6-7、神殿(ドーム)
天高く伸びる世界樹の元に、私とジーンはいた。ジーンは話には答えてくれるが、ずっと仰向けのままだ。私は寝たまま動かないジーンをどうしたものかと困って見ていた。
「ねえ? ずっと思っていたんだけど、もしかして今動けない? 魔力切れてる?」
ジーンは苦笑した。こうしてただ話しているだけなのに、顔に表情が表れるようになっている。
「大丈夫、樹木の真下だし、二、三日こうして寝ていれば勝手に補填されるよ」
「やっぱり、魔力不足で動けないのね……」
私は立ち上がり、さっき取ってきた縫い針を手に持った。
「どのくらいいるの?」
「何を?」
「血」
ジーンは目を閉じてしばらく考えていた。
「いらない。目の前で針を刺されるのは本当に嫌だ」
「指すのは私の指だけど?」
「うん。それがとても嫌だ」
「君はアレクみたいなことを言うのね……」
私はどうしようか困って、さっき指した針の傷を指で絞ってみるが、血は完全に止まっているようで出てこなかった。
……うーん、痛くない血の提供方法は無いかな?
私は寝ているジーンに覆い被さるように、顔を近付けた。
頬を滑ってこぼれ落ちる髪の毛を耳にかけ、唇を少し噛む。そのまま寝ているジーンの口に口を付けた。しばらくそうしていて、顔を離すと、ジーンは手で顔を覆ってゴロリと横を向いた。
……あ、動いた。
私は赤くなった頬をはたいて熱を逃がした。
ジーンが横を向いたまま動かないので、私はその肩をトントンと叩く。
「足りなかった? も、もっといる?」
返事が無いので、反対に回ってジーンの顔を覗くと、ジーンの顔は私同様に真っ赤だった。
ジーンは地面に手をついて、のそりと上体を起こして座り、手で顔を覆った。
「さっきまで無表情だったのに、いきなりそんな反応をされると、こっちが恥ずかしいんだけど……」
私は気まずくて、どうしていいのかわからずに、ボーッとジーンを見ていた。ジーンが上を見てポソリとつぶやく。
「樹木の真下にいるというのにこれか……」
「……?」
私が話を聞こうとジーンに耳を寄せると、間近でジーンと目があった。
「血はたりた? 体、動きそう?」
ジーンはゆっくり頷く。そのままじっと私を見るので、私は緊張して顔がひきつった。
「どうしたの? 君、さっきからなんかおかしいよ?」
「おかしいのは、コウの感覚だ」
「……?」
私はジーンが何を言っているのか分からなくて首を傾げた。ジーンは私に近寄り、地竜のピアスを触る。
「これ魔法アイテム?」
「……あ、うん、それがないと私の心が全部守護竜に伝わっちゃうんだって」
「なるほどね……」
ジーンは考え事をしたまま、しばらく私の耳を触っていた。すぐ目の前に見慣れない男性の顔があって、気があせる。私は視線に困ってじっと地面を見ていた。
……ダメだ、さっきキスしたせいか胸がドキドキする。心臓がうるさく鳴り響いて、なんだか息苦しい
「万能じゃないなぁ、結構通過する……」
「ひぇ……」
私は恥ずかしくて、ジーンから一歩離れた。
「実は、幸が人買いにつかまったときから、この身体の五感がコウに乗っ取られていました」
「……えっ?」
「夕方頃それがはずれたんじゃないかな? コウさんが着替えて売られる様を、コウさん視点で強制的に体験させられたというか」
「五感って、気持ちじゃないの? 思っている事とか、心の声とか?」
驚く私に向かい、ジーンは首を横に振る。
「いいえ、五感です。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、全部」
「うわーっ!」
……火竜は味覚が伝わってたけど、まさか全部とは思っていなかった!
「ごめんなさい、私って、歩く迷惑ものね。だからみんなにうざがられていたのね……」
……全部? 全部ってどーゆーこと? 気持ちだけじゃなく、見えた映像とか、冷たい、とか、痛いとか、匂いとかそーゆーの、全部?
私ははずかしくて死にそうな気持ちになって、地面に頭を伏せた。ジーンも私に伝播して、項垂れて額を押さえる。
「うわ……今、その恥ずかしい気持ちも通過して来ました。いや、死ぬだろ、これ辛い……」
「この気持ちにさせているのは、君なの! ああヤダ、全部筒抜けとか、もうホントはずかしい……」
伏せる私を見て、ジーンはクスクス笑う。
「そう悲観することもないよ。竜は五感さえも制御されてるから、幸さんの視点はかなり刺激的……」
「人を、年齢制限のある映画みたいに言わないで!」
「五年間、ほぼ無感覚、無感情でいたんだ……幸の登場は驚天動地だよ。世界が反転したくらい驚いた」
……色んな人の力を借りて、必死で信を探した結果がこれだよ! 感動の再会とかじゃなく、めっちゃ笑われてるよ!
私はヤケクソになり、すっくと立ち上がって、スカートを叩いた。
「もう伝播のことはいい、どうせ全部顔に出るし、私は信に会うのが目的だったからね、次は君を帰す方法を探す」
ジーンは座ったまま、私を見上げた。
「今は忙しくて体を探す暇は無いよ、俺の帰還は考えなくていいから、幸は自分が戻るための糧を探しなさい」
「……何で? 信は元の世界に帰りたくないの?」
隣に座って顔を覗く私に、ジーンは黙って頷いた。
「何で? おじさん君の事待ってるよ? 他の人も君の帰還を願って手助けしてくれてる。誰とは言えないけど」
「理由なんて菊子と同じだ、菊子はエレンママを殺したから自殺した、俺は菊子を殺したから帰れないし、帰りたくはない、それだけだ」
「……菊子さんはレアナに殺されたんじゃないの?」
ジーンはこくりと頷く。
「菊子は俺が撃ち殺した、生きている筈はない」
「……そんな」
……信はずっとそんな想いを抱えてこの世界にいたの……五年間も……?
「信……菊子さん生きてるよ……怪我も無いって。私は意識の戻らない菊子さんの目を覚まさないといけないの、そのためには君も帰らなくちゃ、その未来に繋がらない……」
私が言うと、ジーンはハハッと自嘲するように笑う。
「これ、笑い事じゃないでしょ!」
「……いや、幸の言葉が殆ど聞こえないのに、幸が必死な顔をしているそのギャップが……」
私は立ち上がり、空を覆う世界樹をキッとにらんで大声で叫んだ。
「もー! サーラジーン! これが伝わらなきゃ何も始まらないでしょ!」
樹木に向かいピョンピョンと跳ねる私を見て、ジーンは笑う。私は視線に気がついて、座るジーンの前に膝をつけた。
「……信、君は誰も殺してないよ、これは過去に起こった事だからちゃんと聞こえるでしょ?」
ジーンは黙ったまま、コクリと頷いた。
「扉が開いた日に死んだのはママだけなの、菊子さんはママを殺して無いし、信も菊子さんも被害者として捜索されてるの。君たちにはちゃんと帰る場所がある、帰還を待つ人たちがいる、だから帰る場所が無いなんて思ったらダメ、君は絶対に帰れる、そのためなら私は何でもする」
「……コウ」
「帰ろう、信はちゃんと帰れる、私が保証する」
ジーンの肩に手を置いて、私はじっとその目を見るが、ジーンの表情は変わらなかった。
私はジーンの肩から手をどかし地竜のピアスを外した。フィルターの無い状況に戸惑うジーンの顔をぐいっと引き寄せて、その唇にキスをする。挨拶でやる口をつけるだけじゃない、書庫の時みたいなやつ。ミクさんから二度もくらった、人前では出来ないほう。
私はしばらくキスをした後に、少し顔を離してその目をじっと見た。
「……信、人間だった時の事をちゃんと思い出して、信は人間だよ……皆、信の帰りを待ってるよ」
ジーンは放心したように暫く動きを止めていたが、僅かに顔を動かして私の目をじっと見つめた。
……出会った時の信も、書庫の信もこれで心の穴が埋まっていた。だから竜の体でも何らかの効果はある……といいんだけど……。
私は目の前にいる人の中から信を探すように、じっと青緑の瞳を見ていた。ジーンは私の頭に触れると、顔を傾けて口を重ねた。
「……!」
この人は竜の体なので、アレク同様無味無臭だが、口のなかは人と同じく熱かった。彼と触れるたびに、胸がきしんで悲鳴を上げる。頭の中を直接触られているようで目眩がする。
……ふわあああ!
私はどうにもいたたまれなくなって、もうやめようと身を引くが、人の力とは違いびくともしなかった。
「……やめ、信、信!」
私は口が離れた隙に名前を呼ぶ。しかしすぐに塞がれてしまう。そうしているうちに、私の動きを押さえていた彼の手が動き、ジーンの体から私を引き剥がした。
突然解放されて、私はフラフラと後ろに下がってペタリとしりもちをついた。何が起きたか理解できずに、口をポカンと開けてジーンを見る。
ジーンは額に手を当て、その場で暫く停止していた。
「……コウ、ピアスつけて、早く」
「えっ、あっ、ゴメン!」
私は這って水場に行き、水面を見ながらピアスをつける。ちゃんとついたのを確認して、振り返ってジーンを見ると、ジーンは瞬きを数回して大きく息を吐いた。
私はハンカチを濡らして、火照った顔を冷やしつつ、遠巻きにジーンの様子を見ていた。
ジーンが目を閉じたまま動かなくたったので、私は心配になり恐る恐る近寄った。
「……ゴメン、どこか具合悪くなった?」
下を向いて顔を隠しているジーンを覗き込む。ジーンの頬は緩んでいて、体が小刻みに揺れていた。
「……笑ってた!」
……いやもう、書庫の人と同じことするとか、やっぱり中身は同じ人なんだなぁ
私が苦笑いをしていると、ジーンが笑いを堪えながら、私の頭をポンポン叩く。
「もう……何がおかしいのよ」
「いや、幸のキスがこんなに破壊力があるとは思っていなくて……」
「破壊力?」
私が眉間にしわを寄せて、ジーンを見ていると、ジーンは笑うのをやめて私を見た。
「ほら、腰が抜ける程のキスなんて人間だった時もしたことないから」
「……ヒィ!」
「幸さんがエロすぎて面食らって……」
「言い方!」
私が真っ赤になって文句を言うと、ジーンは肩をすくめて笑った。私に背中を向けてクスクス笑っている姿は、昨日の彼とは全然違って見えた。それは信というよりも、書庫のジーンさんに近い。それがかわいくて憎らしい。
「まあ、私が先にした事だから文句は言えないんだけどさ……」
……竜の力、というか、私より力の強い人に何かされたら、私には防ぐ術がない事が分かった。そして多分、この世界の人はみんな私より強い。そして魔物まで存在する。私、無事にここで生き延びられるんだろうか?
私はブルッと肩を震わせて、鳥肌の立つ腕をさすった。
ジーンは立ちあがり、世界樹の根元に行く。その巨大な根元に手を触れて、額を樹木につけた。
「幸の感覚がどうこういうよりも、この竜の体が幸を高魔力源だと認識するのが問題だな……」
「……えっ? どういうこと?」
ジーンは少し考えて言う。
「この体が、幸を食料だと認識する……」
「食料?」
「そう、食料。または燃料か。普段は樹木がそれを抑制しているから、幸を害する事は無いけど、制御が無かったらちょっとヤバいな……」
「私、竜に食べられるの?」
私が青くなって言うと、ジーンは笑う。
「大丈夫だよ。幸の指に針が刺さっただけで竜は大きくダメージを受けるから、幸を食べる竜はいないよ」
「ん? んん?」
私が理解出来ずに首を傾げると、ジーンは笑う。
「まあ、異世界に行った事で制御が壊れているだろう双竜は安全とはいいがたいけど、他の守護竜が幸を食べることは無いよ」
「砂漠で、火竜の端末に噛みつかれたけど」
「端末?」
「うん、守護竜は体を分裂させて小さな分身を作れるみたいなの。風竜も小さいのがいたわ」
「竜ってそんなことも出来るのか……」
「火竜は発明に特化しているの。特別かもしれない」
私は座り直して足を抱えた。
「信の体は何処にあるんだろう? アスラとセダン、西の塔には無かったわ。体が動いている事を信が知らないと言うのなら、誰かが勝手に信の体を使っているのね」
ジーンは樹木に触れてしばらく目を閉じていた。守護竜がよくやる検索中なのだろう。
「ファリナには無いよ。自治区も。自分の足で巡ったのでこれは本当」
「それって全滅なんじゃない? もー、どこかに手掛かりは無いかな。検索は出来ないの?」
「それが、検索にかからないんだ。多分生体No.が分からないせいだと思う」
「生体ナンバー? それって魂の番号だよ」
「そう。体じゃなくて魂で検索するから、俺の体を使っているヤツが分からないと検索出来ないのだと思う」
「なるほど……便利なようで不便なのね。樹木の検索……」
ジーンは樹木から離れて、私の目の前に来てしゃがむ。
「俺の事はいいから、幸は自分が帰る手段を探しなさい。もう水竜の結晶は使えないから、守護竜並の高魔力源が必要だよ」
「それは、私の血とか手とか足とかを使えばいいんじゃないかな……死なない程度に」
私がそう言うと、ジーンは私の額を人差し指で軽く弾いた。
「いったぁー!」
私が額に手を当てると、ジーンも額を押さえてうずくまった。
「信は私によくそれやるけど、痛いよね? 今度から文句は口で言ってくれないかなぁ?」
私がうずくまるジーンの頭をペシペシ叩くと、ジーンはコクりと頷く。
「幸が五体満足で帰る事が最低条件だから、手も足も差し出したらダメだよ」
「はーい」
額の痛みが引いたのか、ジーンは立ち上がると枕にしていたマントを拾ってパンと広げる。どうやら地上に戻るようだ。私はマントを着るジーンを手伝う。
「……ねぇ、君は今はファリナで王さまに仕えているんだよね、アイロス・サランが王さまだよね?」
「えっ? ああ、王の名前って気にしていなかった。そんな名前なのか……」
「お仕えしている人の名前も知らないの?」
「みんなファリナ王としか呼ばないからね」
私はジーンの顔をじっと見る。
「王の命を保持しているなら、君はファリナから離れられないよね。私、君の側にいたい、君にくっついてファリナに行っていい?」
顔を赤らめている私に対して、ジーンは暫く無表情で止まっていた。
「……守護竜の仕事はNo.4が復活したから、じきに解放されると思うけど、ファリナは今危険なんだ。コウを置いておける所は無いよ」
「危ないって、何で?」
「内乱が起こりそうなんだ。守護竜不在で寒波が酷くなっているからね、王を交代すれば守護竜が戻ると民は思っている」
「それは……水竜が誰を選ぶか次第なんじゃ?」
私の指摘を聞いて、ジーンは苦笑した。
「実際そうなんだけどね、いつ孵化するか分からない以上は、今の王を守らないとね」
……セシルの好きだった人を、信が守っているんだな。ここに来れば体調悪くなると聞いても、セシルの持っている、ファリナ王の命を引き取りにきてくれた。それはとてもありがたい。応援したい。
私はなんとかならないかとジーンの顔を伺うが、来てもいいという許可は得られなかった。
その時背後から、パリンと何かが割れる音がした。ふたりが音がした方向を見ると、さっきまでジーンが寝ていた場所に、白いヒモが浮いていた。
「……なにあれ?」
白いヒモは、円を描いて辺りを飛び回った。
『うるせー! オレが寝てるのにごちゃごちゃいちゃいちゃしやがって! それに、いってぇー!』
ヒモが心に直接話し掛けてくる。かなりうるさい。
「あれヒモじゃない、虫だよ! 飛んでる!」
私が指をさすと、ジーンは「よく見ろ」と言う。私がおそるおそるそれに近付くと、ヘビは悲鳴を上げて樹木の上のほうに飛んでいった。
ヘビのいた足元を見ると、割れた卵の欠片があった。欠片は少しずつ崩れて霧になっていき、樹木に吸い込まれた。
「コウ、これは竜だ……新しい水竜が孵化したんだ……」
「えっ? この子が水竜なの?」
私がドームの天井を見上げると、出口を探すように、白いヒモが宙を飛んでいる姿が見えた。




