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5、(幸)黒竜の夢を見る


 班で集まっていた公園から、私は早足で家に向かった。

 話をしていた公園から家までは百メートルくらいだったので、走ればすぐにたどり着く。


 私は急いで門を開けて庭を走り、玄関の鍵を開けて中に入った。意識を保つのはそこまでが限界で、倒れるように玄関先に寝転び、背負っていたリュックをなんとか肩から外した。


 そのまま、目隠しをされるように、視界が暗くなっていく。


 ……この前学校の廊下でこれが来たときは本当に焦った。今日は家の中だから大丈夫。


 私は自分の意識が薄らいでいくのを感じて、それに抗わずに目を閉じた。



◇◇


 ――幸は夢を見ていた



 ……今日の幽霊は子どもかな? 大人かな?


 私は自分の手足を確認してみる。すると、今回は透けていなかった。


「手がある! 足もある! 触れる! 今日は幽霊じゃない!」


 ……あっ! 声が出てる!


 自分とは違う、少し大人びた声が不思議で、私は古い映画の歌を歌いながら神殿内を歩いた。



 フレイがいつもいる、大樹のあるドームから外に出て、果て無く見える長い螺旋階段を上る。

 この世界に鏡があるのかは知らないが、水になら顔が映るはずだ。

 私はエントランスにある噴水を求めて階段を上った。階段の先には広い空間があり、電気でも炎でもない灯りが壁に設置してあるので地下でもそれなりに明るい。

 エントランス中央には竜を模した彫像がそびえ立ち、その口からたらたらと水が流れて貯められていた。


 私はドキドキしながら水面を覗く。すると、そこに映ったのは、ストレートの黒髪の外人で、緑の瞳を持つ二十才くらいの女性だった。


「わぁ、大人だぁ……手長い、胸あるー!」


 私ははじめて見るフレイの姿に感動して、体をペタペタと触った。


 フレイは黒髪だけど、日本人っぽくもなく、かといって顔の凹凸が深い欧米人の顔立ちとも違う。長い睫毛と大きな目が印象的。目鼻立ちが整いすぎていて、どこか人形っぽい感じだ。

 フレイは私よりずっと年上に見えるが、どことなく自分に似ている。髪質や色は全く同じだ。


 そもそもフレイという名前は、エレンママの母親の名前と同じだ。私のおばーちゃんのフレイは、娘が生まれたときにお産で死んだらしい。

 そのせいか、私の洗礼名とセカンドネームはフレイの名前をもらっていて、お爺さまは私の事をフレイと呼んでいた覚えがある。


 ……セカンドネームは日本では使わないけどね。



 夢の世界のフレイは、肩の出た裾の長い服を着ていて、腰にはモスグリーンのショールを緩く巻いていた。

 髪は地面を引きずるほど長い。

 髪の毛は幽霊の時から長いと思ったけど、肉体があるといちいち踏んでまうので邪魔だと思った。


「こんにちは」

「ひゃあ!」


 突然挨拶をされて、フレイは飛び上がる程に驚いていた。この世界の私、フレイは肉体があったので、神殿につとめる神官から挨拶をされていた。

 もちろん言語は日本語でも英語でもない、こっち特有のものだ。


「……こ、こんにちは」


 フレイが消え入りそうな声で挨拶を返すと、神官は軽く会釈をして通りすぎた。

 一人ぼっち状態が長かった為か、フレイは挨拶ひとつするのにも、とても緊張する。各地の守護竜や、神殿にいる双竜とは普通に会話をしているというのに。


 ……今は何年くらいなんだろう?


 私は疑問に思うが、新聞もカレンダーも見当たらないので日付けは分からなかった。


 フレイはエントランスを離れ、神殿内を進み、中央の巨大な螺旋階段を下りて行く。かなりの段数の階段を下りたところで、黒い服を着た黒髪の青年を見つけた。


 フレイはその人に向かって駆け寄った。

 神官には怯えていたフレイが嬉しそうに駆け寄るこの青年は誰なのか?


「アレクセイ、仕事は終わったの?」


 アレクセイと呼ばれた細身の青年は、無言のまま頷いた。

 ショートカットを半年くらい伸ばしたような髪型。当然前髪も長く、前髪のすき間から切れ長の目が覗いている。真っ白な肌に、真っ黒の瞳。そして真っ黒の髪の毛。真っ黒の服。その姿は、闇夜に浮かぶ白い月のようだった。


 ……この人、男性だと思うけど、体が細くて綺麗な顔をしているので、もしかしたら女性なのかもしれない。いや、この人たちは性別が無かったっけ?


 暇をもて余していたフレイは、黒衣の人についていく。


「君はすることあっていいなぁ。私は無いの」


 寂しそうに笑うフレイにアレクは微かに頷く。どうやら黒衣の人はあまり話をしないようだ。口は常にへの字に結ばれていて、開く様子はない。

 フレイはこの黒い人が無口なことを知っているようで、一人でずっと喋り続けていた。


「平和ってことよね。最初は大変だったけどね」


 そう言って、フレイはうーんと腕を伸ばした。


 ……ああ、そうだ。思い出した。この男性はNo.6の黒竜だ。人や動物の命を管理する聖地の守護竜で人間じゃない。だからフレイが萎縮せずに普通に話しているんだ。


 私は、フレイの人間と竜に対する対応の違い思って苦笑した。


 ……まあ、私も信やママ以外にはとても緊張するけどね。周囲から見たらこんなに違うのかな?



 無口な黒竜は、話し掛けても言葉では答えず、首を縦横に振るだけだが、フレイはひっきりなしに黒竜に話し掛けていた。

 黒竜は少しつり目で、いつも不機嫌そうに目を細めている。それでも、根気よくフレイの話しに付き合ってくれた。


 二人は特に目的もなく上の層に上っていく。

神官が出入りする層まで上ると、黒竜がフレイの手を取って引き留めた。


「これ以上登るな」


 フレイはぷうと頬を膨らませた。


「どうして私だけ? あの子だって外に出ているのに」

「禁止されている」


 フレイは黒竜に捕まれた手を引くが、びくともしなかった。それでもフレイは負けじとつかまれた腕を外そうと引っ張る。


「壊れる」

「もー、サーは意地悪だわ! 体があるのだから私も外に行きたい!」

「フレイは人と話せない」

「久しぶりで緊張するだけ、慣れたら話せます! 私はアレクセイに開門を要求します!」


 フレイは頬をふくらまして、じっと黒竜を見つめた。

 黒竜はフレイから手を離し、目を閉じて、しばらく動きを止めていた。フレイは彼が動きはじめるまで、その場でじっと待っている。

 これは世界に六体いる守護竜の機能で、世界樹に問い合わせる事で、神からの命令や世界の情報を得ることが出来るらしい。

 黒竜の長い睫が動き、薄く目を開けた。


「人に会わない、神殿の周囲のみ、一刻までなら可能」

「本当に?」


 フレイは手を胸の前で組んで喜んだ。そして、満面の笑顔で手を黒竜に差し出す。


「行きましょうアレクセイ、私、本当に外が見て見たかったの」


 私は青年の手を握った。背の高い彼の頬が少しゆるんだ気がする。私は睫の長い、綺麗な彼の顔に見とれていた。


「ん……」


 あたたかい彼の体温がだんだん遠く感じていく。


 ……目覚める


 ふわりと、体が浮くような感じがする。フレイの体から私の意識が解離していき、世界は暗転した。



◇◇


 閉じた瞼ごしに、光が揺れているのが分かった。

 私がゆっくり目を開けると、心配そうに覗く信の顔が見えた。どうやら私は倒れた玄関ではなく、リビングのソファに寝かされているようだ。


「信……」


 その顔が見えたとたん、私の目から涙がポロポロこぼれ落ちた。

 何かを探すように手を伸ばすと、信は私の手をギュッと握った。私はすがる気持ちで信に抱きついて、しばらくしくしくと泣いていた。


「どうした? 怖い夢を見たのか?」

「違うの。フレイが神殿から出られなくて、寂しかっただけ……」


 信は私から体を離した。私は上体を起こして、ソファーに座る。


「それは毎度の事じゃないか。なんで今日だけそんなに泣いているんだ?」

「分からない。フレイの体があったから、感情が直接に伝わって来たのかも……」

「へぇ、フレイは幽霊やめて何かにとりついていたの?」


 私は首を傾げた。


「幽霊のフレイと、体のあるフレイは同じ外見だと思う……あと、神殿に人がいた。フレイは神官さんに挨拶してた。これはぼっち卒業の予感……?」

「その展開で幸が泣いている理由が不明だ」


 時間が経過するにつれて、フレイの主観が外れて、存在が遠くなる。彼女の感じていた寂しさが薄れていく……。

 私は首をふるふると振って首を傾げた。


「なんでだろ?」


 涙の濡れた目で信を見つめると、信はペチりと私のおでこをはたいた。


「あっ、それ今日二回目だ。君はおでこすきなの? おでこマニアなの?」

「吉田みたいなことを言うな」


 信は眉を寄せて文句を言ったあと、思い出したかのように頭を下げた。


「さっき公園でデコピンしてすまん。佐久間に酷いと指摘されて気がついた」

「なんで? 謝るような事だった? それよりも私は信が怒った事のほうか気になるかな? だからデコピンしたのでしょ?」


 私は上体を起こして、聞く体勢でソファに座り直した。信は何と説明しようか困って言葉を探した。


「俺が好きで佐久間を見ているようなことを言わないでくれ……」

「へっ? 見てるよ? 好きでしょ?」

「……うっ」


 信は少しのけぞって、視線を泳がせた。


「いやいやいや、何でそう言う発想になる? 幸にとって、見るは好きと同じなのか? 見ただけで好き認定?」


 私はうんうんと頷いて、ニヤリと笑う。


「伊達に千年人の世を観察しているわけではないのですよ……。視線の持つ意味は大きいですよ?」

「こんなときにフレイになりきるな。お前は篠崎幸だ。十四年しか生きていない」

「でもわかるよ」


 私は下を向いている信を下から覗く。


「髪の毛長いの好きでしょう?」

「……うっ」


 信は黙ったまま少しだけ頷いた。


「あとは目鼻のパーツがはっきりしていて、目が大きいことかよくみてる。テレビの話ね!」


 ……あれ、この特徴を持つ人知ってる、さっき噴水のところで見た人だ!


「ならフレイすごいよ! 髪の毛引きずるほど長かったよ。歩くと踏んじゃうの。あれで和風のお化けやったら大迫力だねぇ」


 私はソファから飛びおり、フレイになりきってリビングを歩く。

 細く長いしなやかな手足で裾の長いドレスを少し持ち上げて歩く。床を引きずる程に長い黒髪はさらりと揺れる、腕にかけた長いショールを思い出してくるりと回転した。

 私はそのまま鼻唄を歌いながら歩き、制服のシャツとスカートを脱ぎ、学校の短パン姿で浴室に向かった。


◇◇


 幸の姿が視界から消えると、ソファーに取り残された信は頭をかかえた。

 既に時間は深夜零時をまわっている。エレンママは自室で寝ているし、幸が正常だと確認した今、俺は自宅に帰らなければならない。


「……玄関先で倒れるとか、心臓に悪い」


 公園でのやりとりから、幸はデコピンに怒ったか、会話に入れなくて帰宅したのだろうとたかをくくっていた。でも幸は、夢の前兆を感じて、急いで安全圏に逃げ込んだのだ。


「目の前に俺がいたのに……」


 あの場で「眠い」と言ってくれたら家まで送ったのに。幸にとっては、自分の体調不良よりも、俺と委員長が会話することを優先したんだ。自分が二の次なのは幸の悪い癖だ。


 フレイの影響なのか、幸は自分の事はまわりから見えてないと思っている。

 後ろ姿は日本人に見えるに、前から顔を見ると外人という、幸の容姿はとてもよく目立つというのに。


「さっきの俺の好みの話なんて、髪の毛の長さ以外はまんま幸の事だ……」


 出会ったときの幸の髪が長かったので、今のボブよりかは長い方が好きなのは事実だ。

 服もズボンや短パンよりもスカートが好き。肌の露出は少ない方がイイ。肌は隠れている所にロマンがあると思う。

 俺の事をよくみている幸は、俺の好みを知っていて、あの髪型と服装なのだろうと思う。


 俺は自分の思いが報われていないことにため息をついた。


 体にはさっき幸を抱きしめていた感触が残っているというのに、それが特別な事だと気がつかない幸は本当に罪深いと思う。上目遣い涙目とか、本当にあざとい。


 俺は邪念を振り払おうと立ちあがり、雨戸を閉めて窓に鍵を掛けた。

 物音が気になったのか、風呂上がりの幸が、肩にタオルをかけてリビングを覗いた。


「帰るの?」

「うん、明日の準備をしていないし、さすがに眠い」


 幸はタオルで頭を拭きながら近づいてくる。幸の服は寝巻きにしているキャミソールと短パンだ。幸はじっと俺の顔を見た。


「信の事だから、倒れた私の側にいてくれたのね。うなされてない限りは信のお世話にならなくて大丈夫だから、信は信の事を優先してね」


 心配する幸からは、グレープフルーツの香りがした。多分髪の毛からだろう。爽やかな甘い匂い。

 俺は幸の濡れた頭に手を置いて、少しだけ押して、俺から遠ざけた。


「おやすみ。もう遅いから、朝日見るのはやめとけよ」


 俺は幸から逃げるように、早足で玄関に向かった。玄関の外から鍵を閉めようとすると、扉が開いて幸の顔が覗く。幸は気の抜けた顔で笑った。


「今日もありがとう、また明日」


 俺は苦笑して、持っている鍵を揺らした。修学旅行で買った、竜のキーホルダーがチリンと鳴る。


「俺が閉めたらチェーンもかけとけよ」

「分かった。朝日見るときまた開けとくね」


 ついさっき朝日鑑賞はやめとけと言ったのに、幸の耳には届いて無かったようだ。俺はもう一度言うべきか悩んで、幸の好きにさせる事にした。


「じゃあ速やかに寝る事。Quickly now!(すぐに!)」

「Yes,sir!(了解!)」


 幸は真面目な顔で敬礼をした。



 俺は幸に別れを告げて、深夜の篠崎邸の庭を門に向かって歩いた。幸の家の広い庭は、前に住んでいた藤野さんとエレンママがせっせと手を入れ、季節に応じて色んな花が咲く。

 そんな綺麗な庭を見ていても、俺の心の中は幸の事でいっぱいだった。


 幸に触れた右手を鼻に近付けると、甘い匂いがする。さっきの香りはシャンプーで合っていたようだ。

 自分とは違う、白くて柔らかい肌。細くて切れそうな髪。味おんちなのに匂いにうるさいママが、色んな匂いの石鹸を買ってくるので、幸の匂いは毎回違う。だいたいが花か柑橘系といった、美味しそうな匂い。


 髪の毛は細くて少ないのに、睫毛は多くて、あの大きな目に涙を溜めて見つめられるとドキッとする。直視出来ない。


 たった十センチ近づけば触れる距離なのが本当に罪深いと思う。でも、その距離をつめるわけにはいかない。幸は自分の事を何とも思っていないのは知っている。幸は自分のことを、愛用の枕かぬいぐるみだと思っているんだろう。


 ……片想いなのが辛い


 俺は自分の家の玄関の引き戸を開けて、足で下の方を押さえながら鍵を閉めた。上がり框に座ると、靴を脱ぐのも億劫で、誰もいない家の玄関にだらしなく寝転ぶ。


「フレイに体があるのならば、幸も自分がまわりに認識されていることに気がつくだろうか?」


 俺はその未来を想像するが、幸が自分の好意に気がつくことなんて一生無いように思えた。


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