4-1、二人の王と大地の竜
見渡す限りの広い草原が続いている。その草原を抜けると、ポツポツと建物が見え、その周りを埋め尽くすような小麦畑が広がっている。小麦は青々とした葉を風に揺らしていた。
農耕地を抜けると海が見える。その海辺に高い石の壁に覆われた都市があり、緩やかな傾斜の上にセダン城があった。セダン城まで続く広く長い道を、多くの人々が行き交っていた。
「うっ、赤い女? なんじゃこの視界、この感覚……これは一体……?」
城下町を見渡せる、城のテラスに老人が出てきた。老人はひどくうろたえて、目を押さえてヨロヨロと歩いている。
彼はとても小柄で、白いローブを纏い、手には木の杖を持っていた。
真っ白な長い頭髪と、豊かな口髭を蓄えた小さな老人は驚いて外を見た。しかし城下はいつも通り多くの人が行き交い、平和で何の異常も見られなかった。
「じっちゃん、どした? 魔物でた?」
城内にいた金髪の青年が、老人の異変に気がついて声をかけた。青年はテラスに出て、老人の視線の先を追ってみるが、何も分からなかった。
老人は熱心に外を見ていたが、やがてまばたきさえもせず停止したので、青年は一度テラスを離れた。部屋の奥から椅子とブラシを持って来て、鼻唄を歌いながら爺さんの髪をいじる。
老人は身の丈は金髪の青年の半分くらい。小柄な体格に纏う、フード付きの白いローブから、長い白い髭を外に出していた。
青年は老人の長い髭に櫛を入れた。鼻唄を歌いながら一通りすくと、下の方を緩いみつあみにする。
「もう、爺さんの本体の姿おもいだせねーなぁ……」
青年は動かない老人を気がねせずに触りながら、独り言を言った。
ここはセダンの新王都。
温暖で四季があり、秋には豊かな作物が実る豊潤な土地だ。
西の聖地からのびる河川がセダンを通り、東の海岸まで長くのびている。また、聖地との境目には深い森があり、王都の周りは草原で、広い牧草地や畑が続いている。
かつてはもっと西に都があったが、色々あり、今では海に近い丘陵を囲むように城壁をたて、そこに都を移した。
都の中心に建てられた、土台が石で出来た城に青年は住んでいた。
青年の名はアマツチ。親はいない。
アマツチは産まれてからずっと爺さんと一緒にいて、歩くようになるまでは、すっと爺さんのフードの中にいた。
「……爺さんというよりかは、母ちゃんだよなぁ」
爺さんはとてもちいさいので、アマツチが六才ときには身長を追い越した。いまではアマツチの腰辺りに爺さんの頭がある。
爺さんの口癖で「大人になったら剣をやろう」ってのがあるが、一向にくれない。なのでアマツチはセダン王から適当な剣を貰って常に腰にひっかけている。
でも何だろう、コレジャナイ感……。
手にある剣は単なる道具でしかない。記憶にある剣はもっと違うもので、いつも浮いていて、武器にもなるし、光源としても熱源としても使えた。あれは一体なんだったのだろう……?
アマツチは、昔からよく夢を見ていた。今の自分よりもうちょい年上の自分と、黒髪で小柄で聡明な少年と語らう夢。
夢の中で自分は王様をしていて、この小さい爺さんの主人として、七百年に渡る治世の後に自害した。
他に思い出すのは赤い巻き毛の猛獣のような女と、白い綿毛を頭に乗せたようなふんわり笑う優しい少女だ。四人とも長寿で、長い間ずっと同じ姿をしていた。他の人々は普通に老いて死んで行くというのに。
四人が会う機会は滅多になかったが、民では倒せない魔物や悪魔が出たときにはパーティーを組んで討伐に出た。四人でいたときは本当に楽しくてしあわせだった。
爺さん曰く、その夢は三百年前に本当にあったことらしい。自分は三百年前に死んで、創造神の意向で爺さんが石から再生したという。
伝説の王とかイマイチ信じられないけど、聡明な少年、二の王カウズは、いまだにずっと西の学舎に住んでいるから本当の事のようだ。
その夢は長い黒髪の女が出たところで終わる。なぜかしらんが、その女が出ると、飛び起きてしまうんだ。俺が……。
「自分が自殺した理由も思い出せないし、過去の俺、なんかやらかしちゃったのかねぇ」
アマツチは窓の外に向かって呟いた。
「オージン、何をしている?」
ふたりの背後から肌の色の濃い中年男性が現れ、テラスを覗いていた。
白い肌に金色の髪で筋肉質のアマツチとは違い、その男は細く頼りない感じだった。その男はやや色黒の、肉付きの薄い小さな体で、いつも笑うように目を細めている。
真っ直ぐな黒髪を短く刈り、顎には短い髭を綺麗に整えていて、いつも目を細めているせいか、目の白い所があまり見えず、黒目が大きく見える。
その人はどこかオリエンタルな雰囲気のする細身の中年男性だ。
彼はここ、セダンの王様なのだが、いつも笑顔で偉ぶった所がないので、この城の主には見えなかった。
「セダン王、爺さん検索して動かなくなった」
「へえ、なんかあったのかね」
王もしゃがんで、爺さんの頭を撫でる。
「あれじゃね? 王の嫁さん探索中とか?」
「それは困るなぁ。嫁は募集してないんだ。ウチは世襲制じゃないからね」
「えー、おんなこの、かわいいじゃん! ここばーさんしかいないから、どっかから貰ってきてよ、城に女の子成分足りぬ!」
王はアマツチの素直さに吹き出しそうになったが、遠くを見てこらえた。
「そのばーさん達は私より有能だから、大切にしておくれよ」
「王、竜と契約したらヒトでも長寿になるみたいだけど、近侍やお付きのものは不死じゃないからね? 新しいの入れとかないと、その有能な能力も失われるよ?」
「次世代の事を考えるのは私ではない、お前だよ。私はつなぎに過ぎない」
「いやームリムリ、っていうかヤダ、今の王が有能すぎて次とか絶対比較される。そしてがっかりされる。そんなの耐えられん!」
王は目を細めて、アマツチの頭をグリグリと撫でた。
「私に出来るのだから出来るよ」
「……お気楽に言いやがって。出来るヤツは出来ないヤツの事を考えられないとかいうけど、まさにそれだろ」
頬をふくらまして横を向く古のセダン王を、現セダン王は面白く思う。
古の王はヒトを超越した力を持つと言われるが、目の前にいる青年は城の愛玩物でしかない。喜怒哀楽がはっきりしていて、裏表のない真っ直ぐな青年だ。これにセダンの諸侯を治める事が出きるのか多大に不安は残る。
「……まあ、次の中継ぎをあてるにしても、末にはアマツチがやるしかないんだけどね」
「頼りにしてるから、長生きしてね、セダン王」
子犬のように笑うアマツチに背中を向けて、セダン王は城下を見た。アマツチも興味深く王の視線の先を見る。
「……なんか見える? また魔物出た?」
「いや、魔物ではなく、城下町を見ていたよ」
「なんで? 城下はいつもどうり平和だけど?」
わからん、と首を傾げるアマツチに、セダン王は笑う。
「問題は多々あるよ、最たるものは少子化だ。なぜかこの世界には子どもが産まれないからね、魔物の子はいるのだけど」
「民なんて銀の盆に申請すればいいだけじゃん、なんで増やせないの?」
アマツチがなんという事も無いように言うので、セダン王は苦笑した。
「銀の盆は我ら王の手から離れて久しいと聞くよ、アマツチが言うのは昔の話で、命は今、中央が管理しているからね」
「……中央って聖地? 聖地なんて廃墟じゃん、何も無いよ?」
「そう、何もない。魔女を信仰していた中央の神官は三百年前に殺された、ゆえに人の数が減ってるんだよ、アマツチ」
セダン王が教え子に諭すように言うので、アマツチはふて腐れて、爺さんの頭に寄りかかった。
「子どもがいないのは、盆を管理する役割の黒竜が消えたからでしょ? 二の王でさえも現状は銀の盆を動かせないらしいよ」
「それでも、銀の水が盆に張れば自動に振り分けられていたんだけどね、最近は全く配給がない、ゆえに、国に子どもは生まれないんだ」
この国では子どもが生まれないだけでなく、年若い者の間に病気が流行り、今やこの国に子どもはいなかった。
「黄昏の世界……世界の終末に現れる四人の王か……」
「まあ俺は終わらす気ぃないですけどね!」
アマツチがニコッと笑うと、老人がモゾッと動いた。ふたりは小さな老人の前に片膝をつく。老人の姿をした地竜は、ゆっくりと目を開けて、緩く編まれた長い髭を手で撫で付けた。
「……アスラからの扉が開いた。火竜から正式な謁見申請がきたぞ……」
「へー、火竜が関わってくる事とかあるんだ、珍しい」
アスラが崩壊してから、ずっと地中に引きこもっている守護竜が動いたと聞いて、王もアマツチも驚いた。
「謁見って、火竜が来られるのです?」
「いや、来るのは火竜の主、三の姫と異世界の少女だそうな」
「異世界?」
王は耳を疑うが、守護竜は嘘を言わないので口を閉じた。
「こことは別に、サーのいる世界がある。それが並列世界なのか、上位世界なのかは公開されていない、しかし、異世界は確かにあるのじゃ」
「はぁ、異世界……サーラジーンのいる世界ですかぁ……考えた事もありませんでした……」
「王よ、顔が緩んどる。口は常に固くしめとけ、民に示しがつかん」
「ハハッ、常ににやけてしまうんですがねぇ」
「口は閉めとけ、阿呆に見える」
老人の諫言に王は頬を触れて、顔を引き締めた。
「早くお会いしたいですね、異世界人。アマツチ、今すぐに連れてきてください」
「……えっ、俺?」
「能力的にも、暇さ加減にもアマツチしかおりませんからね」
「……はーい」
どこかうかれている王をチラリと見て、アマツチは立ち上がる。背中を向けるアマツチに、地竜が声を掛けた。
「場所は旧セダンの移転扉だ。そこから直線ルートでこちらに来るそうな。早く回収しないと森が焼かれかねん、頼んだぞ」
アマツチは退室しかけていたが、足を止めた。
「焼かれる? 異世界人は火でも吹くの?」
「ばかもん、火は三の姫じゃろう? あれは歩く火炎凶器だ」
「世界最強の王ですね。美しい女性らしい、そちらも楽しみだ」
にやける王の背中を老人は杖でつつく。
「呑気な事を……魔女の森の焼失の危機じゃと言うとるのに。あそこは貴重な水源なのじゃぞ?」
地竜は突如背中を丸め、うずくまると、口から光る玉を吐いた。
「アマツチ、持っていけ」
老人の足下から光の玉が浮いて、光はアマツチの方に向かってゆっくりと飛んでいった。アマツチはその光を手のひらに乗せる。
「爺さん、何これ?」
「武器になれと命じてみぃ」
「剣になれ?」
光りは棒状に横に伸び、アマツチが腰に下げている剣とそっくりになった。柄の部分は固いが、刃に実態は無く、手で振れようとするとすり抜けてしまう。
「それはお前のものじゃよ、アマツチ。本来は槍だったが、お前が命じればいかようにも変化し、敵を滅する凶器だ」
「えっ? 刃に触ってもなんにもならないけど?」
「……完全に忘れとるのか」
セダン王は口ひげに手をあててアマツチに言う。
「一の王の専用武器ですね。はじめて見ました。それで町を消さないよう注意してくださいね」
「……そんな威力あるの? この光が?」
「試しになんか斬ってみい、消えてもよいものな。えーっと……」
キョロキョロと辺りを見回す老人に、セダン王は懐から巻いてある木簡を差し出した。
「はい、一の王、斬って」
セダン王が投げた木簡を、アマツチは軽く凪払う。光の刃が当たると、木簡は光の粒になって消えた。
「……消えた?」
「そう、対象物に魔法抵抗の無いものほど消えやすい。ワシの副産物なのでワシは消えんが、守護竜並みのものを消そうとすると、一の王の魔力が枯渇する。気をつけるがよい」
「……はぁ……そんなものを隠していたのか、じーさんは」
光の剣はまた球体に戻っていた。手の上でふわふわ浮かぶそれを触っても何もない。何かに変化させない限りは、単なる光だった。
「……使い方は?」
「お前しか知らん。思い出したら渡そうと隠していたが、思い出さんかったな。しかし今渡さないとお前の命が危ういから、しょうがなくじゃ」
「もしかして、異世界人って魔神とか魔物なの? 俺は戦わないといけない?」
「どんな様子の者が来るかは聞いておらぬ。問題は異世界人ではなく、三の姫なのだ」
姫と聞いてアマツチは首を傾げる。
「姫って、俺より年下の女の子じゃん。今や貴重な女子に剣をふるったりとかしねーし……」
オージンは小走りでアマツチの周りをぐるぐる回った。
「いーや、するね! お前は絶対あの小娘に斬られる。頭をもがれてから泣いたっておそいぞ?」
アマツチはうるさく回る小さな老人を抱き上げた。老人は腕の中でふんぞり返って言う。
「お主はわしの王じゃ無いしな。お前はまだ不死じゃないからな! 怪我したって、わしゃ治療してやらんぞい」
「爺さんに心配はかけないよ」
アマツチはニコリと笑って老人を王に押し付けた。
「じゃあ行ってきます! 三人乗れる翼竜借りますね」
扉が閉まり、アマツチの足音が聞こえなくなるまでセダン王と地竜は背中を見送っていた。
「……ところで王よ、今の木簡は何だったのだ?」
「あ、気になりますか? 先ほど帳面に間違いを見つけましてね、こっそり差し替えていたのです。あれは焼却しようかと思いまして……」
「アマツチに証拠隠滅の手伝いをさせるな、ちゃんと差し替えた旨を申し述べとけよ」
「あー、どこか忘れてしまいました。思い出そうにも消えたらどーしようもありませんね、困ったものです」
「……王」
老人の視線から逃げるように、黒髪の王は部屋に戻る。しかし何かを思い出したかのように、またテラスを覗いた。
「三の姫の来訪は平和なものとみて差し支えありませんかね? もしかしてアスラと戦争でも始まりますか?」
「アスラには国家が無いから戦争はないだろう。じゃが、アマツチとアマミクが喧嘩するのは見える……未来予知じゃなくて単に過去にあったことじゃ」
地竜は情けない顔をして王を見た。
「……あと王、エレノア姫のような厄介な能力者がきたようだから、ワシは地下に閉じこもっていいかな?」
「おや、異世界人は精神感応者ですか? 妹みたいな?」
「それが、森の扉から影響しておる。今ワシの目には赤毛の美姫が映っておるのじゃ」
「ほお、三の姫ですね。お噂はかねがね……。しかしそれで異世界人は見えないのですか?」
王が聞くので、老人はうんうんと頷いた。
「当人の視界と痛みや触覚だけが飛んでくる。音は聞こえんし、本人は見えぬ。ただ、手足がかなり細くて短い。子どもと見た」
王はヒュウと口笛を吹いた。
「子どもですか。それは希少ですね。お会いするのが楽しみですねぇ……」
老人は呑気に笑う今のセダン王を不安そうに見た。
……こやつ、弱いんじゃが度胸あって、口が長けてるので、心配する必要は無いんじゃよな。どこか頼りない一の王、アマツチとは大違いじゃ。
地竜がセダン王をじろじろ見ていたら、王はそれに気がついて笑う。
「大丈夫ですよ。私には相談できる先輩方が多いですから、それに私が死んでもアマツチがいますからね」
「死なせんわ! 王を継承したいなら、アマツチにお主の国政を一通り教えてからにしてくれよ」
「英雄王に、私が?」
「そんな大層な存在じゃないのは見りゃ分かるじゃろ。無邪気と勇気が服着て歩いているのがアイツじゃ、頼むから長い間ここにいてくれよ」
「仰せのままに、最古の竜よ」
「客人の感応能力が不快なので、ワシは棲みかに引きこもるからな、用事があれば直接起こしに来いよ」
「おやすみなさい、オージン老」
老人は退散と、地下の竜のねぐらに走っていく。セダン王は遠くを見ながらひとりごちた。
「妹か……」
眉を寄せて妹を思い出す王の顔は、どこかもの悲しく歪んでいた。
一の王アマツチです。ジーン曰く、三の姫の恋人(笑)
三、四、五章は短いです。三匹の王と国の紹介