

 だが周りの人間に止められてすべて失敗した。外に行くのは危険だと言われて。

 極寒の環境に魔物もいる。冒険者でもない素人が無事でいられる保証はない。


 天蓋都市と外界を繋ぐ門も、銃士が警備している。

 きっとこのまま行っても止められて隊舎に送り返されるのが落ちだろう。

 何か策を講じなければならない。


 そこでふと目に入ったのが、いつ買ったかも分からないロープだった。

 太くて丈夫で、小柄な人間一人くらいなら余裕で吊るせそうだ。


「……これだっ!」


 名案を閃いた。ロープを見張り場に結んでそこから降りていくのだ。

 これなら誰にも邪魔されず姉探しの旅に出られる。決行は次の警備の時間。

 完璧だ。なぜこんな名案を今まで思いつかなかったのか。

 その時、部屋の扉をノックする音が響いた。誰かが来たのだ。

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