6-3、No.7
細い路地の入り口から、黒ずくめの長身の男が壁に手を付けてゆっくりと歩いて来た。その男は殿下の前に立つと礼をする。
「アーヴィン殿下、その人をこちらにお渡しください」
「何故だ? この奴隷は俺の所有物だ。お前に何の関係がある?」
黒服の男性は少し間を空けて答えた。
「樹木からの緊急要請です。その人を神殿地下に連れていくように要請が入りました。殿下の庇護下にいるならば事が終わればお返しいたします、今はお渡しください」
「ふん……」
ふたりはしばらくにらみあっていたが、殿下はため息をついて、私を黒服の男の前に押し出した。私は呆然として黒服の男を見上げた。
……この人今、樹木って言った。世界樹からの要請が来るって、どういった人なんだろう。そして、殿下もそれをわかってる感じだった。この人は、人に見えるけど世界樹にアクセスできるの? カウズ並なの?
全身黒い男は殿下よりも背が高かった。そしてこの地でよくみる、口と鼻を覆うマスクをつけていて、目元もフードの影になって全く見えない。
同じ長身の黒づくめでも、アレクよりも年上で、体型ががっしりとしているように見えた。
……見かけはとても怖い感じなのに、側にいても全然怖くない。むしろ安心できる何かがある。信用してもいい気がする。
私はその人から信に感じるような気配を薄く察知したが、信や書庫のジーンとは違って、胸に穴が空いていなかった。
……まるでサーだ。この人は、世界樹に支えられているみたいに、健やかに安定してる。
ボーッとしている私を気にせず、男は私の手に巻かれた紐を取りはずした。その作業をしながら、男は殿下に尋ねる。
「殿下は、後をつけられていることに気がついておられますか?」
「は? しらんよ。それは店のものか? こいつを取り返そうとしてるのか?」
殿下とその付き人達は驚いてあたりを警戒する。黒い男は屋根の上を指差した。屋根の上には、アマツチがいて、視線に応えて手を振った。
「アマツチ!」
「は? あいつ、セダンの王子か?」
つられてお付きの人たちもざわめいた。
「えっ?」「一の王?」「あの男が?」
うろたえる殿下一行にかまわず、黒マントの男が私の額に手をかざす。その手は赤く光って、私の体が中からポカポカとあたたかくなった。
……魔法?
「……あ、ありがとうございます」
男は無反応のまま背負っていた袋を出して、その中から私の靴と靴下を出した。
「ミレイの靴だ……あ、ありがとう……」
私はしゃがみ、足についた砂を払って靴下と靴を履いた。袋を覗くと昼間着ていた服が全部入っているようだった。
しかし道端で着替えるわけにはいかない。とりあえずは長袖の上着を着て、その上にミレイのフードつきのマントを頭からかぶった。借りたマントはたたんで返す。
黒服の男は私が着替え終わるのを待って、私の前に膝をついた。男は握った手を私の前に差し出す。私がその手を覗くと、地竜の作ってくれたピアスがあった。
「あっ、それ、大事なの!」
私はあわててピアスをつけようとするが、鏡がないのでうまく針がささらない。それを見ていた黒い男が私にピアスをつけてくれた。
……良かった。これでセシルに迷惑を掛けずに会いに行ける!
私は安堵してホーッと息を吐いた。
男はしばらく何もない空中を見ていたが、二、三度まばたきして、殿下に向き直った。
様子を見ていたアーヴィン殿下は、意地悪な顔をして、黒い男に話し掛けた。
「無駄足だったな、シェンは西にいるってよ」
「姫が二の王の庇護下にいることは、既に樹木に記載されています。私は姫を探しにこの地へ来たのではありません」
「じゃあなんだ、言ってみろ」
男はマントの下から腕輪を取り出した。
「それは!」
「……メグミクの宝具、語りの腕輪」
黒い男は腕輪を手に殿下に近付いて行く。男は殿下の前で止まり、腕輪を差し出した。
「ファリナ王から、この旅で殿下がこれを所有するにあたるお人か判断しろと申しつかりました」
「お前がそれを決めるのか……よそ者のお前が」
黒服の人は微動だにせずじっと殿下を見ていた。
「殿下はこれを得るに値する功績をなさいましたか? ならばこの場で渡しますが」
「……うっ」
「功績は水竜奪還に致しましょう」
そう言って男は腕輪を殿下に手渡す。殿下は腰に下げている袋に腕輪をしまった。
「一の王、下りてきてくださいますか?」
男は屋根を見上げてアマツチに声をかけた。アマツチは屋根から飛び下り、私の目の前に立つ。アマツチは私を背中に隠すようにして、アーヴィン殿下に向き合った。そして片手を握り、肘を曲げて胸の高さまであげる。
「はじめまして。セダンのアマツチと申します。一の王との別名もあります。この度この娘が水竜に会うというので、その行程を手伝うためにここにおりますが、道中はぐれてしまい困っていました」
アマツチはそこまで一息に言うと、ニッコリと太陽のように笑った。
「ファリナ殿下、人買いからコウを救出してくださって、ありがとうございました」
「……ファリナのアーヴィンだ。俺はこの娘を渡す気はないよ」
殿下は不機嫌そうに挨拶を返し、アマツチから顔を背けた。
私はアマツチを見て、何言っても無理だよ! と、手をバツの形にしてサインを送る、アマツチは頭をポリポリかいて、地面に屈み込んだ。
「いや……取引の一部始終は見ていたんですが、あまりにも凄い金額つけるじゃないですか……。最初は買い取ろうかとも思ったんですがね……アハハ……」
そこまで言うと、アマツチはすっくと立ち上がって、満面の笑顔で言った。
「買い取りは無理です。ただで返してください!」
「ええっ!?」
一同驚いて声をあげた。アマツチはニコニコと微笑んで周りを見ている。
「ばかな、交渉にさえもなってないわ!」
殿下に怒られても微笑みを崩さないアマツチを見て、私はどうしようかと途方にくれる。アマツチはまあまあ、と手を振って場をなだめた。
「水竜はここの地下にいるんですよね? だったら俺は水竜の居場所を特定できますし、水竜のかけた封印も、地竜の力で解錠可能です」
「……そんなことが、出来るのか?」
アーヴィン一行が驚いてアマツチを見た。アマツチは笑って、地面を足でつついた。すると、アマツチの足元からクモの巣のような金色の光が放射状に広がった。
「地面の事は、うちの竜のお家芸なんで」
アマツチはにこやかに笑い、殿下に歩み寄る。
「実際、水竜はかなり弱っていると地竜が言っていました。でもまー守護竜は死んでも、結晶さえあれば再生可能なんです。その守護竜の結晶を殿下が持ち帰れば、この子どもに支払った金額につりあいませんか?」
「なんと」「そこまで考えていたのか」
お付きの人達が驚いてざわめいた。
殿下はムッとして、アマツチから顔を背ける。
「子どもの解放は結晶が手に入ったときだというなら、水竜奪還が失敗したときは返さんぞ」
「はい、約束しましたよ!」
「……了承した」
アマツチは笑顔で殿下に手を差し出す。殿下はムッとした顔のまま、アマツチの手を握った。
話が終わったので、お付きの人がワラワラと動いて殿下の周囲を守るように固める。
私はどうしていいか分からずぼーっとしていた。すると黒い服の人が動いて、私をアマツチのほうに押し出した。
アマツチは驚いて黒い男に聞いた。
「ここでこの子を解放していいんですか?」
「……殿下も貴方がいたら、気が休まりませんから。でも、おふたりの居場所は樹木に記載されます。神殿の扉が使えない今、陸路で逃げられても追跡出来ます」
「あれ? 樹木にアクセスできるって本当なんだ。だったらあなたは……」
アマツチの言葉に被せて、殿下が「行くぞ」と声をかけた。黒服の男は何も言わず殿下の後を追った。
「ねぇ、いいの? あんな約束して、きみは鍵を開けることが出来るの?」
「出来るの? じゃなくて、やるの! この世界にとっても、水竜の結晶は必要なの! ここはやらなくちゃいけないでしょ!」
アマツチはヤケクソ気味に私の頭をかき回した。私は髪の毛がこんがらがるのを防ごうと、フードを被って頭を抱えた。
「……?」
頭をフードでガードしながらうつむいていると、胸にモヤモヤとした不安が渦巻いた。
……なんだろうこの不安感。何かやり残した事がある?
不安は時間が経つ程に大きくなっていく。私は顔を上げて辺りを見回した。
殿下一行は既に移動していて、視界から消えそうだ。
私はじっとその後ろ姿を見ていた。するとアマツチが私の頭に寄り掛かって息を吐いた。
「あー良かった、あの王子顔が怖いから、無駄にビビった……」
アマツチが私の顔に触れると私の頬が濡れていたので、驚いて顔を覗いた。
「コウちゃん? 何で泣いてるの?」
「……わからない、なんか悲しい」
「大丈夫、明日には水竜に会えるよ」
アマツチは私をなだめるが、私の涙は止まらなかった。
「そんなに泣きなさんな、もう怖い殿下は行っちゃったよ」
「そうじゃない」
時間が経てば経つほど私の胸に悲しみが広がった。いや、悲しいというよりも不安だ。不安で寂しい。
私はこの感覚に覚えがあった。
泣き声から見たことも無い彼を探し、泣き止ませてからも、私はしつこくその人を追い求めていた。今、その時と同じ気持ちであることを私は不思議に思って、ただ涙を流していた。
……理由は分からない。でも追いかけたい。側にいたい。
首を傾げるアマツチを置いて、私は駆け出した。心のまま必死にファリナ一行を追いかけて、その黒いマントをつかんだ。
「ちょっ、コウちゃーん、そっちいってどーする!」
後ろからマントをつかんで引いたので、黒い人は気が付いて振り返った。そのまま私の目線に合わせて身を屈めてくれる。
「何か?」
私はフードを脱いで、真剣な顔で黒い人を見た。
「あなたは……私を知りませんか?」
私は肩で息をしながら、離すまいとマントをキツくつかんだ。黒ずくめの男は表情を変えずに、マントをつかんでいる私を見ていた。
「私、あなたのことを知っている気がするんです……それは昔なのか今なのかわからないんですが、私のこと、ご存じないですか?」
黒い服の人は何も言わずじっと私を見ていた。
私が手を離さないので、男はマスクとフードを脱いだ。なかから現れたのは、信と同じ黒髪だが彫りの深い顔立ちで、なによりも瞳の色が青かった。
「私に何かご用ですか?」
「いいえ、すみません……」
……似ているのは髪の色だけだ。書庫のジーンと比べると、年齢も背の高さも声も人種も違う。
遠巻きに見ていたファリナ殿下が、吐き捨てるように言う。
「そいつは竜だ、人間ではないぞ」
「竜?」
私は信じられないと、黒いマントの男性を見た。男は私を真っ直ぐに見てゆっくりと頷いた。
「すみません、人違いでした……」
私は呆然としてうつむくが、マントから手を離せなかった。
竜の人は立ち上がり、私の手からマントを抜いた。離れてしまう。そう思うと、不安が増して手が震えた。
「せめてお名前を教えてください……」
「ジーン。ジーンゲイル。ファリナの仮の守護竜をしています」
……ジーン? 何で同じ名前なの?
「守護竜? ナンバーは?」
「No.7」
「置物のNo.7が稼働しているの? どうして?」
私はわけが分からなくて混乱した。でもひとつ確かなことがある。それは、守護竜は嘘を言えない事だ。守護竜が知らないと口にしたら、本当に知らないのだ。
後ろで様子を見ていたアマツチが私の肩に手を置いた。
男は軽く会釈し殿下の方に移動した。一部始終を見ていた殿下はアマツチに言う。
「解錠は明日の朝だ、朝日が昇る前には神殿跡地にこい」
殿下御一行はそのままその場を去った。
泣いて立ち尽くす私の頭に、アマツチはフードを被せた。
「どう見てもナンパだったよ、コウちゃん」
「彼が……探している人かも知れない……」
「君の探しているのは十五才の少年だろ?」
「……だって、似てる」
「コウちゃんの説明していた風貌とは、髪の色しか一致してないよ?」
「理屈じゃないもん、似てるから……」
私は顔を覆ってしくしくと泣いているので、アマツチは困って私を抱き上げた。
私はアマツチに運ばれながら、ずっとさっきの守護竜の人の事を考えていた。
……やはり、守護竜の人が信だと思う。
彼の側にいないと不安になるところや、彼のいる方向がぼんやりと分かる所が同じだ。でも、信や書庫のジーンさんと違って、竜の人の気配はとても薄い。かなり近くにいないと分からないかもしれない。
今思えば、書庫のジーンさんは信の事を何一つと教えてくれなかった。ここに来た信が聖地や市街地にいた事は言っていた。でも、そのあと何処で何をしていたのかは一切教えてくれなかった。
多分私にそれを言うと、彼の辿ってきた未来とは違う結果になってしまうのだろう。
イギリスの凍った泉に映った、アスラのような所をさ迷う信は、ジーンさんの言う事とは違う。
市街地に落ちていたら、目立つ制服姿でひとり岩場をさ迷う事は無いだろう。それにジーンさんはずっとサーが守ってくれていたと言っていた。守護竜になれば樹木と繋がって、常にサーの恩恵を受けられる。
そう考えると書庫のジーンさんは今の竜の人の状況に一致している。
守護竜は嘘をつけない。それは、彼らの言葉はサーに守られ、樹木に記載されるからだ。
今思えば、竜の人は私の事を「知らない」とは言わなかった。彼はそれについて何も言わなかった。私が人違いだと思っただけだ。なら、彼の口から「知らない」と言ってもらえば、信ではないと確定する。
……でも……もし彼が信だったら、何故知らない人のフリをするんだろう? 帰りたくないからかな? 私に会いたくないとか? き、嫌われてる?
私は途方に暮れて、空に浮かぶ半月を見た。ここでも月は同じで、夜空を優しい光で照らしていた。
「ねえ、アマツチ。さっきの竜の人が、いつからこの世界にいたのかとか、そーゆーことを調べられる?」
「ああ、守護竜なら履歴があると思うよ。後で爺さんに聞いてみようか?」
「お願いします……」
ギューッとアマツチの頭に抱きついてふと我に返った。なんか知らないけど抱っこされている。
多分道端で泣いて動かないから、ちっちゃい子みたいに抱っこされたんだろう。
……アマツチはとても優しいイイ人だ。
私はアマツチに謝罪とお礼を言って、下ろして貰った。
「一度宿に帰って休もう。その間に爺さんに聞いておいてあげるから、飯食って、落ち着くといい」
「……心配かけてゴメンね、アマツチ、いつもありがとう」
「ハイハイ、無事だったのだからヨシとしましょう。はぐれたのは俺のミスでもあるから、挽回しないと爺に怒られる。ここは水竜奪還して挽回するよ」
「うん」
どこまでも前向きなアマツチは頼もしい。私はアマツチに手を引かれて宿に向かった。
宿でご飯を食べて床に横になっても、私はずっとさっきの人の事を考えていた。
私がいつまでたっても寝ないので、アマツチの提案で、宿を引き払い現地に行くことにした。
自治区の人は夜も寝ないようで、外で駒のゲームを興じている人や、お酒に酔い道に座っている人、喧嘩している人など、治安の悪さを物語っていた。
ふたりは人目を避けるように町を抜け、神殿の跡地に向かった。
自治区の壁の外は魔物がいるらしい。そのせいか、もう絶対にはぐれないようにか、私の手はアマツチに捕まれていた。
……アマツチがここにいてくれてよかった。
一人だったら怖くて通らないような町や暗い森も、アマツチがいるから安心して歩くことが出来る。
アマツチは周囲の探知を常にしているようで、アマミクのように髪からチリチリと小さな光を落としている。
私はアマツチがこうして協力してくれることに感謝して、空にいるサーに祈った。
……セシルが無事でありますように。あと信もさっきの人も守ってくださってありがとうございます。
月はふたりの歩く先を照らして、優しく見守っていた。