7、(幸)創世の夢
菊子さんが話をしてくれたからだろうか、朝に学校に向かう幸に、道々で見守りの方が挨拶をしてくれた。
交差点で旗を振っている小学生のお母さんとか、お店の準備をしている人とか。
……わ、私のダメっぷりが街中に知れ渡ってる! 人に見られるのも、声を掛けられるのも緊張するのに!
私は見守りの人の目を避けるように、背の高い通行人の影に隠れてコソコソと通学した。
「菊子さんの影響力絶大……!」
学校にたどり着き、教室に逃げ込んでも、前の席の生徒が事ある毎に話し掛けてくる。
今まで私に話し掛けてくる人は何らかの用件があった。用件さえすめば立ち去ってくれた。なのに吉田君は用事もないのに話し掛けてくるからどうしようもない。
……いや、髪の毛のちょっとした変化とか、私に聞かれても分からないよ、昨日の吉田君とどうちがいがあるというのか!
私は今まで信の影に隠れるように生きてきたので、信抜きで人と接するのはすごく緊張して疲れる。夢のフレイも体を貰った後はこんな気持ちだったのかな?
幸はガラリと変わった学校生活に戸惑って、放課後は逃げるように家路を急いだ。
暑さの残る人の多い街を抜けて、私は家に続く長い坂道をのぼる。坂の上にはお店がないので、人も少ない。幸は周りに人がいないのを確認して、街を振り返った。
坂の下の街にはビルやお店が建ち並び、その向こうには海が見える。
この街には沢山の人が住んでいて、みんなそれぞれ大切な人がいて、支えあって暮らしているのだと思うと、胸がじんわりあたたかくなる。目に映るもの全てが愛しく思える。
……人の日営みが、うれしい
体の中心からあたたかい気持ちが広がると、意識が薄れ、視界に薄いカーテンがかかる。
この気持ちは私じゃない、フレイだ、と頭は理解はしても体が動かない。私は抵抗できずに意識を手放した。
――幸は夢を見ていた。
フレイがいつもいる場所は東の神殿。神殿は地下に施設があり、地上には申し訳程度の建物と入り口しかおいていないらしい。
その分地下はとても深くて広い。それはフレイが情報として知っているだけで、実際は五層までしか行ったことがなかった。
フレイがいつもいるのは、世界の生命の根幹である、世界樹がある巨大なドームだ。
ドームは地下なのに、空があり、疑似太陽が昇り、朝と夜のある不思議な空間だった。
体を貰ったフレイは、いつも暇をもて余していた。今日もひとり、上層の竜の像のあるエントランスに行き、水辺に腰かけてボーッとしていた。
エントランスは神官が足しげく出入りしている場所だが、今日は誰もおらず、双竜さえも不在だった。
「……サー……いないの?」
私は誰もいない空間に向けて神様の名前を呼んだ。
いつも私と一緒にいてくれたこの世界の神様は、世界中どこにでもいるのに姿は無い不思議な存在だった。
守護竜や神官達はその人をサーラジーンと呼んで、この世界の神に据えていた。
「いつも答えてくれたのに、最近はほとんどいない……」
私は水に手を入れ、かき混ぜて波を作る。波が魔法の光に反射してキラキラと輝いた。しかしそれを見ているのもすぐに飽きた。
今日は神官もいないし、ここで育成していた新種の竜も巣だってしまった。それどころか、この神殿にいつもいる双竜さえも不在のようだ。
「……みんなちいさい子に夢中なんだから……いいなぁ、また外に行きたいなぁ」
最近は神殿に現れた子どもにみんな夢中で、サーも守護竜もかかりきりになっている。いや、私も可愛いと思っていますけど、ムチャクチャかわいいですけど。
特に双竜はその子が作ったので、主人として敬っているようだ。
「私も何か手伝えたらよかったのに……」
私が出来る事はサーとお話すること、そしてここでこの世界を見ることだけだ。あの子のように新しい守護竜を作ったり、便利なシステムを構築したりは出来ない。そのせいか私は外に出る許可がおりない。
「……寂しい」
前は思うだけしか出来なかった心情が、今は音となって空気を震わせている。誰も受けとることのない言葉は、私をさらに落ち込ませた。
「……昔のようにサーが応じてくれたらいいのに」
私は目を閉じて、昔に思いを馳せた。
ここでの一番古い記憶は、この世界の始まりだった。サーラジーンと呼んでいる光の神様が、私に話し掛ける。
『竜の国のフレイ、どんな世界にする?』
私、三才くらいの小さな幽体の私は、何もない世界で両手を大きく広げる。
『あたたかい光と、それを受けとる大地がいるわ! しずく形の大地には大きく×を書いて四つに分けるの、世界の真ん中はサーの住むところにするわ』
私がそう言うと、サーがくすりと笑った。そして、何もない世界が横にふたつに割れて広い大地と太陽が現れた。
『竜の国だから、竜が一番偉いの! 四つの国にそれぞれ違う竜を置くわ。東は大地の竜で西は……』
私とサーは、何もない空間に次々と世界を構築していった。
その世界の神様、サーラジーンは、意識のみの存在だったが、私は心から信頼していた。
『…………』
幸は、自分がゆらゆらと揺れているのを、どこか遠くで感じていた。
そういえば学校に行って、なんとか放課後までやり過ごしたのは覚えている。しかし家にたどりついた記憶がない……。
私は不安に思い目を開けると、目の前に信のアゴが見えた。信は私を運んでくれているようだ。私はホッとして信に話しかけた。
『信、あのね、フレイはあの世界を作った人なのよ、単なる幽霊じゃなかったの……』
私があちらの言葉で言うと、信は頷いた。
『そうだね幸、でも今は寝た方がいい』
信がそう言うので、私は安心して目を閉じた。
しがみつくと頬に信の胸があたっている。耳をつけると、トクトクと心臓の音が聞こえた。
夢で感じていた寂しい気持ちが、こうしてくっついていると溶けていく。胸があたたかいような、くすぐったいような感じでいっぱいになる。
信は私がくっつくのを嫌がるけど、なるべく近くにいたい、そう思う。
私はふわふわの雲の上で寝ているような気持ちで、信にくっついていた。やがて意識は遠くなり、私は再び眠りに落ちた。
次に私が目を開けたのは夕方だった。場所は自宅のソファーの上で、さっきと同じように、信が私を見ていた。
『おはよう、信』
私はさっき信に話し掛けたように、夢の世界の言葉を使ったが通じなかった。信は眉を寄せて読んでいた本を机に置いた。
「挨拶だっけそれ? もう夜になるけど、よく寝ていたな」
信が日本語で言うと、私はがばっと起き上がった。
「私外で寝てた? またやらかした?」
「そうみたいだな。この前の公園で寝ていたのを、道行く人が連れてきてくれたらしい。佐久間の知り合いかも……」
信に言われて、私は首を傾げて考えた。
「私は君が連れてきてくれたんだと思っていたよ?」
「いや、今さっき部活から帰ってきたばかりだ、それは無理」
「……?」
私は混乱した。
さっき私を運んでくれた人は、信と呼び掛けたら答え、しかも私の名前を呼んだ気がする。
「……!」
私はふと思い出して、四つん這いでソファーを移動し、信に飛びついて胸の匂いをかいだ。
「ちょま、部活帰りだって言ったのにお前……」
汗くさいかと信は気にしたが、私はお構いなしに抱きついて信の匂いを嗅ぐ。
「違う……さっきの人はタバコの匂いがしてた! 信のお父さんが吸ってるやつ!」
それを聞いて信は嫌がって私をひきはがした。
「親父だったんじゃねーの? 俺公園からここまで幸を前に抱えて歩くとか出来ないし」
「……前?」
「背中じゃなくて、胸だったんだろ? 匂い」
首を傾げる私を、信は抱えあげた。
それは世に言うお姫様だっこというやつで、背中と膝の裏に腕を当てて持ち上げるものだった。
「これ、この持ち方だと抱き上げるとき胸に顔があたり、顔が見える」
私はその状態で抱き上げられて、信の首に巻き付いた。信相手だと私の頭がはみ出て、胸に耳をくっつけることなんて出来ない。
「あ、重い。これ無理、少ししか歩けない」
信はよろけてソファーに私を下ろした。
「そいえば胸板厚かった……信だと思ってたけどしらない大人の人だったんだねぇ……」
「ほんっと、最近は容赦なく倒れるな、さすがに学校行くなと言いたくなる……」
「うっ……」
自分でも思ってることを、信から指摘されるとダメージが大きい。毎日迷惑をかけていることが、恥ずかしいやら、情けないやらで、私は鼻の奥ががツンと熱くなった。
「……ごめんね」
私が泣いた事に気が付いたのか、信は慰めるように私の頭に手を置いた。
「まあ、通学道の対策がきいて、こうして無事に家に連れてきてもらえたのならいいのでは? 佐久間には明日礼を言っとけよ? 明日からはなるべく付き添うから」
「……うう」
優しくされると申し訳なさすぎて、さらに泣けてくる。私はさっきまで体にかかっていたタオルケットを引っ張って、顔を覆った。
「……付き添わなくていい、大丈夫……信は部活優先にして? あと私高校はいかないから。もうちょっとしたら信は楽になるからね」
私がメソメソしているので、信は泣くなと頭をはたいた。
「バカいってないで顔を洗ってきなよ。高校は幸でも通える学校を探せばいいから。最近は通信教育もあるらしいしなんとかなる」
信がそう言って、私の髪をぐしゃぐしゃと撫でるので、私は情けなくなってまた泣いた。
「なんか飲み物取ってくる。のど乾いただろ?」
信がキッチンに向かうので、私もトボトボと後をついていった。
私が洗面所で顔を洗っている間、キッチンで信は冷蔵庫にいれてあるアイスティーをコップについだ。
流しを見ると、使用済みのグラスが三つ置いてある。そして三角コーナーにはガムシロップの空の容器が三つ捨ててあった。
「お客さん来てた?」
「今帰ってきたばかりだと言っただろ? 知らないよ」
グラスの一つは赤い口紅がついていた。私はスポンジでゴシゴシこすって口紅を落とす。
「藤野さんの口紅こんなに赤くないしなー、ママのコーラスの人かなあ? このガムシロップかなり甘いのに、三つも!」
「いや、グラスの数と合ってる。そこに疑問は無いだろう」
私はキッと真面目な顔をして、グラスを信に突きつける。
「ママは紅茶甘くしないよ、他のふたりがいれたとして、その一人はガムシロップを二個入れたのよ! 甘党だよ!」
「これだけで誰か当てられたら探偵になれるよ」
私はハッとして、時計を確認して、辺りを見回した。
「ママは?」
「俺と入れ違いで買い物に行った」
「ふーん」
信は私にアイスティーを渡し、自分はガムシロップをひとついれてリビングに戻る。私は空腹を感じて冷蔵庫の中からプリンを出して、キッチンで立って食べた。
私はプリンを食べつつ、頭のなかではさっきの夢を思い出していた。
「そういえば、フレイって単なる幽霊じゃなかった」
リビングにいる信が「何?」と聞く。
私はプリンの容器を片付けて、リビングに戻った。
「フレイは神様と一緒に世界を構築してた。あの夢の世界は、フレイが想像したものを、サーラジーンが形にしたものみたいよ」
「……!」
信は飲んでいたアイスティーを喉につまらせむせる。
「フレイって、神様なの?」
「発案しただけの幽霊でしょ? 実際世界を作っていたのはサーだったよ」
ゲホゲホとむせている信の肩をトントンとさすると、信は腕で私を遠ざけた。
さっき運搬中にくっつき放題だったのは、信じゃなかったからなのか、タバコの匂いで気が付くべきだった。
冷静に考えると、知らない人の胸にくっついて、匂いを嗅いでうっとりとしていたとか恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
信のむせ返りもおさまったようで、信は静かにアイスティーを飲んでいる。近付いたらまた追い払われそうなので、私は向かいのソファーに座り直した。
「それで、フレイは創世の頃は忙しくて、末期では見てるだけになっていたのか」
「なるほどねー。フレイの暇暇病は末期ってことなのね。もうすることないから体に入ったのかなあ?」
「体に入るという時点で人外だけどね、人形とかなのかもね。大人のフレイは」
私は夢の中の肌の感触を思い出しながら、自分のニノ腕をぷにぷにと触った。
「人形と言っても、手触りは今の自分と同じな感じだなぁ……もっと回数重ねて見ないとその辺はわかんないけど」
「手触りって……」
信は、自分の腕を触る私を見るが、フイと目をそらした。
「そうだ、幸、これ見て。大分まとまってきた」
信は、思い出したようにカバンから書類を出す。それは暇な時間にコツコツ作成した異世界のデータだ。私は目を輝かせてプリントアウトされたデータを受け取った。
「わーすごい、図になると分かりやすいねー!」
私は世界地図を見て歓声をあげる。
「海や大陸の形は適当だけどね、縦に長いしずく形なんだよな?」
「そうそう。たてに長い島だから、北と南で全然気候が違うのよねー」
私はリビングの引き出しからペンを出して手に取る。
「ねえこの地図、山とか川とか書いていい?
首都の場所とか森とかも!」
「何枚でもプリントできるからいいよ、どんどんかいて」
「やったぁ!」
私は鼻歌を歌いながら白地図に書き込みをしていく。
「聖地から伸びる長い川は、東の国を通って海まで抜けているの。聖地は深い森に囲まれていて、西は殆どが平野なの。その分北は高い山が連なっていて、入国するのが大変なのよね」
私の解説つきで書き入れられる地理情報を信は興味深く見ていた。
「幸って地理は苦手だと思っていたけど、異世界ならお手の物なんだな。その知識をそのまま現代の地図に置き換えてみたら勉強楽になるんじゃないの?」
「……やなこというなー」
そう言われて私は頬を膨らませる。
「こっちは百九十国以上あるから無理なの! あっちは四つしかないもんね!」
指を四本立てて威張る私を見て、信は苦笑いをした。
「ファリナの歴代の王の名前を述べよ」
「えと、メグミク、サラジア、メグミク二世と三世、最後はアイロス王ね、セシルの恋人」
信は頷いて問題を変える。
「日本の歴代総理大臣」
「えっ? い、いとうひろふみ、く、くろだなんとか、おおくましげのぶ?」
「いや、大隈重信は八代だ。ちなみに二代は黒田清隆。国の数の問題ではないな」
私は、はぁーっと息を吐いて机に突っ伏せた。
「あっちの事なら分かるんだけどなー。あっちの世界のことをテストに出してくれたらいいのに」
「興味があるかないかの違いだろ? 幸は興味がさえあれば覚えられるんだから、真面目に覚えなよこっちのこと」
「恐竜が絶滅した今この世界にどう興味を持てと」
信は私の頭をはたく。
「恐竜はいないけど、ゾウもパンダもいるだろ」
「かわいさ不足ですから!」
「パンダと竜を比べて、竜のほうがかわいいというのは、幸だけだよ」
「毛よりもうろこ派なの! 強さは正義だよ!」
文句をいいつつ私は白地図の書き入れに夢中になっていた。国名は向こうの言葉でレタリングして、アルファベットで読み方も記載する。
「あ、地名の書きこみついでに、アルファベットと比較したあっちの言葉も表にして書いて」
「ほいほい」
表の書き入れとか面倒な作業だが私は楽しく書いていた。これが日本語とローマ字の表だったらやる気はおきない。
「コウのこの能力がこっちのテストに生かせればいいのに」
信は地図をながめつつ、呆れ顔で私を見ていた。




